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 それは、もう、八年も前の出来事だ。

 セアラはずっと、「助ける」と言ってくれたおにいちゃんのことを、そして「待ってる」という約束を守れなかった後悔を忘れたことはない。

 だってお守りにしている鈴の首飾りが、いつか必ずと決意を確かめるように胸もとで涼やかな音を奏でていたから。あの日からずっと、辛い時はいつもその音を聞いて自分を奮い立たせていたから。

 いつかお兄ちゃんに会えたら、あの日言えなかったありがとうと、ごめんなさいを伝えようと。

 あの時、セアラは子供だった。そして「大きいおにいちゃん」だった彼もまた、まだ「子供」だったのだ。

 町を出て商隊で働きながらたくさんのことを学んだ。社会の仕組みを知り、世間を知った。だからこそ、分かったことがある。

 セアラは、このハイメーヌ商隊に引き取られて、幸運だった。セアラをいつも心配してくれていた近所のおばさんやおじさん達が、なぜセアラが売られることを望んだかを、身をもって知った。字が読め、計算ができ、行儀作法まで教えられる環境など、孤児にはそうそう望めないものだ。しかも資質に合った分野の教育まで受けられ、商隊で働ける知識を一から学べる。

 更に買われた子供でも働いた分だけ給料がもらえ、それで自分の買われた金額を返せば、商隊を出ることもできる。

 商隊で仕事をしていると商隊孤児出身者と話す機会もたくさんあり、出た先で、自身が商隊で与えられた物の大きさ、ありがたさを知ったという話はよく聞く。

 あの時、話を持ってきてくれた雑貨屋のお姉さんも、強くこの商隊を信頼していたことが、思い出しただけでもうかがえる。

 もっとも下手な働き場所よりよっぽど実入りがよく、旅の厳しさや危険はあれど労働環境も悪くないため、出る者はそう多くなく、出ても結局帰ってくる者も少なくない。商隊はそういった者を外の世界を学んできたといって、それを生かせと快く受け入れるのだ。

 そんな商隊に引き取られたことを、セアラは本当に良かったのだと思っている。あの頃、おそらくジルは十五にも満たない、成人前の子供だったはずだ。きっと今のセアラと同じぐらい。いくら大商人の御曹司とはいえ、セアラを今のような良い環境に迎えるのは難しかっただろう。

 セアラにもそんな大人の事情は分かるようになっていた。

 けれど、それでも、あの日お兄ちゃんを待てなかった後悔は胸に残っていた。理屈はどうあれ、セアラはあの日ジルと共に行きたかったのだ。「待っている」といった約束を果たしたかった。ちゃんと待っていたら、ジルはきっと笑顔でセアラの頭を撫でてくれただろう。

