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はじまり

 2020年9月、私は手術のため入院した。

 新型コロナの影響で、ゴールデンウィークの奥入瀬行きを取りやめた。夏の札幌旅行も中止した。

 これらの影響で貯めていた旅行資金に余裕が出来、その分、来年はいつもより1泊多く滞在しようかなどと考えていた。

 そんな時、手術が決まった。「下垂体腺腫」というやつである。

 浮いた旅行費用は、それらの治療費(手術費用、入院費、その他)に消えることとなった。


 事の始まりは2015年。仕事中に突然左手が痺れた、激しい痛みに襲われた。あまりのすさまじさに、とても仕事は出来ないと早退して医者に行き、レントゲンを撮ってもらった。

 頸椎症だった。頸椎症と言われても何それ? と首を傾げる人もいるだろう。私も初めて聞かされたときはそう思った。

 何でもパソコン作業などで、首を突き出した状態で仕事をしている内に、本来緩やかなカーブを描いている首の骨が真っ直ぐになって固まり、脳から手足に伸びている神経を締め付けるのだという。私の場合、左手への神経が押しつぶされ、それが激しい痺れや痛みとなって現れたのだ。

 事実、レントゲンを見て驚いて、首の骨が定規のように真っ直ぐに伸びている。ハッキリ言って気持ち悪い。

 しばらくの間、私は薬を飲み、むち打ち症の人が付けるような首を固定するやつをつけ、リハビリに励むことになった。

 現在、痛みもしびれをすっかり取れている。


 頸椎症について調べるため首の検査をしている時だった。MRIだかなんだか忘れたが、紹介された専門病院で首の骨の検査をしている時だった。

「変な影がある」

 撮れた写真を見て医者が首を傾げた。上(脳)の方にあるはずのない影が映っているというのだ。しかし、影は半分切れていてハッキリわからない。そこで家に近い脳神経外科の病院を紹介してもらい、頭部のMRIと撮ってもらった。

「下垂体腺腫ですね」

 あっさり言われた。画像を見たが、脳の下に大福のような塊がある。通常の下垂体の数倍の大きさらしい。

 下垂体腺腫では、視界やホルモン分泌に影響が出るというので、目や血液の検査をしてもらった。すると……

「……何の異常もないですね。自覚もない? これぐらい大きくなれば、普通、何らかの異常が出てくるものなんですけど」

 そんなこと言われても、自覚がないのはしょうがない。自覚がないからこそ、頸椎症の検査をするまで何も言われなかったのだ。頸椎症がなければ、今でも気がつかないままだったろう。

 ちなみに、下垂体腺腫はそのほとんどが良性で、私のもそうだった。下垂体腺腫は、それ自体が命に関わることはほとんどない。ただ、肥大化によって周囲の視神経やら頸動脈やらを圧迫、それで異常が起こるらしい。

「すでに視神経をけっこう圧迫していますけれど……本当に視界に異常を感じませんか?」

 首を傾げられても、実際、自覚もないし検査でも問題はなかった。

「手術してもおかしくない大きさだけど、問題が生じてないならこのまま経過観察でいいかな?」

 下垂体腺腫の手術は、経験を積んだ医者ならそう難易度の高いものではない。しかし、脳のすぐ下であり、視神経や頸動脈に密着しているのだから、後遺症その他の危険はある。手術しないならそれに越したことはない。

 というわけで、以後、私は半年ごとにMRIを撮って様子を見ることにした。最初は何の問題もなかったのだが……

「大きくなってますね」

 2017年。私が見てもハッキリわかるほど、下垂体腺腫が一回り大きくなっていた。上の方に見えていた視神経が完全に隠れてしまっている。

「自覚は……ない? 目の検査も……異常なし? ……おかしいな。なんで異常がないんだ?」

 この大きさならば、視界だのホルモン分泌などに異常が出てくるのが普通らしい。だが、それらが全くない。

「それじゃあ、今回も様子見で。しかし、次に異常が見られたときは、手術を考えましょう」


 そして2020年6月。ついにそれが来た。

 視界に異常あり。左目の視界に一部欠損。右目に異常はないので、それがカバーする形になって自覚することはなかったが、明らかに事態は進行している。大きさは以前とほとんど変わらないが、腺腫部分に斑模様みたいなのが見える。腺腫の外側部分が、薄く、弱くなっているのだ。

「破れて出血する可能性が高くなってきてますね」

「出血するとどうなるんです? 死ぬんですか?」

「いや、命に別状はないよ」

「そうですか(ほっと安心)」

「ただ、失明するだけ」

「手術しましょう」

 私は手術を希望した。大学病院を紹介してもらい、そこで手術することになった。なんでも、そこに下垂体腺腫ばっかり手術している医者がいるそうだ。ちなみに、その人は私を見ている医者の教え子だとか。

「すぐにどうこうすることはないと思うけど、もし出血するようなことがあったら、ここに連絡して」

 と電話番号と名前を書いたメモを渡された。

 ……ん?

