54.悪役令嬢は幟に隠される
どんよりとした雲がかかることも最近は多かったが、見上げた冬空は快晴だった。
(まるでラウル様の門出を祝っているみたいね)
青い空の下で吐く息は白いものの、澄んだ空気が胸に満たされると清々しさを感じる。
日差しのおかげか、毛皮で出来たもこもこの防寒着のおかげか、外にいても寒さはそれほど気にならなかった。
もしかしたら季節が移り変わろうとしているのかもしれない。
今日、学園の入学を待たずして、ラウルは帰国の途につく。
ハーランド王国から支援を受け、実の兄であるバーリ国王と話をつけるためだ。
彼は最後まで武力での解決をよしとしなかった。
それでも護衛の名目で、ハーランド王国から部隊がつけられる。
リンジー公爵家をはじめ、王都に残っている上級貴族たちは、ラウルと共に出立する騎士たちを見送るため王城に集まっていた。
式典はつつがなく終わり、あとは王城から出る一団を見送るのみだ。
(式典前は、シャーロットの独壇場だったわね)
式典の主役はもちろんラウルだが、主役が登場するまでの間、貴族たちの視線はシャーロットに集中していた。
錯視を用いたドレスが人目を引いたのだ。
特にふくよかな体型を気にしている令嬢、婦人からシャーロットは質問攻めにあっていた。
楽しそうに答える姿がまた愛らしく、場を和ませた。
今も意気投合した令嬢と集まっているのが視界の端に映る。
クラウディアもクラウディアで、ルイーゼたちと賑やかな時間を過ごしたので、今は設けられた席で一息ついていた。
はーと息を吐き、現れる白を何気なく見ていると、クラウディア同様、分厚い毛皮に包まれたシルヴェスターが隣にやって来る。
「リンジー公爵家の領地も訪れてみたいものだ」
賑やかな音を立てて出立の準備をする一団に、気持ちがつられたのだろうか。
それとも友人と共には行けない寂しさを紛らわすためか、シルヴェスターがそんなことを口にする。
「冬は閑散としていますが、とてものどかで良いところですよ。シルは地平線を見たことがおあり?」
領地へ行くと、王都の慌ただしさが違う世界のことのように感じられる。
高い建物が少ないため視界が広がるからだろうか、どこか流れる時間もゆったりしていた。
「水平線はあるが、地平線はないな」
「では驚かれると思いますわ。視界いっぱいに広がる平野の壮大さは、見ないとわかりませんもの」
ふと水平線も同じだろうかと小さく首を傾げる。
大きな湖は領地にもあり、クラウディアも船には乗ったことがあるが、海を渡ったことはなかった。
シルヴェスターと逆で、水平線を見たことがない。
「海は沖へ出ると水平線しか見えなくなる。自分たちの船以外、何もない風景は価値観が改められるぞ」
「何だか想像すると少し怖いですわ」
地に足が着かないところで、一人残される姿を想像してしまう。
「ふっ、私が隣にいるのに怖がる必要はないだろう」
「考えてみればそうですわね」
クラウディアがシルヴェスターに領地を案内するなら、その逆も然り。
ましてや王太子の船旅につく護衛艦の数はいかほどだろうか。
ラウルにしても、それなりの数が同行すると聞いていた。
「機会があるとしたら結婚後の外交政策でだろうな。早いか遅いかはタイミングによる」
「タイミングですか?」
「身重になれば、外出はできない」
「身重……」
言うまでもなく、妊娠したらという話だ。
シルヴェスターの根回しで、学園を卒業すれば二人は結婚できる。
発せられた単語に、夜の生活まで想像が飛びそうになって、慌ててクラウディアは扇を開いた。
「ディア?」
「れ、レステーア様は、姿を見せませんでしたわね」
咄嗟に話題を変える。
自信ありげにしていたが、彼女をもってしても、ラウルの隣に戻ることは難しかったのだろうと。
「このままでは働き場所をなくしてしまうのではないかしら」
ハーランド王国がラウルの支援を決めた以上、王弟派に潜伏できるか否かが重要になってくる。
それは彼女の生命線でもあった。
「あれも面白い感じに歪んだな。どうせ使えるかどうかはダメ元だ。君が気にする必要もない。ディア、耳が真っ赤だぞ?」
「ひゃっ……!」
耳に触れられ、肩が跳ねる。
変な声まで出てしまった。
幸い、周囲には聞こえていないようだが、黄金の瞳が煌めくのを見る。
肉食獣を目の前に、クラウディアはシルヴェスターから一歩距離を取った。
「どうして逃げる?」
「身の危険を感じました」
「なるほど、身の危険を感じるような想像をしていたのか」
「濡れ衣です!」
「心配せずとも優しくする」
とことん甘い声音で告げられるが、全く信用できなかった。
誰か助けてくれないかと視線を巡らす。この際、父親でも良かった。
「残念ながらリンジー公爵とヴァージルは席を外している。邪魔をされたくなかったからな」
言われてみれば、いつもはシルヴェスターの後ろにいるトリスタンの姿もなかった。
「シル、他の方の目がありましてよ?」
「幟が目隠しになってくれる」
シルヴェスターやクラウディアが見送りに立つような場所だ。
屋外であっても天幕の下にはソファーなど、相応の設えはされていた。
周囲では壁の代わりと言わんばかりに、護衛騎士が直立不動を保っている。
当人たちの横には大きな幟が用意され、ハーランド王国の紋章を旅立つ者に見せ付けていた。
その幟の端を、シルヴェスターが掴む。
風にそよいでいた幟は強引な力で引っ張られ、クラウディアたちを覆った。
「シル……っ」
続く抗議は発せられなかった。
シルヴェスターが言った通り、僅かの間、重なった影を見ていた者はおらず。
脱力したクラウディアは、用意されていたソファーに腰を下ろした。




