[2]
今回はこれと次で1つの話です
<1>
「北河!ちょっと来るんだ。」
デスクワークをしていた僕に工藤誠係長が指でこちらをさした。重たい空気が漂う中、ほとんどの人が自分が終わらせるべき仕事を終わらせようと僕に見向きもしない。それくらい僕が係長に呼び出されるのは珍しい事ではないのだ。ただ、そんな悲しい空気の中でも、肩を上に上げて伸びをすることのついでに「頑張れ。」と1言くれる子がいる。そう草原真弓だ。真弓は今日もそうしてくれた。
係長のデスクの前に出された椅子に座る。いつもどうりデスクの右端に大きめの灰皿が置かれ、それを埋めるほどの大量の吸殻がある。軽く咳払いをしてから係長は話を始める。
「何で呼ばれたか分かるか?お前はいつもそうだ。事件は解決する。」
「ありがとうございます。ではもう時間なので、書類は明日提出します。お疲れ様でした。」
そう言って立とうとする僕に係長はもう一度咳払いをする。係長の咳払いの意味は、待て、話がある、などだ。
「だが、何故だ?何故なんだ北河?君が現場に行くと署にいつも苦情が殺到する。そして君はここに呼ばれて説教を聞く。なんだ君は、そんなに私の説教が聞きたいのか?そんなに君はMだったのか?」
「お言葉ですが係長、僕は当番で今日と昨日ずっと署にいました、疲れてました。僕は労働基準法を違反しないために早く解決したかったんです。僕は昨日の夜に1係の新入りさんにデート持ちかけて何処かに行っていた夜も仕事してたんです。」
「 ちょっと待て。何でそのことを知っているんだ?誰にも気づかれないようにしたんだが・・・いや待てそんなことはどうでもいい。私は君の行動についてだな、もう少し・・・」
「わかりました。以後気をつけます。」
僕がそう言うと係長はニヤリと笑う。こんなときに笑うのは仕事のファイルを僕に渡すときだけだ。係長は自分のデスクの引き出しを開けると1つのファイルを机に出した。汚れていてきれいではなく、そのファイルを見て気分が悪くなった。係長が僕に渡すファイルの事件はいつも面倒な事件ばかり。ほんと、うんざりする。
「1週間前、この町の近くで車を使った殺人があったことを覚えているか?新聞にもなったんだが。」
「知りませんし知りたくもありません。どうせまた面倒なんでしょう。」
「そう言わず聞け。君が知らないと言うなら後で草原に資料を持って行かせる。・・・これを解決したら1週間の休暇をやってもいい。君が望むならな。だが君がそんなに仕事が好きで1週間も休んでられるか、ずっと仕事してたい。と言うなら別にいいのが・・・」
「くたばれよ、ハゲじじい。」
「今何か?」
「聞こえてるくせに・・・まあいいでしょう。引き受けましょう。休暇が欲しいので。」
そう言って僕は係長のデスクから離れ、自分のデスクに戻った。自分のデスクのパソコンを開くとすでに真弓から事件のファイルがメールで届いていた。相変わらず仕事が早い。今日1度も帰っていない僕にここまで仕事させたいって鬼か何かかな?そんなことを思いつつ、僕は自分のパソコンに目を通していく。
4月26日。東京都足立区で午後11時36分。
帰宅中の女性が歩いていた。場所は朝や昼ならよくにぎわう昔からあるような商店街。どこの店も閉店していてシャッターが閉まっていた。街灯も少なくなっていて薄暗く、中にはついていないものもある。そんな場所を女性1人で歩いていた。その女性はスマホを操作しながら歩いていた。つまりながらスマホである。そして耳にはイヤホンを着けている。かなりの大きめの音で聞いていたため、イヤホンから音がもれている。そんな女性にいきなり暴走した車が突っ込んできた。それにより死亡。遺体は道路の端から発見。即死だったもよう。大きな音で目が覚めた近所の店が警察に通報。
メールに添付されていたファイルから分かることを自分で想像してみたが、この事件の何が面倒なのかが全く分からない。ただ人員が足りてないだけだろう。
「何か分かりました?」
「全く。この事件ってそんなに複雑そうに見えないんだけど・・・。なら捜査や聞き込みは明日からでいいかな。僕、眠いし腹減ったし死にそうだよ。」
