55.第二章、完
「ようやくお出ましか」
シルヴェスターの声でクラウディアが視線を上げると、けたたましいラッパの音が辺りに鳴り響いた。
出立の準備が整ったらしい。
一際豪華な馬車へ向かうラウルが目に留まる。
威風堂々と歩く姿に、かつての陰りはない。
乗り込む前に一度立ち止まり、ラウルはクラウディアたちと視線を合わせた。
手を振り、別れを告げる。
式典に比べ、見送りは想像以上に呆気なく終わった。
(次に会うのはいつになるかしら)
ハーランド王国が握っていた、偽造された工作の指示書。
それに加えて、ラウルにはもう一つカードがあった。
ブライアンが気付いた、商人に扮した貴族の入国。ハーランド王国が調べた情報と、王弟派が持つ情報を照らし合わせた結果、密かに入国した貴族は王太子派であることがわかった。
彼らはハーランド王国に不満のある貴族を抱き込み、ラウルに味方させることで足を掬おうとしたのだ。
対価は、バーリ王国での爵位。
幸いすぐに応じる貴族はいなかったが、ハーランド王国としても見過ごせる事態ではなく、徹底的に証拠が集められた。
これだけでも王太子派へのハーランド王国の心証は最悪である。
(結局のところ、バーリ国王の治世にも綻びはあったのよね)
焦った王太子派は、失敗したときのリスクを顧みず失策を重ねた。
バーリ国王が国民の反感を買ったのを皮切りに、臣下が無能を晒した形だ。
公にも王太子派からハーランド王国へ働きかけもあったが、結果は見ての通りである。
(それだけラウル様の存在が大きかったということかしら)
王太子派はラウルに固執し過ぎた。
引きずり下ろすのに躍起になったのは、それだけラウルの存在が脅威だったからだろう。
(どうか何事もなく話がまとまりますように)
武力衝突が起きる可能性は限りなくゼロに近い。
それでも何が起こるのかわからないのが人の世だ。
最後尾の馬車が見えなくなるまで、クラウディアはその場を離れなかった。
◆◆◆◆◆◆
「クラウディアお姉様ー!」
「シャーロッ、と……ごきげんよう」
出会い頭に全力で抱き付かれ、言葉が詰まる。
痛みはないものの、ぎゅむぎゅむと押し当てられる胸に圧倒された。
(わざとではないのでしょうけど)
「シャーロット様、はしたなくてよ。くら……ディーが、窮屈そうだわ」
見かねたルイーゼが扇を小さく振る。
ぎこちなく愛称を使う姿に、クラウディアは胸がときめいた。
赤く染まる目元には気付かないふりをしたものの、今度はクラウディアがルイーゼを抱き締めたくなる。
「すみませんっ、お姉様のいる学園へ通えるのが嬉しくて、つい……!」
今日は学園の入学式だった。
シルヴェスターとは違い、登壇しないクラウディアは生徒の列に並んでいた。
式がはじまる前に、シャーロットが特攻という名の挨拶をしにきたのだ。
「学年が違うから、あまり顔を合わせる機会はないでしょうけど、よろしくね」
「はいですの! はわぁ~」
体を離して頭を撫でると、シャーロットの顔がとろける。
名状しがたい表情になったので、クラウディアはそっと手を引いた。
そろそろ自分たちの待機列へ向かう頃合いだろうと、シャーロットの友人に彼女を託す。
「シャーロット様は、すっかりディーに骨抜きにされていらっしゃるわね。自分が婚約者候補であることを覚えておいでかしら?」
溜息を落とすルイーゼに何も言い返せない。
慕われるのは嬉しいけれど、ここまで懐かれるとはクラウディアも予想していなかった。
ただ、それを差し引いても。
「お姉様に憧れる気持ちは、わたくしもわかりますわ」
気張らなくて良い安心感。味方でいてくれる心強さ。
どれもクラウディアがヘレンに対して抱いているものだ。
身近に対象がいるなら、懐いてしまうシャーロットの気持ちも理解できた。
そうこうしている内に、楽団の演奏が式のはじまりを告げる。
シルヴェスターが姿を見せると、生徒はみな彼の一挙一動に見惚れた。
揺れる銀髪の一本一本が、輝きを放っているようだった。
眩しさに彩られた表情はどこまでも穏やかで、神々しい雰囲気が漂う。
未来の国王の姿に、誰もが心を震わせていた。
ただ一人を除いて。
(何かあったのかしら?)
