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 互いの商隊がしばらこの町に滞在するとわかり、翌日も空いた時間を確認して会う約束をした。といっても大体が、ジルの外回りの時間をセアラの空き時間に会わせる、という形であったが、二人で話ながら市場や商店を回るのは楽しかった。

 会った初日は、うれしくて寝台で横になっても、何度も何度も会話を思い出し、喜びに興奮し、顔が笑ってしまって寝付けなかった。次の日からは、ジルに会う時間が楽しみで仕事もまともに手に着かない有様だ。浮ついてしまう気持ちを必死に留めながら、何とか仕事を終えると、ジルとの約束の場所へと走った。

 ジルはいつでも笑顔でセアラを待っていてくれる。そして時折髪をなでる手つきの優しさには、うれしさと気恥ずかしさで、胸がドキドキする。

 ジルはほんの少しだけ雰囲気が変わった。「良い家の少年」という子供の頃の雰囲気ではなく、こうして旅に出て庶民の暮らしと直接関わるようになったためなのか、それとも場所に合わせているのか、ほんの少し言動が荒っぽくなった。

 それは男の人であることをセアラに意識させる。

 ジルは大人だった。記憶とは違う低い落ち着いた声も、あの頃よりたくましく大きくなった体もセアラをひどくドキドキさせる。そのくせ、とても安心させるからずるいと思う。

 セアラはこんなに意識してしまっているのに、たびたび頭を撫でられる自分は、ジルからすると子供なのだろうと思い知らされる。

 でも本当は、お兄ちゃんなんて呼んで甘えてはいけない人だ。子供の頃にかわいがってもらった、ただそれだけでつながっている関係。子供ではないという反発心を覚えつつも、彼にとって自分は子供で良かったと思う。妹のように思われているからこそ、この近さが許される。許されるからこそ、余計に気持ちは惹かれてゆき、次を約束してもらえることに安心して、うれしくてまた甘えてしまう。

「お兄ちゃん」

 そう声をかければ、笑顔で振り返ってくれるから。


「なあセアラ、もう子供じゃないんだから、いつまでもお兄ちゃんはおかしいだろ」

 考え込んでいた様子のジルが、突然にそんなことを言い出した。

「そう、かな」

 甘えさせてくれるからと甘えすぎたのだろうか。怒っているのかもしれない、迷惑だったのかもしれない、どうしよう。

 胸が苦しくなりながら、今までのことをぐるぐると思い返す。

 謝れば、これからちゃんとすれば、許してもらえるだろうか。

「ごめんなさい」

「いや、謝ることはないが、……名前で呼んでくれないか」

 しゅんとして謝ると、ジルが困ったようにそう応えた。やっぱり、立場を分かっていないのはダメということなのだろう。

「名前で……えっと、じゃあ、ジル、さま……?」

 そう口にしたとたん、ジルが叫んだ。

「やめてくれ! なんで「さま」なんだよ! 呼び捨てで良い、呼び捨てで!!」

 冗談じゃないと頭を抱えたジルの様子に、「ええ?!」と、セアラも声をあげる。

「呼ばれ慣れてるでしょう?」

「家ではな! こっちでは一応、ただのジルで通してんだ。実質隊の二割ぐらいの人間は俺の出自を知っているが、基本は「隊長補佐のジル」なんだよ。大体、かわいい妹分に、さまなんて付けられたくねぇよ」

 笑いながらジルがセアラの頭をわしゃわしゃと撫でる。

 かわいい妹分、その言葉がとてもうれしくて、……ほんの少し切ない。でも、大切にされていることを暖かな手の平ごしに実感する。

「じゃあ、ジル?」

「ああ」

 ジルの笑顔がうれしい。

「ジル、大好き」

 いろんな気持ちを込めて、そしていろんな気持ちをごまかして、妹分という大義名分の元ぎゅっとその手を握る。

「ありがとな、俺もセアラのこと、大好きだよ」

 そう言ってから、照れるなとつぶやいたジルが自分の頭をばりばりとかきむしった。


 二人で市場を回るのは楽しかった。ジルはいろんな事を知っていた。セアラだってずっと商隊で暮らしていたのだからそれなりに物を知っているつもりだったが、ジルの見識は段違いだ。感心する度に、ジルは笑いながら頭をグリグリと撫でてきた。

 あっという間に時間は過ぎてゆく。八年という年月は、まるでなかったかのようにセアラはジルの存在がとても近しい物のように感じるようになっていた。

 ジルと再会してから、一週間があっという間に過ぎた。一つの町に長くとどまるとしても、せいぜい二週間。ジルの出立の日はセアラより早いと聞いている。会える日は後長くて数日。

 会う日を重ねるごとに、時間が過ぎるのが早くなってゆく。楽しくて、幸せで、一緒にいると時間が瞬く間に過ぎてしまう。さっき会ったばかりなのに、気がつけば別れの時間だ。

