17輪目 心機
人間って なんなの?
愚かな生き物 なんじゃないの?
どうしてわたしに 手を差し伸べるの?
どうしてわたしに 笑顔を向けるの?
どうしてわたしに 関わろうとするの?
分からない
人間の 考えてることなんて
だけど 一つだけ 分かることがある
人間は 哀れで 嘘つきで 裏切るけれど
どうしようもないくらい 優しいんだ
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
この町には人間が多くいる。どこに目を向けても、そこには人間。人間。人間。溢れかえるほどの人間がいる。今まで殺してきた数の比にならない程だ。けれど、同じ人間でも一つ一つに個体差がある。性別はもちろん体格、思考、精神。それらは、わたしには全て同じに見える。ここにいる全ての者はわたしの正体を知った時、一様に顔が恐怖の色に染まるだろう。
わたしは窓に反射して映る自分の姿を眺めた。
青いリボンで結ってもらった金色の髪。透き通った薄紫色の瞳。丈が膝下まである青いスカート。
何処にでもいる人間の少女のようだ。
今ここで生きているわたしは、彼らと何の違いがあるのだろうか。
「アンジュ! どうしたの?」
隣を見ると、不思議そうにわたしを見つめる長い髪の少女がいた。少女はわたしが眺めていた窓の方に視線を移すと、声を上げた。
「あ、かわいいカップだね! もしかしてこれが欲しいの?」
「……別に欲しいわけではないわ」
「遠慮しなくていいよ! 見るだけならタダだから!」
長い髪の少女はわたしの手を引いて、目の前の雑貨屋に入った。店内のテーブルや棚にはカップや食器類が沢山並べられていた。長い髪の少女は先程のカップがあった窓際にわたしを連れて行った。長い髪の少女は取っ手が動物の形をした白いカップを手に取った。
「やっぱりかわいいね、このカップ。はい、アンジュ」
長い髪の少女は微笑みながらわたしにそれを差し出してきた。わたしはそれを受け取り、愛想よく笑って見せた。
「そうね。可愛らしいけれど、わたしの趣味には合わないわね」
「趣味?」
「ええ。わたしはもっとシックなものが好みだもの」
「ふーん。会った時から思ってたけど、アンジュって大人っぽいよね。口調もそうだけど……」
そりゃそうよ。魔女だったとはいえ、人間で考えたら老婆になっている年齢だもの――とは、言えないわよね。
わたしはカップを元あった場所に戻し、その隣にある銀色のナイフを手に取った。柄の部分は棘の生えた蔦が体中に絡み付いている猫の装飾がしてある。その猫は口を大きく開けて、今にも呻き声を上げそうなほど苦しそうな顔をしている。
「わたしはこれが気に入ったわ」
「どれどれ?」
長い髪の少女はわたしの手元を覗き込むと、顔色を変えた。
「え、これがいいの? なんだか気味の悪いナイフだけど……」
「どれぇ?」
幼い少女はわたしの脇から顔を出し、ナイフを眺めた。
「わぁ! キラキラしてるね! きれいー!」
「銀メッキ加工されているからね。これくらい珍しいものでもないでしょう?」
幼い少女は首を横に振った。
「ううん。あんまり見たことない」
わたしは長い髪の少女に視線を移した。長い髪の少女はわたしと目が合うと、少し顔を曇らせた。
「あたし達孤児院の子どもはお金が無いからね。そんな高価なものは買えないし、見る機会だってこうやってお店に来ないと見れないの。まあ、見るだけならタダだから!」
長い髪の少女はにっこりと微笑んだ。
「そろそろ出ようか」
「そうね」
「まだまだ案内したい所沢山あるんだ!」
長い髪の少女はドアに付いている鈴を鳴らしながら外に出ると、幼い少女もその後に続いた。カウンターの方を横目で見ると、分厚い眼鏡を掛けたお婆さんが目を細くして新聞を読んでいた。わたしは手に持っているナイフを元の位置に戻し、一度カチャと音を立ててからスカートのポケットの中にそれを隠した。わたしは素知らぬ顔で店を出ると、長い髪の少女と幼い少女が笑顔でわたしの両手をとった。
「次はこっち!」
「早くー!」
二人はわたしの手をグイグイと引っ張っていく。今までと違って足取りがふわふわと宙に浮くように軽かった。手を引っ張られているせいだろうか、それとも胸の辺りから溢れ出てくるこの暖かいもののせいだろうか。
わたしは店の方を振り返り、窓から覗くカウンターを見た。しかし、先程のお婆さんの姿はもうそこにはなかった。
塀のように積み上げられた白く大きな石の上に座るわたしの髪を、風がやさしく靡かせる。眼下に広がる青々とした草原は、わたしの棘掛かった心を宥めるように踊っている。
わたしはポケットから先程のナイフを取り出し、空にかざす様にして眺めた。
苦しむ姿をした装飾の猫は、わたしにはあの黒猫の姿をした悪魔に見えた。いや、そうであってほしいと、願ってしまっているのかもしれない。もちろん、目が見える様になったのは、あの黒猫に出会ったおかげであると分かってはいるのだが。わたしは愛していたお母さんを黒猫にいい様に言われたのが気に入らなかったのだ。あまりにも酷く棘のある言葉でわたしの心を傷付けたあの黒猫を、わたしは最後まで心の底から許すことは出来なかった。
ふと、装飾の猫の目を見ると、小さく青色に光っていた。その目は見透かす様にしてわたしを見ている――気がした。
暫くナイフを眺めていると、後ろから二つの足音が近づいて来た。一つは落ち着いた足取りでゆっくりと近付く音で、もう一つは不規則な足運びで慌ただしい音を立てて来るものである。
わたしは持っているナイフをポケットにしまった。
「おまたせ、アンジュ!」
「おまたせぇー!」
背後から聞こえた声に振り向くと、茶色い紙袋を抱えた長い髪の少女とぬいぐるみを両手で頭の上に載せている幼い少女が立っていた。
「用事は済んだの?」
「うん! 頼まれてたものは買ってきた」
「買ってきたぁ!」
幼い少女はぬいぐるみの両手を万歳させるように上にあげた。長い髪の少女は幼い少女の頭を一度撫でてから、わたしに向き直った。
「帰ろっか?」
「……」
「アンジュ?」
「帰る……。わたしには帰る家なんて無いもの……」
わたしは草原の方に顔を向けると、風が頬を撫でた。
そう。わたしに帰る家なんて無いし、居場所も無い。目が見えるようになったからとはいえわたし一人で生きていくには、この世界はあまりにも残酷すぎる。
「何を言ってるの?」
わたしは声がした方を向いた。長い髪の少女はぽかんとした顔をわたしに向けていたが、すぐにやさしく微笑んだ。
「帰るんだよ。アンジュの家に。あたし達の家に。だって、あたし達、家族でしょ?」
「家族……」
長い髪の少女はわたしに背を向け、孤児院の方へと歩き出した。その後ろを幼い少女が追いかけた。途中こちらを振り返り、屈託のない笑顔で小さな手で手招きをした。
その光景はわたしにとってとても眩しく、同時に愛おしいと感じた。わたしがこの目で見たかったもの、それはこういうものだっただろうか。今のわたしには、それが何だったかは思い出すことが出来ないでいた。
10日程経ったくらいだろうか。わたしは自分の名前入りマグカップをもらった。どうやらここの孤児院では、入った時に自分の名前入りのものを贈られるそうだ。長い髪の少女はフォーク、幼い少女はスプーンだったそうだ。何を贈られるかは牧師様次第で、基本的には長く使えるもの、ということらしい。牧師様の知り合いにそういうのを生業とした人がいる様で、孤児院には無償で作ってくれると聞いた。
わたしは幼い少女とテーブルに食器を並べ、長い髪の少女と黒髪の少年はキッチンで料理を作っている。他の子ども達は料理を作る様子を見ていたり、わたし達と同じように食器を並べる子もいれば、駆け回って遊んでいる子もいる。
わたしがテーブルに食器を並べ終えると、表の扉の外から修道女と誰かが話す声が聞こえてきた。わたしはその声に耳を傾けた。
「今あの子はいますかな?」
「ええ、いますよ」
「よろしい。では呼んできて頂けますかな?」
「その前に確認しますけど、差し出したら本当に援助してもらえるんですよね?」
「もちろんですよ! 子ども達が何不自由なく、健康に育っていくのも私達の願いでもありますから」
「……分かりました」
会話が終わると、足音がこちらに近付いてきた。わたしは咄嗟に奥の扉に駆け込み、扉を閉めた。それと同時に、表の扉が開いた音がした。
「……アンジュさんはいますか?」
わたしの名前を呼ぶ修道女の声は、少し震えているようにも聞こえた。その声に反応した周りの子ども達が声を上げた。
「あれ? さっきまでここにいたのに……」
「アンジュー?」
「どこぉ?」
中にいる子ども達は皆わたしの名前を呼んでいる。わたしは扉に背を向け寄りかかった。すると、扉の向こうから小さく囁くような声がしてきた。
「……アンジュ? そこにいる?」
聞こえてきたのは長い髪の少女の声だった。その声はいつも耳にしている透き通った綺麗な声ではなく、とても静かな、それでいて何かに怯えるような声だった。
けれど、わたしにはその理由が分かっている。先程修道女と話していたのは、あの村に来た異端審問官なのだろう。何故なら記憶の中で男達の声に聞き覚えがあったからだ。きっとここのみんなは知っていたのだろう。わたしが魔女と疑われていることを。
「そこに……いるんだよね?」
わたしは応えることをせず、ただ少女の声を聞いていた。
「そのままでいいから、話を聞いて……」
一枚の薄い木の扉の向こうから少し荒い息遣いが聞こえてくる。それを整えようと深く息を吐いている音がする。
わたしが怖いのだろうか。わたしを説得して投降でもさせる気なのかしら。
そんなことを考えていると、意を決したのか長い髪の少女が声を発した。
「逃げて……」
聞き間違いだろうか。逃げて? この少女はわたしを逃がそうとしているの? わたしを差し出せば、今よりもずっとましな生活が送れるかもしれないのに。
「もうここにいちゃだめ。アンジュを苦しめることになる……」
この少女は何を言っているの?
