53.悪役令嬢は再びプロポーズされる
目を白黒させながらラウルが口を開く。
「ば、バカになどしていない」
「しているだろう! お前が先に言い出したことだぞ!?」
「何を……」
「どうしてお前は、友を頼らない!?」
私を頼らない。
そんなシルヴェスターの心の声が、クラウディアには聞こえた気がした。
ラウルは愕然として、シルヴェスターを見上げる。
シルヴェスターは、ずっと怒りを抱えていた。
王家の直轄領で工作がおこなわれたこと。国民に犠牲が出る可能性があったことに。
そして自分を頼ろうとしない友人に。
大使館への訪問前、クラウディアだけが、その怒りを打ち明けられていた。
一緒に木登りをした思い出があることも。
レステーア主催のお茶会は、シルヴェスターとクラウディアの罠だったといっても過言ではない。
レステーアを追い詰めるために、入念に準備していたのだから。
最初からクラウディアに危険はなかった。
シルヴェスターの怒りは、未だに自分を頼ろうとしない友人へ向かって募っていった。
「だって、オレたちは、仮想敵国なんじゃないのか」
「当然、仮想敵国だ。誰もタダで情報をくれてやるとは言っていない」
「何だよそれ……」
答えるラウルの声は震えていた。
声が涙混じりだったことには、気付かないふりをする。
「最初から私に助けを求めれば良かったのだ。そうすれば高利で貸し付けてやったものを」
「高利だとわかっていて誰が頼るか!? オマエは、すぐオレの足元を見るだろう!?」
「私はハーランド王国の王太子だぞ? 自国の利を求めるのが務めだ。だが、どこぞの王のように心がないわけではない」
「……」
「泣いて縋れば、心付けぐらいしてやった」
「オマエ、頼らせる気ないだろ?」
そこでようやくラウルは、シルヴェスターの手を振り払った。
立ち上がって姿勢を正すラウルに対し、シルヴェスターは顎を上げ、高圧的な視線を向ける。
正面からシルヴェスターと向き合ったラウルは口端を引きつらせたが、すぐに真剣さを取り戻した。
「シルヴェスター、助けて欲しい。オレは地位を失いたくない」
「バーリ国王とやり合う気はあるのか」
「ある。オレなりの方法でな」
もうラウルが下を向くことはなかった。
二人が対等に視線を交わす姿を、クラウディアは心を震わせながら見届ける。
(わたくしが同席して良かったのかしら)
歴史的瞬間に立ち会っている気がした。
その資格があるのか不安になる一方で、高揚感が胸を満たす。
(シルもラウル様も、友人を失わずに済んだのよね)
結果がどう転ぶかはわからなかった。
ラウルが立ち上がらなかった場合、シルヴェスターは真実、見限る気でいたからだ。
王弟派から王太子派へ寝返るレステーアの未来も存在していた。
有用な情報を得られる位置に、彼女はいる必要がある。
(両国の連絡役に、レステーア様はなれるかしら)
今後、レステーアは見えない枷に縛られて生きる。
本人にとっては本望かもしれないが、決して人道的ではない。
更生しなければ、結局は悲惨な末路を辿ることになるだろう。
(あの思考を矯正するのは難しそうだけれど)
正直なところ、あまり関わりたくないのが本音だ。
飴と鞭は用意しやすそうだが。
(とりあえずは、しっかり働いてもらいましょう)
シルヴェスターが席に戻り、ラウルが考えていた道筋を話す。
レステーアの件がなければ、ラウルもシルヴェスターと交渉する予定だったらしい。
しかしその場合、今とはまた違う流れになっていただろう。
シルヴェスターが納得すると、詳細は後日詰めることになった。
どこか満足げな両者の姿に、クラウディアの頬が緩む。
きっと詳細を詰める場でも、二人は互いの利のために言い争うだろう。
そこにまだ婚約者でしかないクラウディアが同席することはない。
けれど想像は容易く、今の二人を見られただけで十分だった。
「悪い、最後に少しだけ時間をもらえないか」
応接室を出る前に呼び止められ、今度はクラウディアがラウルと向き合う。
「クラウディアには迷惑をかけたと思ってる。その上でケジメをつけさせて欲しい」
「ラウル様?」
頭を下げられたのかと思った。
ところがラウルの上半身は更に沈んでいく。
一連の動作が終わる頃には、ラウルがクラウディアに対し片膝をついていた。
窓から入る日差しが絨毯に影を作る。
ダークブラウンの瞳は、間違いようのない熱を孕んでいた。
「クラウディア・リンジー公爵令嬢、オレと結婚して欲しい」
まさかのプロポーズに、思考が一瞬停止する。
断られれば諦めがつくと思ったのか、シルヴェスターが横やりを入れることはなかった。
答える前に、クラウディアは束の間、目を閉じる。
(これはラウル様だけではなく、わたくしのケジメでもあるわ)
娼婦時代の身請け話には、返事できずにいた。
ラウルの次の訪問を待たずして、クラウディアが早逝したからだ。
そのときのもの悲しさが過る。
(二度も愛してくださった……)
本人さえ知らないことだ。
けれど切なさに唇が震えた。目を開けると涙で視界が歪んでしまいそうだった。
これも気まぐれな神様の采配かと思う。
(悔いが残らないように)
一呼吸の後に、閉じていた目を開く。
ラウルを見下ろす青い瞳は、濡れていなかった。
鮮明な光を湛え、意思の強さを物語っていた。
「お断りいたします」
答えは決まっていた。
娼婦時代の記憶に切なさは募ったものの、揺るぎはしなかった。
凜とした答えに、ラウルは笑みを浮かべる。
「ありがとう。これで踏ん切りがついた」
「全く、どこまでディアに世話をかけさせるつもりだ」
「本当にな。返せるものがあったら、何でも言ってくれ」
「まずは海上利権か」
「オマエには訊いてない」
「ディアも欲しいだろう?」
水を向けられ、一瞬考えてしまう。
リンジー公爵家の領地は海に面しておらず、海路とは無縁だった。
低い税率で農作物を運搬、輸出できるなら嬉しい限りだ。
しかしクラウディアは首を横に振る。
「お二人の口喧嘩に、わたくしを巻き込まないでくださいませ」
「クラウディアは誰かと違って人ができてるな」
「断られるのがわかっていてプロポーズする人間とは大違いだろう?」
「ああ、友人に高利をふっかけようとする男とは大違いだ」
「友人に頼ることも出来ず、悲観に暮れていた男ともな」
応酬をやめない二人に、次第にクラウディアの目尻がつり上がる。
折角話がまとまったというのに、これではいつまで経っても帰れそうになかった。
「わたくしは先に失礼させていただきます」
「待てディア、一人で行くな」
「ちゃんと見送らせてくれ……!」
ドアを開けようとしたところで、シルヴェスターに捕まる。
空かさずドアノブに手をかけたのはラウルだった。
「ディアの存在を無視したわけではない」
「キミと離れがたかっただけなんだ」
(無駄に息が合うのは気のせいかしら)
知己と言っても、会う機会は限られていただろうに。
二人の友情に免じてクラウディアはシルヴェスターのエスコートを受け入れ、ラウルに見送られて帰路に着いた。




