09.悪役令嬢は王太子殿下が怖い
殿下とのお茶会は、庭園ではなく室内でおこなわれた。
それでも大きな窓からは日差しが降り注ぎ、目を向ければ鮮やかな緑が映る。
「本日は交流の場を設けていただき、ありがとうございます」
クラウディアは完璧なカーテシーを見せ、許可を得てソファに腰かける。
机を挟んだ対面には、殿下の他にもう一人赤毛の少年がいた。
(後ろに控えて立っているのは、騎士団長令息のトリスタンね)
断罪時にも見かけた顔だ。
真っ当な言葉で責められたのを思いだす。
あの状況では、紛れもなくクラウディアが悪だったので、彼に対する恨みはない。
騙されていたとはいえ、悪行を働いていたのは事実なのだから。
殿下もトリスタンも、クラウディアと同じ年なのもあって、記憶より少年らしさが残っていた。
(お兄様もそうだけど、精神年齢のせいでみんな可愛く見えてしまうわね)
立ち位置からして、トリスタンは護衛騎士としての参加だろう。
ただ、まだ騎士としては未熟な彼が同席している真意はわからない。
このお茶会自体がクラウディアにとってイレギュラーなのだ。
殿下が二人っきりになるのを嫌がって、同席を求めたのではないことを願うしかなかった。
「お近付きの印に、これを受け取っていただけますか?」
用意した小ぶりの包みを持ち上げると、トリスタンが進み出てくる。
既に騎士としての訓練を受けているはずだが、粗暴さは見受けられず、包みを受け取る所作も如才ない。
けれど赤毛の少年が指先の包帯に目を留めたのを、クラウディアは見逃さなかった。
トリスタンから包みを受け取った殿下は、小さく首を傾げる。
その拍子に、襟足丈の銀髪がサラリと流れた。
(くっ、可憐だわ。黙って座っているとビスクドールと見間違えそう……)
朝露を含んだような艶っぽい睫毛は長く、王族を象徴する黄金の瞳を縁取る。
細く通った鼻に、薄い唇。
白磁のような肌は、クラウディアから見ても憎いくらい美しかった。
「開けてもいいかな?」
「どうぞ、大したものではありませんが」
殿下の美貌に見惚れてしまいそうになる自分を叱咤しながら、笑みを浮かべる。
用意したのは、刺繍を施したハンカチだ。図柄は王家の紋章にしてある。
「へぇ、噂通り、クラウディア嬢は刺繍が得意なのか」
及第点だったらしく、殿下は後ろに立つトリスタンにも刺繍を見せる。
「噂ですか?」
「公爵にもハンカチを贈っただろう? 見事な腕前だと私の耳にも届いているよ」
確かに父親とヴァージルにも贈っていた。
父親には渡す機会がないので、執事に頼んで職場へ届けてもらったのだが、まさか噂になっていたとは。
(フェルミナも刺繍が得意だから、わたくしの刺繍なんて気にも留めないと思ったのだけど)
ちゃんと包みを開けてくれたらしい。
噂になっているということは、他の人にも見せたということだ。
(……そうよね、いくらお父様でも愛人の娘の刺繍は見せびらかせないわよね)
実子であるクラウディアの作品だからこそ、気兼ねなく自慢できたのだろう。
娼館で刺繍を嗜んでいて良かったと思う。
「は、恥ずかしいですわ。父に贈ったのは、荒いところもあるので」
「素敵な贈り物だ。その手の傷も刺繍によるものかな?」
殿下の視線を受けて、慌てて見えないよう隠す。
出かける前に、侍女に包帯を巻き直してもらったのはこのためだ。
(これで健気さをアピールできたらいいのだけど)
事実、今の体では大人のときと感覚が違い、何度も指を針で刺した。
ただ包帯が大袈裟なのは否めない。
「はい、まだ慣れなくて。お見苦しくてすみません」
「それでも、これだけできるのだから大したものだ」
同意するように、真面目な表情でトリスタンも頷く。
正道を好む性格のトリスタンは、クラウディアの頑張りを認めてくれたようだ。
「殿下にそう言っていただけると心強いです」
「いい機会だから私のことはシルヴェスターと。私もクラウディアと呼ばせていただこう」
「光栄です」
お茶会はつつがなく進んでいる。
名前を呼ぶことを許されたのだから、良い傾向のはずだ。
けれどクラウディアは、シルヴェスターの反応に薄ら寒さを覚えていた。
隠した手に汗が滲む。
(全く感情が読めないわ……)
お茶会がはじまってから、シルヴェスターの表情は穏やかなまま。
まるで本当にビスクドールと会話しているかのようだった。
それでいて黄金の瞳に見つめられると、心を見透かされた気分になる。
(お兄様がチョロ過ぎた? いいえ、トリスタンはまだ表情が読めるわ)
トリスタンも平静を装っているけれど、刺繍を見たときは素直に感心していた。
どう考えてもシルヴェスターが異常なのだ。
(王族ってみんなこうなの? 何それ怖い……)
かくいうクラウディアも意図した感情しか見せていないのだが、自分のことは棚に上げている。
しかし未だかつてない敵を前にしたような感覚に、今後も婚約者候補として付き合っていく自信がなくなりそうだった。
ここまで心情が読めない相手なら、フェルミナに譲ってもいいかとすら思えてきたとき。
「もっと気楽に接してくれていいのに」
目を細めたイタズラな視線に、はじめてシルヴェスターの感情を見る。
(わたくしを試してる……?)
探られていると感じた。
陽光を受けた黄金の瞳が煌めいて見えたのは、錯覚かもしれないが。
娼館で培った直感は嘘をつかない。
なら、答えは――。
「畏れ多いですわ」
可もなく不可もなく、恥じらいながら微笑みを返す。
今ここで冒険する必要はない。
粗相さえしなければいいと父親も言っていた。
「クラウディアは奥ゆかしいな」
(何故かしら、声音は優しいのに、心臓がバクバクするわ)
乙女が憧れる類のものではない。
蛇に睨まれた蛙のような心境である。
表面上は穏やかに見えて、水面下では緊張が走っていた。
(あぁ、そうだわ、これは……)
嫌味の応酬がないだけの、化かし合いだ。