「あたし……知ってたんだ。アンジュが魔女だってこと」
やっぱり知ってたんだ。みんな、わたしを騙してたんだ。
「見ちゃったの。聖堂で牧師様と×××とあの異端審問官様が話してるところ」
みんなみんな、嘘だったんだ。
「アンジュが魔女だと疑われてること。引き渡せば、この孤児院の援助を約束されること。アンジュが……同じ歳くらいの子どもを傷付けたこと。全部、聞いちゃったの……」
あの子の笑顔もこの青いリボンもまだ手に残る二人の温もりも。全部、偽物だったのね。
「……でもね、あたし思うの。アンジュが魔女のはずない。たとえ魔女だったとしても、それでもいいかなって。だって、アンジュは優しいから。大人っぽくて、喧嘩口調でいつも冷たい態度を取ることが多いけど、本当は優しい子だって、知ってるから。傷付けたことだって、何か理由があったんでしょ? あたしは信じてるから」
その言葉も全部嘘なんでしょう? わたしの心を乱そうとしているだけなのでしょう? あなたも本当はわたしのこと――。
「好きだから……」
「……?」
「あたしは、アンジュが好きだから。出会って間もないけど、まだまだ知らないことも沢山あるけど。あたしはアンジュの優しい所が好き。あたしよりも年下なのに、大人びてる所が好き。綺麗な金髪も透き通った薄紫色の瞳も全部……好きだから……」
聞きたくない。そんな嘘で塗り固められた言葉なんて、わたしには悲劇でしかない。
「……だから、信じるよ。アンジュはあたしの……あたし達の家族だから」
堪え兼ねた感情を扉に思い切りぶつけた。拳を作った手には痛みが走り、扉は鈍く大きな音を上げた。
扉の向こうからは他の子ども達や修道女の驚いた様子が声から伝わってきた。
「なに、今の音?」
「そこの扉からかな?」
「×××、何かした?」
扉の向こう側が見えなくても、こちらに注目が向いているのは容易に想像できた。
「ちょっと大きな虫がいたから叩いただけだよ」
「大きな虫ってなんだよー」
「すっげぇ音したぞ?」
「どんな虫だったの?」
まだ幼い子ども達の声が飛び交う中、長い髪の少女は声のトーンを下げてゆっくりと言った。
「触角が二本あって、体が黒光りしてて、カサカサと音を立てて動く、このくらいの大きなゴ……」
「いやぁぁ!!」
「聞きたくねぇー!」
子ども達と修道女の悲鳴が扉の向こうで響き渡った。騒がしく喚く中で、優しい声色に戻った少女の声が聞こえてきた。
「やっぱりいたんだね……アンジュ」
「……どうして?」
「どうしてって?」
「だって、わたしを差し出せばあなた達は……」
「だから言ったでしょ? あたしはアンジュが好きだから。家族だからって」
「……」
「信じてくれなくてもいい。けど、これだけは知っておいて」
わたしは扉の向こうにいる長い髪の少女の顔を思い浮かべた。
「アンジュはあたし達の家族で、あたしはアンジュを信じてる」
固く握った拳を解いて、掌を扉に添えた。
今、あなたはどんな顔をしているのだろう。
「……ねぇ、聞いてもいいかしら?」
「なに?」
わたしは生唾を飲み込んだ。
「あなたの名前……なんていうの?」
「やっぱりあたしの名前、届いてなかったんだ……」
少女の残念そうな顔が想像できた。
「アンジュ、よく聞いてね。あたしの名前は、アリサ」
「アリサ……」
「うん。初めて名前呼んでくれたね。嬉しい……!」
アリサは声を殺すも喜びの感情がこちらまで伝わってきた。そして、わたしの頭の中にはもう一人の顔が浮かび上がった。
「あの子は?」
「あの子?」
「よくぬいぐるみを抱えてる……」
「ああ。ユリアのことね」
「ユリア……」
「あの子、あなたによく懐いてたもんね」
アリサとユリアとわたしの三人で手を繋いだ情景が頭の中でフラッシュバックのように鮮明に描かれた。
あの手の温もりも、あの一瞬の時間も、あの温かい感情も、もう触れることは出来ない。
「アリサ……」
「分かってるよ。あの子にはちゃんと伝えておくから」
「……ありがとう」
「うん」
「信じてるから」
「うん」
「アリサのこと」
「うん」
「家族みんなのこと」
「うん……!」
「じゃあね……」
「……うん。帰ってくるの、ちゃんと待ってるから……」
扉の向こうでは鼻をすする音としゃくり上げる声が聞こえてきた。
わたしは扉から離れ、そばにある窓から外に飛び出した。
大丈夫。わたしは大丈夫だから。あなたの思いはちゃんと受け取ったから。だから、泣かないで。あなたのお陰で自分がこれから何をすればいいか、分かったわ。わたしは前に進まなきゃいけない。魔女になったあの日から、わたしの時間は止まったままなのだから――。




