14輪目 逃走
見えることは 普通のことで
見えないことは 哀れなの?
なにが普通で なにが普通ではないのか
わたしには わからない
ねぇ
目が見えるようになった わたしは
その普通に なれたのかしら?
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
見える。
見える見える見える見える見える!
なんて素晴らしいの! 太陽はこんなに眩しかったのね。空はこんなにも青いのね。これが、自分の目で見るということなのね。体は軽くて、自由に動く。
わたしは近くにある水たまりを覗き込んだ。
何よりこの綺麗な顔。これがわたしの顔なのね。誰のものでもないわたしの顔。ああ。なんて美しいのかしら。
自分の顔を愛でていると、どこからか鳥の囀る声が聞こえてきた。そして、それを鳴き声ではなく言葉として理解することが出来た。
「ふふ。便利な体ね」
『人』
『二人』
『森に入ってきた』
これくらいしか分からないわね。動物と話せると言っても、あまり賢くない動物にはこれくらいが限界なのかしらね。とにかく、この『人』っていうのは、あの男達のことよね。
体を入れ替えた時、フィユの体に残存していた記憶がわたしの記憶に転移した。その記憶にはフィユを追っている男達の姿も残っていたのだ。ゆえに、わたしの中には今までフィユが経験してきた過去の記憶が混ざっている。どれもくだらないものではあるが。
「このまま行くと、男達と鉢合わせになりそうね」
すでに魔力がないわたしに戦う術は限られていた。手持ちには先程使ったナイフ一つのみ。
「さすがに魔力無しで男二人相手は厳しいわね……」
わたしは道から外れ、茂みに入った。とりあえず、大回りで森を抜け、村へ向かうことにした。伸び切った草は視界を遮り、今朝まで降っていた雨で足元が悪い。途中、出会った動物に村の方角を聞き、草をかき分けながら進んだ。
そして、ようやく男達に接触することなく森を抜けることができた。たどり着いたのは、村から少しはずれた場所だった。目の前には手入れの行き届いていない畑と明らかに人が住んでいなそうな家が一戸だけある。
「ここは、確か……」
わたしは自分の中にあるフィユの記憶を探った。
ああ、やっぱりそうだ。ここは一年くらい前に、住人だったおじいさんが死んでから空き家になってる。
わたしはその家に近付いた。
「人の気配は……しないわね」
わたしは玄関の扉を開けた。中は一部屋だけのようだ。しかし、そこは思っていたよりも埃が被っておらず、一年前から人が住んでいないとは言い難いとても不自然なものであった。
「本当に誰も住んでいないのかしら?」
わたしは家に上がり、部屋中を物色し始めた。あまり物は多くは無く、家具も棚とテーブル、ベッドくらいしか置かれていない。そして、この家には、衣類や食べ物は無く、最近火や水を使った痕跡もなかった。つまり、現在はここで生活している者はいないが、何者かが出入りしているということになる。
「今晩くらいはここで寝ても平気かしらね」
森の中を歩いているうちに時間がかなり経ったようで陽が傾き始めている。
新しい体にまだ慣れないというのもあって、少し疲れたわね。
両手を挙げ、伸びをしていると外から近付いて来る足音に気が付いた。小さいが会話している声も聞こえてくる。わたしは即座に身構え、左手はポケットの中にあるナイフの柄を握りしめた。
徐々に近付く足音と声。
誰?
そして、扉が開かれた。
「だから、さっきは……」
「おい! あれ!」
「ん?……あぁぁああ!」
「お前! 嘘つきフィユ!」
現れたのは、フィユを嫌っていた子供三人組だった。中でもリーダー的存在そうな眉に傷のある男の子が叫んだ。
「お前! ここにいたのか! 異端審問官様が探してたぞ!」
異端審問官? ああ、あの男達のことか。
傷のある子供の右隣にいる眼鏡をかけた男の子が言った。
「どうやって逃げたのかは分からないけど、早く知らせないとな」
「だったら、俺たちで捕まえていこうぜ! 報酬として何か貰えるかも!」
二人の後ろから声を発したのは、いかにも頭の悪そうな金髪の男の子で期待に満ちた目をしている。
「ねぇ。もしかして、あなたたち。ここにいつも出入りしているの?」
「は? お前には関係ないだろ。それよりも早くオレ達の秘密基地から出て行けよ!」
「……秘密基地? あっはははは!」
「な、何がおかしいんだよ!?」
「だって、秘密基地って。あまりにも幼稚だったから、つい」
傷のある子供は顔を紅潮させ、握りしめた拳を震えさせている。
「お前っ……!」
そのまま拳を掲げた子供はわたしに向かって走り出した。
「このぉぉ!」
わたしは顔に向かって一直線に振るわれた拳を左に屈んで躱し、ポケットから取り出したナイフで子供の右腹部を切りつけた。
「うっ! 痛ってぇぇええ!」
その子供は腹部を手で押さえ、倒れこんだ。それを見た眼鏡の子供は取り乱したように言った。
「うわぁああ! こ、こいつ……切りやがった……」
動揺しているせいか発した言葉は酷く震えていた。わたしは見るからにわたしに恐怖を抱いている二人に近付いた。金髪の子供は手に持っていた木の棒を体の前で両手で持ち、構えた。
「お前、よくも×××を!」
「先に手出ししてきたのはあなたたちでしょう?」
「……っ! こっのぉぉ!」
金髪の子供は木の棒を振り上げ、向かってきた。
なんて醜いの。自分たちの行為は棚に上げて、他人を律するなんて。
「あなたたちを裁く者がいないのなら、わたしが裁いてあげる」
金髪の子供はわたしの頭目掛けて振り下ろした。
「おらぁぁあ!」
わたしはそれをひらりと右に避け、木の棒を持つ手を蹴り上げた。
「うわっ!」
握られていた木の棒は部屋の隅に転がった。わたしはすかさず無防備になった子供の左手を掴んだ。そして、そばにあるテーブルの上に押さえつけ、逆手に持ったナイフで手の甲を突き刺した。
「がぁぁぁああ!」
刺したナイフは手を貫通し、テーブルにまで達した。金髪の子供は痛みと目の前の恐怖に怯え、目からは涙がこぼれ落ちている。
「ふふ……あっははは!」
眼鏡の子供は目の前の光景に歯を震わせ、立っているのもやっとのように見えた。
「なんて素晴らしいのかしら、この体は! あのみすぼらしい体と違って、自分の思うがままに動く! こんなに楽しい気分なったのは、初めてだわ!」
「お、お前誰だっ!」
わたしが悦に入ていると、眼鏡の子供が疑念と恐れの入り混じった表情を浮かべていた。
「誰って、フィユだけど?」
「違う! 僕の知っているフィユじゃない!」
「ふぅん。じゃあ、あなたの知っているわたしってなんなの?」
「そ、それは……。こ、こんな風に僕たちに盾突いたことなかったし……。あと、さっき僕たちのことをあなたたちって、そんな他人行儀に物を言う子じゃなかった。それに……」
「それに?」
「そんな口調じゃなかった。まるで……中身だけ別人に変わったとしか……」
わたしは胸の前で拍手をした。そして、その音は部屋中に響いた。
「……?」
「素晴らしいわね、あなた! ただの小心者だと思っていたけど、意外と冷静なのね」
「じゃ、じゃあまさか……」
笑みを作ったわたしは人差し指で自分の顔を指した。
「あなたさ、この子のこと好きなの?」
「は、な、何言って……」
「だって、やけにこの子のこと気にしてる風だったから。気になる子ほどいじめたくなるってやつなのかしら?」
眼鏡の子供は頬を赤らめ、どぎまぎしている。
「ち、ちが……」
「まあ、それだけじゃなくて、残ってた記憶にもそういう節があったからなんだけどね……」
「は? 記憶?」
「ううん。こっちの話」
わたしはゆっくりと眼鏡の子供に歩み寄った。
「こ、こっちに来るな」
「あなた、そこの二人と比べて真面目なのになんで一緒になっていじめていたの? 一緒にいればいるほど取り返しがつかなくなった? 二人に逆らうのが怖かった? それとも、あなたの恋心が知られるのが恥ずかしかった?」
眼鏡の子供は目を逸らし、顔を伏せた。
「そんなこと考えなくてもいいのに。だってあなたの友達でしょ? 信頼し合っているからこそ友達って言うのでしょ? 信頼していないのなら、あなたにとって彼らは何なの?」
「……と、友達だ」
「ふふふ。そうね。あなたは間違った選択はしていないわ」
わたしは眼鏡の子供の前で立ち止まり、顎を持ち上げ、無理やり目を合わせた。
「友達なんて所詮その程度の存在だもの。必要ならば利用すればいい。目障りならば切り捨てればいい。信頼出来ないのならさせればいい。それでいいと思わない?」
眼鏡の子供は唇を噛みしめている。わたしは耳元で囁いた。
「わたしがあなたの背中を押してあげる」
わたしは眼鏡の子供の手を自分の胸の前に持ってきて両手で握りしめ、屈託のない笑顔をして見せた。
「ね? ×××くん?」
「……っ!」
眼鏡の子供は驚きと動揺を隠せないでいたが、少しの間の後、わたしを真正面から見た。
「うん……」
「ふふ」
わたしは金髪の子供が持っていた木の棒を拾い上げ、それを眼鏡の子供に手渡した。
「さあ、これを持って」
「……」
わたしは腹部の痛みで倒れこんでいる傷のある子供を指さして言った。
「これでそこに転がっている×××くんを撲り殺してよ」
「……っ!」
「今、こいつを傷つけても反撃されることはないわ。恐れる必要なんてないのよ?」
「……いや」
わたしは眼鏡の子供の棒を握る手を上から摩った。
「ねぇ、×××くん。わたし、このままじゃ殺されちゃうかもしれないんだよ? もう二度と君に会えなくなっちゃうんだよ? そんなのわたしは嫌だよ……。ねぇ、あなたの手でわたしを守ってよ」
「……う、うん」
「ふふ、ありがとう」
眼鏡の子供は倒れている傷のある子供に歩み寄った。傷のある子供は恐怖で顔を引きつらせている。
「お、お前……やめろっ」
「……」
眼鏡の子供は棒を高く振り上げると、傷のある子供は目を強く瞑った。その状態がしばらく続いた。
「どうしたの? ほら。やってよ」
「……くっ!」
静止していた眼鏡の子供は棒をゆっくりと下ろした。
「やっぱり……できないよ」
「……」
わたしは眼鏡の子供の脇の下に手を回し、後ろからそっと抱きしめた。そして、耳元で囁いた。
「×××くん。もしあなたがわたしを助けてくれたら、良いことさせてあげる」
「……良いこと?」
「そう。この体……あなたの好きなようにしていいよ」
「え……」
「女の子の体……どうなっているか興味あるでしょう? しかも、あなたが好きな子の体だよ?」
「……っ!」
わたしはさらに強く抱きしめた。
「ねぇ、だめかな? わたしの騎士になってよ、×××くん」
「……」
「×××くん?」
「……」
「……」
「……こんのぉぉおお!」
「うわっ、と」
眼鏡の子供はわたしの腕を振りほどいて、棒を横に振るった。わたしは後方に飛び退き、それを躱した。
「あれ、どうしたの、×××くん?」
「……のめ」
「え?」
「この偽物めっ!」
眼鏡の子供は拒絶の意を示すように鋭い目つきでわたしを見ている。
「……偽物?」
「フィユは人に依存するような子じゃない! だから、やっぱりお前は偽物だ!」
「ふぅん。君にはそう見えていたのね」
「……何が言いたい?」
「あの子は別に誰かに依存するしないなんて考えていなかったわよ」
「何を知った風な口を……」
「知ってるわよ。彼女はただ友達が欲しかっただけ。あなたたちと仲良くしたかっただけなのよ。他の二人はどうか知らないけど、あなたは同じでしょ? 彼女と友達の関係でいたかったでしょう?」
「……」
わたしは胸の前で腕組みをした。
「でも、彼女はあなたたちと友達でいなくて良かったかもしれないわね」
「どういうことだよ?」
「だって、こんな友達ごっこ無意味でしょ? 他人を信頼しない眼鏡と自分さえ楽しければいいと思っているリーダーと何も考えていない金髪馬鹿と一緒にいるなんて不幸でしょう?」
「ごっこ……。確かにそうかもしれない」
「でしょ?」
「でも! それでも、関係が崩れてしまうくらいなら、このままがいいんだ……」
「……まあ、わたしには心底関係の無いことね。さて、そろそろお暇させていただこうかしら」
わたしは扉に向かった。
「な、逃げるのか!」
「ええ。これ以上ここにいてもいずれ見つかって殺されてしまうし。今、あなたたち全員を殺して、ここに一泊するよりもいいと思うしね」
わたしは扉の取っ手に手を掛けた。すると、再び眼鏡の子供が言った。
「おい、魔女! その体はフィユのものだろ。置いて行けよ」
わたしは顔だけを眼鏡の子供に向けた。
「残念だけどそれは出来ないの」
「なんでだよ!」
「この体はもうわたしのものなの。諦めて頂戴、思春期暴走眼鏡くん」
「はぁああ!?」
「ああ、それと。その子の手の甲に刺さってるナイフ、今抜かない方がいいわよ。ちゃんと大人を呼んで対処してね。それじゃあね!」
「おい!」
外に出ると、ほとんど陽が沈んでいて、闇と化そうとしていた。わたしはその日のうちに村をあとにした――。