「だめです。そんなこと言わずに頑張りましょう。ね?私が運転しますし、ご飯は私がドライブスルーのところでおごりますから。」
今日の朝の機嫌が悪いときの声ではなく、いつもの優しい声に戻っていた。真弓の声から察するに嘘は言っていない。なら面倒な運転もしなくていいことになる。だが、話を聞きにいく前提で話をしていることから今日も帰れないようだ。ポケットに入った車のキーを取りだし僕に見えるように、キーを前に出した。はぁと大きく溜め息をついてから真弓を見ると、営業の子の営業スマイルのようなわざとらしい笑顔を見せてくれていた。いや、くれちゃっていた。
「何処から行きます?」
「この人に遺族の人はいらっしゃる?このファイルにはないんだけど。・・・それってどうなの?」
最後の皮肉は無視して僕の質問の答えを探しファイルの原本をペラペラめくる。
「この人に遺族は多いですね。まぁ既婚ですから・・・家族からあたってみます?」
「お任せで・・・・」
<2>
「こんにちは。奥様が殺害された事件でようやく捜査できるようになったのでお話を伺いに来ました。刑事の草原と北河です。」
真弓がいつもどうりの挨拶をドアを開けてくれた夫と見られる男性に話している。僕は先ほどドライブスルーで買ったハンバーガーを口につめながらその様子を観察している。すると奥から小学生、しかも低学年からいの男の子がこちらの様子を伺いつつ、父の後ろに隠れている。僕は自然と笑顔になった。まだ入っているハンバーガーの袋を右手から左手に持ち変え、右手で少年に軽く手を振った。
「こんにちは。」
だがいつもどうり返事は返ってこない。僕は子供好きだが、子供は僕をなぜか嫌う。だけど最初だけ。それが救いだ。子供と触れ合うことが趣味な僕に警察はむいていないのかもしれない。真弓も無理に笑顔を作り、少年に微笑んだ。それでも少年は何も言わず、さらに父の後ろに隠れた。それを申し訳なさそうに、父は笑った。
「どうぞ、お入り下さい。コーヒーでいいですか?」
「いえ。お構いなく。」
真弓は言った。でも僕は欲しい。ハンバーガーの口直しがしたい。このハンバーガーはどうも、もさもさする。僕は笑って、言う。
「コーヒーではなく紅茶を下さい。ありますよね?それともない?」
「わかりました。用意します。」
またいつもの事ながら僕のこの態度に真弓は睨んだ。目で、やめて下さいと言っていた。いつも思うがああ怖い怖い。
玄関から家に入り、1本道の廊下を真っ直ぐ進んだ所にリビングがあった。お世辞にも広いとは言えないが明るい雰囲気が漂う新婚者の家のようだった。写真も多くかざってある。写真の夫と被害者の奥さんは今の姿と全く変わっていなかった。そう歳をとっていなかった。そして、子供の写真が1枚もない。
お湯を沸かそうとティファールの電源を入れた夫に僕はこの質問をぶつけずにはいられなくなった。
「あなた達、新婚ですよね。違いますか?そしてこの子は養子だ。違います?」
お湯をカップにいれながら取り乱す様子もなく、平然と夫は言う。
「どうしてそう思うんですか?」
静かに僕に聞いていたが、その声には確かに怒りがこもっていた。それが無神経の僕にも分かったのだから、敏感な真弓にはよく伝わったに違いない。
「ええ、ここに飾られている写真はどれも最近のことです。あなたは見た所、30代ほど。この子が生まれるころは間違いなく20代だったはず、だがこの写真は全て最近のもの。・・・決定的なのは、どの写真を見ても子供の写真がない。どんなアツアツの夫婦でも子供がいれば子供の写真を1枚は置くでしょう。」
僕が言うとしばらく沈黙があった。この空気になれてはいるものの、子供の前でやるのは少しだけ気が引ける。夫は紅茶のはいったカップをリビングのテーブルの上に置いた。黙ったまま、真弓と僕は椅子に座る。
「認めたわけじゃないが、それが事件と何が関係ある?」
怒りのせいか、敬語だった口調がいま普通に話している。さらに声色が冷たくなっていた。新婚者が殺人を犯す確率がどれくらいあるのか統計を使って説明しようと思ったが、真弓の怖がり具合から、するかどうか迷う。
