吸血公
啜るは人の血に非ず、されどその名は畏敬を込めて呼ばれる。『吸血公』と。
「ただいま」「ただいまー」
『殺し屋』の支配下にある都市、『干の街』。妃姉妹はそこに住居を構えており、卯の拾番地、和風モダンの様相を備えた家だ。
「お帰りなさいませ。お嬢様、さやか様」
二人を出迎えたのは、正統派のメイド服を身に纏う白人系の美しい女性。仕草は上品だが、主を見る目は安堵と喜悦の混じった親しげなものだ。
「ただいま、英理子。留守の間に変わったことはあった?」
「いえ、特にありません。お嬢様もさやか様も、お早い帰還でしたから。
それとお嬢様、『夜功連』からこちらが」
『殺し屋』の最大派閥にして直属の部署から届いた封筒を渡され、あやめは僅かに顔をしかめる。
「また? いい加減小粒の相手ばっかりで、うんざりしてるのよね」
「小粒ならお嬢様がご無事でいる確率が上がりますので、私としては嬉しいです」
「そ、ありがと」
素っ気無く礼を言い、「疲れたー」と横並びでソファーに座ってくるさやかを適当に相手しつつ、依頼書に目を通していく。
「――へえ」
「お姉ちゃん?」「お嬢様?」
口元を僅かに歪めた笑み。それに二人は反応するが、気にせずさやかの方に視線を向ける。
「さやか、今度はタダの雑魚じゃないようね。いける?」
「勿論だいじょーぶ。私はお仕事ならお姉ちゃんと一緒に戦い、プライベートではお姉ちゃんのために戦う。それで死んだとしても、お姉ちゃんの役に立てるなら、本望だよ」
狂的な献身の言葉を受けるも、あやめは変わらず静かに微笑み、頭を撫でてやる。
「そう、それなら大丈夫ね。ただ、無駄死にはしないように。それと、最後まで生き残るのを諦めないこと」
「はーい。えへへ、お姉ちゃんに心配されたー」
「……英理子、その微笑ましいものを見る目は何かしら」
「お嬢様の慈愛に溢れた姿を堪能するのも、メイドの務めです」
「いつもそうだけど、私で癒されるのはどうかと思うわよ」
「お姉ちゃんはあらゆる癒しとなるお方です!」
「その通りですさやか様」
ねー、と笑い合う二人を見て、微妙な表情になる。主であり姉である自分を愛でる趣味は、未だに理解できない。害はないから本人の自由にしているが。
「……まあいいわ。じゃあ行くから英理子、留守番よろしくね」
「はい、無事のご帰還をお待ちしています」
英理子に見送られ、二人は家を後にする。忙しないが、彼女等にとっては負担となる程ではない。
「そういえばお姉ちゃん、今度は何を消すの?」
「ああ、言ってなかったわね」
はい資料と妹に渡しつつ、あやめは微かに愉快気な口調で告げる。
「『吸血公』。機物を支配する異端の吸血鬼にして、消えた筈の支配者よ」
組織の一つ、『魔機学』の統治下にある、『機械仕掛けの神』を由来とする都市の名は『マキナス』。その中の一つ、87番地は混沌の様相となっている。都市内に存在する奉仕用の機械郡、組織の戦闘員である機装兵が、余すところなく暴走しているからだ。
普段は不気味な程整然とした動きしかしない者達の暴走。それらはたまたま通りがかった住人や余所者だけでなく、同胞であるはずの機械や兵にも牙を剥いている。
当然、現場に到着した妃姉妹も例外ではない。奉仕用とはいえある程度の武装を施された機械と機装兵、合わせて千は下らない数が襲い掛かってくる。
「……面倒だ。嘴」
勿論、この程度で慌てる筈がない。あやめが武器名をコールすると、ロングバレルの拳銃二挺が両の手に収まり、すぐさま火を噴く。
轟音と共に吐き出される無色の弾丸。それらは機械群を容赦なく吹き飛ばしていき、タダの鉄屑へと変えていく。機装兵も耐えてはいるが、容赦のない連射によって成すすべなく鉄屑の仲間入りを果たす。
目に映ることがないほどの速射。それらが途切れることなく暴走機械たちに降り注ぎ、運良く嵐を乗り切ったものも、姉を守るさやかによって裁断される。
撃ち続けた結果、姉妹の眼前には空白地帯が出来た。視線の先には崩れかけた地下へと続く階段がある。
「……あそこか。さやか、中に入れないようにして!」
「お姉ちゃん、一人で大丈夫!?」
「危険になったらすぐ呼ぶわ!」
「分かった、危ない時は盾でも何でも使って! ここは鉄屑一つ通さないから!」
妹の力強い宣言に頷き、あやめは電灯が死に掛けた階段を最速で下っていく。その背を機械群が追撃しようとするが、
「おいガラクタども、お姉ちゃんを追うなんて何様のつもりだ?