「あの、出血した場合、それがわかるんですか?」

「一発でわかりますよ。目が見えなくなるから」

「目が見えない状態で、どうやってこのメモを見るんですか?」

 医者、しばし考え

「通りすがりの人に見てもらって、連絡してもらって」

 急に不安になった。目の前の医者が、動物のお医者さんの漆原教授と重なったのは気のせいだろうか?


 紹介された大学病院で再検査。確認の上、手術が決まった。しかし、必要なデータは前の病院のものを渡したのに、なんざわざわざ検査をやり直すのだろう。1ヶ月と経っていないのに。

 できるだけ自分の所で検査した新しいデータが欲しいというのはわかる。が、その度に2万円近い金額を支払わなければならないのは正直痛い。しかも入院後、手術前と手術後にも行う。懐具合からも、減らせるものなら少し減らして欲しいというのが正直なところだ。

 手術が決まったので、家族も一緒に説明を受けることになる。父と母、兄と弟……何も全員揃って来なくても。

 この時、私の下垂体は通常の7~8倍の大きさになっていた。

 私の手術は、簡単に言えば鼻の穴から下垂体まで直通の穴を開けて、腺腫の中身をほじくり出すというもの。すぐそばを脳やら視神経やら頸動脈やらがあり、それを傷つけたら大変なことになる。先述の通り、腺腫自体は良性で問題はない。肥大化により周囲の器官を圧迫するから異常を来すので、まるごと切り取るより、外側をバリヤーがわりにして、中身をくりぬいてしぼませれば良いのだ。もちろん、取り出す量が多ければ多いほど良い。

「問題は中身です。柔らかく、ヨーグルト状ならば吸引してたくさん取れるし、時間も短い。しかし固く、羊羹ぐらいになると耳かきみたいなものでほじくり出すことになる。時間もかかるし手間もかかる、取れる量も限られる。そしてどれぐらいの固さなのかは実際に穴を開けて見なければわからない。

 無理して取ろうとして周囲に影響を与えると困るので、ほどほどにしか取りません」

「すると、その時に視神経を傷つけることになると」

「命に別状ありませんが、失明します」

 それは避けたい。点字を覚えてもなろうに投稿できない。

「他に、下垂体自身を傷つけるとホルモン分泌がおかしくなって死ぬまで薬を飲むことになります」

「ホルモン分泌がおかしくなるとどうなります?」

「どのホルモンかによって違います。それで死ぬことはありませんが、インポになることがあります」

 それは嫌だ。私は将来、年金握ってソープランドに行くようなエロ親父になりたいのだ。

「他にといえば、頸動脈を傷つけるとドバッと出血して」

「死にますか?」

「死にませんからご安心ください。ただ、不随になって寝たきりになるだけです」

 安心できなかった。

「それと、みんなではありませんが、結構な高確率で手術後数日は尿の量が多くなります。普段の5倍ぐらい。そこで術後しばらくは尿道カテーテルを入れることになります。要するにお●んちんのオシッコが出る穴に管を入れて尿を取るんです。早ければ1日、長くても4~5日で取れます。たぶん」

 恥ずかしいが、寝たきりお漏らし、おむつ着用よりはマシか。

 他に気をつけることはないか?  頭だから髪の毛を剃るとか

「剃る必要はありません。ただ、場所が場所なので、万力のようなもので頭をガッチリ固定します。数時間押さえることにより、押さえたところの毛根が死んで、3ヶ所ほど、10円ハゲが出来ます」

 全部ハゲと10円ハゲ3つ。どちらが良いだろうか?

「それと、手術後は鼻にガーゼを詰めます。それが取れるまで4~5日は鼻呼吸が出来ませんので口で呼吸することになります」

 鼻が詰まるのは花粉症で慣れている。朝、鼻の穴がふたつとも鼻水でつまり、口呼吸しか出来ずに目が覚めることも多い。そんな感じだろうか? ただ、花粉症ならば鼻を思いっきりかむことで少しは良くなるが、今回はそうはいかない。口の中は乾くし、地味ながらかなりきつそうだ。

「鼻が塞がれた状態ですので、呼吸のための管が口から差し込まれます。手術後、自力で呼吸できればすぐに外します」

 呼吸のためだから苦しくはないだろうが、イメージ的になんか嫌だ。

「あと、中には記憶が混乱して目覚める人がいます」

 ここはどこ? わたしは誰? 状態だ。

「現状がわからず、息苦しさのあまり、自分で鼻の詰め物を取ろうとする人がいます。そうでなくても頭を激しく動かしたり、起き上がったり。まだ傷が塞がっていない状態でそれらを行うのは大変危険です。脳と外が直接繋がることになり、雑菌が脳に届けばどんな症状が起こるかわかりません。

 なので、それを避けるために手足を拘束します」

 目が覚めると、知らない部屋で、直近の記憶がなく、鼻が塞がれ、口には管がぶち込まれ、点滴やら尿道カテーテルやら入れられた半裸状態でベッドに拘束されている。それはかなり怖そうだ。昭和仮面ライダーの改造シーンを思い出す。

 意識と記憶を保ったまま目覚めることを祈ろう。

 悩んでも仕方がない。なるようになれだ。


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