「何か言いたそうですが、どうぞ。私は気にしません。むしろ言わないほうが腹が立つ。」
「なら、お言葉に甘えて。新婚者が妻、もしくは夫を殺害する確率は高い。何故だか分かりますか?分からないでしょう?結婚すると今まで見えていなかった相手のことが見えてきます。それが良い面のこともありますが、悪い面のこともある。むしろ、そのほうが多い。それに絶望し、相手を殺す。まぁよくある事です。」
「ちょっと北河さん!」
真弓のストップが入り勝ちを閉じた。
「あんたは、俺が犯人だと言いたいのか?俺を犯人にしたいのか?妻を?殺すわけない。俺は妻を愛していた。だから結婚したんだ。殺すなんてありえない。」
夫は泣き出してしまった。これ以上は聞くことができない。相手が冷静じゃないときに話を聞いても意味がない。それに真弓がもう耐えられそうにない。
「今日はもうこれくらいで。」
真弓が言って立ち上がった。彼女も、もらい泣きしそうになっていた。
「最後に1つだけ。誰か怪しいと思われたり、奥さんが誰かに恨まれたりということはありますか。」
「恨まれているなら1人。心あたりがある。この子ともう1人、養子を取ったんたが、その子に妻は嫌われていてね。名前は真琴。今、神奈川の大学に行くから、大学の寮で暮らしている。」
「失礼ですが、大学は?」
僕が聞くと夫は咳払いをした。
「君に失礼という感情があったとは驚きだが、大学は、慶應大学だ。話ならそこで聞くといい。もう帰ってくれ!」
そう言われ、僕はおとなしく家を出た。真弓は申し訳なさそうに頭を深く下げた。
車のドアを開けようとすると、真弓は鍵でドアを閉めた。僕はふっと笑って最後のハンバーガーを手に取った。それを食べようとすると、真弓に取られる。顔は茶化せないほど怒っていた。今日の朝くらい。僕はまた笑った。
「笑って誤魔化さないで下さい。どうしてあんな言い方しかできないんですか?もっと言い方があるでしょう。あの人は奥さんを亡くして悲しんでるんですよ。」
「分かってる。すまない。今回は僕が全面的に悪い。今回は。」
しばらくの本日2回目の沈黙があり、真弓の顔がいつもの優しい顔に戻った。車の鍵でドアを開けてくれる。大きなため息の後、再び口を開く。
「今から会いに行く人にはやめてくださいよ、最低でも。」
「ああ分かった。慶應女子に会いに行こう。」
<3>
慶應大学がとても有名な大学なのは僕でも知っている。僕は大学に行ったことない。なのに、ここがとても懐かしい気がした。
「お前、確かここの出身だよな?やっぱり懐かしかったりするのか?」
「はい、やっぱりここには死ぬ気で勉強して入ったのでとても懐かしいです。北河さんも母校に行けば、きっと懐かしく感じますよ。」
いつもの明るい声が返ってきた。悪気がないのは分かるし、僕の経歴を知らないから僕が大学を出たと思っているのだろう。だから仕方がないと分かっていてもなんだか悲しくなった。
「僕、大学には行ってないんだ。家庭の事情でね。」
「あ、いや、その、すみません。私、知らなくて。」
「いいんだ。この時代だから大学卒業は当たり前。その当たり前ができていないのだから、僕が悪い。君が気にする必要はない。」
気まずい雰囲気になりながら、僕と真弓は学生寮まで歩いていく。真弓はこの雰囲気を変えたいらしく、何やら話し掛けようとしていた。それを知ったらどうするべきなのだろうか?気付いていないふりをするべきか?それとも、気を使い、こちらが話し掛けるべきか?答えはでそうにない。
「あの、聞くべきじゃないと思うんですけど、どうして大学に行かなかったんですか?」
「もう寮に着いた。後でな、そのことは。」
そのことをダイレクトに聞いてくるとは思わなかった。ポーカーフェイスは得意なほうだが、今回はだめだった。
「ごめん。このこと、まだ自分の中でも整理できてないんだ。だから、もし整理できたら聞いてもらってもいいかな。そのときは自分から話すから。」
「はい。じゃあ待ってます。そのときまで。」
「ありがとう」
それからは1度も話さず寮まで歩いた。足枷が1つだけ外れたような気がした。少しだけ嬉しかった。あのことを受け入れることにまた1歩前進した。