[4]
<1>
自分の部屋のベットで寝転んでいる。ずっと待っていたはずの時間なのに、残念ながら全く寝付けずにいる。もう出勤まで時間がない。なのに全く眠れない。体は疲れきっている。なのにどうして眠れないのだろう。もう6時間は部屋の天井と睨めっこしている。原因は分かっている。今日捜査した事件だ。あの事件は僕の内面と深く繋がっていた。今まで見ないようにしてきた。見れないように心の奥底にしまっていたはずのものが心の表面まで、でできてしまったようだ。見てきてなかったものをいきなり見るのはとてもつらいし難しい。いや、なんだか怖い。1人でこれを抱え続けるのが。ここに誰もいないのが。
目を瞑れば、あの手についた大量の温かい赤い物が思い出されてくる。できるのならあの日に戻りたい。そしてやり直したい。今ならもっと上手くやれるはずだ。そう信じている。
目覚まし時計がなった。また僕は刑事北河信也を演じなければならない。苦労の1日の始まりだ。スーツに着替えて自分の部屋を出た。
<2>
「おはようございます。北河さん。重役出勤ですね。もうお昼ですよ。」
朝の機嫌の悪さが治った普通の草原真弓の姿が署の入り口にあった。どうやら今日も事件らしい。いつから日本はそんな治安の悪い国になったんだろうか。きつく締めていたネクタイを緩めてから、真弓の所へ向かった。署の入り口の前にある大きな鏡に僕と真弓の姿が映っている。真っ黒のボサボサの髪とは対照的にショートカットで整えられた茶髪。黒混じりだから、恐らく地毛。いつもは思わないが、真弓って美人だな。こんな人が今まで付き合ったことないってこの女子、ほっとく男子って何?まあ僕もほっといたろうけど。
「で、今日は何があったの?」
「はい、今日は殺人ではなく強盗を追ってもらいます。まあ強盗と言っても銀行とかじゃなく家に誰かが押し入った感じらしいんです。」
「ふーん。興味深い。そこに行ってみよう。車の中でファイル見せて。そこから、何か分かるかも。」
「はい。また私の運転で行くんですか?まあいいですけど。鍵は持っているんで行きましょうか。」
鍵のボタンを押して車の鍵を開けてくれた。僕はまた、助手席に乗り込み持っていたファイルに手をつける。しばらくして真弓が乗ってきた。車に置いてあったコーヒーに手を伸ばし1口すする。
「じゃあ出発します。いいですか。」
「うん。安全運転でお願い。まだ死にたくないから」
「いつもそうですよ。」
「じゃあいつものようにお願い。」
車はすぐに動き出した。もともと僕はかなり車酔いしやすく、車なんかでファイルを見たらたちまち気分が悪くなる。だから、できるだけ揺れないようにして欲しいのだ。決して嫌味なのではない。ファイルに目を通しても何も得るものはなかった。当たり前だ。今日通報されたのだから。分かることは、被害者が46歳の製薬会社に勤める金沢理香子というだけ。そして理香子はたまたま、仕事の残業で言えに居らず、帰宅したら家が荒らされていた。だから通報した。犯人が誰かがこれで分かればそれはきっと超能力者か何かだろうな。まあ僕はそんな存在信じてないけど。
「現場まで遠いの?」
「はい。先に行った高谷さんと竹林さんから連絡がありましたけど、そこまでは遠くないようです。よかったですね。車酔いしませんよ。」
少し笑いながら真弓は言う。冗談も混じっているようだ。愛想笑いのつもりで僕も笑っておくことにする。そんな明るい雰囲気は長くは続かなかった。真弓はすぐに真面目な顔になり、いつもより低い音程で話し出した。
「昨日帰った後、何かあったんですか?」
「そう見える?」
「はい。今日は何だか雰囲気が違います。昨日の養子施設に行ったときのような怖い雰囲気です。たぶん触れないほうがいいと思うんですけど。あと疲れているように見えます。昨日はちゃんと寝ましたか?」
「君は僕のことをよく見ているんだな。確かに昨日の寝つきは良くなかったけど、大丈夫。仕事に支障は出ないように頑張るから。」
「私はそういうことを言っているんじゃありません。体は大丈夫ですか。きっと北河先輩は大丈夫じゃなくても大丈夫のふりをなさると思うんですけど、誰かにでも言って休んで下さいね。自分のために。」
「君にでもいいの?」
ニヤニヤと笑いながら僕は言った。面白く思えた。客観的な目で見ても真弓は綺麗なほうだ。なのに付き合ったことがないって。もしそれが本当なら今の発言で何かが現れるはず。
「え、ええ。私でも大丈夫で、です。」
どうやら本当らしい。真弓は赤面症かと疑いたくなるほど赤くなり、セリフは噛みまくっていた。新しい真弓の1部を知れて親密度が上がったかもしれない。だが、同時に僕は真弓との間に壁をつくっていた。これがまた真弓との関わりの鎖として邪魔にならなければいいが。僕はまた自分で自分を罰していた。意味がないと分かっていつつも。
