10輪目 少女
やわらかい風がわたしの頬を撫で、葉擦れの音が心地いい。大地はわたしの体を背中から支え、背の低い草はベッドのようにわたしを包み込む。
子守唄でも聞かせるように歌っている小鳥。
わたしの隣で寝息を立てている猫。
なんだかくすぐったい。わたしは今、自然と一体化しているんだ。風を感じ、光を感じ、生命を感じ、自然と生きる。家族のように共にあり、友のように助け合う。わたしにとって自然とは、そういうものだ。常にそばにあって、それが当たり前で。いつからだったかな。
自然と意思疎通出来るようになったのは――。
「お婆ちゃん! 今朝ね、リスさんが言ってたんだけど、明日は大雨が降るんだって」
わたしは暖炉の前で木製の椅子に座っているお婆ちゃんに話し掛けた。
「そうかい。じゃあ、戸締りはしっかりとしないとね」
「うん!」
わたしはお婆ちゃんが大好きだ。
わたしの話をちゃんと聞いてくれるところが好きだ。
こうやって頭を撫でてくれるところも好きだ。
わたしの言うことを疑わず信じてくれるところが大好きだ。
わたしは扉の取っ手に手を掛けた。
「お婆ちゃん! 薪を拾ってくるね!」
「遅くならないようにね。フィユ、いつも言っているけど森の奥に行ってはいけないよ」
「うん、わかってるよ。いってきます!」
木造の小さな家を出たわたしは、森のあるほうへ向かった。村を抜ける途中、同じ歳くらいの子供たちが歩いているわたしに気が付いた。
「あ、嘘つきフィユだ! おーい、どこ行くんだぁ?」
「また、兎と話してくるのかよー!?」
「ははは! その前は鹿だったよな!」
「あいつ、頭おかしいだろ! 動物と話せるわけないじゃん!」
「まあまあ、友達がいないんだからしょうがないだろ。動物しか話し相手がいないんだよ」
「はは! 今度、お前の友達紹介してくれよ!」
「それは無理だろ!」
「はははは!」
わたしは駆け出していた。
早く彼らの視界から逃れたかった。あの下劣な笑い声が届かないところまで、逃げたかった。
嘘じゃないのに。
本当のことなのに。
信じてくれない。
わたしのことを分かってくれるのは、お婆ちゃんだけだ。
ふと、周りを見回すと、すでに森の中にいた。心臓の鼓動は強く早く脈打っている。わたしは木に背中を預け、腰を下ろした。
「はぁ。友達……欲しいなぁ……」
もちろん、人間の友達だ。わたしはお婆ちゃん以外の人とは全く話さない。というよりも、話せないのだ。
幼い時はさっきの子たちと遊んでいた時があった。けれど、わたしの一言で全てが壊れた。 それは、ここら一帯が畑荒らしに悩まされていた時のことである。
夜の間、畑に仕掛けていた罠に狐が掛かったのだ。彼らは畑を荒らしたであろう狐を殺そうとしていた。そこにわたしがこう言った。
「その狐は畑を荒らしてはいないよ」
その時、初めて彼らはわたしに敵意の目を向けた。
「は? こいつがここに来た時点でそれしか考えられねぇだろ」
「ううん、違うよ。その子はここを通りたかっただけって言ってる」
「言ってるってなんだよ。こいつの言うことでも分かるって言うの?」
「分かるよ」
彼らは互いに顔を見合わせ、げらげらと笑い出した。
「何言ってんだよ、お前! 動物の言葉なんて普通分かるわけないだろ!」
「分かるよ。その子はここを荒らしていたのは猪の仕業だって言ってる」
「おい、お前! いい加減なことばっか言ってると痛い目合わすぞ」
「でも、本当に……」
わたしは突き飛ばされた。尻餅をついたわたしの目の前で、その狐は殺された。わたしは自分の無力さと無実の動物に対する後ろめたさを感じていた。
その日以来、彼らと彼らの家族、村の人々からは煙たがられている。
なんでみんなわたしを嫌うの?
普通ってなに?
動物と話せることがそんなにおかしいの?
分からないよ。
わたしにとってはこれが普通なんだから。
気が付くと、辺りはすでに薄暗くなっていた。いつの間にか眠っていたらしい。
「帰ろう……」
わたしは少ない薪を手に、家に帰った。
家に戻ると、わたしはお婆ちゃんに怒られた。森に行ってから暗くなる前に帰ってこなかったからだ。お婆ちゃんはわたしを叱った後、優しく抱き締めてくれた。お婆ちゃんの懐は温かくて、それでいて弱々しいものであったけれど、わたしのことを本当に心配していた気持ちが伝わってきて嬉しかった。
眠る頃には雨が降り出し、窓の外から聞こえる雨音は次第に強くなっていった。なかなか寝付けなかったわたしはお婆ちゃんから聞いた話を思い出していた。
お婆ちゃんが子供の頃、一人の男の子と仲が良かったそうだ。名前は忘れてしまったけど、活発でいつも服を汚して帰ってくるようなやんちゃな子だったらしい。
ある日、お婆ちゃんが男の子の家に行くと、男の子はすでに外出していた。村中を探しても見つからず、日が沈みかけた頃に男の子は帰ってきた。どこに行っていたのか、と聞いても教えてはくれなかった。
次の日も、そのまた次の日も、朝早くから男の子はどこかへ出掛けていた。気になったお婆ちゃんは男の子の後を尾けてみることにした。朝早くに起き、男の子の家の玄関が見える位置で息を潜めていた。すると、男の子は家から出てきて、森の中へと入って行った。お婆ちゃんは男の子の後を尾けるが、男の子が通る所は草木が生い茂っているところばかりで視界が悪いということもあり、男の子を見失ってしまった。
次の日も尾けてみたものの、結果は同じだった。聞いてみても、お前には教えないの一点張りだった。
それから何年か経った頃、男の子の様子が変わったと両親伝いに聞いた。お婆ちゃんと男の子の両親は交流があり、仲が良かったのだ。
聞いた話では、男の子は帰ってくるなり部屋に閉じこもったというのだ。お婆ちゃんは男の子に会いに行くが、話しをすることは出来なかった。
数日が経つと、男の子の両親がお婆ちゃんの家に来て、こう言った。男の子が帰ってこないのだがこちらに来てはいないか、と。もちろんここに来てはいないし、家から出たことも知らなかった。
男の子の両親とお婆ちゃんの家族は村中を探したが見つからず、陽も暮れていたので日を改めることにした。
次の日、男の子の両親は森の中を探しに行った。けれど、陽が暮れても、翌朝になっても帰ってくることは無く、その後一度も男の子とその両親の姿を見ることは無かった。
村から捜索隊を出したこともあったが、三人を見つけることは出来なかった。
その後も狩猟に行く人や山菜を採りに行く人など、何人かが行方不明になった。それから村では森の奥に行ってはいけないと伝えられるようになり、人々の間では魔物の棲む森と言われるようになった。
わたしはこの話を信じてはいない。だって、魔物なんているわけがない。もしいたら、動物たちが教えてくれているはずだもの。
翌朝、雨がしきりに降る中で、扉を叩く鈍い音が響いた――。




