スノウ・バード
なづなは冬にだけやってきた。
関東地方の山間にある比較的小さな町に生まれ育ったぼくは、初めてなづなに引き合わされた時、とても不思議な気分になった。
「どうしてあの子、全身真っ黒なんだろう」
それは幼心にも随分と奇妙な光景であった。
なづなはぼくと同い年だったから、あの時なづなはまだ10歳かそこらだったはずだ。だが、なづなは踝まで覆い隠す黒い長袖のワンピースを着て、大きな黒い帽子に、長手袋と黒い靴。
顔には色の濃いヴェールをかけ、肌が出ているところなど一箇所もないという、珍妙ないでたちをしていたのだった。
魔女みたいだ。
と、はじめのうちは思ったものだったが、すぐにそうは思わなくなった。
だんだんに、それが隠れているみたいだと思うようになっていったからだ。
なづなは、なづな以外のものから。
なづなはこの町の町長を務めていたじいちゃんのつてで、うちの離れに住み着くことになった。
山の木々が完全に丸裸になるころにふらりと現れては、新しい葉の最初の一枚が芽吹く前にまたふらりと何処かへ出て行く。
そういう約束の、そういうものなのだ、とよく分かるような分からないような説明を、煙に巻くように大人たちはした。
なづなはぼくの家と馴染みの浅い、お金持ちの家の子らしい、というようなことを、家政婦のおばさん達がこそこそ話しているのを聞いたこともあった。
この家へきた時、なづなはなづなによく似た女の人に手を引かれてやって来たはずだったけど、はじめの一日をすぎたらその人はめっきり見なくなった。カテーノジジョーというやつであるらしかったが、ぼくにはそこら辺のことはよく分からない。
それらは、あとでなづなに聞いて初めて理解したことだったから。
黒塗りの大きな長いリムジンに乗せられて、なづなはうちにやってきた。離れに横付けにされたリムジンのドアからテントの骨組みのようなものを、黒いスーツのびしっととした男の人たちがてきぱきと組み立て、暗幕を二重三重にかけて、なづなはそれから母親とおぼしき人に手を引かれて車から下ろされ、やっと離れに移された。
「すっげー。お嬢様なんだな」
と、ぼくが感嘆の目でそれを眺めていると、ばあちゃんがぼくの頭を後ろからばしんと引っ叩き、「間違ってもそんなこと、なづなさんに言うんじゃないよ」と怖い顔で睨みつけるのだった。
そうして、なづなという何処ぞのお嬢様が離れに安置されると、早々に黒塗りのリムジンはどこかへ走り去っていった。
まさに早業、脱兎のごとく、ずらかったというような感じだ。
女の子ひとり置いて、あんなにさっさと行っちゃえるもんなのかな。幼いぼくからしてみれば嫌な感じすらした、見事なすたこらさっさっぷりであった。
なづなの身の回りの世話はぼくに任された。
その日のうちにじいちゃんがこっそりとぼくの部屋にやって来て、悪い笑顔をして言ったのだ。
「お小遣いあげるぞ」って。
町長になってからのじいちゃんは、時々悪い顔をするようになった。何がどう悪いかって言うとよく分からないのだが、いい感じはしないっていう感じの悪さだ。
じいちゃんは悪い人じゃない。本当さ。
ぼくはじいちゃんが大好きなんだから。
ともあれ、お小遣いがもらえるのは大歓迎だし、その大事にされているのだか雑に扱われているんだかもよく分からない真っ黒い女の子に、いささかの興味もあった。
ぼくはなづなにご飯を運び、一緒に遊ぶ年の近い子ども、という役割を、今になって思えばあてがわれたのだったと思う。
学校さえなければ、ぼくはなづなとお昼寝をして、絵を書いて、積み木でなんだかすごいものをいろいろと作った。
思っていたよりも、なづなは案外普通の女の子であった。
なづなははじめ、ぼくや周りの大人たちにおっかなびっくりして、いちいち縮こまってばかりいたのだけれど、おどけると遠慮がちに笑い、何か尋ねればゆっくりと考えてから、きちんと答えた。
そのうちにだんだんと良く笑ってくれるようになったなづなは、ちょっぴり間の抜けた棘のない笑顔をした。期待していたような気持ち悪さや怖さがない分、ぼくはなづなの笑ったところを見るのが嫌いではなかった。
ぼくたちは、すんなりと仲良しになれた。
なづなはお日様の光に弱い病気にかかっていて、それはすぐには治すことができない、“あれるぎー” なのだと、なづなはカーテンを下ろした離れの部屋で、小難しい顔でたんたんとぼくに言った。
だから、時々こうやって日焼け止めのお薬を、塗ったり飲んだりしないといけないの。ねえ、コウタはドラキュラって知ってる?
