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路地裏の魔女  作者: 蒼メ
9/25

9輪目 仕法

 事実と 真実


 わたしには 分からない


 それを 見分ける 力がない


 嘘を 語られたら わたしは それを 疑わない


 わたしは 事実として 受け止める だろう


 なぜなら それは 他には 何も ないからだ


 信じられるもの 嘘で 塗り固められた 言葉


 それが わたしの中には あまりにも 足りない


 選択 出来るほどに わたしには 術がない


 なら わたしが 信じるのは ×××だ


 真実は 時に 事実となる



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 人間だったら老婆になっていただろうか。顔の肉は重力に抗うことを止め、肌は砂漠のように乾燥し、体は石のように動かなくなってしまうのだろう。それとも、既に死んでいただろうか。血液の循環は止まり、肉は腐り、骨が露わになっていただろう。

 しかし、わたしは魔女だ。老いることは無く、姿形は子供のままだ。魔女は死ぬことが出来るのだろうか。

 ――死。

 それが何なのか、わたしには未だによく分からない。そもそも自分が死んだことも無いのに分かるはずがないのだ。しかし、もう数え切れないほどの人間を殺してきて、死について一つだけ分かったことがある。人間にとって死は恐怖のものらしい。

 わたしは自分の願いを叶えるために彼らを殺した。彼らの意思などわたしには関係なかった。

 泣いて、許しを請い、怒りに震える姿を見ても、わたしは構わず殺した。

 ナイフで目をり貫いた。

 体を痺れさせてから、足先からゆっくりと火焙りにしたこともあった。

 死を目前にした彼らの顔は、恐怖に染まり、苦痛に歪んだ。

 あと何人殺せばいいのだろう。あといくつの魂を捧げれば、わたしの願いは叶うのだろう。いや、いくらでも構わない。人間なんてそこらじゅうから湧いて出てくるではないか。

 わたしは人間を殺し、願いを叶える。それだけのことだ――。



 また、あの夢だ。

 風で煽られた雨が窓に強く打ち付け、木々は強風に曝され、大きくしなっている。家の中は静寂に包まれていて、わたしは長い廊下にある部屋の扉の前で佇んでいる。

 自分の生唾を飲む音が聞こえ、心臓の鼓動が高鳴っているのが分かる。

 何度も見るこの夢は、夢にしてははっきりとし過ぎていて、いつもなら扉の取っ手に手をかけたところで目が覚めるのだが、どうやら今日は少し違うらしい。

 扉を開けると、そこは見慣れた書庫だった。わたしの意思とは関係無しにその体は、入口から対角線に部屋の奥に歩き出していた。奥にある棚の左から三番目の棚の前でわたしは止まった。そこの一番下の段。わたしがあまり手に取ったことのない本が置かれているところであった。わたしはそこにある真っ赤な表紙の本を手に取った。それは、他の本と比べると妙に真新しく、開くとそこに書いてあると思われる文字がぼやけているのか何故か読み取ることが出来ない。

 わたしは本を閉じると、金色の字で表紙に小さくタイトルが書かれていることに気が付いた。

 ――アムールの魔女。

 表紙にはそう書かれていた――。



 わたしは、今、書庫にいる。

 あの夢から覚めたわたしは、真っ先にここに向かったのだ。あの赤い本には何が書かれているのだろう。今まで見続けてきた夢の謎が明らかになるかもしれないのだ。もしかしたら、わたしの願いを叶える方法が書いてあるのかもしれない。わたしの中の知識欲は今、頂点に達していた。

 わたしは夢で見た通り棚の前に行き、一番下の段を覗いた。しかし、そこには例の赤い本は無く、本一冊分ほどの隙間が空いていた。まるで、あの本だけが意図的に抜き取られているかのように――。



「はぁ」


 結局、あの後も書庫のあらゆる場所を探したけれど、あの赤い本は見つけられなかった。夢で見たあれは、ただの夢でしかなかったのか。もし、あれがわたしの願いを叶える方法について書かれていたならば、わたしの願望が夢として形作られただけなのかもしれない。