ここにヴァージルやトリスタンがいたら、クラウディアと同じことを思っただろう。
穏やかな表情の中に、何がとは言えないが、違和感を覚える。
その正体は、シルヴェスターの挨拶の最後で明らかになった。
「続いて、みなに紹介したい者がいる。しかと驚いてくれ」
どこか投げやりな様子で、シルヴェスターが登場を促す。
見えない位置から壇上に現れたのは。
「オウラー! 新入生以外は、卒業パーティーで会っているな。これからよろしく頼む」
陽気な笑顔を見せる褐色の青年を、見間違うはずがない。
目が合うと、ぱちりとウィンクまで送られてきた。
ラウルとの再会は、予期していた以上に早かった。
式典が終わり、シルヴェスターと合流しても頭が上手く回らない。
ラウルの横に色白な男装の麗人を認めれば尚更だった。
「驚いてくれたかな? いやー、隠密行動は骨が折れたぞ」
イタズラに成功したラウルは、心底楽しそうだ。
シルヴェスターにすら秘密にされていたらしく、クラウディアは現実を受けとめきれなかった。
ただ穏やかな表情を崩さない婚約者から、肌がヒリつく空気を感じる。
「いつ王都へいらしたのですか?」
「二日前だな。海上では入学式に間に合うかヤキモキさせられたよ」
バーリ国王とラウルの話し合いの結果については聞いていた。
バーリ国王が非を認め、王弟と和解したと。
一国の王が、弟とはいえ個人に謝罪するなんて異例中の異例である。
そしてラウルが王太子の教育係になることが公式に発表された。
王位簒奪ではなく、王太子への影響力を残すことでラウルは手を打ったのだ。
平和主義者らしい解決だが、これはあくまで表面上のことでしかない。
失策を重ねた王太子派はハーランド王国からの追及によって権威を失い、国民からも見放された。
必然的に空いた席には、王弟派が座ることになる。
これによってバーリ国王は、自分の一存で物事を決められなくなった。
国王という地位は貴族に支えられてこそだ。
支持勢力の著しい弱体化で、バーリ国王は手足を失ったも同然だった。
(それでもあえてラウル様は王位を望まなかった)
実の兄を慮った、というより、国民感情を重視したのだ。
バーリ王国は血族意識が高い。
兄が弟を国外へ追い出したことで反感を買ったように、国民は家族の絆に重きを置く。
引き続き兄を支える弟の姿を見せることで、ラウルは国民からの支持を確固たるものにし、名実共に実権を掌握した。
追放先で味方を得、兄を責めるのではなく諭したラウルは、今や英雄扱いだという。
(決して、こんなところで油を売っている暇はないと思うのだけど)
訝しげなクラウディアに、ラウルは笑みを崩さない。
それどころかクラウディアの手をとると、甲に口付けた。
「キミが助言してくれたから、今のオレはある。どうか一緒にバーリ王国へ行ってくれないかな」
覚えのあるフレーズは、身請けの話が出たときのものと一緒だ。
事態を飲み込めずにいると、間にシルヴェスターが入り、ラウルの手を振り払う。
「一体、どういうつもりだ?」
「いいのか? 仮面が剥がれているぞ」
眉間にシワを寄せるシルヴェスターに対し、ラウルが高圧的に笑う。
シルヴェスターは表情を消すと自らの腰に手をやった。
「こわっ!? 今オマエ、オレを切り捨てようとしただろ!?」
「しまった帯剣していなかった」
普段ならそこにあるはずの鞘に触れられず悔しがる。
学園では身分にかかわらず、生徒が武器を持つことは許されていない。
「トリスタン」
「僕も持ってませんよ!? 持ってたとしても渡しませんからね!?」
「ちっ、使えぬ」
(あれかしら? 以前、シルの仮面を剥がそうと話していたのを、ラウル様は実行されているのかしら?)
ラウルに学園を案内していたときのことだ。
二人でシルヴェスターを驚かせようと話していた。それを単独でおこなっているのだろうか。
「容赦ないな!? クラウディア、やっぱりこんなヤツより、オレといるほうが平穏に過ごせると思うぞ」
「黙れ。断られておきながら、未練がましいとは思わないのか」
「諦めるとは言ってないからな! クラウディアが心変わりする可能性はまだある」
「ない」
「オマエの意見は関係ない。それにまだ婚約者候補なんだろう?」
実際は婚約者に内定されているが、クラウディアはラウルの言い方に引っかかりを覚える。
ニヤリと笑うラウルは、悪い顔をしていた。
シルヴェスターも不穏なものを感じたようで、片眉を上げる。
「学園を卒業しても婚約者としての期間が一年あるんだよな? この期間中、オレがアプローチする分には責められない」
「他国の婚約者を奪おうなどと、醜聞以外の何ものでもないと思うが?」
「生憎、オレの国では、追放先での叶わぬ恋を応援する声のほうが大きいんだ」
どうやら色々と脚色されてラウルの物語は広がっているらしい。
レステーアへ視線を送ると、綺麗な笑みを返される。あとで詳細を聞く必要がありそうだ。
「心配せずとも、ハーランド王国にリンジー公爵令嬢との婚姻を求めたりはしない。オレはクラウディアの気持ちを尊重する。ただ時間を買っただけさ」
「時間だと……? まさか」
「内々に話が進んでいても、覆ることもあるのが政治だろう?」
クラウディアが婚約者に決まっていることは、限られた人間しか知らない。
予想している者は多くとも。
この場合、ラウルが指しているのは、シルヴェスターの根回しについてだと考えられた。
学園卒業後、すぐ結婚できるよう手を回していたのだ。
(それが覆ったというの?)
時間を買った、とラウルは言った。
婚約者の内定が取り消されたわけじゃない。
だがこの件について、国内の貴族がラウルに買収されたのは確かだった。
「見限るのが正解だったか」
「これからガンガン、バーリ王国の利権に食い込んでくるつもりのクセに何言ってやがる」
「支援したのだから当然だろう」
「オマエの辛辣な友情に比べれば、オレの買ったものなんて微笑ましい限りだろうが」
(何だか、とんでもないことになってきたわ……)
さしたる問題があるわけじゃない。
クラウディアからすれば、結婚までの期間が元に戻っただけで、それはハーランド王国の慣例でもある。
ただシルヴェスターの様子を見る限り、今後の人間関係に波乱を覚えずにはいられなかった。
後世、自国のみならず、周辺諸国の王族を軒並み虜にした悪女として、クラウディアは一人の歴史家から名前を挙げられる。
しかしその研究結果は、ハーランド王国に希代の美女がいた事実を裏付けただけだった。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございます。