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路地裏の魔女  作者: 蒼メ
3/25

3輪目 魔女の棲む家

 温かい 日光


 硬すぎる ベッド


 具の少ない 粥


 あなたと 過ごす 時間


 どれも わたしの 幸せ


 ねぇ あなたの 幸せは?


 きっと わたしとは 違うのでしょう?


 わたしが 幸せなら あなたは ×××


 わたしが ×××なら あなたは 幸せ


 わたしの 幸せは あなたの愛


 あなたの 幸せは わたしの死


 どちらか 一方を 取るなら


 あなたは どうする?



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 寝室のベッドの上で目の覚めたわたしがいたこの家は、とても不思議な家だった。

 寝室に一つある扉を開けばあらゆる部屋に行くことができるのだ。


 黒猫は起きたばかりのわたしを連れて、部屋を出た。

 すると、そこには寝室よりも何倍も大きいダイニングルームがあった。壁にはレンガで囲まれた暖炉に火が焚かれている。部屋の中心には白いテーブルクロスが綺麗にひいてある大きな長テーブルがあり、その上には燭台が三つ置かれている。テーブルの周りには椅子が幾つも置いてある。

 わたしがそのうちの一つに座ると、黒猫は隣の椅子に飛び乗った。

 それを合図としたかのように、奥の扉から料理を運ぶ台車が現れた。それはひとりでにテーブルの横まで来て、料理の品々がわたしの目の前に並び始めた。まるで、見えない誰かが料理を運んでいるかのように。

 料理が並び終わると、台車は奥の扉に戻って行った。わたしはその様子を見続けていた。

 あれは一体なんなの?


「さあ、食べてみてよ」


 黒猫はわたしの思考を遮るように、食事を促した。わたしは目の前にある料理を眺めた。

 奇妙な入れ物に入った具沢山な白いスープ、質感の良さそうなパン、金属製の大きな皿に盛られている瑞々しい果物。

 どれも美味しそうなものばかりで、何から食べればいいのか迷ってしまう。

 それに見兼ねた黒猫は言った。


「白いスープは君の大好きなシチューだよ」


 黒猫の言葉にわたしはシチューに目が行った。

 これがシチュー。

 早速わたしはスプーンを手に取り、シチューを一口食べた。

 そのシチューは、食べたことのあるシチューとは全く別の味だった。

 わたしはお母さんが作ったシチューの味しか知らない。稀にしか食べられないそれは、どんな色だったのかもわからない。あれは本当にシチューだったのだろうか。もしかすると、今食べているものが本当のシチューというものなのだろうか。

 わたしはお母さんが作ってくれたシチューの味を思い出しながら食べた。しかし、わたしは料理の大半を残してしまった。お母さんのことを思い出してしまったわたしは、あまり料理が喉を通らなかったのだ。

