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「ジル、仕事だ。先日の雨でジェンマに渡る橋が落ちたそうだ」

 金銭的にはあまりうまみのある仕事ではないが、今後のオーブリーの商売にとって良いつながりとなるであろう仕事だった。うまくやれば確実にオーブリーのより良い顧客となるだろう。

 ジェンマはセアラの向かう土地だ。

 昨日ケンカ別れした彼女を思い出す。知らず、ため息が漏れた。ちゃんと話をしなければと思う気持ちもあるが、正直そんな気にはなれない。

 橋が落ちたとなると、彼女はもう少しここにとどまることになるだろう。商隊の日程が一月ずれることなど珍しくない。幸いこの町は大きく、長期滞在してもそれほど隊の負担にはならないはずだ。それでなくても出発は一週間先だといっていた。すぐに謝りたい気もするが、彼女の返答次第ではまた頭に血が上るかもしれない。頭を冷やすにはちょうど良いのかもしれない。セアラのことは、現場の状況と必要な資材、人員について確認した後にしよう。

 彼女との気持ちの差は、思いのほかジルを落ち込ませていた。

 そして三日後、帰ってきたジルに知らされたのは、セアラが既に町を発ったという物だった。


「昨日町を出た?!」

 セアラが向かうエドナという土地は、ジルは交易で向かうことのない土地だ。つまりそれは、当分会うことはないということだ。

 「ごめんなさい」という伝言に、それは一緒に行けないという断りの言葉だったのか、それとも別の意図があったのか少し考えた後、その答えをもう聞くことはできないのだと肩を落とした。

「自由になれば商会に来ると」

「……そうか」

 それを喜ぶ気になれないのは、彼女の身が自由になるのは、まだ数年先だと知っているからだ。その間、彼女はジルのいない時間を過ごしていくのだ。

 やりきれなさを抱え一人宿の外に出て、夜空を仰ぐ。

 また、彼女は自分の手をすり抜けて行ってしまったのだと、苦い感情がこみ上げた。

 彼女はもう、一人で己の道を歩いて行ける自立した女性だ。商隊に属する女性らしく、したたかでたくましい。

 彼女にジルの庇護など必要ない。

 それでも、自分が守ってやりたかった。自分こそが彼女の笑顔を守る存在でありたかったと思ってしまうのだ。

 もし、もっと早くに一緒に行こうと切り出していれば、話し合う時間は合っただろうか。もし、もっとちゃんと彼女の気持ちを大切にしていれば、他の手段が話し合えていただろうか。もし……もし、と過ぎた過去の仮定をしたとして、取り返せるわけではないが、考えずにはいられなかった。

 それとも今から彼女の隊を追えば連れ戻せるだろうか、などと詮無いことを考えてみる。しかしジルは今、隊を離れるわけにはいかない。確実に連れ戻せるというのなら無理をしてでも行くだろうが、おそらく彼女はジルと共に行くことを承諾しないだろう。そんな気がする。

 また俺はセアラの手を離してしまったのだと、気付く。

「勝手にしろ」などと、いらだちに任せて、思いもしない言葉をぶつけた。そして、ようやくつながっていた関係は切れてしまった。

 謝ることもできないまま。

 約束された「次」が約束通り来るとは限らないことを、自分は知っていたというのに。なぜ明日がある、次があるなどと慢心してしまったのか。

 きっと自分は彼女を傷つけてしまった。なのに「ごめん」と伝えることすらできない。

 また、偶然に会える日を待ち焦がれるしかないのか。

 ジルは苦々しい感情をかみ殺しながら、冷たい夜風に身をさらし、今にも駆け出しそうな自身を律した。



「兄上、しばらくはこちらにいらっしゃるのですか」

「そうだな、春まではサンデリナですごそうと思っている。商会の仕事には慣れてきたか?」

「はい。商売というのは、大変興味深い仕事ですね」

 すっかり成長して大人顔負けの仕事するようになった異母弟は、無邪気な笑顔でそう応える。朗らかで人当たりも良いが、それだけではないことは密かに聞いている。

 現段階においてジルが請け負っている交易の仕事に関してジョエル以上に詳しい者はいなくなっているらしい。ジョエルが成人すれば、彼の思惑一つでジルの仕事はダメになるかもしれない。そのくらいの情報を押さえているのだとか。

 少し牽制をされてはと助言されたが「好きにさせておけ」と笑っていなした。

 そんなことはどうでも良いことだった。今は調べたいことがある。

 商隊を組む場合、年間の旅程は大体決まっている。国の情勢や気候で臨機応変に変わる前提ではあるが、大まかなところは同じだ。

 改めて分かる限りの隊の数と行程を全て確認する。今セアラが所属している隊は、春までジルの交易活動範囲に立ち寄ることはないだろう。どこで重なる可能性があるのか、できる限り割り出しておきたい。今まで軽く確認していた程度だったそれらに、ジルは本格的に取りかかった。

 セアラが自由になるまでただ待つつもりはなかった。できうる限り早く会いたいと、その為の力は惜しまない。

 が、仕事の合間に調べ尽くしたが、よほど運が良くないとセアラと交易地で会える可能性は低い、という、これまでの認識を再確認しただけだった。ジルの隊ができうる限りハイメーヌの逗留時期に寄せた行程を組んだとしても、ハイメーヌ商隊の時期もちょうどずれ込まない限り重ならない。

