13輪目 実現
「ちょっと待ってよ!」
扉を通ると、そこは真っ暗で何も見えない部屋だった。体を緊張させるような寒気がし、嫌な雰囲気であることは感じられた。
「アンジュ?」
返事はなかった。
ここは何の部屋だろう。
すると突然、部屋の扉が閉まった。部屋の中は完全な暗闇と化し、体は本能的に身構えた。
「アンジュ? どこにいるのー?」
またしても返事はなかったが、代わりに足音が部屋の中に響いた。
「だ、誰!? アンジュなの?」
足音は止まることなくわたしに向かって一直線に近付いて来る。
な、なんなの。
怖い、怖いよ!
アンジュはどこに行ったの?
ねぇ、アンジュ!
わたしは怖さのあまり目を閉じた。近付いて来る足音はわたしの近くで止まると、瞼の向こう側が突如明るくなった。わたしは恐る恐る目を開けると、目の前にアンジュの顔があった。
「うわぁぁああ!」
わたしは後ろに尻餅をついた。顔を上げると、そこには椅子の上に立ちながら、悪戯っ子のように笑っているアンジュがいた。
「どう? びっくりした?」
「あぁ、もう! 驚かさないでよ。怖かったんだから!」
「あははは!」
わたしは楽しそうに笑顔を浮かべるアンジュに見入ってしまった。こんなに笑っているところを見るのは会ってから初めてだったからだ。況してや大人びたこの子からは。
わたしもそれに釣られ一緒になって笑った。
こんなに楽しいのは初めてかもしれない。
笑いが治まったわたしは立ち上がり、部屋を見回した。部屋の四隅にはテーブルがあり、その上に灯されている燭台が置かれていた。どうやら部屋の中央あたりの床に円や文字が色々描かれているようだ。わたしは椅子から降りたアンジュに聞いた。
「ねぇ、アンジュ。 これは、何?」
「ああ、これ? これは魔法陣よ」
「ま、魔法陣?」
「そうよ。これから魔力を使ってわたしの目が見えるようにするの」
どういうこと? アンジュは何を言っているの? 魔法陣? 魔力? それじゃあまるで――。
「魔女みたいじゃない……」
わたしの言葉を肯定したかのように、アンジュはにこりと笑った。
「嘘でしょ?」
「何が嘘なの?」
「アンジュが魔女なわけ……」
「嘘じゃないわよ」
「えっ?」
「あなたが言った通り、わたしは魔女。自分の願いを叶えるためにわたしは魔力を使うの」
何がなんだか分からない。理解しようにも頭が正常に動いてくれない。
「フィユ」
「な、何?」
「あなたの願いは何かしら?」
「わたしの願い?」
「そう。わたしでも、あなたの家族でもない。あなた自身の願い」
わたしの願い。
そんなのここに来る前から、いや、ここに来てアンジュに出会ったことで確信した。
わたしの願いは――。
「友達と楽しく笑って過ごすことかな」
アンジュは優しく微笑んだ。
「なら、わたしに協力してくれるかしら?」
「協力?」
「そう。協力よ」
「魔力を使うのに、わたしの協力が必要なの?」
「ええ。とっても大切よ。……で、どうかしら?」
アンジュはいい子だし、魔女といっても人に害を及ぼすようには思えない。わたしに良くしてくれたし、何より一緒にいて楽しかった。友達の証なんて、それで十分だよね?