「私、お外へ出たら死んでしまうかもしれないの」
気持ち悪いよね。
なづなはそう言って笑いながら、長袖を捲って手袋を外して、日焼け止めの強い薬を塗った。くろぐろとしたなづなを覆い隠すものから抜け出たなづなの細い腕は、染みやそばかすや傷跡がひとつもなく、つるんとした真っ白い腕だった。
その度にそうやって悲しそうに笑うなづなを見ているのが、ぼくには心苦しくてならなかった。
そんな頃の、初めて雪が降ったある日のことだった。
なづなは鈴を鳴らしてぼくを呼びつけたかと思うと、真っ先に「雪が見たいの」と興奮気味に言った。
「ダメだよ。表に出たら光が跳ね回ってる。ばあちゃんも絶対駄目って言うに決まってる」とぼくが言うと、「嫌、見るだけでも見たいの」と珍しくだだをこねた。
終いにはぼくもなづなが雪を見たことがないのを気の毒に思ってしまって、部屋の外に出ては駄目でも持ってきた雪ならばいいでしょうと、ばあちゃんにねだってどうにか掛け合い、ほんの茶碗に一杯ぶんだけ、土のついていない綺麗な雪をすくって持って行ってやった。
それなのに、茶碗に盛られた雪を見て、なづなははじめ、ぼく達が騙そうとしているのではと勘ぐって大泣きをしてしまった。
しかしこの責任はぼくに乗っかってくるものだから、どうにかなだめすかして、ぼくはこれが雪というもので、こんなのが空からたくさん降ってくるものだから表には出してあげられないんだ、と根気強く説明しなければならなかった。
そうして、なづなはそのうちにそれが嘘でないと分かると、きょとんとした顔になるのだった。
「これは、かき氷ではないの?」
「うん、違うんだ。ちょっとなめてご覧。酸っぱいはずだから」
「酸っぱいの?」
「うん」
「どうして雪は酸っぱいの?」
「それは……」
どうしてなんだろう。
雪を舐めると、いつもどこか酸っぱい。
けれどもそれがどうしてなのかなんて、子どものぼくにはさっぱりだった。そういうものなんだとばかり思っていた。だから、
「雨が凍ったもんだからだよ。雨は酸っぱいだろ?」
と返してみたが、
「知らない。雨、舐めたことないもん」
と、なづなはまた悲しそうな顔になってしまうのだった。
ぼくはまたもや、しまった、と頭を抱えるのだった。
「シロップかけてみるか、案外美味しいかもしれない」
と、苦し紛れに提案してみる。
「シロップ?」
となづなは不思議そうに聞くので、空から降ってきたかき氷、どんな味がするか知ってる?
