そして【僕】は【象】になった・・・
僕は昔、けんかに明け暮れていた。
学校に行っていたときは、
現代で言う番長のように君臨し女子高生をはべらかせ、上級生をパシっていた。
飲み屋に行っては、酒を飲みすぎて隣の客とけんかをした。
チンピラに狙われても返り討ちにしていた。
道を歩いては、年寄だろうが子供だろうが
にらみつけながら歩いていた。
家でも、父親も母親も下僕のように扱っていた。
朝から晩まで好きなことをして暮らしていた。
楽しいとは思わなかったが、自由だった。
何の目標もなく、こんな日が続くのだろうと漠然と思っていた。
ある日、僕は死んだ。
いつものように酒を飲み、ひと暴れして、ふらふらしながら坂を下っていると
坂の上から大きなブレーキ音が聞こえた。
後ろを振り返ると
巨大なトレーラーが迫っていた。
避ける間もなく
撥ねられ
大きなタイヤに踏みつけられ
一瞬強い痛みと焼けたようなにおいを感じ
僕は死んだ。
真っ白な光のあと
あぁ・・・天国に行けるといいな
と、ガラにもないことを考えていたが
目の前にお花畑はなく
薄暗く炎や煙が所々に上がり
汚いよだれを垂らしながら歩いている
角の生えた大きな鬼のいる場所で目が覚めたからである。
そうか、あのトレーラーに引かれて死んだのか
そうか、親不孝をしたからここにいるのか
そうか、けんかに明け暮れていたからここにいるのか
そうか、人生を最悪に過ごした結果でここにいるのか
いろいろと考え、この地獄であろう場所にいることに理由をつけていた。
まあ、仕方ない
自分のせいだろうし、好き勝手に生きてきたから仕方ない。
どこに行けばいいか分からず
鬼に目を付けられないように歩いていると
目の前に一筋の光が差し込んできた。
『・・・この光の中に入りなさい・・・』
頭の中に優しい声が響いてきた。
小さい頃に読んだ本の中にクモの糸の話があったな。
僕も、何か一ついいことをしていたんだろう。
たぶん。
何も覚えがないが、その光に入ってみる。
すごくまぶしい光を浴びることになる。
地獄に光。
救いだと思っていた。
助かると思っていた。
安易に思っていた。
目を覚ますと、軍服を着たおじさんに囲まれていた。
空には、教科書で見た、たしかB29だったかな?
たくさん飛び回り、雨のように爆弾を落としていた。
目の前には飼育員と軍人のおじさんがいる。
飼育員さんは、餌のバケツを持っている。
明らかに、においがいつもと違う。
いつもってなんだっけ?
だんだん意識がはっきりしてくる。
あぁ。
僕は、動物園で飼育されて、観客を魅了してきた。
時々、サーカスにも派遣されていた。
人気者のゾウだ。
本当に人気者だった。
初めは長崎に連れてこられて、長い旅をしてこの東京に来た。
長い道のりだったが、頑張って来た。
そのかいもあって、みんなが見に来てくれた。
楽しい日々が続いていた。
しかし、戦争が始まった。
戦争が始まったことで、
お客さんはあまり来なくなった。
それでも、大事に育ててもらっていた。
好きなリンゴもバナナもキャベツもサツマイモも・・・
確かに、だんだん量は少なくなっていた。
だけど、それなりには食事ももらえていた。
飼育員さんは、ここに来た当初から今も変わらない。
だが、今日はいつもと違っていた。
表情が今まで見た事が無い悲しさを放っていた。
今にも泣きそうだった。
だが、その手にはバケツを持っている。
いつもよりも豪勢でいろいろな食べ物が入っていた。
僕は、飼育員さんの表情のことはすぐに忘れ
バケツしか見えなくなった。
だけど何かいつもと違う。
豪勢なんだけど何か…
そうか、においが嫌なんだ。
せっかく持ってきてくれたが、僕は長い鼻で押しのけた。
だめか・・・
飼育員さんも、軍人のおじさんたちも残念そうな表情でそう言った。
軍人のおじさんたちは、
飼育員さんを後ろにどかし
僕に向けて銃を構えた。
一斉に数十発の銃弾が僕にめがけて放たれた。
僕の、皮膚は硬く、そう簡単には傷つかない。
しかし、数十センチ先から放たれた銃弾は
僕の硬い皮膚を押しのけ刺さっていく。
血が流れる。
たくさん流れる。
今まで流した事が無い量である。
もちろん心臓にまでは銃弾は届かない。
しかし、流れすぎた血は
僕の足の自由を奪い、巨体を倒すには充分であった。
飼育員さんは、駆け寄り泣きつく
泣きついたように見えた。
泣きついてほしいと思ったのかもしれない。
飼育員さんは、銃弾でも死ねなかった僕の口をこじ開け
バケツの中身を一つずつ入れていく。
さっきは、抵抗できたが
今はもう、抵抗する力もない。
いつもは、おいしい果物や野菜が
すべて苦い・・・
吐きそうになるが、どんどん詰め込んでくるから吐けない。
だんだん意識が薄れていった。
これで、戦争で逃げて被害を出さなくて済む。
そこにいた、飼育員さんや軍人の人たちが口々に言い
喜んでいた。
そう、戦争でおりが壊れたら逃げて人に被害を与えると思われたらしい。
薄れゆく意識で空を見上げる。
空のB29は、
まだ雨のように爆弾を落としていた。
かもしれないで
僕は殺された。
戦争が無ければまだ生きられたのだろうか。
飼育員さんとまだ楽しく暮らせたのだろうか。
次は、いい世の中に生き返れればいいな。
いい世の中に・・・。