8輪目 奇矯
嘘つきで 醜くて 哀れで
裏切る 愚かな 生き物
それは 人間だ
自分のためなら 何でも捨て
どんな手段を 用いてでも 得ようとする
善人のふりを する 人間こそ
悪魔よりも よっぽど 悪魔らしい
そんな悪魔に 死ぬ以外の 価値なんて あるのかしら
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
少年を殺した翌日のことだ。
男女二人組が必死の形相で森にやってきた。
彼らはわたしを見るや否や驚きの表情を見せ、歩み寄ってきた。男は中腰の姿勢になり、わたしに目線を合わせて言った。
「もしかして、君がアンジュちゃんかい?」
「……そうだけど」
「君がそうか!」
「……?」
「ああ、君が仲良くしてくれているロンという子は、私たちの息子でね。あの子から君の話をいつも聞いているよ」
あぁ、あの少年の父親と母親か。ここにわざわざ来たということは――。
男は真剣な表情で言った。
「それで、君に聞きたいことがあるんだ。」
「なに……?」
「昨日、あの子がアンジュのところに行って来ると言って出て行ってから、帰ってこないんだ。あの子はここに来たのかな?」
「……ううん、来てないよ。昨日はずっと一人だったから」
「そうか……」
男と女は酷く落ち込んでいる様子だ。
男の隣にいる女は何かを思い出したのか、顔を上げわたしに言った。
「アンジュちゃん。少し前からロンの様子がおかしくなったの。何か知らない?」
わたしは首を横に振り、女に聞いた。
「……どんな風におかしかったの?」
「夕方に帰って来たロンが部屋に閉じこもっちゃって、出てこなかった日があるの。聞いても何も答えてくれないし、結局その日は夕飯を食べなかったんだけど。次の日の朝は、顔色が悪くて、朝食もあまり摂らなかったわ。その時くらいからかな、ロンの独り言を聞くようになったのは……」
「なんて言っていたの?」
その時、女の表情が少し曇ったように見えた。
「……化け物、って」
「……ふぅん」
「何か心当たりあるの?」
女の目は真っ直ぐにわたしを捉えている。わたしは少し考える風をしてから、両手を後ろに組み、笑みを浮かべながら言った。
「家に案内するわ……」
二人はわたしの後に付いて来ている間、わたしに何度か尋ねてきた。けれど、わたしはそれら全てを無視した。
「アンジュちゃん?」
「……」
「アンジュちゃん!」
女はわたしの手を掴んだ。わたしは後ろを振り返って、何も言わずに女を睨みつけた。女はひっ、と声を漏らして手を離した。わたしは再び前を向き歩いた。背後では男と女が声を凝らして何かを話しているのが聞こえてきた。
家に着くと、男と女は揃って驚嘆した。男は呟くようにして言った。
「話に聞いていた通りだ。こんなに大きい家に住んでいるのか」
「……さあ、中にどうぞ」
わたしは二人を玄関を抜けて、薄暗い部屋に案内した。そこは、窓は無く、入り口からの光だけがわたし達の背中を照らしている。わたしの後に続いて男は部屋に入ってきたが、女は部屋の前で立ち止まっている。わたしは顔色が悪くなっている女に聞いた。
「どうしたの?」
女はわたしを一瞥して、部屋を見渡した。何かを警戒しているようにも見えた。男は薄暗い部屋の中で探るように手を前に出している。
「アンジュちゃん。灯りか何かないかな? 暗くて何も見えないよ」
「あぁ、そうね……」
わたしは部屋の隅にある机の上の手燭に火を灯した。
「これをどうぞ……」
「ああ、ありがとう」
男は灯りに近付いた。その時、女は何かを呟いた。男はそれが聞こえなかったようだが、わたしにははっきりと聞こえた。
――逃げなきゃ。
男は手を伸ばし、手燭を掴んだ。
「ところで、ここはなんの部……」
グジュッ――。
突如、何かが潰れたような音がした。同時に、手燭の火が消え、床に落ちた手燭の金属音が部屋中に響いた。部屋の中は再び薄暗くなり、何かが床に倒れたような鈍い音がした。女は震えた声で言った。
「な、なに、何の音? あ、あなた……?」
