16.悪役令嬢は朝食を満喫する
朝食にと、港町にある料理屋を案内される。
店は貸し切りのようで、他に客はいない。
テラス席へ促される中、スラフィムだけ途中で体の向きを変える。
「祈祷の間、少し離席させていただきます」
アラカネル連合王国には、食事前に精霊へ祈りを捧げる習慣があった。
食卓で済ます人も多いけれど、スラフィムは王族の仕来りがあるため祈祷室を毎回使う。
シルヴェスターをはじめ、みな承知の上なので気にする人はいない。
一足先にテラス席へ到着すると、心地良い風が頬を撫でていった。
店は高台に位置し、席からは海が一望できる。
布製の屋根が直射日光を遮り、影が安らぎを与えてくれた。
輝く水面を帆を張った船が滑っていく。
テラス席からの眺めに、しばし時間を忘れる。
「良い景色ですわ」
「ああ。先ほどまで私たちもこの風景の一部だったと思うと不思議だ」
ここからはどのように見えていただろうか。
大した差異はないようにも思うし、遠目でもシルヴェスターは見つけられる気もする。
俯瞰で人々の生活を眺めていると、社会が形を持って現れたように感じられた。
活気ある様子は、統治の成功を示している。
教義は違えど、国は栄えるのだ。
(教会としては面白くない光景なのかしら)
存在が目の上のたんこぶなのはお互い様だった。
両者に挟まれる形となったハーランド王国は悩ましい立ち位置である。
シルヴェスターも判断材料を求めて同行をねじ込んできたのかもしれない。
暢気に浮かれていた頭を冷やす。
(わたくしと一緒にいるためなんて思い上がりよね)
視線だけでシルヴェスターをそっと伺うと、艶めく黄金の瞳とかち合った。
ドキリと一拍、胸が高鳴る。
特別なことではないはずなのに頬が熱を持った。
(いつもと印象が違うからかしら)
華美さが薄れ、素に近い雰囲気にときめく。
礼装のときと比べ、男臭さが増している気がした。
それでいて麗しさが損なわれないところは流石だ。
「ディア」
優しく呼ばれて瞼が震える。
瞬けば、溢れ出る思いが光となって睫毛の先からこぼれそうだった。
シルヴェスターとクラウディアの間で空気が密度を増す。
そこへトリスタンが水を差した。
こほん、と軽く咳払いされる。
「他にも人がいるのを忘れないでください」
「お前はどうして同席している?」
「スラフィム殿下からお誘いいただいたからです!」
護衛としてシルヴェスターの後ろで常に控えているトリスタンだが、立場は側近と変わらない。
侯爵家の生まれで、シルヴェスターの幼なじみであり親友でもある。同行している以上、誘われて当然だった。
ちょうど空気が軽くなったところで金色の光が差す。
スラフィムが祈祷を終えて戻ってきた。
シルヴェスターはトリスタンへ厳しい目を向けるが、クラウディアとしては甘ったるい雰囲気がなくなって助かった。
気心が知れていないスラフィムの前でいちゃつくのは避けたい。
「お待たせして申し訳ありません」
「お気になさらないでください。急かしてしまったのなら申し訳ありませんわ」
クラウディアがそつなく答えると、ご配慮に感謝します、とスラフィムがふんわり微笑む。
シルヴェスターの鋭い表情を見たあとだからか、柔和さが目にとまった。
(癒やされるお人柄ね)
王太子という地位を考えれば緊張する相手だが、いざ面と向かうと優しい気配に余計な力が抜ける。
その点ではラウルと同じだ。しかし明活な笑顔で緊張を吹き飛ばされるのとはまた違う趣があった。
「海風を感じながら食べる、ここの魚料理が最高なんです」
自身も楽しみで仕方がないとスラフィムは笑みを絶やさない。
公式な場では見られない私生活を覗かせる表情に、一同の料理への期待値は自然と上がっていった。
テーブルに料理が並ぶと、爽やかな香草が香る。
白身魚の姿焼きには酸味のある野菜が添えられ、果実由来の植物油がふんだんにかけられていた。
ほろほろとほぐれる身をそのまま口へ運べば、旨みがじゅわっと口いっぱいに広がる。
咀嚼の必要もなく身が崩れ、ほど良い酸味に夏の暑さが遠のいた。
「おいしい! バケットともよく合いそうだわ」
「そうなんです、オイルにバケットを浸して食べてみてください。食欲のない日でも、手が止まらなくなりますよ」
スラフィムのおすすめを早速試したトリスタンが、目を閉じて感動に打ちひしがれる。
刺身にスパイスを振っただけの料理も、シンプルながら素材の味が引き立って飽きない。
さり気なく柑橘系の香りが感じられるのも点数が高かった。
ピリッとした刺激が口に残ったときは、冷製スープが喉を癒やしてくれる。
料理に一通り舌鼓を打つと、みんな揃って満足げな溜息が出た。
最後のデザートは焼き菓子だ。
(どうしてこれがここに?)
見覚えのある焼き菓子に、まったりと弛緩していた心に緊張が走る。
クラウディアがシルヴェスターを訪ねる際、手土産にしたものと同じだったからだ。
系列店がアラカネル連合王国にあると聞いたことはない。
焼き菓子でも現地のものなら問題はないのだけれど。
シルヴェスターも違和感に気付き、クラウディアと目を合わせる。
わざわざハーランド王国のものが用意されたのだ。何かしらスラフィムの意図があって然るべきだった。