28.ナンバーワン娼婦は救われる
胸やお尻にまとわりつく男たちの視線。
警ら隊の下卑た笑いには飽きるほど覚えがあって、ケイラは溜息をつきたくなった。
朝からついていない。
職質の意図は明かだ。
彼らは護衛として付いてくれているベゼルたちを引き剥がし、自分やサニーに行為を要求するつもりだろう。
いくらフラワーベッドのナンバーワンになっても、街でケイラを見る目は変わらなかった。
それでもベゼルは、ケイラを守ろうと身元保証人がいることを諦めず訴えてくれる。
(隙を見て、サニーだけでも逃がしてあげたいんだけど~)
娼館で悪い客の相手をさせられていたサニーは、他の娼婦より心の傷が大きかった。
見かねてケイラが付き人にしたけれど、きっかけは別にある。
(折角ローズ様に助けていただいた子だもの~)
このまま使い潰されてしまえば、ローズが悲しむと思ったのだ。
(あの方を、本物の貴族と呼ぶのよね~)
男装姿のローズは清く、貴かった。
あのときケイラは最後に合流したものの、ローズの活躍は他の子たちと一緒に見ていた。
あれほどスカッとする場面は娼館に来てからはじめてだった。
誰よりも気高い姿を見せられ、惚れない人間はいない。
オーナーの反応を見るに、上級貴族と縁があるのは間違いなかったけれど、身分なんてどうでも良かった。
助けてもらえる、守ってもらえる感動を、ローズは与えてくれたのだから。
娼館には誰にも守ってもらえなかった子がやって来る。
いつもはお客に夢を見せる立場なのに、あのときばかりは夢を見せてもらった。
しかも出資を申し出てくれてからは、環境が改善しつつある。
ケイラを含め、娼婦にとって彼女は正しく救世主だった。
(のんびりしていたのが悔やまれるわ~)
すぐにオーナーの呼び出しに答えていれば、ミラージュとマリアンヌに遅れを取ることもなかった。
自業自得とはいえ、思い返すたびに悔やまれる。
(しかもベッドの上でも期待できそうなんだもの~)
先に応対していた二人が虜になるレベルだ。
ケイラも体験したかったが、望みは叶えられなかった。
合流したあとはローズとお近付きになりたい子たちが殺到し、なし崩し的にお酒を飲むだけで終わってしまったのだ。
(次は絶対、指名を勝ち取ってみせるわ~)
不快な現実に直面したときは、ローズを思いだすに限る。
心に余裕を取り戻せたところで、ケイラはフードの男に目配せして機会を待った。
彼なら上手くサニーを逃がしてくれるだろう。
フードの男については名前も知らないが、ベゼルが直々に連れてきたのだから心配していない。
娼婦に対しても紳士的なベゼルのことは信頼していた。
(ナイジェル様のお名前を出せたら早いんだけど~)
それは許されていなかった。
貴族でも娼婦との関係を隠したがるぐらいだ。
相手がナイジェル枢機卿ともなれば否はない。
警ら隊に食い下がるベゼルに感謝しつつ腹をくくる。
自分の身一つで面倒を避けられるなら安いものだろう。
(乱暴な人じゃないと良いけど~)
恋人のように扱えとは言わないが、女性の扱い方を知らない男性は案外多い。
もっと学んで欲しいけれど、手練手管でイニシアチブを握るのも娼婦の役目だった。
自分の身を守るためにも、相手を誘惑する技術は必須だ。
しなを作って警ら隊を誘おうとしたところで、周囲の空気が変わるのを肌で感じた。
まず護衛騎士の物々しさに人々が距離を置く。
次いでバラが香れば、圧倒的な存在感に目を奪われた。
緩やかなクセのある黒髪は光の花を咲かせて艶めき。
淡い色のワンピースが、白い柔肌を彩る。
淑やかでいて隙のない佇まいに、自然と頭を垂れそうになった。
崇高さからくる威圧感は、見る者に心地良ささえ覚えさせる。
記憶が刺激され、ケイラは目を泳がせた。
次の来店はいつかと、首を長くして待っている相手とまとう空気が同じだったからだ。
きゅうっと胸が締め付けられる。
自分たちの救世主を見間違うはずがない。
けれど娼館のときのように甘えられない切なさがあった。
目の前にいる彼女は男装姿の「ローズ」ではない。
一線を引かねばならいないことをケイラは心得ていた。
「何か問題がありまして?」
記憶にあるものより高く、柔らかい声音に心が震える。
警ら隊へ向けられた厳しい視線に胸が高鳴った。
(また助けてくださるの……?)
期待して良いのだろうか。
自分のような人間が。
夢見ても良いのだろうか、助けてもらえると。
一度ならず二度までも。
感情の昂ぶりを抑えるため、ぎゅっと拳を握る。
「不当な手順で同郷の者が疑われているのなら、わたくしも黙ってはいられません」
泣きそうだった。
同郷と認めてもらえたのが嬉しくて。
男装して娼館を訪れたのには理由があるだろうに、素の姿でも彼女は一貫していた。
(流石に娼婦は侍女になれないか~)
彼女に付き従う侍女が羨ましい。
けれど上級貴族の侍女には、下級貴族が付くと聞いたことがあった。
平民で、さらには娼婦であるケイラには到底叶わぬ望みだ。
せめて精一杯の感謝を伝えるために頭を下げる。
さり気なく自分を売り込んでみたけれど、にべもなく断られてしまった。
(そうよね~。本来なら口すら聞けない方だもの~)
身分の壁は大きい。
貴族が、枢機卿が客だからといって、ケイラの身分は変わらないのだ。
最後に、ローズだと気付いたことだけは主張したくて言葉を届けた。
(サニーの頭の中ではまだ繋がってないみたいだけど~)
素のローズは、娼婦顔負けの体型に美貌、気品を兼ね揃えていた。
圧倒されて男装姿と結び付かなくても仕方がない。
(男装姿のときはお顔を見れないしね~)
加えて本国では菓子店でも言葉をかけられたことから、サニーは興奮しっぱなしだ。
「これで二度目です! 覚えていただけていたなんて光栄です!」
(正確には三度目よ~)
サニーもローズを崇拝しているわりには、抜けているところがある。
真実に気付いたらどんな反応を見せるだろうか。
(これからの楽しみにしましょう~)
夜にはナイジェル枢機卿と会う予定だ。
ナイスミドルである彼は、娼婦の扱い方も優しい。
顧客になったのは最近だが、不満を持ったことはなかった。
(けど~ベゼルが頻繁に顔を見せるようになったのも最近なのよね~)
客を詮索するのは御法度だ。
しかし命が軽い世界で生きている以上、自分の身は自分で守るしかない。
ナイジェル枢機卿に対し疑う余地があるわけではないものの、現在の状況は異質だった。
いつもなら出掛ける際は娼館の護衛が付く。
なのにアラカネル連合王国への旅行が決まるなり、姿を見せたのはベゼルだった。
(何かある気がして仕方ないわ~)
自分には関係ないことを願う。ローズにも。
彼女に迷惑をかけるような事態だけは避けたかった。