表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

青い記憶

作者: 朧 ゆり
掲載日:2020/08/27

「悲しみは石にしてしまうので、わたしは幸せなのです」

 その女性は、屈託のない笑顔をむけ、美しく飾られた箱を開いて見せた。

 中には、青い石が十数粒、おさめられていた。

「あなたならご存知ですよね?」

 体内に埋め込んだシステムによって、負荷となる感情を石にして体外に出す療法の、その石だった。

 システムは高価だ。

 生命を脅かすほどの心の負荷を取り除くためであるか、あるいは金持ちでなければ手が出ない。

「一般には、事故、事件などの精神的後遺症などに使われている治療法です」

 言葉を選んで、反応を見る。

「それを以前、施術していただいたのです。

 恐怖は黒い石になるそうですが、悲しみは青い石になります」

 彼女は、箱の中の石をテーブル上に広げた。

「これは、飼っていた犬が死んでしまったとき。

 これは仲良しだったお友だちと、離れ離れになってしまったとき。

 こうして石にしてしまえば、きれいな思い出だけが残ります」

 彼女の指先で、透明度や濃さもまちまちの青い石が転がった。

「小さいものは祖母の形見の茶器を割ってしまったとか、そんなことです」

 そこで言葉を切り、女性は僕に向きなおった。

 いよいよ話が本題にはいるらしい。

「ご相談というのは、この石のことなのです」

 彼女が指し示したのは、中でもひときわ大きく、深い青色の石だった。

「他の石のことは、どんな悲しみの石か覚えているのですが、この石については何も覚えていないのです」

「悲しみを封じるのに、感情だけではなく記憶まで閉じ込める必要があったのでしょう」

「そうなのでしょうね。きっと、とても大きな悲しみだったのでしょう。

 最初は、大きな悲しみが石になって、よかったと思っていました。

 でも、日がたつにつれ、大きな悲しみのもとになったことを覚えていない、というのが気になってきたのです。

 悲しみの前に、悲しむだけの大切なことがあったはずです」

「それで?」

「この青い石に閉じ込められた悲しみと記憶を、わたしに戻したいのです。

 その内容を思い出したら、何かに記録するつもりです。

 わたしの中のシステムは、すぐに動きだし、また悲しみを石にしてしまうから。

 記録を見れば、その悲しみそのものを忘れても、何があったか、わかると言う訳です」

「おやめなさい。せっかく石にした悲しみです。

 こうだったかもしれない、ああだったかもしれないと、美しい悲しみを夢想して楽しむだけがいい」

「悲しみをひとつ思い出し、また閉じ込めるだけの何が問題でしょう。

 それにお医者様である、あなたがついていればいいでしょう?」

 たしかに、僕は彼女の友人であり、医者だった。

 だからこうして求めに応じて、家まで訪問しているのだ。

 彼女は僕の返事を待たずに、クリスタルのグラスに入った薬剤に石を入れ、

「大丈夫。だって悲しみはまた石になるんですもの」

 と、溶けた青い記憶を飲みほした。


 そして……。

 唐突に悲痛な叫びがあがった。


「ああ、思い出したわ。

 とても大切なあの人を。愛しい笑顔を。

 幸せだった日々を。

 それなのに、クルマが事故に遭って……あの人を失ってしまった。

 結婚式を3日後に控えていたのに。

 二人で幸せになる筈だったのに。

 あの人がこの世にいないなんて。

 もう2度と会えないなんて……。

 こんなことを思い出したくなかった。

 どうして、わたしだけがこの世界に残ってしまったの……」


 あの事故の直後封じられた鮮烈な悲しみを、彼女は思い出していた。

 悲嘆と慟哭に、彼女の顔色は真っ白になり、呼吸すら危うくなっている。

 僕は医者でありながら、彼女の体内のシステムが少しでも早く、悲しみを閉じ込めるようにと祈るしかできない。


 這うような30分が過ぎたころ、彼女は口から石を吐き出して気を失った。

 石は先ほどよりひとまわり大きく、さらに深い青色を帯びていた。

 

 床に横たわる彼女を、僕はそっと抱き上げた。

 乱れた髪に白いものが混じるが、彼女はあの頃のまま変わらなかった。


「30年前、愛する人を失ったあなたに、この療法を施したのは僕です。

 あなたは、そのことも石に閉じ込めてしまったようですね。


 僕は、悲しみも、事故の記憶も、そしてあの人との想い出もすべて石にして忘れてしまえば、あなたが幸せになれると思ったのです。

 でも、それで束の間幸せになっても、しばらくすると、あなたはあの人を思い出そうとする。

 そしてその度に、彼を失った絶望につき落とされる。

 僕は繰り返し、あなたの愛の深さと絶望を目の当たりにする羽目になりました。

 これは罰なのでしょうか?

 ひそかにあなたに想いをよせ、あなたから愛する人の記憶を奪おうとした僕への」


 彼女をソファに横たえると、床には大きな青い石が残った。

 それを捨てることもできずに、テーブルの上にある小箱に戻す。

 目が覚めれば彼女は、また屈託のない笑顔を見せるだろう。

 そしてしばらくすると、また望むのだ。


 青い石に閉じ込めた、悲しみの記憶を。



      <了>

 つらい記憶はできれは封印しておきたいものです。

「記憶」のメカニズムが解明されてきたようで、実際記憶の削除は可能になってきているとか。

 記憶はその人自身をつくっているパーツでもあるので、忘れ切ってしまうということにも不安もあり(忘れたことによって次の危険を回避できないとか)、さじ加減が難しそうです。


 先日サイエンスゼロという番組の「夢」をテーマにした回を観ていたら、レム睡眠中にせっせと記憶を消す脳神経細胞が活躍しているとか、そんな話をしていました。だから夢は忘れやすのだと。

 だから面白い夢を見て小説のアイディアゲット!となっても後で地団駄を踏む羽目になるんですね。

 

 昨夜の夢はすごくスリリングだったのに、残念!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 辛く悲しい思いで 心が固くなる 石になる それを美しく思うか 負の引き金にするか 本当に匙加減が難しいですね 好きなお話です
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