醜悪の籠
気がついた時には、俺は塵や悪臭だらけの地獄絵図の中で、大の字になって寝ていた。どうして俺はこんな劣悪な場所に……と不思議には思うのだが、全く分からなかった。
しかし俺は、ここで途方に暮れている場合でもなかった。意識が戻ったときから、酷い臭いが俺の鼻を突き刺す。何か悪いものを固めてずっと放置していたような、体が拒否する臭いが。だからこそ、ここから一刻も早く抜け出さなければ……。
周りは石壁に囲まれ、上には暗赤色の空が俺を睨んでいた。地面の上と言おうか、ゴミの山の上と言おうか、白い袋が乱雑に配置されている。それらは既にこの世のものではなくなっているようだ。
俺は歩き始めた。頭が痛い。今にも嘔吐してしまいそうだ。少し休もうと口で息をしながら、俺はたまたま見つけた木の柱で休むことにした。
すると、そこにはぼろぼろの布切れが落ちていて、しかも俺に軽々と話しかけてきた。よう、兄弟。オレははもう疲れちまったんだ。一緒にずっと休もうじゃねぇか。俺はお前の兄弟じゃあないし、それに俺がなぜここにいたのか納得のゆく理由が掴めていないんだ。悪いが休むなら勝手にしてくれ。
空は黒くなってゆく。夜が来るのも時間の問題だが、ここから出るには記憶を辿る必要がある。しかしそれが無い。おかげで首も切れない。
俺は歩く。何か思い出せないかと頭を抱えながら。そのときだった。突然空が光を放ち、その方向から声が聞こえてきた。
「……聞こえますか?……聞こえたのなら返事をしてくださいな……」異様な光と、景色と似合わない美しい声。驚きながらも、俺はどこかでそいつを知っているような気がした。
「あの……俺は何故ここにいるんでしょう。」
「…………それは……お答えするのは難しい質問です……」
そいつは少し困った口調で続ける。
「……あなたは目の前にある林檎を見て、なぜこれは林檎なのかと質問しますか?」
「いや、しません。しかし、それとこれとでは何が関係あるんです?俺はなぜここにいて、記憶がないのか分からないんです。林檎はここにはありませんし、見えているのが、林檎とは言わないかもしれないじゃないですか。」
俺がそう言うと、光は少しずつ闇に変わり、声は聞こえなくなってしまった。
これがあいつの正体か。結局逃げるがなんとやらっていう、逆説を俺に振りかざすのか。俺は苛立ちと少しの絶望を抱え、黒い地面をゆっくりと歩いていく。
やれ、なぜ俺には少しの記憶もないのだろうか。あんなに豪快に空を見ていたのだから、俺は寝ていたに違いない。なのに、そのときに見た夢すらすっかり抜けている。何かあったはずの以前、幸せ、思い出、生活。あらゆる物事が、俺の頭の中には存在していない。まだ夜は明けない。
そのときだった。
空に気配を感じた。斜め上を見ると、何やらたくさんのものが、ガサガサと音を立てて落ちてきた。このくらい地面とは違った何かが。俺はまるで爆弾を処理するかのように、ゆっくりと一歩、一歩と地面を踏みしめていく。体が震える。風も熱もないはずなのに、なんだ、どうしたんだ。近づこうとする度に、上半身が、ビクビクしている。
そして、やっと俺はたどり着く。この暗さの中でも見ることが出来る、あのごみの山に。それを俺はゆっくりと麻痺した視界を凝らして見た。
硝子だった。こんな闇の中でも、虹色の光を放ちながら周りを映し出している。そして、それは俺を映しているはずだった。
────はずだった。
映っているのは、大量のごみの数々と、そこに立っている醜い塊だった。どうして。何故俺は映らないんだ。拒否する身体を強引に持っていき、そこに顔を近づけた。硝子には醜くくも恐ろしい何かが、ギロりと醜いものの隙間から、睨みつけていた。
…………ああ、そうだったのか。あいつが俺の言葉を、妙に不思議がるのはそういう事だったのか。それはそうだ。林檎は目の前にあるのだ。そこに理由なんてものは無かったのだ。
そうして、俺はそれから距離を取り、歩いた道を戻っていく。そうだ。あの場所へ、俺は戻るのだ。そして俺はそこに戻ると、今までの疲れでそのまま後ろに倒れた。
空は、少し青くなろうとしていた。
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