 食事を終え、黒猫の後に続いて寝室から来た扉を開けた。しかし、そこは寝室とは全く違う部屋だった。わたしは前を歩く黒猫に聞いた。


「ねぇ、この扉、寝室に繋がってるんじゃなかったの?」


 立ち止まった黒猫はこちらを振り返って言った。


「この家は魔力によって空間が捻じ曲げられているんだ。この扉一つで家のどの部屋でも行けるんだよ」

「へぇ、魔力ってそんなことも出来ちゃうんだ」


 わたしは心の底から感心し、ワクワクもした。わたしの持つ魔力でもっと色々なことをしてみたいと思ったのだ。

 わたしは黒猫から部屋全体に視線を移した。

 部屋は寝室よりかは少し大きめで、部屋の真ん中には大きくて黒いものが置いてあった。そして、それを囲むようにして壁際に置かれている椅子があった。

 わたしは黒いものに歩み寄りながら黒猫に聞いた。


「この黒いものはなに?」


 黒猫はわたしの後を歩きながら言った。


「これはピアノだよ。音を奏でられるんだ。そこに、白と黒の部分があるだろう? それは鍵盤っていって、それを押すと音が出るんだ」

「へぇ、なんか不思議な形ね」


 わたしは鍵盤に触れようと手を伸ばすと、黒猫が声を上げた。


「待って!」

「え、な、なに?」


 わたしは黒猫の大きな声に驚き、手を引っ込めた。

 黒猫はわたしに念を押すように言った。


「これは、ちょっと変わったピアノでね。自分で音を奏でるのが大好きなんだ。でも、誰かに弾かれると、怒り出すから気を付けてね」


 わたしはその言葉に頷くと、黒猫は言った。


「まあ、少し見ててよ」


 黒猫は落ち着いた様子で自分の手を舐めている。

 わたしはピアノから視線を外し、部屋全体を見渡した。部屋にはピアノと椅子以外に、部屋の隅に大きな花瓶があり、白い花が生けられている。

 何て言う名前の花だろうか。確か、寝室とダイニングルームにも同じ花があったはずだ。その花に見惚れていると、すぐ側にある椅子が一脚だけ倒れていることに気が付いた。

 わたしはそれに近付き、起こした。

 すると、部屋に満ちていた静けさを破るように突然音が鳴り始めた。連続して鳴り響く音は一つの曲を紡いでいる。

 わたしはピアノに目を向けた。

 どうやら、このピアノから音が響いているようだ。

 ピアノの一音一音は、そっと手を添えて何かを語りかけるように優しく弾かれている。白い花は嬉しそうに左右に揺れ、椅子は感動しているのか軋む音を立てている。

 わたしは気持ちが高揚していた。初めて聴くピアノの音を美しいと感じていたのだ。

 そして、奏でられていたピアノの音色が止むと、部屋は静寂に包まれ、時間が止まったような感覚に陥った。次の瞬間、部屋全体に歓喜の声が上がり、拍手の嵐が巻き起こった。椅子の上に誰かが座っている気配は感じ取ることが出来るが、姿は見えない。


「さあ、次の部屋に行こうか」


 扉の前に立つ黒猫が顔だけをこちらに向けている。わたしは黒猫の元まで少し小走りに近付いた。途中で後ろを振り返り、椅子を指差して言った。


「ねぇ、あそこに誰か座ってるの?」


 黒猫はわたしの指差す方に目をやり、コクリと頷いた。


「そうだよ。彼らはこの家の住人さ。このピアノの演奏を聴くのが大好きなんだ」

「ふぅん」


 わたしはダイニングルームでの台車のことを思い出した。


「そういえば、さっき料理運んできたのもここの住人?」

「彼はこの家のコックだよ。君が望むものなら何でも作ってくれるよ」


 その言葉を聞いて、わたしは少し前に食べたシチューを思い出した。

 あれは、わたしの望むシチューじゃなかった。でもきっと、望んだところでお母さんのシチューを食べられるわけじゃない。あれはお母さんにしか作れないんだ。

 お母さんはわたしのために作ってくれたんだ。

 わたしのために。

 わたしはあの時の黒猫の言葉が頭をよぎった。


 ――よかった、って。


 わたしは頭を振り、拳を握った。

 違う違う違う。間違いのはずがない。お母さんが本当にそんなことを言ったなんてまだ分からないじゃない。それに、お母さんが作る料理もお母さんと話す時間もお母さんの手の温もりも、わたしの中にちゃんとある。この記憶は、感情は、間違ってなんかいない。きっと、お母さんもわたしと同じはず。

 そうだわ、わたしが魔女になったからお母さんと一緒に暮らすことが出来ないんだわ。こんな力が知られたら、お母さん驚くものね。

 願いが叶えば、わたしはまたお母さんに会える。またあの日々に戻れる。今まで以上に幸せな日々に。

 願いを叶えたい。

 ちゃんと目が見えるようになりたい。

 自分で身の回りのこと全部やって、お母さんに迷惑掛けないようにしたい。

 わたしも働いて、お母さんを楽させてあげたい。

 そうしたら、お母さん、喜んでくれるかな。

 またシチュー作ってくれるかな。

 抱き締めてくれるかな。

 愛してくれるかな。

 ねぇ、お母さん、早く会いたいよ。

 先に行こうとする黒猫がふと視界に入った。その時、黒猫の影が大きくうねるように動くのをわたしはぼんやりと眺めていた――。

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