<3>
現場に到着すると、辺りは散乱していた。見つけたときのままにしておいたと話す被害者、金沢理香子の言うことが本当なら、よっぽど大胆な犯罪者か、この部屋が最初からすごく散らかっていたか。どちらかだろう。タンスやクローゼットなどの家具は引き出しが開き、今にも落ちそうになっている。悲しいことに落ちていたものはほとんど壊れていた。被害総額は大変な額だろう。気の毒に。
「やっと来たか。草原、北河。」
スーツを着たゴツゴツとした、大男が僕と真弓に話し掛けてくる。低いがよく通る声はとてもきれいなものだ。歌手になれる程に。話し掛けてきたのは、高谷修造。そして隣には竹林天音が立っていた。
「お疲れ様です。今どういう状況ですか?」
真弓が首を傾げながら言った。
「鑑識がこの部屋の指紋を全て採取しましたが、出てきた指紋は金沢理香子のものだけでした。新築ですし初めての入居者だったのでしょう。」
答えたのは、高谷修造ではなく、竹林天音だった。こちらは凛とした美人で仕事はきっちりとこなすタイプだ。眼鏡を掛けているから眼鏡美人ということになるだろう。
「いつも通り、聞き込みは2班に別れる。俺と」
「僕と真弓が同じ班ね。それがベスト。それがいい。それしかありえない。」
高谷修造の話しの間に割って入った。何故そんなことをしたか?僕は同じ班の修造と天音が苦手だ。やり方が正統派なのだ。もちろん、真弓が正統派じゃないとは言わない。だが、真弓はそうとうなことがない限り報告は免除してくれる。2人はそうはいかない。すぐ問題を起こせば報告される。だから嫌なのだ。
「もちろん君は真弓とだ。」
「どうも。」
運がいいのは、あの2人も僕のことが嫌いでいてくれることかな?そのことが分かれば、僕はあの3人の話に全く興味がない。
「我々は今から聞き込みをしてくる。この現場を見て適当に待機していてくれ。」
修造はそう告げて、天音とこの現場を後にした。2人か出て行った扉のドアノブと鍵穴を見ていると、奇妙な傷跡があった。鑑識は本当にちゃんとチェックしたのか?仕事さぼんなよ。僕でもきちんと与えられた仕事はしているぞ。
「何見てるんですか?そんなに2人が恋しいですか?北河先輩。」
「真弓、今から僕がやる事を報告しないなら話してあげてもいい。あと2人は恋しくない。」
「ええ知ってます。嫌いですもんね。2人のこと。まあ黙ってますから話して下さい。」
僕はドアノブを何回もひねったり回したりしてから立ち上がり、真弓の方を見てから微笑んだ。
「何です?」
ポケットにいつも入っている、ピッキング道具を真弓に見せた。すると真弓は予想通り、嫌そうな顔になったが、なにも言わなかった。
「これからドアの鍵をピッキングで破るから、それがどれくらいかかったかカウントしててくれ。頼むよ」
真弓が時計を見たことを確認してから、ピッキングを開始した。やっぱり。
「あいた。」
「8秒です。」
「ここって新築だよね?」
<4>
「今から何処へ行くんですか?こんなにスピード出して。捕まっちゃいますよ。」
「この街の市役所。僕の予想では間違いなく、金沢理香子は結婚していた。だが、離婚したんだろう。それを確かめに行く。」
「どうしてそんなことが分かるんですか?」
「あのマンションの鍵を変えるなら内側からしか変えられない仕組みだった。あの部屋以外を見たけど、どの部屋もピッキング防止用の鍵て8秒じゃピッキングできない。なのにあれはできた。つまり鍵が変えられていた。見た目は同じものに。ここで質問、君は自分ですぐ破られる鍵にわざわざ金払って変えますか?」
「いえ」
「ですよね。ということは、簡単に家に入ることができて、鍵を提案することができる人があの家にはいたということ。でまあ、既婚だったんじゃないかなあと思ったわけ。」
事件現場と市役所は意外にも近くにあった。とても嬉しいことだ。寝不足で酔ってなくても気持ちが悪いのに、2回乗っても車酔いでさらに気持ち悪くならなかったのだから。東京の市というだけあり、田舎感がとても強い建物だ。しかもあまり大きくない。だから、駐車場も大きくない。僕たちの車をいれても、8台しか駐車されていないが、もうそれだけで車でいっぱいの状態というのが笑える。このど田舎で2日連続捜査というのも何だか悲しくなる。田舎って何もないのがいいんじゃないの?全く。
「でも犯人は何が目的だったんですかね?被害者が製薬会社に勤めているとなるとって思ったんですけど」
「それは分からないけど、相手は素人だし、探し物はおそらくまだ見つかってないだろうな。」
「どうしてそう思うんです?」