「分かった。協力するよ」
「ありがとう!」
「それで、願いっていうのはさっき言ってた目が見えるようになるってことだよね。本当にそんなことが出来るの?」
「ええ。可能よ」
「へぇ、魔力っていうのはすごいんだね。そんなことも出来ちゃうんだ!」
「そうよ。フィユ、こっちに来て」
アンジュはわたしを魔法陣の中に来るように言い、そこでお互い向かい合うように床に座った。
「それで? わたしはこれからどうしたらいいの?」
「そのままの姿勢で目を閉じて」
「うん、分かった」
わたしはそっと目を閉じた。
「それから、少しあなたの血を頂いてもいいかしら」
「血?」
「ええ。魔力を使うのにあなたの血も必要なのよ」
「分かった。アンジュがそう言うなら」
「ありがとう」
わたしは目を閉じたまま手を前に差し出した。
「ちょっと痛むわよ」
手の平に横一線火を当てられたように熱くなったと思った後、痛みがじんわりと伝わってきた。
「痛っ!」
「それじゃあ、わたしも自分の血を取るわ。……くっ!」
「アンジュ? 大丈夫?」
「大丈夫よ。あなたはまだ目を閉じていなさい」
「う、うん……」
瞼の向こうではアンジュは自分の血を取っているのだろう。手の平の感じた感触と痛みからして、おそらくナイフを使ったんだろうけど。気になるのは、さっきから聞こえているアンジュの口から洩れているこのうめき声。相当痛がっているようだけど。大人びているとはいえ、まだ子供だもんね。手の平をナイフで切ったら痛いに決まってる。
「はぁ……はぁ……」
「アンジュ!? 大丈夫?」
「ええ。大丈夫よ。……では、始めましょうか」
「うん!」
突如、部屋の空気が変わったのが目を閉じていても感じることが出来た。
何? いきなり、風が――。す、吸い込まれそう。
わたしには目の前が今どのような光景になっているのか全く想像出来ず、再び見えない恐怖と戦っていた。
あ、体が。持ってかれ、た、倒れる!
わたしの体は何かに吸い込まれるように前屈みになり、そのままわたしの体は完全に何かに飲み込まれた。わたしは堪らず目を開けたが、そこはさっきまでいた部屋とは異なり、騒音と呼ぶには異質過ぎる酷い音と声、さらに嵐のような強風が渦巻いていた。
頭の中が弄り回されているかのような頭痛と吐き気が伴い、意識が遠退きそうになる。
痛い。苦しい。体が張り裂けそうだ。嫌だ。こんな苦しいのは嫌だ。止めてよ。わたしの中に入ってくるな。これ以上かき乱さないで。お願い――もう殺して――。
ここは、どこだ。天国だろうか。そうだとしたらあの痛みを、あの苦しみをもう味わうことはないんだ。よかった。もう終わったんだよね。
――あれ。
なんで、こうなったんだっけ? そうだ、アンジュ。アンジュは!? アンジュ! アンジュ! あれ。わたし、声出してるのかな。自分の声が聞こえないや。天国って自分の声が聞こえないのかな。
『……ユ』
そうだ、アンジュ、ちゃんと目が見えるようになったかな。わたし、アンジュの力になれたのかな。ああ、でも、大丈夫な気がする。あの子、わたしよりしっかりしてるからなぁ。
『……ィユ』
きっとこれから色々なものを見て、経験して、生きていくのかな。
『……フィユ』
あれ。なんか聞こえるような。
――フィユ。
フィユ? あ、わたしの名前だ。なんでこんな大事なことすぐに出てこなかったんだろう。誰? 一体誰がわたしの名前を呼んでいるの?
『フィユ!』
聞こえているよ。誰なの? どこにいるの? もしかして、アンジュ? まさかね。ここは天国でしょ。あの子が死んでいるはずないわ。あの子はこれからちゃんと、心も体も大人になっていくんだから。そのために目が見えるようになったはず。死んだのがあの子じゃなくて、わたしでよかった。これでわたしは友達として、あの子の役に立てたよね? わたしの死は無駄じゃなかったよね? あなたの目が見えていてくれさえすれば、わたしはそれで――。
『本当ニ?』
「あぁぁあああ! はぁ……はぁ……」
な、何。あれ、生きているの? 天国じゃなかったの? どういうこ――。
「ぐあぁぁあああ!」
わたしは蹲り、激痛がする部分を見た。
あ、脚。脚が。脚がない――。
何なの。どうなってるの。痛い。痛いよ。
わたしは脚の付け根を押さえた。
あれ。なんか変だ。脚以外にもどこか。手?