 もっと一緒にいたいのに、刻を知らせる鐘の音が一緒にいられる時間はあとわずかだと知らせてくる。

 日が傾き、空の端が夕焼けに染まった頃、ようやく一息ついたジルがセアラを市場から連れ出した。

「一緒にいる間、ずっと考えていたんだけど」と、改まった口調で切り出した。

「もし、セアラに会えたらずっと言おうと思っていたことがあるんだ」

 市場から離れた町外れの一角は、打って変わって人気もなく静かな物だ。市場の賑わいが漏れ聞こえてくる以外は、風が時折木の葉を揺らす音ぐらいだ。

 繋がれたままの手が、ぐっと握られる。向かい合ったジルの目は、どこまでも真剣な物だった。

「セアラ、俺と一緒に来ないか……?」

 セアラの胸がどくんとはねた。

 どれだけ、この言葉を夢に見ただろう。

 あの日の約束を大切に思っていたのは、私だけではなかった……!

 そんな喜びが胸に溢れる。

 そのことが、どうしようもなくうれしい。にじむ涙を、あいた手でぬぐう。

 そして繋がれた彼の手をぎゅっと握り返す。

「ジル、ありがとう……」

 うれしい。あの幼い日の約束を、これほどまでに大切にしてくれていたことがうれしくてたまらない。

 彼は、大商人の息子だ。跡を継ぐために、こんな遠くの国まで交易をしに来ている。そんな彼には、立場もある。見識もある。他の商隊の人間をこんなところで引き抜いていく面倒を彼は分かっているはずだ。

 なのに、あんな幼い頃の約束を、ただ、それだけのために守ろうとしてくれているのだ。

 うん、一緒に行く! うれしさの衝動のままそう言って抱きついてしまいたかった。

 でも。

 溢れる涙をもう一度ぬぐって、首を横に振る。

「すごくうれしい。でも、……無理だよ……」

 通常なら給料のほとんどを返済に充てれば五年ほどで商隊から自分を買い戻せる。しかし、セアラは通常の倍の金額の借金を背負っており、なおかつ幼い時に引き取られたため、最初の五年は、通常の半分も返せていない。まだ返しきるまでに数年はかかるだろう。

 そのことを伝えると「それなら俺が払う」と、ジルが即答する。今の俺にはそれだけの力はあるから、と。

 そこにジルの後悔の強さを感じ取る。そして、おそらくジルにとって自分は幼い頃の守ってやらなければならない子供のままなのだろうという現実も。

 それだけ、守りたかった妹分を守り切れなかった苦しさを抱え続けていたのだ。

 優しい人だ。

 けれどそこまで気にかけてもらえることはうれしくもあり、後ろめたくもあった。

 世話になった小父さんが長く患っていた。セアラを商隊に引き合わせた雑貨屋のお姉さんの伯父さんだ。姪がかわいがっていた子だからと、たったそれだけで商隊の中でセアラの保護者代わりとなってくれ、いろんな事を気にかけてくれた人だ。幼いセアラを我が子のようにかわいがってくれた人だ。セアラは患っている小父さんの力になりたかった。人の助けが必要な状態の小父さんを置いてはいけなかった。今は、引き継ぎも兼ねた、最後の旅の最中なのだ。

「その人はセアラが自由になるのを望まないような人間なのか?」

「そうじゃないの! でも、」

 慌てて否定するが、ジルは難しい顔をして考え込む。

「じゃあ俺から話を付けようか。世話をする人間ならちゃんと雇えるようにする」

「ジル、違うの、やめて!」

 今にも行動を起こしそうな様子のジルに、セアラは慌てて腕を引っ張る。

「どうして」

 なじるようなジルの呟きが悲しい。

 セアラが素直にうなずかなかったことに少しいらだっているようだった。

 どうして、急にこんな……。

 セアラを言いなりにさせたがるような様子は、今までのジルらしくなくて戸惑う。

「ちょっと、その小父さんと話をさせてくれないか?」

「え?! そこまでしなくていいから!!」

 強行に決められてしまいそうに感じて、セアラはこのまま行動に移そうとするのを止める。そのせいかジルは更にいらだったように、矢継ぎ早に言葉をかぶせてきた。

「俺は、セアラが商隊の持ち物の状態なのが嫌なんだ。やっと会えたんだ。今ちゃんと話を付けておかないと、またいつ会えるかも分からないんだ。俺は一応オーブリーの本家が家だが、そこにいることは一年の半分もいない。セアラがサンデリナに行った時会いに来てくれたとしても、会える可能性は低い。お互い旅をしている時点で、次を約束するのも難しいんだぞ。なあ、セアラ、分かっているのか? 俺はこの機会を逃すと、君を助けてやれないんだ」

 こちらの都合を考えてくれないその言葉に、思わずセアラは叫んだ。

「助けてなんて、頼んでない……!」



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