「そうだな。じゃあ想像してみて。引き出しが1000あってその1つに大事な書類。言わば探し物があるとする。引き出しをランダムに探していき、最後の1000こ目の引き出しに探し物が出てくる確率はどれくらいあると思う?まずないだろう。」
「でもだからって見つけたから出て行ったんじゃないんですかね?」
「ちがうね。たぶん。見つけられたのなら片付けないか?もしかしたら盗んだのがバレないかもしれないんだぜ。なのに片付けなかった。それはどうしてかと言えば、見つけられずタイムリミットが来てしまったから。」
市役所の前でかなりの立ち話が終わり、そろそろ中に入ろうかとした時だった。真弓の携帯が鳴り出し、光のようなスピードで携帯を取った。
「はい。草原です。・・・・・はい?」
真弓が携帯で誰かと話しているうちに僕は市役所の中に入った。建物の見た目は古い物だったが中はそうでもなかった。もっとペンキ何が剥がれているかと思えばそうでもない。むしろきれいだった。最近あきらかにペンキの塗り替えをしている。真っ白できれいな壁に囲まれる廊下を通り抜けて住民登録ができそうな所を見つけたところで僕の携帯が鳴った。見てみると発信者は真弓だった。
「何か?」
「今すぐ来てください。駐車場に。被害者の金沢理香子が遺体で発見されたそうです。」
<5>
連れて来られたのは下が谷の所にかかる橋のした。市役所や被害者の家からもどちらからも遠く、車酔いした。周りは山ばっかりで完全な田舎だがまだ、東京だということが面白い。東京は意外にも何でもあるなと実感した。橋は車でも渡れるように、道が大きめに作ってあり素材もおそらくコンクリートだろう。被害者の金沢理香子が乗っていたと思われる車もあった。紅い車でかなりの大きさ。最大で6人乗れるタイプの車だった。これから見ても金沢理香子は既婚だったんだろうと真弓に伝えたかったが車酔いで吐きそうなのを我慢するのが大変でそれどころじゃない。目眩もするし最悪な状態。こんな時に遺体とか見たらマジで吐くような気がする。
「大丈夫ですか?私1人で見てきましょうか?」
「いい。僕も行く。だけど少しだけ待って。」
「少しだけってどれくらいですか?私嫌ですよ。少しだけって言って沢山待つの。」
「分かった分かった。じゃあもう行こう。」
足場の悪い道と呼べるか分からないような道を進んでいく。しばらく進むという警察以外来れないように、黄色のテープが張られていた。鑑識もうろうろしている。僕と真弓は警察手帳を見せて中に入った。
遺体の周りには高谷と竹林がすでに立っていた。車酔いでヨレヨレの僕を見ると2人そろって苦笑した。そんな2人は放置して遺体の観察を始める。だが目眩もまた激しくなり、1人では立ってられなくなった。真弓が気をきかしてそっと肩を貸してくれる。
「軽いですね。ちゃんとご飯食べてますか?」
「食べてます。」
遺体には、争った形跡はなかった。つまり揉み合ってない。服も今日着ていたものだと分かった。血も落ちた衝撃で出たもので生前では、出血していなかったという鑑識の説明が聞こえてきた。だが、引っかかるのは、金沢理香子の靴の1足が見当たらないこと。赤いヒールだから自然の背景では目立つどろうにここには何処にもない。
「自殺でしょうか?」
竹林が高谷の方を向いて尋ねた。高谷もうんうんと頷いた後に口をゆっくりと動かした。
「おそらくな。北河。お前はどう思う?」
「まだどうにも言えません。確信がないので。ですが金沢理香子が自殺だとしたら、理由は何ですかね。
・・・真弓、僕を金沢理香子の車まで連れて行って。お願い」
「分かりました。」
僕の肩を持ち、ゆっくりと僕の歩けるスピードで歩いてくれる。足場の悪い道では、さらにゆっくりとなり高齢者と同じくらいのスピードで歩いていった。金沢理香子の車の前に着いたときに、彼女のものと思われる靴を発見した。赤いヒールだからほぼ100パーセントそうだろうが。
「で、何が分かったんですか?」
「自殺じゃなくて他殺だという事が分かった。」
「どうして車を見るだけでわかるんです?」
「あのね、僕が見たのは彼女の靴だよ。さっき見た遺体は片方だけ靴がなかった。だから、ここになかったら、下のどっかにあるから自殺か他殺か分からなかった。でもここに靴がある事で他殺であったという事が分かる。」
「どうしてですか?」
「死に方は高い所から落ちるという方法だよね。つまり、車から飛び降りる所まで歩く必要がある。ヒールってさ歩いてて脱げることある?」
「あまりないですね。と言うかないです。」
「でもヒールひもで結ぶものではないから、すぐに脱ぐこともできる。例えば足をブラブラさせるとかね。そういうことが車から飛び降りる所までで起こす方法がある。いや、起きてしまうんだよ。車から運ばれればね。つまり他殺だろう。