『咆月』」
階段前に立ち塞がったさやかの瞳が金から赤に変わり、
「刺花繚乱」
どこからか取り出したクナイが投げ付けられる。自らへ掛けた『暗示』によって強化された腕力から投擲されたそれは、眼前の機械だけでなく後方も巻き込んで貫き、壁に刺さると致死量の電撃が放たれ、機装兵すら黒焦げにする。
「お、オイあんた! 助けてくれるのはありがたいが、周りをよく見――」
「喋るな害虫」
クナイを投げつつ、何か喚いている生き残りの人間に強化された蹴りを叩き込む。本人にとってついでの一撃は、頭をザクロのように吹き飛ばした。
「羽音を聞かせるな、耳が腐る。私の耳はお前を許容しない」
肉片混じりの血を鬱陶しげに払い、再び集まってくる数千は下らない多種多様の機械群と機装兵の暴走集団。それを見て、しかしさやかは冷然とした顔を崩さず口を開く。
「さっさと来い、烏合の衆。お前らを始末して、一秒でも早くお姉ちゃんに追い付かないといけないんだ」
地下は何らかの製造工場だろう、むき出しの作業機械やポッドが無数に並んでいる。薄暗い非常灯の道を、あやめは疾走していく。
「……こっちか」
露出した黒の瞳に迷いはない。足を止めず、時に障害となる建造物を刀で斬り払い。そうして辿り着いたのは、拡張中だろう空白の広い部屋だ。
都市における最先端の技術が詰め込まれたこれまでの場所とは違い、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた寒々しい広場。その中心に男――吸血公は立っていた。
過度にならない装飾性と機能性を組み合わせた礼服、それに合わせた上品な外套。くすんだ灰色の髪は綺麗に整えられ、紫の瞳は理知的な印象を漂わせている。
「――ふむ」
現れたあやめを見て一つ頷き、吸血公は持っていた黒い槍で己の手を貫き、赤錆びた血液を部屋の隅に打ち棄てられた巨大機械達に撒き散らす。
『g、ggggg……!』
すると異様な音を立ててそれらは立ち上がり、対面のあやめ――ではなく、天井を破壊して地上へと消えていった。
「……私にぶつけないのだな、吸血公」
「君ほどの実力者に彼等をぶつけたところで、秒も持たないのは分かりきっているからな。ならば、地上で暴れてもらったほうが有意義だ。
さて。こうも早く来られてしまうとは、少々予定が狂ってしまったな。しかも『諸刃の妃姉妹』の姉とは、片割れだけとはいえ恐ろしいものだ」
「気配が一人だけ異質だったからな。油の匂いに紛れても、吸血鬼の血臭は誤魔化せるものじゃない」
「なるほど、たしかに感覚の優れたものなら気付く程度の漏れがあったか。今後の参考とさせてもらうよ」
「その意味はない。造られた血液ごと今度こそ地に還るといい、『混血鬼』」
「……」
吸血公が振り返る。塞がりつつある傷口からは歯車が見え、反対の手からはコードが延び、槍に絡んでいる。
二挺の拳銃を向けるあやめに、吸血公は静かに問いかける。
「対話の余地は?」
「ない」
「互いの益は?」
「有り得ん。私とお前は、互いが存在するだけで害悪だ。
魔弾」
「……」
再度沈黙。吸血公は至極残念と言わんばかりに頭を振り、
「では仕方ない」
「「死ね」」
吸血鬼が槍を構えて突撃するのと、殺人鬼が銃口を引いたのは同時だった。
