18輪目 変節
殺し続けてきた 人間に
わたしは 繋がりを 求めている
馬鹿だと 思うなら そう叫べばいい
哀れに 見えるなら 見下せばいい
わたしには 繋がりが 必要だから
差し出された 手は 掴んでみるの
そういう風に わたしが 決めた
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
辺り一面はまるで闇のように暗く、虫の鳴き声が合唱のように響いている。足取りは水に浸かっているように重く、視界は眠気のせいかぼやけている。先程まで感じていた空腹はどこかに消え、代わりに手が震え、足がフラつき始めた。
町を出てからどれくらい歩いただろう。満足のいく食事はしただろうか。ああ、そういえば一度だけ兎を殺して食べたんだった。木の実ばかり食べていたから、あれは格別に美味しかったな。けれど、その時くらいからだろうか。動物の声が聞こえなくなったのは。
意識が朦朧とする中、何かに足を取られ、そのまま前に倒れた。しかし、そこは予想していた冷たく硬い地面とは違い、クッションのように柔らかかった。
ああ、もう、動けない。
手足には力が入らず、意識を保つのは既に限界を迎えていた。
少しだけ、寝ようかしら。
そう思った瞬間、わたしの意識は遠退いて行った。
暖かくて、気持ち良い。体の中から指の先まで暖かい。
指を絡め、脚を縮めうずくまった。すると、閉じている瞼の向こうから光が差していることに気付き、それが鬱陶しく思えた。
邪魔しないで欲しいな。
薄っすらと目を開けると、見覚えのない辺り一面の畑があった。わたしはその景色に飛び起き、目を疑った。
「ここは……どこ?」
どれくらい歩いていたのか、ここはどこなのか、わたしには全く分からなかった。目線を下げると、わたしは藁に布を敷いた上に居て、足元には枕と掛け布団があった。
なに、これ?
困惑しているわたしの背後から痰が酷く絡んだ老人の声が聞こえた。
「起きたかい? お嬢ちゃん」
振り向くと、パンの入ったバスケットを手に持ち、顎には白い髭をたくさん蓄えたお爺さんが立っていた。お爺さんはバスケットをテーブルの上に置き、わたしを見て皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして言った。
「食べるかい?」
わたしに向けた言葉を発するお爺さんの目は、真っ直ぐにわたしの目を捉えている。拒絶するでも無く、受け入れるでも無く、ただ見ている。それだけのようだった。
ぐぅー。
わたしのお腹は空腹だったことを思い出したかのように長く大きな音で鳴いた。それを聞いたお爺さんはきょとんした後、口を大きく開けてげらげらと笑い出した。
「ぶわっはっは! 腹が減っているなら我慢しなくていいぞ。ほれ、食べい!」
お爺さんはパンをバスケットごと差し出してきた。わたしはその態度が気に入らなかった。
「なんでわたしを助けるの?」
「助ける?」
お爺さんは眉間に皺を寄せてわたしを見据えた。
「お前さんが儂の畑で倒れておってのぅ。そこで死なれたりなんかしたら困るからな。やむを得んから連れてきただけじゃ」
「畑……」
なるほど。倒れても痛くなかったのはそのお陰でってことね。
「ところで、ここはどこなのかしら?」
「どこって儂の家じゃが?」
「いや、そうじゃなくて。わたしは石畳が特徴的なある町から来たんだけど……」
「ああ、その町なら知っておるぞ!」
お爺さんは外に広がるまだ何もない畑を指差して言った。
「ほれ。ここは見ての通り農家じゃ。収穫した麦をよくその町に売りに行ったわい。……じゃが、あの町はここから随分と離れておるぞ。儂は馬を使って行っていたが、お前さんは歩いてここまで来たのか?」
「ええ、そうよ。途中からあまり覚えていないけど……」
「そりゃそうじゃろぅ。歩いてしかも、お前さん何も食べるもん持っておらんかったのじゃろう?」
「食べ物は木の実とかなら食べていたわ」
「ほぅ」
お爺さんは白い髭を撫でるように触りながらわたしを見続けた。すると、何か思ったのか目の色を変えて言った。
「お前さん。もしかして、その町の孤児院の子どもか?」
「……!」
まさか、こいつ。わたしが追われているのを知っているの?
わたしは咄嗟にポケットの中に手を入れた。しかし、そこに銀色のナイフは入っていなかった。
あれ、ない。もしかして――落とした?
わたしは慌ててポケットの中を探っていると、お爺さんの落ち着いた声が耳に届いた。
「お前さんが探しているのは……これのことか?」
お爺さんはテーブルの上に銀色のナイフを置いた。それは、正しくわたしが盗んだ猫が装飾されたナイフだった。わたしはお爺さんを睨むようにして身構えた。
「そんなに怖い顔をするな。これは、倒れていたお前さんのそばに落ちていたんじゃ。それに、儂はお前さんがどういう理由でこれを持ち歩いているのかも、その孤児院との関係にも、とやかく言うつもりはない。ただ……」
「……?」
お爺さんは再度ナイフを持ち、わたしに差し出した。
「大事なものならしっかりと持っておれ、ということじゃ」
わたしはお爺さんの手からナイフを受け取った。装飾の猫の目は変わらず青く光っていた。それをポケットにしまうと、お爺さんが両手をパンと叩いた。
「この話はこれで終わりじゃ。さあ、朝飯にしよう」
お爺さんが向かいの椅子にかけるように手で促している。わたしはまだお爺さんを疑いながらも、向かいの椅子に座った。
「これは自家製のパンでな、自信作なんじゃ」
わたしはバスケットからパンを一つ手に取った。そのパンは温かく、表面はパリッとしていて焼きたてのようだ。お爺さんに視線を移すと、目が合いにこっと笑顔を見せた。わたしは両手の中で温かくなっているパンに視線を戻し、それを頬張った。
「どうじゃ?」
お爺さんはわたしの様子を眺めている。
わたしはお爺さんに気を許したわけではない。もう疑っていないというわけでもない。けれど、わたしは一瞬でお爺さんを警戒することをやめた。なぜなら、それはわたしが、パンを頬張ることを止められなくなったからだ。パンをかじり、咀嚼し、そして飲み込んだ。
見かけはよくあるパンだし、焼きたてのパンはあの家で暮らしていた時に散々食べたはずなのに。ただ、どうしようもなく美味しかったのだ。
わたしは腹が満たされ始めると、我に返ったように食べる手を止めた。前を見ると、お爺さんは変わらず笑顔でわたしを見ていた。
「美味いか?」
口の中に入っているパンを喉を鳴らして飲み込んだ。
「……うん」
「そうか! それは良かった! ほれ、沢山あるからもっと食え!」
お爺さんはバスケットをわたしの方に寄せると、椅子から立ち上がり、扉のそばに立てかけてあるものを手に取った。
「どこに行くの?」
「ん、畑を耕しにな。お前さんは、ゆっくり食べていていいぞ」
わたしはお爺さんが手に持つ柄が曲がり、広い刃が付いたものに視線を移した。
「それは?」
「これか? これは、犂と言ってな。牛に繋げて畑を耕す道具じゃ」
「へぇ」
お爺さんはわたしを暫く見据えた後に言った。
「……一緒に来るか?」
「うん」
食べかけのパンを置き、外に出たお爺さんの後に続いた。
あれ。なんでこんなことしてるんだろ。
自分でも驚いてしまった。お爺さんの誘いに即答したこと。こんなに心が躍るようにワクワクしている自分がいること。
わたしはどうしてしまったのか。嫌っていた人間に。蔑んでいた人間に。わたしは、繋がりを求めている――。




