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 ジルが驚いたようにセアラを見た。

 責められているように感じて思わず叫び返してしまったが、ショックを受けたようなジルの表情に、はっと我に返る。

「あのね、違うの! 私が、小父さんのところを離れたくないの。あのね、まだ恩を返してないの。いっぱい助けてくれて、いっぱい大事にしてくれて、それで……」

 セアラが言葉を必死に探して説明していくごとに、ジルは再びいらだちを募らせたようで、その様子を隠しもせず、顔をゆがめていく。

「分かった。じゃあ、借金の分だけでも支払いを終わらせておこう。小父さんが商隊をやめたらサンデリナに向かう隊に移ってくれ。サンデリナに着いたらそこで隊を出て待ってもらうようにしようか。セアラがオーブリー商会に声をかけたら、俺に連絡を出すようにして、セアラの滞在についても手配をして置くから」

 まるでもう決めたと言わんばかりにこれからのことを話し始めたジルに、セアラはびっくりする。

「そんなの、ダメ!」

 いらだちを少し納めたジルが、少し呆れたようにセアラを見る。

「ダメって、仕方ないだろ。商隊の行程は大体の月は予定出来ても、日付までは確定出来ない。俺たちは次に会う約束はできないんだ。セアラが自由になったからと言って、女の一人旅なんてとんでもないし。俺もそうそう迎えに行けるわけでもない。ハイメーヌ商隊がサンデリナに寄った時にセアラが隊を離れるのが一番確実だろ」

 ジルの言いたいことは分かる。だけど、突然こんな事を決められて納得いくはずがない。

「そうじゃなくて、ジルにお金を出してもらうわけにはいかないよ」

「どうして?」

「どうしてって……」

「俺がやりたいからするんだ。セアラは気にしなくていい。俺がセアラにもう会えないのが嫌なんだ」

 ジルのその気持ちはうれしいと思う。けれど、こんな風に強引に、たたみかけるように決めて行かれると、気持ちが追いつかない。

 こんなのおかしい。

 それが一番セアラが感じた気持ちだった。

「そんなの、無理だよ。それに、お金出してもらって、働いて返すのならともかく、もらいっぱなしで隊で働き続けるなんて……それに。ねぇ、ジル? オーブリーで、私ができる仕事ってある?」

 セアラが商隊でやっている仕事は、旅に必要な細事は当然として、主に小売りから預かっている品物四分の一相当の出納管理になる。その話は話題にしたこともあり、ジルも分かっているはずだ。

 けれど、ジルは首を横に振る。

「セアラは働かなくていい。俺が戻るまでの支度金も渡しておくから。サンデリナで会えたら、その後のことはその時に考えよう」

 気にするな、心配するな、何もしなくていい、考えなくていい、……俺の言うとおりにしろ。

 そう言われた気がした。かっと頭に血が上る。

「……バカにしないで!!」

「セアラ?」

「私は物じゃないの! それじゃ、私、まるでジルに買われた物みたいじゃない……私は、ジルに会いたかったけど、そんな、囲われるような……っ」

 言っていて、悔しくて涙がこみ上げてくる。

「……セアラ……」

 撫でてくる手を、セアラはぐっと押し返す。今はこの手が腹立たしい。

「そんなつもりじゃ、なかったんだ。でも、そうじゃなくて、俺は……!」

「お金は、払わなくて良いっ 私は、自分で何とかするもの!」

 ジルの言葉なんて聞かない。そう思いをこめて見返せば、彼はむっとした様子で口をつぐむ。

「……分かった。勝手にしろ」

 ややあってつぶやかれた言葉は、突き放すような物だった。

 ジルが、怒った。私が、ジルを怒らせた。

 それを悲しいと思う。けれど、謝る言葉も出てこず、ただ悔しさと悲しさをかみしめて口をつぐんだままうつむく。

 沈黙が、重かった。

「俺たちは、あと三日ここにとどまる。……セアラは?」

「……一週間後、ジェンマに向けて出発する予定」

「そうか、俺たちはバルテウスだから、逆方向だな」

「……」

「明日、夕方、また会おう」

 ジルの声が固い。セアラはむっつりと黙ったまま、うなずいた。


 翌朝、セアラは憂鬱さを引きずりながら、今日行われる取引分の仕事を整理していた。

 作業の合間、宿の外から聞こえてくる町の雑音に何となく気持ちを奪われる。

「なんだか、いつもより騒がしくない?」

 確かに慌ただしく動く人や馬車の音が多い。

 何かあったのかしらね、と話ながら作業している時、それが自分たちに関わることだとは思っていなかった。

「橋が落ちてジェンマにいけなくなった?」

 午後になって商隊にもたらされた知らせは、それがセアラ達が次に向かう予定だった町に行けなくなったという物だった。

 この町からジェンマに行くにはその橋を通るしかない。しかし橋が復旧するには最低でも半月はかかるという。下手すると一月以上かかることもあり得るらしい。

「だから、旅の日程を変更して、まずカンビアに向かうって」

「ずいぶん遠回りね」

「エドナには冬になる前につきたいっていうから、ここで足止め食らうより、遠回りでも確実に進んでおきたいみたいよ。で、予定を繰り上げてここを明日出発するらしいから。さっさと仕事終わらせて準備しないとね」