 そう思うと、たまらなく苦しくなる。

 何度慕ったおにいちゃんの面影を心の中でなぞっただろう。何度彼との再会を思い描いただろう。

 もしかしたら会えるかもしれない。でも、きっと会うことは難しい。いつか、あの町に行くことができれば、彼を訪ねに行くことができれば、ずっとそう思っていた。


「ジルお兄ちゃん」

 記憶よりずっと大人になった彼が、そこにいる。

 本物のジルお兄ちゃんだ。

 今、ずっと思い描いてきたその人が、目の前にいる。

 まさか、こんなところで会えるだなんて。故郷を遠く離れた町の市場で、偶然に。

「セアラ……? まさか、ほんとにセアラか…?」

 呆然とした青年の呟きに、セアラは何度もうなずく。驚きに満ちた青年の顔が、見る間に笑顔へと変わった。

「セアラ……!! 大きくなったなぁ! 元気だったか?!」

 うれしそうな笑顔で、まるで子供を相手にするようにセアラを抱き上げる。

「ちょ……! お兄ちゃん! やめて! 私、もう十四よ! もう子供じゃないんだから……!!」

「ああ、そうだな、悪かった!」

 セアラを下ろすと、うれしそうに青年は頭をなでてくる。

「辛い思いはしてないか?」

「うん、大丈夫」

 まるで演劇の舞台のような突然の再会に、セアラの歌を聞いていた観客達がはやし立てながらコインを投げ入れてゆく。

 お幸せになんていう見当違いな言葉を二人で笑いながら受け取り、恥ずかしさも手伝って慌ただしくその場から立ち去る。

 広場を抜け人の溢れる市場の片隅にまで促され、階段の縁に二人並んで腰をかけた。

 セアラは持っていた焼き菓子を半分ジルに渡す。

「あの頃、こうやっておにいちゃんにお菓子もらって食べたよね」

 おおきいおにいちゃんは、すっかり大人になったけれど、並んでいるだけでこみ上げるうれしい気持ちはあの頃と変わらない。

「今お前がいるのは、ハイメーヌの商隊なんだよな……良いところに、引き取ってもらえたな」

「……うんっ」

 セアラの商隊を知っていると言うことは、やはりジルもセアラを探してくれたということなのだろう。そして、覚えていてくれた。

 ジルがセアラの頭をグリグリと撫でる。商隊の人たちはみんな優しい。けれど、こんな風に触れてくるような付き合いはない。せいぜいセアラの保護者代わりの小父さんが時折頭に触れるぐらいだ。沈黙は少し気恥ずかしかったが、ジルが向けてくれる気持ちが、心地よい。

 セアラ、と彼がつぶやいた。首をかしげると、こらえきれなくなったように彼はセアラの頭をかき抱いた。

「約束を守れなくて、すまなかった」

そう言って抱きしめる彼の腕が、とても温かい。額に当たる彼の肩は骨張ってて、少しいたくて、でもその強さが、本当に彼が自分を心配してくれたことを教えてくれる。

「お兄ちゃん……」

 セアラもジルの背中に手を伸ばし、気にしないでとぽんぽんと背をたたく。

「私も、待っていられなくて、ごめんなさい」

「いや、待てなくて良かった。あの頃俺ができたことなんて、たいしたことじゃなかったから……」

「それでも、私も約束守れなかったから」

「約束?」

「うん。待ってるって。約束、破っちゃったから」

 ごめんねともう一度言うと、ジルが破顔した。

「約束、ちゃんと守っているじゃないか」

 意味が分からず首をかしげると、ジルの手が伸びてきて、首にかかる鈴をチリンと鳴らした。

「これ、まだ持っててくれたんだな」

「もちろんよ! お兄ちゃんとの約束の鈴だもの!」

「ほら。迎えに行く時まで、持っておけっていったの、ちゃんと守ってるじゃないか」

 ジルがそう言って微笑んだ。

 まさしく、セアラの知っているジルだった。いつだってセアラに優しくて、辛いときだって心を軽くしてくれるすごい人。だからセアラは負けないように言い返す。

「お兄ちゃんだって、守ってくれたよ。私はお兄ちゃんにもう一度会うんだってずっと思ってた。悲しい時も、辛い時も、私の心を支えて助けてくれたのは、お兄ちゃんだったの。お兄ちゃんは、ずっと私を助けてくれてたのよ。助けるって言ってくれた約束、ちゃんと守ってくれてた」

 私が気にしなくても良いというのなら、ジルおにいちゃんだって気にしなくて良い。

 突然グリグリと頭を撫でられる。強く手を押しつけられて顔が上げられない。

「お兄ちゃん、それはちょっと痛い!」

「ああ、悪い、つい」

 突然何なのよとようやく顔を上げれば、ははっと笑うジルの顔がほんの少しだけ、上気しているように見えた。


 そのまま二人で話をしながら市場を歩く。

 仕事は良いのとたずねれば、今は市場調査だと返ってくる。

「そう。お兄ちゃんは、オーブリーの後継者だものね」

 ただ自由に遊びで歩き回っていたわけではないのだろう。

 オーブリー商会はサンデリナに拠点を構える国内で一二を争うおおきな商会だ。交易を広くしているのはセアラのいるハイメーヌ商隊と同じとも言えるが、その形態は大きく違う。セアラのいる商隊はいろんな小売りの商人が集まりハイメーヌ商隊がそのまとめ役として旅の行程を組んでいるというそれほど大きくない商人の集まりの商隊だ。そういった商隊は他にもあるが、オーブリーのようなひとつの商会だけで国を渡り歩くような規模で商売をしているのは他にない。

 オーブリーは国内最大の大商人だ。ジルはそのオーブリーの御曹司で本来なら手も届かないような人だ。

 そんな人と人混みの中離れないようにと手を繋いでいるのだから、縁という物はすごいと思う。見たいところがあるから付き合ってくれという言葉にうなずいて、これまでのことをお互い話しながら市場を見て回る。

「ゆっくり話す時間すら取れなくて悪いな」

「こうやって一緒に歩いて、お話し出来るだけで十分よ」

 セアラを連れていれば効率も悪くなるだろうに、一緒にいたいと思ってもらえたことがうれしい。

 気にしないでと首を振れば、ジルはまたグリグリと頭を撫でてきた。



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