と、ぼくはもう少し調子にのって、おどけて見せる。
知らない、と案の定なづなが瞳を輝かせて言うので、実はぼくも知らないんだ、とこっそりウインクした。
「食べてみようぜ! 何味のシロップがいちばん美味しいのかって分かれば、世紀の大発見になるかもしれない」
「うん!」
と、今になって思えばずいぶんとやけっぱちに意気込んでシロップをしまってある納戸に忍び込んだのだったが、関東の雪はどこか水っぽい。すぐにシロップに溶けて、なんだか甘ったるくて酸っぱい、へんてこな臭いのするまずい水になってしまった。ぼくらは揃ってうへえ、と吐き出し、こっそり笑いあって流しに捨ててしまった。
そうして、案の定ぼくらは二人揃ってきちんとお腹を壊し、ばあちゃんにこっぴどくお尻を叩かれるのであった。
ぼくのばあちゃんは考え方の古い人だったから、どうやらその際に隠しておかないといけないはずのなづなのお尻まで引っ張り出して、容赦無く引っ叩いてしまったらしい。
その直後になづなは高熱を出して寝込んでしまったから、それも、かなりこってり叱りつけたのだろう。
枕元に付き添って甲斐甲斐しく汗など拭いてやりながらも、ばあちゃんは「それでも分け隔てなんかしたらなりません。ここにいるうちは娘だと思って、お尻でもおでこでも叩きますからね、まったく」
と、言い訳がましく何べんも何べんも、怒りっぽく繰り返した。
なづなはその度にどこか恥ずかしそうな、でもちょっぴりだけ嬉しそうな顔をして涙ぐんで、こそこそと布団に顔を半分だけ隠すのであった。
離れの中にいる時は、なづなは帽子とヴェールをいつしか取るようになっていたから、恥ずかしかったのかもしれない。
なづなは日に当たれないからか肌の色が極端に薄く、白いというよりも透明に近かった。頬や唇の下に赤や青い筋がくっきりしていたし、はずかしがると毛細血管からじわじわと赤くなっていくのがよく分かったから。
なづなはそれが嫌だと言うが、ぼくはそれでいいと思っていた。
なづなという女の子が今、どんな気持ちなのか教えてくれる赤みだから、その方がいいんじゃないのかなって。
でもぼくがそう言うとなづなは真っ赤になって布団に潜り込んでしまい、絶対に半刻は出てきてくれなくなるから、ぼくもいつからか、面と向かってそういうことはあまり言わなくなっていた。
ただ、時折半分だけひょっこりと出す瞳がこちらを伺っていたりするから、にっこりと苦笑いを返して、ご機嫌が治るまでなづなが食べたものの食器を洗いに母屋へ帰るのが当たり前になっていった。
そうやって大分 “なづな” というものに慣れてきたある日。
なづなは、ふっつりといなくなってしまったのだった。
なづなの身の回りのものは思えば、そこまで多くなかった。
風呂敷にあらかたを詰めて、真夜中に車が迎えにきたのだという。
それに乗ってなづなは、どこかへいなくなってしまったのだそうだった。
「冬の間だけの約束だったからな」
と、新春特集のテレビ番組を寝転がって見ながら、じいちゃんは心なしか嬉しそうに言った。
ばあちゃんはそんなじいちゃんに「お茶淹れ直しますね」と短く言うと、湯のみを持ってさっさと立ち上がって行ってしまった。
じいちゃんが猫舌なことは、誰よりも一番よく知っているはずなのに。
「ぼけたんじゃなかろうな」
と、じいちゃんが心配そうな顔でむくりと起き上がるのを、ぼくは黙ったままじっと見つめていた。
なづなは、毎年やって来るわけではなかった。
次にぼくがなづなに再開したのは、ぼくが中学校に入った年の冬だった。
実に三年ぶりにこの山間の町を訪れたなづなは、やっぱり真っ黒黒ずくめで、ぼくが学校から帰ってきた時には、また離れに押し込まれていた後であった。
「コウタ!」
離れに帰ってきていると聞き、ぼくが息を切らして母屋から離れまで走って行って襖を開けた途端、真横からなづなは飛びついてきてぼくを抱きつき倒した。
これも後でなづなに聞いことなのだが、横っ飛びに押し倒せばほとんど日の光に当たらず、日陰で再開の喜びを伝えられるかなと思ったのだと、のちになづなは真っ赤になってごにょごにょ白状した。
三年ぶりに会ったなづなは、かなり背も髪ものびて、体つきも女っぽくなっていた。
ぼくは背はそこまでのびなかったけれど、運動系の部活で走り込んでいたから、硬い体つきになっていたのだと思う。
どしんと転がってぎゅっと抱き合ってから、数秒して目を見合わせて、懐かしい顔と友人のぬくもりを実感した。
実感した。帰ってきた、ずっと会いたかったなづなを。