「明日?!」

 その場にいた全員が悲鳴を上げた。

 休む暇もないわねなんて、仲間が顔を顰めて話す横でセアラは顔を青ざめさせていた。

 明日出発だなんて……ジルに早く伝えないと……。

 まだ三日あると思っていた。その間に頭を冷やして、どうすれば良いか考えて……なんて。

 そんな時間はもう残されていなかった。

 明日出発となると、しなければいけないことが山のように増える。夕方約束の時間に会いに行けるかどうかさえ危うい。

 腹が立っていたことも、気持ちがかみ合わなかったやるせなさも、今はどうでも良かった。ケンカをしてしまった後悔ばかりが胸を占める。

 会えなくなる、もしかしたら、もう二度と……。

 ジルが訴えていた不安はこのことだったんだと、もう会えなくなる状況が目前になって、初めて身につまされて分かった。

 頭では理解していた。けれど、何とかなるという楽観的な感覚でいた。ジルが会いたいと思ってくれて、私が会いたいと思っていれば……、約束をすれば……、あと二日もあるから……と。

 急に出立することになって、その状態の心許なさをようやく理解した。普段なら、そんなに楽観視してなかっただろう。けれど、相手がジルで、そして「ジルなら大丈夫」という甘えがあった。

 けれど、ジルはそうじゃなくて、正しく現状を理解していたのだ。

 だからジルはあんなに強引に言いつのっていたのではないだろうか。

 ジルが本当に私との縁を繋いでおきたいと、切りたくないのだと心の底から思っていてくれたから、だからあんなに焦ったように……。

 必死にセアラをつなぎ止めようとしていたジルの姿を思い出す。

 ジルのこと自分の気持ちばっかりって思っていた。でも、自分の気持ちばっかりしか考えてなかったのは、セアラの方だったのかもしれない。

 一度そう思えてしまうと、いっそう焦燥感がつのる。

 早くジルに会いたい、会えたらすぐに謝って、これからのこと、ちゃんと話し合って、また会うために必要なら甘えるしかないところは甘えて……。

 はやる気持ちを抑えながら、必死に与えられた仕事をこなしてゆく。にじむ涙をぬぐいながら、ジルに会うための夕刻の時間を取れるように、できる限りやっておかなければいけなかった。

 人と約束しているから少しだけ、と仲間に頼み込んで、セアラは慌ただしく準備をする隊を抜け出した。

 約束の場所へ急いで向かったが、着いてみればジルの姿はない。

 ゆっくり待てるだけの時間はない。そわそわしながら当たりを見渡していると、「あの」と見知らぬ男性から声をかけられた。

「セアラさん、ですか?」

 驚くセアラに彼は「会えて良かった」と、とてもほっとした様子でジルからの言付けですと話を切り出した。

 ジルはいま崩れた橋の様子を見に行っているのだという。どうやら、オーブリー商会の一団の中に、建造物に関する専門家が同行しており、なおかつ資材などもいくらかそろっているらしい。町からの要望もあったという話を聞きながら、セアラは、商売人としてこの機会を逃すわけにはいかないジルの責任者としての立場を想像する。

「ひとまず明後日には一度帰ってくると言うことですので、その時に今一度お時間を取って欲しいとのことです」

 明後日。

 その言葉に頭がくらくらした。

 ハイメーヌ商隊の出立は明日。ジルがこの町に戻ってきたときには、もうセアラはこの町にいない。

 じわり、じわりと、もう会えないのだという絶望が胸の中を占めてゆく。

「……私たちは、明日、この町を発ちます。カンビアを経由して、エドナに……」

 男性が言葉を失った。

 この人は、私とジルが会うことに対して否定的ではないらしい。

 その様子に勇気をもらい、セアラは切り出した

「あの……私からも、伝言をお願いしても良いでしょうか」

「はい、もちろんです」

「えっと、じゃあ……ごめんなさい、と」

 言葉にすると、何を言えば良いのか分からなくなった。

 他にも思うことはたくさんあるのに、どう伝えてもらえば良いのか分からない。

「それから……あの、自由になったら、必ず、サンデリナの商会の方をたずねる、と」

 そのくらいのわがままなら、言っても良いよね。図々しくないかと不安になる。ジルはああ言っていたけど、他人からすれば大商人の御曹司に、一介の使用人が会いに行くなどと言付けるのだ。不審に思われないかと、緊張しながらもう一度男性の様子をうかがい見る。

「承りました。必ずお伝えします」

 男性が微笑んでうなずいてくれたことにほっとする。

 そして、もう一度お願いしますと礼をし、セアラは商隊へと戻った。

 本当は、言いたいことがもっとあった。伝えたいことは溢れるほどあった。でも、そのどれもが言葉にならなかった。そんなことを言っても良いのかと、うぬぼれているのではないかと、何より、昨日自分がジルに向けた言動を覚えているから、……許されるのか、と。

 人を介して正しく伝わる言葉なんて、セアラには思いつかない。伝言ではこの後悔は伝わらない。彼への感謝も、謝罪の気持ちも、……恋う気持ちも。人に頼める言葉なんて、表面上のあの程度くらいしか思いつかなかった。

 帰り際、歩きながらぽろぽろと涙をこぼした。ぬぐってもぬぐっても止まらない涙を何度も何度もこすりながら歩いた。

 やることはたくさんある。泣いている時間なんてない。

 今はただ足を動かす。

 これはジルから離れるための道だ。

 泣きながらセアラは歩く。

 けれど望んで歩き続ければ、きっといつかは交わる日も来るはずだ。それは何年先になるか分からないけれど。でも、必ず会いに行こう。

 胸元の鈴が、チリンと鳴った。

「……ジル……」

 首飾りに触れ、溢れる涙をぽろぽろとこぼし、セアラは、ぽつりと彼を呼んだ。

 きっと、必ず、また会えると信じて。

 だから今は、あなたにさようならを。





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