 ハイメーヌの隊がオーブリー本拠地の周辺に来る度に時期を合わせてオーブリー商会の方にいるように予定を組んで足を伸ばしたが、セアラはその隊にいない。

 セアラと再会した行程を取る隊と合流出来るよう、長期の休暇を取って一人で向かうことも考えたが、それをしてしまうと隊の方に迷惑がかかる。それでセアラと出会えるというのならわがままも推し通す価値があるが、いるとも限らない。

 八方ふさがりの状態に、ジルはなすすべもなく現状に甘んじるしかできなかった。


「兄上、今度の兄上の交易先のカヌイで、ハイメーヌと会えるかもしれません」

 異母弟がその情報を持ってきたのは、セアラとの再会から既に二年が過ぎた頃だった。

「本当か!」

 ジルがハイメーヌの情報を集めていることを知っていたらしい異母弟がうれしそうに報告をしてくる。褒めて欲しいと言わんばかりに自慢げに行ってくるのを見て、ジルは笑う。

「さすがジョエルだ」

 もうほとんど背も変わらなくなった弟は、成人の儀も済ませているにもかかわらず、相変わらず無邪気な笑顔を浮かべて兄上、兄上と慕ってくる。

 なぜハイメーヌ商隊を気にかけているのか弟は詳しくは知らないはずだ。何の意図を持って協力してくるのかは分からないが、慕ってくる姿は無邪気な物で、ジルは額面通りに受け取ることにしている。

 ジョエルはセアラより一つ年下になる。時折そのことを思い出し、弟の成長の中に、セアラの成長を重ねる。そろそろ十七になるセアラは、きっと美しくなっているだろう。

 日数の確認をし、ハイメーヌ商隊の到着がずれることも考慮に入れ、できうる限り逗留時期がかぶるように行程を調整する。

 再会のあの日から胸の中にくすぶる感情の名を、ジルは自覚していた。

 あの時は懐かしさと後悔から来る感情だと思っていた。けれど別れを告げるまもなく、言い争ったままケンカ別れのようになってしまい、ひたすらに後悔し続けて、そしてようやく気付いた。

 セアラが愛おしい。

 成長した彼女と過ごした時間など、ほんの数日にすぎない。成人前の子供だったことも分かっている。理屈ばかり考えて、妹のような物だと思い込もうとした。

 けれど、子供だと思っている相手に、誰がこんなに焦がれる物か。自分のやってることはまさしく恋しくて恋しくて手に入れようとあがく哀れな男そのものじゃないか。傷つけたことを悔いて、許しを請いたくて、それすらも会いたい理由にこじつけて、ひたすらに彼女を求めて。

 これを恋というのだろう。

 彼女を愛しいと思う理由など、何一つない。重ねた時間も、共有する幼い思い出も、何一つ理由になどならない。

 彼女が彼女であるというだけで愛おしさは溢れるのだ。


 交易に出てこれほど心が浮き足立ったのは、初めての旅以来かもしれない。セアラがいるかもしれないカヌイの町は、もう道の向こうに小さく見えている。

 ひどく急いてしまう気持ちとは裏腹に、理性を働かせ、落ち着くように自分に言い聞かせる。

 到着は夕刻になるだろうか。

 町から旅立つ者たちとすれ違う。休憩を挟んで一緒になった旅人に聞けば、ハイメーヌ商隊も逗留していることが確認出来た。

「それにしても、あんたら、残念だったなぁ」

 旅人がカヌイの話を一通り聞かせてくれてからつぶやいた。

「残念?」

「ああ、ちょうどセローム楽団が来ていたんだよ。昨日まで公演して、今日は他に移るらしい」

「ほう、セロームか。それは残念だ」

 この辺りの周辺国を渡る旅の楽団だ。その素晴らしさは有名で、演奏に歌に踊り、どれを取っても一流で、一度耳にすると忘れられないという噂はよく聞く。かくいうジルも、子供の頃一度だけ目にしたことがあるのだが、確かに子供心に美しいと思った物だ。

「俺が出る時に、出発の準備をしてたからな。途中ですれ違うだろうよ。演奏は聴けなくても、踊り子の娘達はかわいかったから、すれ違いざまに拝んどくと良いよ」

 たわいのない雑談の後、旅人と別れてふたたびカヌイへと向かう。

 町が近づいてくると、小さな一団が向こうからやってくる。

「あれがセロームじゃないか?」

 楽団らしき一団とすれ違ったのは昼過ぎの暑い時間だ。

 屈強な護衛の男達と、旅姿のこぎれいな男達、それから後に続くのは日よけの布を頭からかぶった女達。

 お気を付けてと、旅の幸運を祈る旅人同士の挨拶を交わしながらすれ違ってゆく。ジルはその一団の女性の中に、セアラとよく似た髪色の女性を見つけた。

 旅の女達が顔を見せないのは常識だ。すれ違う時に挨拶を交わすのは男の役割で、女達は静かに囲われるように通り過ぎる。それは女性を守る為にできた習わしだ。

 セアラ逢いたさに、誰でも彼でも彼女かと見間違えるのは時折あることだ。その髪色の女性を見送り、ジルはふたたび目的地カヌイへと目をやる。あの町にセアラがいるかもしれない。会えたら、なんと声をかけようか。あの日のケンカ別れのことを謝って、それからこの気持ちを伝え……。


 セアラ、君に早く会いたい。



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