 そんな風に自己解釈出来たらどれだけ楽だろう。自分の都合の良いようにそう出来たなら、わたしは魔女になんてならなかったはずだ。

 あの時。わたしは初めて憎しみを覚えた。今でも鮮明に思い出せるあの感覚。

 目の奥は燃えるように熱く、胸は張り裂けそうで苦しい。頭は中から金槌で叩かれているように痛かった。

 黒猫の言うことが全て嘘であったかもしれないし、事実であったかもしれない。けれど、あの時のわたしが信じられるものは、黒猫の言葉とお母さんとの思い出しかなかった。何が正しくて、何が間違っていたのかなんてわたしにはそれを考えられる力もなかった。

 だけど、今は違う。

 膨大な知識量を得、数え切れないほどの哀れな人間を目にしてきた。自分が何を感じ、どう考えるのか。それは全て、わたしの所有物であり、真実だ。

 最愛の人に裏切られた。これは事実ではなく、真実。わたしの感じたことこそが、信じられる事実だ。そのためにわたしは自分の目で見なければならない。こんな紛い物なんかではなく、自分自身の目で――。

 寝室に生けられている赤い花を愛でているわたしのところに、黒猫が現れた。


「何か悩み事?」

「……あなたさ、アムールの魔女っていう本知ってる?」

「……聞いたことないなぁ」

「表紙が真っ赤で、結構新しい本だと思うんだけど」

「赤い本なんて沢山あるだろう。それにそこまで知っているのなら君自身で探せばいいことだろう?」


 黒猫は窓のへりに乗り、外を眺め始めた。


「いや、どこにあるか分からなくて……」


 黒猫はこちらを見て目を丸くした。


「君が本を置いた場所を忘れるなんて珍しいね」

「いや、忘れたんじゃなくて。実際に目にしたわけじゃないから分からないんだけど……」

「……つまりはこういうことかい? 君は、自分が見たことのない本の特徴をぼくに述べて、それがある場所を知らないかぼくに尋ねた、と」

「そうよ」


 黒猫はぷっと吹き出してから、声を上げて笑い出した。


「それは随分面妖な話じゃないか!」

「夢で見たのよ……」


 笑い声は治まり、黒猫の顔は真剣な面持ちに変わった。


「夢……?」

「そう。夢の中でその赤い本を見たんだけど、文字が読めなくて……。だから、実際に読みたくて書庫の中を探してみたんだけど、見つからなかったの。少し変だと思ったのは、夢の中で赤い本があった場所だけが抜けていたのよね」

「……ふぅん」


 黒猫は床に飛び降りた。


「あなたにこの家の分からないところがあるなんて意外だわ」

「……まあ、ぼくは悪魔であって、全知全能の神じゃない。知らないことの一つや二つはあるものさ」


 黒猫は扉のほうに歩き出した。


「ああ、そうそう」

「……?」


 途中で立ち止まった黒猫は、前を向いたまま言った。


「そろそろ君の願いを叶える方法を教えようか」

「……え、ほんとうに!?」


 一気に体中が熱くなり、全身の毛一本一本が逆立つような感覚がした。心臓は飛び出しそうなほど大きく脈打っている。

 黒猫は顔だけをこちらに向けた。


「ああ。人間の魂を十分食べさせてもらったからね。約束は守るよ」

「それで? どうしたら目が見えるようになるの?」

「ははは。急に元気になったね。そうだな、とりあえず場所を移動しようか」


 開いた扉の向こうに歩いて行った黒猫の後をわたしは追いかけた。

 やっとだ。

 やっと目が見えるようになるんだ。

 この日をどれだけ待ちわびたことか。

 自分の目で見る。

 それはどんな感覚で、どんな風に見えるのだろう。

 きっと今、想像しても分からないだろう。

 ああ、もうすぐだ。

 手を伸ばせば届くところにあるんだ。

 ほら、すぐそこに見えているでしょう?

 わたしの願いがひとりでに輝いているじゃない――。

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