魔弾が幾重にも跳ね、命をつらぬかんと放つ殺人鬼。不規則に飛び交う弾道を見切り、人ならざる異音を響かせながら迫る吸血鬼。
弾丸は尽きず、槍は折れず、現状の趨勢は互角。どちらも傷はなく、命に届くことで閉幕とする劇は止まらず。
「這え」
均衡を先に崩したのは吸血公。片手で槍を振るいつつ、反対の手から無数のコードが弾丸を弾きつつ、あやめに迫る。
「……」
コードの接続部を狙い、己に届く前で無力化していく。再び弾幕の嵐を貼ろうと構え、
「そこだ」
隙を突いた吸血公の槍が、首をからんと凪ぐ。
「どこだ?」
対し、あやめは銃口で槍の軌道を僅かに逸らし、空きとなった胴体に打撃と銃撃を同時に叩き込む。
「っ、ぐ――!」
初の命中、後退する吸血公。休む暇を与えず、シュペーナルは弾を吐き出し続ける。
「……末恐ろしいものだ。転生体でもない二十にも満たぬ少女に、押し負けるとはな」
「吸血鬼の狡猾さと機械の力を組み合わせ、百を超えて生き延びた貴方にそう言われるとは光栄だよ。称賛ついでに、若いものへの礎となるのはどうだ?」
「不可能だな。老兵が去るには、やり残しが多すぎるのでね!!」
吸血公が腕を振るう。と同時、赤黒い歯車が上下左右を問わずに出現し、あやめを包囲してすりつぶさんと迫る。更にダメ押しと魔力・核融合炉のハイブリッドで造られた槍の炉心を全力稼動させ、投擲する。当たれば、いや当たらずとも死は免れないだろう。
二段構えの必滅。これを避ける手段はあやめとて、ない。
「――それでも、あなたの終わりだ。『月読』、『嘲弄』」
その槍が投げられれば、だが。
「なっ!?」
眼帯から露出した、血色の魔眼。それは吸血公の四肢を縛る。
有り得ない、この少女は異形の自分をも止めるのか!?
吸血公の驚愕は一瞬にも満たない。そしてそれは、致命の隙。
「『魔砲』」
歯車の群れを避け、シュペーナルにいく獲物魔術陣が絡み付く。放たれるは黒の閃光。吸血鬼の目でも視認がやっとのそれは、吸血公の心臓を貫いた。
「ご――ほ――」
黒の極光は空へ去り、吸血公は地に堕ち、赤錆びた血溜まりが広がる。
「終わりだな、吸血公。『月読』まで切らされるのは、予想外だったけど」
「……妃、あやめ……」
炉心も兼ねた心臓を貫かれた吸血公は、最早虫の息。既に足元から灰になっており、消滅は時間の問題だろう。唯一できるのは暴走した機械群を呼び寄せることだが、彼女を前にして意味などない。
「大した、ものだ……致死の技を前に、傷一つ負わせるのがやっと、とは……」
故に、若き殺人鬼へ称賛を。無様をさらすくらいいなら、大人しく消滅を選ぶのが吸血公の矜持――
「写し身とはいえ吸血公に褒められるのは、私も捨てたものじゃないな」
「? なんの、はな――」
言葉は続かない。吸血公の肉体は急速に崩壊を始め、人の形を保てなくなる。
換わりに現れるのは、赤黒い血の塊が集まった異形。上半身の形から、辛うじて人間の女性らしいことが分かる。
「お姉ちゃん、おまた――お、お姉ちゃん、その怪我は!?」
「お疲れ様さやか。かすり傷よ、大したことないわ」
「傷は傷だよ、すぐ治さなきゃ! お姉ちゃん、お姉ちゃんをこんな目に合わせたのは誰!?」
「あれ」
頬の傷を治しながら、さやかは姉が指差したもの――赤黒い異形を見、
