15.有力家族の令嬢は思案する
お茶会が終わり、ニアミリアが帰路に就く頃には茜色が空に広がっていた。
(本来ならわたくし主催でもお茶会を開きたいところだけど)
宿泊先となるパルテ王国の大使館に相応しい場所がなかった。
外交用の施設として建てられ、小さなパーティーならおこなえる広間はあるが、それだけだ。
国の規模は建物の大きさにも比例する。
特別経済的に豊かでもないパルテ王国の大使館は、お世辞にも大きいとは言い難かった。
他国と比べればこぢんまりとした印象が拭えず、唯一目立つのは正面に大きく掲げられた国の意匠だけだ。
花壇すらない玄関は無骨そのものだった。
(ハーランド王国では野蛮人に近いと思われているようだし)
先のパーティーで自分に集まった好奇の目。
その意味をニアミリアは正しく理解していた。
使節団や国の印象から、片寄った先入観を持たれるのはいつものことである。国をあげてそれを売りにしているのだから仕方ない。
だからこそ、叶うならハーランド王国と変わらない華やかな文化がパルテ王国にもあることを自分主催のお茶会で示したかった。
そうすればハーランド王国の人々にもより身近に感じてもらえるだろう。
けれどない袖は振れない。
(仮装舞踏会は何としても成功させないと)
シルヴェスターの婚約者候補として、いや、婚約者になるのを望まれてからニアミリアなりに知恵を絞って企画したのが仮装舞踏会だ。
お茶会すら開けないのに無理だと思われるかもしれないが、仮装舞踏会は参加者にも準備が必要になるため、開催までの期間を長く設けられる。
準備期間ができることで、大使館も大きく手を加えられた。
仮装舞踏会当日は広間だけでなく、続き部屋や庭といった大使館の一階部分のほとんどを開放する予定だ。
逆を言えば、そうまでしないとハーランド王国中の貴族を招くことはできない。
庭も会場になるため、今日のように晴れることを願うばかりである。ニアミリアのために用意された部屋は二階にあった。
パルテ王国にある自室の五分の一ほどの大きさだが文句は言えない。
生家であるベンディン家の財力なら独自に屋敷も買えるが、どうせ最後には王城へ招かれるのだからと父親は用意しなかった。
(凄い自信よね)
勝算がなければ、こうしてニアミリアを送り出すことはなかったとしても。
ソファーに腰を下ろしながら、出掛ける前にお願いしていたことを老齢の侍従に確認する。
五十に差し掛かった侍従は、平素ならロマンスグレーの紳士的なおじさまにしか見えない。
老齢の侍従ことダートンは、長らくベンディン家に勤めていた執事だった。それが今回の件を機に後任へ仕事を譲り、ニアミリアの同行者として侍従を買って出てくれた。
「ドアの件は周知されて?」
「はい、使用人全員に徹底させました」
ダートンのようにパルテ王国から随行している者もいるが、大使館で働く使用人の多くはニアミリアと面識がない。
そのため改めてニアミリアの嗜好や注意事項を伝える必要があった。
些細なことでも伝達を怠らないことで後のトラブルを防げる。
「ニナ様はお茶会で得るものはございましたか?」
ダートンが用意した紅茶をテーブルに置く。
鼻をくすぐる香りに、無意識のうちに力んでいた体が緩む気がした。
ロマンスグレーの侍従に、ニアミリアは保護者に付き添われているようなくすぐったさを覚える。
「そうね、有意義だったわ。王妃殿下も顔を出してくださりましたし」
ウェンディのクラウディアに対する態度には驚いたものの、ニアミリアが何かしらの被害に遭ったわけでない。
ただ二人の対立は気に留めておいたほうがいいだろう。
「ハーランド王国では王族派と貴族派で対立しているのでしたわね」
「さようでございます。婚約者候補であるクラウディア嬢のリンジー公爵家は、中立の立場を保っています」
「王族派のルイーゼ様とも貴族派のシャーロット様とも仲が良さそうでしたわ」
「ウェンディ嬢とは距離がありましたかな?」
「距離というより、完全に敵対していたわ。事前情報と違ったのはここだけね」
ハーランド王国を来訪するにあたり、貴族間の情報は集めていた。中でも婚約者候補に重きを置いたのは言うまでもない。
事前情報ではクラウディアとウェンディに距離はあるものの、あからさまな対立はないとのことだった。クラウディアが中立ならば、対立する理由がないのにも頷けた。
「なるほど、状況が変わるようなことがありましたか」
「クラウディア様をはじめ他のご令嬢方も戸惑っていらしたから、変化は大きかったみたいだわ」
ニアミリアは文面での情報しか知らないが、実際にウェンディを知っている者にとっては衝撃的だったようだ。
「敵意を見せていたのはウェンディ様だけで、派閥で争っている感じではなかったわね」
「しばらく注視していたほうが良さそうですな」
頷きで応えつつ、更にダートンと共有したい話題を思いだして頬が緩む。
「そうだ、話は変わるのだけど、クラウディア様も体を鍛えておられるようなの!」
お茶会で盛り上がった話を聞かせる。
実は、この手の話題がハーランド王国で受け入れられるとはニアミリアは思っていなかった。ハーランド王国の令嬢にとって体を鍛えるなんて想像だにしないことだと考えていたからだ。それが完璧な淑女と名高いクラウディアの興味を引けたのである。
ライバル関係にあるとはいえ、知り合いの少ない地で打ち解けられる人がいるのは嬉しかった。
「早速試してくださるって言っていたわ」
「監督がいない中で鍛えられるのは危ないのではありませんか?」
「あのね、下手すると体を壊すような方法を教えるわけないでしょう!? でもクラウディア様なら加減できると思うわ」
「熟練者だと?」
「ダートンが言うと、どうしても戦士の話をしているように聞こえるわね」
何を隠そう、執事を務める前のダートンはパルテ王国が派遣する傭兵として各地を渡り歩いていた。
名の知れた彼を隊長職に迎えたいという声は跡を絶たなかったが、有能な上に多才だった彼は結果としてベンディン家の執事となった。
今もなお鍛えられている肉体には、無数の傷跡があることをニアミリアは知っている。
屋敷の使用人たちから、彼が鬼教官と呼ばれていたことも。
それでもニアミリアにとって、ダートンと過ごす時間は癒やしだった。
彼だけが自分のことを「ニナ」と呼んでくれるからだ。
「筋肉や体の動きにお詳しそうだったの。ご本人も綺麗な姿勢を保たれていたし、あれは体幹がしっかりしている証拠よ」
「ニナ様がおっしゃるなら間違いありませんな」
「ダートンほどの審美眼はなくてよ」
「おやおや、それでは困ります。目が衰えておられるようなら鍛え直しますか?」
「わたくしの判断に間違いはないわ!」
鬼教官が青い瞳を光らせるのを見て慌てて前言撤回する。
ニアミリアにとって、ダートンは師匠でもあった。
本来なら免除される訓練も、ニアミリアは父親の方針で独自のメニューをこなしていた。そのメニューを組み、指導にあたったのがダートンだったのだ。
使用人たちが隠れて口にする「鬼教官」の姿を、ニアミリアは実際に経験していた。
「はぁ……隙あらば容赦なく指導しようとするのは、あなたの悪いクセよ」
「私は自分にできることをしているまででございます」
苦言が全く響いてない様子に頬が引きつりそうになる。
親子以上に歳の離れた侍従を扱うのは、まだまだ骨が折れそうだった。