そうして。
すっと体を起こして、首に回した腕をぎこちなくほどいて、手を貸して起こしてやって、服の乱れを直して、まるでさも何事も無かったように取り繕って座り、佇まいを直しておもむろに正座などし合ってから……。
ぱっと互いに勢いよく離れた。
びっくりしたのだ。
はじめは別人かと思ったくらいだ。
それだけ、その、しばらく見ないうちに、なづなは、何というのか、とても女の子していた、のだった。
なづなが帰って来ていると知らせを聞いた三限目から放課後まで、ずっと心待ちにしていたのに、ぼくときたらなんだかおかしな感覚に襲われてろくになづなの顔が見られなくなってしまいそうだった。
なづなの白い顔も、赤くなっていく毛細血管も、みんな見慣れていたはずだったのに。
当たり前にじゃれついていこうと思っていたのに。
それなのに、ほんのちょっぴりだけ大きくなっていたなづなは、あの頃よりも何故だかずっと、じゃれつきにくいものに感じた。
なにか良くないことが起こりそうな、おかしな胸騒ぎ。
壊れてしまう、というより壊してしまうような。
ただ、何がどうして壊れてしまうのだか、そう言ったことはあまりにも漠然としていてぜんぜん分からなかった。
もともとなづながもっていた美しさや不思議な気配が、少しだけぼくを不安にさせているような。薄闇の中で白く、そこだけ発光しているようななづなが、目の前で溶け崩れてなくなってしまいそうに感じたのかもしれない。
突然降って湧いた不安をごまかすように、鈴を鳴らして家政婦のおばさん達にお茶とお菓子を頼んだ。
こうべを垂れて、お互いに畳一枚分離れて向き合い、正座までしていたぼくらを見て、家政婦のつるこさんは「まあ」と驚いたような見越していたような、曖昧な音を出してにんまりと微笑んだ。
お寒いでしょう。あたたかいココアとクッキーをお持ちしましょうね。
そんなことを言って、すすす、と華麗な動きで止める間もなく、つるこさんはぴしゃりと襖を閉じて出て行ってしまった。
整いましたら、鈴を鳴らしてくださいましね。
と、なんだかよく分からないことまで、言い残して行った。
ぼくたちは呆気にとられていたものの、ゆっくりとした笑いが、どちらともなくこみ上げてきてしまった。 次第に、この変にまごまごした再開がなんだかとてもおかしくなってしまって、思い切り笑いあって、ぼくたちは堰を切ったように盛大に話し出した。
ぼくは、あれから町の野球チームに入って県大会まで行き、今は一年生レギュラーの期待の新人にまでなったことや、美術の時間に描いた絵が東京にある大きな美術展にまで出品されるのが決まったことなどを、つらつらと話した。
なづなはなづなで、今までのことや、ここを離れてから行った色々なところのことをぼくに話して聞かせた。
「冬をね」と、なづなは何度もぼくに言うのだった。
「冬を巡っていたの」と。
北の国にはね、「白夜」というずうっと夜の季節があって、そこでは私、お外で遊ぶことができたの。信じられる?
お外を走ったのなんてはじめてで、とっても嬉しかった。あ、でももう雪は食べなかったわ。
お腹壊したらお尻叩かれちゃもの。
サンタクロースのいるフィンランドという国にも行ったし、アメリカやカナダにも行ったわ。冬は光の差す時間が短いから、冬から冬への渡り鳥みたいにね。
こっちが真夏の間は南半球にいたのよ。地球儀の下の方の。オーストラリアってところ。ねえ、その国では日本やフィンランドやアメリカが真夏な時なのに、冬がくるって言ったらコウタは信じる?
季節がね、反対になるの。クリスマスは真夏だから、サンタクロースは半袖になったりするのよ。あは、びっくりするでしょ?
なづながニコニコしながら話してくれたことは、ぼくには知りようもなかった遠い異国の地のことばかりで、その一つ一つにぼくはいちいち驚いたり笑ったり、忙しくしていた。
何より、なづなが話してくれることが嬉しかった。
なづなにとってはここは、その沢山の思い出話になるうちの一箇所でしかないのだろうけれど、ぼくがなづなに会えるのはここだけだったのだから。
寂しいような、嬉しいような、せめぎ合う感情に揉まれながらぼくは、なづなの顔を見つめた。
「今回は、どのくらい居られるの?」
ぼくはある時、なづなの言葉を制して尋ねた。
なづなは一瞬困ったような表情をして、冬の間だけ、と言った。
「迷惑をかけたくはないから」と、悲しそうに言った。
「そんなことはないのに」
ぼくは首を折って、なづなに傾けた苦笑いを向ける。どうして迷惑と思うのさ?