「――そう」
治療を終え、平坦な声でさやかは刀を抜く。
「……死ね。お姉ちゃんを傷つけたお前、一切の痕跡なく苦痛なく死ね。ただ消えて、二度と現れる――」
「さやか」
妹の狂気を、あやめは彼女の前に立つことで制止する。どうしてと濁った目で見つめられるが、答えず沈黙を貫く。
「ドウシテ、分かっタ?」
塊は声帯を無理矢理作ったような、濁った声であやめに問いかける。その顔に表情はないが、
「『老兵』。少なくともこの都市において、たかが百年を生きた程度で名乗る奴はいない」
「……ソウ、カ。ソレは、失敗ダ」
絶望。塊からは、色濃くそれが感じられる。
「憧れタ『アノ人』が死ンダノヲ認メたくナクテ、『あの人』ニナッタケド……上手くいかないものですね」
思い出したくなかった。色濃い諦観の声で、吸血公の信奉者だった血塊は、形を失った。
「……」
ただのちだまりになったそれを見て、さやかはしばらく無言。
「……」
そして握った刀を下ろさず、背を向ける。
「さやか、いいの?」
「……もう死んだから、別にいい。それに」
あいつの気持ち、ちょっと分かるから。それは口に出さず、さやかはいつもの笑みを姉に向ける。
「さ、お姉ちゃん帰ろう。さっき英理子に連絡したら、ご飯作ってくれてるって!」
「そうね、帰りましょうか」
あやめもそれ以上は言わず、妹の頭を撫でて帰路に着いた。一度だけ、無念に散った血溜まりの『誰か』に振り返って。
「英理子、今回の一件は『吸血公』が起こしたって報告しておいて」
「……よろしいのですか? 夜功連の皆様は張り切って偽装工作すると思いますが、目立つことを嫌うお嬢様に得はないかと思いますが」
「確かにそうだけど……その方が『アレ』にとっての供養になるでしょ。ああいうのは化けられても面倒だし」
「ふふ、かしこまりました」
「……何、その目は」
「いえ。やはりお嬢様は慈悲深いお方だと」
干の街
『殺し屋』傘下の都市。街は干支+漢数字で示される。
英理子・オルタナ十三世
代々自らが定めた主に仕える一族の人間。転生者にあらず。
吸血公
自らを滅ぼした『正義』への仇返しに、機械の軍勢を勢力下に置いていた。
魔機学
『組織』の一つ。名称はミッシェン。魔術と機械の融合による高みを行く、転生都市の発展者。
マキナス
『魔機学』の都市。未来型機械都市。都市の番号は現在四桁まで振り分けられている。
機械群
奉仕機械の総称。形は様々だが、総じて自意識はない。
機装兵
魔術で強化され、機械の身体を移植された元人間。本来は統一した意志の元、『魔機学』の尖兵として数えられる。
シュペーナル・クリューフ
あやめ愛用の銃。『魔衝』・『魔弾』・『魔砲』の三段階に分かれて使用される。弾数は魔力が続く限り。
信奉者
『吸血公』に心酔し、自己を捨てて吸血公の後釜となったもの。彼女はただ、公が失われた事実を認めさせてはならないと願っただけだった。
後書き
やべえ、敵も好きなキャラで書くと文字数が増える(汗)
ちなみにこの作品、全般として救いはありません。一抹でもそれがあれば、転生都市では十分幸せといえます。そういう意味で、妃姉妹は『恵まれてる』側なんでしょうね。
では今回はここまでで。次回転生都市、次は紡いだ絆の終わる時を――