わたしは血で赤く染まった自分の手を見た。しかし、それは明らかにわたしのものとは違っていた。小さいのだ。他にも、体全身が何かおかしい。
すると、目の前に白いものがひらりと床に落ちた。
包帯――?
「フィユ」
誰? あれ。ちょっと待って。この声、もしかしてわたし?
わたしは必死に顔を上げ、声の主の姿を捉えた。
「……え」
「おはよう。目覚めの激痛の味はいかがかしら?」
「わ、わたし……?」
「ふふふ。驚いた? ……そう。これはあなたの体よ」
信じられなかった。わたしの目の前に、わたしがいるのだ。金髪にアメジストのように輝く薄紫色の瞳。さっきアンジュに用意してもらった青色のスカート。それは紛れもなく、わたしだった。
「わたしの目が見える方法っていうのはね、わたしとあなたの体を入れ替えることだったの。健康な体っていうのは素晴らしいわね。こんなにも軽くて、動きやすい。それになんといっても……よく見えるわ」
「……っ」
「あら。痛みが強すぎて声を出す力もないのかしら? まあ、いいわ。そういえば、どうしてあなたに選んだか言ってなかったわね」
「……?」
「ふふ。別に誰でも良かったわけじゃないのよ? だって、あなた動物と会話が出来るでしょう?」
なんでそれを?
「なんで知っているのかって顔ね」
「……」
「それはね、あなたが今まで会話してきた動物の中にわたしの使い魔がいたのよ」
「……?」
「ああ、使い魔というのは……ってこんな説明しなくてもいいわよね。要するに動物の姿をしている使い魔とあなたが会話して、わたしはあなたのことを知った。都合が良かったのよ。魔女と入れ替わる器としてね」
待って。これじゃあまるで――。
「見立て通り、この体は拒絶反応を起こさず思うがままに動いてくれるわ。ありがとうね、フィユ」
わたしは利用されただけじゃないか。
「ああ。それとね」
「……」
「あなたのお父さんとお母さん、殺したの……わたしだから」
「……っ!? お……が…………しっ……!」
「ふふ。だって、あの二人、のこのこ森にやってくるんだもの。本当に醜かったわ。必死で懇願してきたあの顔! ねぇ、あいつらなんて言ったと思う?」
「……?」
「大事な一人娘がいるからせめて私だけは見逃してくれ、だって。父親は子の為に金を稼ぐ必要があるから。母親は子を躾け、育む為に。お互い子の為に何かをする、なぁんて綺麗事を並べていたけれど、それって自分が助かりたいだけよねぇ? まあ、鬱陶しかったから両方とも殺したんだけどね」
「……っ!」
「あっははははは!」
部屋中にアンジュの高笑いの声が響いた。遠退きそうな意識の中、わたしはわたしの姿をしたアンジュを睨んだ。
「何よ、その目は。フィユ、わたしが憎い? わたしを殺したい? 友達だと思っていた人に裏切られるのはどんな気分? 最悪でしょう? 良かったわね、最後にそれが分かって。そんなものよ、あなたが望んでいた友達なんてものは」
アンジュはわたしを冷徹な目で見下ろしている。すると突然、人が変わったかのようにそれは笑顔に変わった。
「そうそう。もう気付いているかもしれないけど、さっきわたしが切ったのは自分の両脚よ。このナイフじゃ上手く切れなくてね、結局魔力で切ったんだけど。なんでそんなことしたと思う?」
こいつは――。
「それは、あなたが何の未練も残さずに逝けるように、手向けとして絶望を贈りたかったの」
悪魔だ。
「ふふふ。それじゃあね、フィユ。少しの間だったけど、楽しかったわ」
アンジュは軽やかな足取りで部屋から出ていった。
なんで、こんなことに。わたしはただ、普通の友達と、普通に遊んで、普通に暮らしたかっただけなのに。それだけで良かったのに。
流れ出る血が全身を包み込む。
温かい。そうか、ここが、天国? こんなに温かいところなんだ。あれ、でも、真っ暗で何も見えないよ。怖いよ。独りじゃ、寂しいよ。
『にゃあ』
ね、こ――?