そんなことはないのに。
けれど、なづなはやっぱり首を振って、そっとお礼を言うだけなのだった。
まぶたをすっと伏せて「ありがとう」とだけ、言うのだった。
その年、結局なづなは1月の半ば頃までしかいられなかった。
次も、その次も、なづなはこの町にきちんとやって来た。
毎年来られるわけではなかったけれど、会うたびになづなは、いろんな見聞きしたことを聞かせてくれた。
ぼくもそれに見合うように、一生懸命部活動や委員会に打ち込み、この辺ではいちばんいい高校へ進んだりもした。
でも、そんな小さなことでは、なづなが体験した話への見返りには、なりっこないような気もしていた。
なづなはいつも決まって、「そんなことない。コウタのお話、私好きよ。うらやましいもの。夢みたいでいいなあって、いつも思うのよ」と首をぶんぶん振って、それでそれで、と続きをねだった。
逆に、なづなはなづな自身の話に同じことを思うようで、ぼくもまた同じように、なづなを撫で、褒めて、続きをせがむのだった。
そうしてあっという間に冬は過ぎて行って、なづなはまたどこか見えない遠くに行ってしまうということが、何回か繰り返された。
三回目からは、なづなはこの家を出て行く時に見送らせてくれるようになった。けれど、色の濃いヴェールの下で、必死に嗚咽を我慢して「またね」と手を振っているは、傍目にもバレバレだった。
逆に、ぼくが「またね」と手を振り返している首筋が、涙をかみ殺してすごい力んでいたことも、ばあちゃん曰くバレバレであったらしい。
くる度に別れを惜しんで、別れるたびに再開を望んで、もうすぐ、ぼくらは20歳になる。
今年の冬は絶対にそっちへいくから、と珍しくなづなからエア・メールが届いたのは、今年の春だった。去年もこちらに来ていたのに、せっかちなことだ。差し出しの印は、シベリアであった。
もうすぐ、冬がはじまる。
山の最後の葉っぱの一枚が散って吹きすさぶ風が鳴れば、なづながきっとやってくる。
伸ばした髪を結って、ここ数年でなづなはぐっと大人っぽくなった。
春から続いている手紙に最近同封されていた写真には、『お化粧ってものすごく肌荒れする!』と化粧を試みたらしいなづなのおままごとじみた顔が写っていて、たぶん現地のメイドらしい女性も一緒に苦笑いして写っていた。
口紅はごてごてして、ファンデーションはおしろいのようになっている。いわゆる、お化け状態だ。
あんまりにおかしいので。『肌荒れが酷くなるからやめとけよな』と返事を出したあとも、定期入れに入れてこっそり大切にしているのなんて絶対になづなには言えない。
ぼくは大学二年生が終わりかけ、なづなは通信教育の最終過程に入ったという。
月日は流れ、ぼくたちは大人になった。
「まーた来るんかい」とここ数年は怪訝な顔を隠さなくなったじいちゃんを、ばあちゃんもいつの間にか露骨にぶっ叩くようになった。
うちの敷地の離れにはなづなの家具がそのまま残されるようになり、そのうちいくつかには『コウタ触るな、絶対』という張り紙まで残されていたりする。
ぼくも、そろそろ言ってみてもいいのだろうか。
なづなに、提案してみてもいいのだろうか。
本当は、はじめの冬にいなくなってしまったのを知った、あの瞬間から言いたかった言葉なのだけど。
あの頃とは、でも、ほんの少しだけ違う意味合いになってしまうのだけど。
なあ、なづな。
ぼくの大切な親友で居候の、ぼくの10年来の厄介者。
ぼくは今年もずっとずっと高くなった空を見上げる。
なあ、なづな。
ずっとここにいないか。
なづなさえ嫌でなければ、ぼくはここに、ずっといてほしいと思ってるんだ。
そう言ってみても、果たしていいのだろうか。
寒空にトビの鳴く声が響く。
柿が熟れて、赤くなって地に落ち出す季節だ。
もうすぐ冬がくる。
ぼくとなづなの、10年目の冬がやってくる。
今年こそは、言ってみたいな、なんて。
ぼくはこっそり赤くなって、ばあちゃんに教わったなづなの好物の干し柿を吊るしながら、白い息を吐いた。
白いしろい、どこまでも透き通って凍るその吐息は、ぼくのうちの熱をじんわりとあらわしながら、初冬の空へゆっくりとほどけた。