青い記憶
「悲しみは石にしてしまうので、わたしは幸せなのです」
その女性は、屈託のない笑顔をむけ、美しく飾られた箱を開いて見せた。
中には、青い石が十数粒、おさめられていた。
「あなたならご存知ですよね?」
体内に埋め込んだシステムによって、負荷となる感情を石にして体外に出す療法の、その石だった。
システムは高価だ。
生命を脅かすほどの心の負荷を取り除くためであるか、あるいは金持ちでなければ手が出ない。
「一般には、事故、事件などの精神的後遺症などに使われている治療法です」
言葉を選んで、反応を見る。
「それを以前、施術していただいたのです。
恐怖は黒い石になるそうですが、悲しみは青い石になります」
彼女は、箱の中の石をテーブル上に広げた。
「これは、飼っていた犬が死んでしまったとき。
これは仲良しだったお友だちと、離れ離れになってしまったとき。
こうして石にしてしまえば、きれいな思い出だけが残ります」
彼女の指先で、透明度や濃さもまちまちの青い石が転がった。
「小さいものは祖母の形見の茶器を割ってしまったとか、そんなことです」
そこで言葉を切り、女性は僕に向きなおった。
いよいよ話が本題にはいるらしい。
「ご相談というのは、この石のことなのです」
彼女が指し示したのは、中でもひときわ大きく、深い青色の石だった。
「他の石のことは、どんな悲しみの石か覚えているのですが、この石については何も覚えていないのです」
「悲しみを封じるのに、感情だけではなく記憶まで閉じ込める必要があったのでしょう」
「そうなのでしょうね。きっと、とても大きな悲しみだったのでしょう。
最初は、大きな悲しみが石になって、よかったと思っていました。
でも、日がたつにつれ、大きな悲しみのもとになったことを覚えていない、というのが気になってきたのです。
悲しみの前に、悲しむだけの大切なことがあったはずです」
「それで?」
「この青い石に閉じ込められた悲しみと記憶を、わたしに戻したいのです。
その内容を思い出したら、何かに記録するつもりです。
わたしの中のシステムは、すぐに動きだし、また悲しみを石にしてしまうから。
記録を見れば、その悲しみそのものを忘れても、何があったか、わかると言う訳です」
「おやめなさい。せっかく石にした悲しみです。
こうだったかもしれない、ああだったかもしれないと、美しい悲しみを夢想して楽しむだけがいい」
「悲しみをひとつ思い出し、また閉じ込めるだけの何が問題でしょう。
それにお医者様である、あなたがついていればいいでしょう?」
たしかに、僕は彼女の友人であり、医者だった。
だからこうして求めに応じて、家まで訪問しているのだ。
彼女は僕の返事を待たずに、クリスタルのグラスに入った薬剤に石を入れ、
「大丈夫。だって悲しみはまた石になるんですもの」
と、溶けた青い記憶を飲みほした。
そして……。
唐突に悲痛な叫びがあがった。
「ああ、思い出したわ。
とても大切なあの人を。愛しい笑顔を。
幸せだった日々を。
それなのに、クルマが事故に遭って……あの人を失ってしまった。
結婚式を3日後に控えていたのに。
二人で幸せになる筈だったのに。
あの人がこの世にいないなんて。
もう2度と会えないなんて……。
こんなことを思い出したくなかった。
どうして、わたしだけがこの世界に残ってしまったの……」
あの事故の直後封じられた鮮烈な悲しみを、彼女は思い出していた。
悲嘆と慟哭に、彼女の顔色は真っ白になり、呼吸すら危うくなっている。
僕は医者でありながら、彼女の体内のシステムが少しでも早く、悲しみを閉じ込めるようにと祈るしかできない。
這うような30分が過ぎたころ、彼女は口から石を吐き出して気を失った。
石は先ほどよりひとまわり大きく、さらに深い青色を帯びていた。
床に横たわる彼女を、僕はそっと抱き上げた。
乱れた髪に白いものが混じるが、彼女はあの頃のまま変わらなかった。
「30年前、愛する人を失ったあなたに、この療法を施したのは僕です。
あなたは、そのことも石に閉じ込めてしまったようですね。
僕は、悲しみも、事故の記憶も、そしてあの人との想い出もすべて石にして忘れてしまえば、あなたが幸せになれると思ったのです。
でも、それで束の間幸せになっても、しばらくすると、あなたはあの人を思い出そうとする。
そしてその度に、彼を失った絶望につき落とされる。
僕は繰り返し、あなたの愛の深さと絶望を目の当たりにする羽目になりました。
これは罰なのでしょうか?
ひそかにあなたに想いをよせ、あなたから愛する人の記憶を奪おうとした僕への」
彼女をソファに横たえると、床には大きな青い石が残った。
それを捨てることもできずに、テーブルの上にある小箱に戻す。
目が覚めれば彼女は、また屈託のない笑顔を見せるだろう。
そしてしばらくすると、また望むのだ。
青い石に閉じ込めた、悲しみの記憶を。
<了>
つらい記憶はできれは封印しておきたいものです。
「記憶」のメカニズムが解明されてきたようで、実際記憶の削除は可能になってきているとか。
記憶はその人自身をつくっているパーツでもあるので、忘れ切ってしまうということにも不安もあり(忘れたことによって次の危険を回避できないとか)、さじ加減が難しそうです。
先日サイエンスゼロという番組の「夢」をテーマにした回を観ていたら、レム睡眠中にせっせと記憶を消す脳神経細胞が活躍しているとか、そんな話をしていました。だから夢は忘れやすのだと。
だから面白い夢を見て小説のアイディアゲット!となっても後で地団駄を踏む羽目になるんですね。
昨夜の夢はすごくスリリングだったのに、残念!