わたしは手燭を拾い上げ、もう一度火を灯した。その淡い灯りは、部屋の中を照らした。床には、変わり果てた姿の男が仰向けに倒れていた。首から上は無く、鮮血が流れ出ていた。壁と天井には血飛沫が付いている。
その光景を目にした女の表情は、一瞬にして恐怖に支配されたように錯乱した。
「き、きゃあぁぁあああ!」
女は裂けるような悲鳴を上げ、一歩後退りした。わたしは体を女の方に向けて言った。
「あなたは勘の良い人ね。何か異質な気配を感じて、部屋に入らなかったのでしょう? それに比べてこの男は何?」
わたしは足元の男の脇腹を足蹴にした。
「わたしのことを疑いもせず、ほいほい付いて来て。ここに来る途中、あなたからこっそり言われた忠告を聞いていなかったのかしらね」
「き、聞こえていたの?」
「ええ、もちろん。それにあなたは会った時からわたしのことを疑っていたものね」
「でも、こんなに小さな子だとは思わなかったわ」
「どうして?」
「……ロンからはとても賢い子だと聞いていたから、ロンよりも年上だと思っていたのよ」
「歳はあまり変わらないわ」
女は困惑しているようだった。
「どういうこと? あなたは見るからにロンより幼く見えるけど……」
「あら、人は見かけで判断してはいけないのよ? まあ、わたしは人ではないけれどね」
「え、それはどういう……」
「それにしても、蛙の子は蛙ね。この男に似て、馬鹿で哀れな子だったわ」
女の顔は見る見るうちに血の気が引いていった。
「あ、あなた。やっぱり……」
わたしは女を嘲笑った。
「そうよ。わたしが殺した。正確には食べさせた、と言った方がいいかしらね」
女の震えている足に視線がいった。
「怖いの? わたしが。 いいわよ、逃げ出しても」
わたしは女の背後に見える玄関の外を指差して言った。
「後ろを振り返って走れば、すぐ外に出られるわ。それとも、わたしを殺したい?」
女は困惑した様子でわたしと男を交互に見ている。
復讐心と恐怖心の狭間で狼狽えているなんて無様ね。人間が根底に持つのは、自分が何物よりも大事ってことでしょう。何を悩んでいるのかしら。
わたしが苛立ち始めていると、女は何かを感じ取ったのか、ふとわたしの頭上を見上げた。
「い、いやぁぁあああ!」
女はすぐさま体の向きを変え、外に向かって駆け出した。広い玄関を通り、外まであと一歩といったところだ。この時、女はこう思ったことだろう。
怖い。
こんな所から早く逃げたい。
家に帰りたい。
ああ、外だ――。
女のその希望は次の瞬間、全てが儚いものとなった。
玄関の壁に掛けられている絵の中から奇形なものが飛び出してきたのだ。それは両足が無く血だらけで、両手の指が人間とは思えないほど恐ろしく長い女性の姿をしていた。その恐ろしく長い指が女の行く手を阻み、そのまま体を捕えて、絵の中に引き摺り込んでいった。女の甲高い悲鳴は最初こそ大きく家中に響いたが、すぐに元の静けさを取り戻した。
わたしは深く溜め息を吐いて、頭上を見上げ、少し強い口調で言った。
「何見られているのよ」
『ワルカッタナ』
そこには、何事も見透かすような目と脚を八つ持ち、一齧りで人間の頭を食べてしまうほどの大きなクモが天井に張り付いていた。
「あの女がどういう選択をするか見たかったのに。あなたが見られ際しなければ……」
『アンジュ。コイツ……ゼンブ……タベテイイ?』
わたしは足元の男を一瞥し、頭を抱えて言った。
「……好きにしなさい」
わたしは手燭の灯りを消し、机の上に置いてから部屋を出た。部屋の中からは肉と唾液が入り混じった不快な咀嚼音が聞こえてきた。
「ピアノといい、クモといい、ここの連中は随分と汚い食べ方をするのね」
わたしは先程の奇妙な女性の絵に目が行った。その女性の口元には女のものであろう赤い血が付着していた。わたしはワンピースのポケットから淡い紫色のハンカチを取り出し、それを拭い取った。
「あなたもよ」
女性はその顔の端から端まで裂けるような大きい口を開き、ニヤリ、と笑った。
玄関に生けられている花の内、二輪の花が赤く染まっていた――。




