変調
シャルは目を覚ました、夢は見なかった。
昨日自分が描いた絵が目に映った。
「はぁ・・・素晴らしい絵だ・・・」
「僕はこの絵を捨てられない・・・」
「美術館に出展しよう・・・」
数日後、彼のその作品は大英美術館に出展された。
シャルはいつものように自分の作品の前で人々の話に耳を傾けていた。
「素晴らしいですね、この画家は以前から知っていたのですが―」
「題材は非現実性を帯びているのですが、絵はまるで現実で起きた出来事を写真に収めたような―」
「シャル・ウィキド君」
シャルの名前を呼んだのはペリエだった。
「ペリエさん・・・また見に来てくれたんですね・・・」
「やはり君の才能は風景画や動物を描く事というより、もっと別のところにあったようだね、絵の分野において君は私を優に越えていたんだ、私に言えることはもう何も無いよ」
ペリエは本当に感心しているような表情でそう言った。
「そんな・・・」
尊敬する人に自分の絵を褒められて、本来なら喜ぶべきところなのだろうが、シャルは悲しみを覚えた。
出来る事なら得意な動物の絵をペリエに評価されたかった・・・。
そう思ってしまったからだ。
「凡人の意見として聞いてくれ、君の絵は限りなく写真に近いんだ、だから描くものは非現実的なものである程、人の心を惹きつけ、魅了する」
「凡人だなんて、そんな事言わないでください、僕の中では常にあなたは偉人です、何があってもです。 それに僕は本当はこんな醜い絵を描きたくはないんです」
本心を口にしてしまった。
「おいおいその絵を高く評価している私みたいな人間もいるんだ、それこそそんな事言ってはだめだ、君にとっては醜い絵でも、私には美しく、それに素晴らしい絵に見える。 それは才能だ、受け入れるべきだ」
本心を口にしてしまった事を少し後悔した、だがペリエは怒る事無く冷静に言葉を選び、僕の本心に対して意見を述べてくれた。
「すみませんでした・・・いつも私は尊敬する人にアドバイスが貰えて幸せです」
ペリエは雲の上の存在だったはずなのに。
いつから僕はペリエと話す事が当たり前になってしまったのだろう。
「君の絵は素晴らしい。 これは確かな事だ、君の作品をもっと見てみたい、もちろん今日のような方向性の絵をね、では、また会おう」
「はい、ありがとうございました」
シャルは美術館を出た。
「こんな絵で人に評価されていいのだろうか」
シャルはため息混じりに小さくつぶやいた。
シャルは公園のベンチに腰をかけ、空を見上げた―
人の死体にハネの模様がとても綺麗な蛾が群がっている。
―はぁ、夢か。
鳥の亡骸の絵を描いてからというもの、シャルは夢を見るようになった。
残酷で、惨たらしい夢だ。
そしてそれは、日に日に惨さを増してゆく、だがその夢の映像は涙が出るほどに美しいのだ。
「描かなくては」
そう思った。
「僕の中の才能が、僕の体を操作している、乗っ取られる」
心の隅でそんな危機感を覚えた。
シャルは家に帰り、筆をとった。
'見えない下書き'をなぞっているかのように、スラスラと筆が動いた。
手が勝手に動き、絵を描き上げていくような感覚を覚えた。
半分程描き終え、絵の骨格が顕わになってきた所で、シャルの頬に涙が流れた。
「本当に、本当に本当に、こんな絵は描きたくない」
涙はぽたりぽたりと床に落ちた。
美しいものを描き続けてきたシャルは、自分の内面、心もきっと美しいはずだと思っていた。
故に自分の心の中の実態を受け入れられずにいた。
自分自身からこんな絵が生まれようとしている事実が嫌で仕方がなかった。
だけど筆は止まらなかった。
浮き出てきたその絵の骨格は、まだ描きかけにもかかわらず、妖艶とも言える魅力のオーラが溢れているように見えたからだ。
シャルは自分が怖くなったし、絵を描く事により生じる自分の中の激しい葛藤、それが嫌になった。
それでも筆は止まらない。
自分の才能がどんなものかという興味、それも大きいからだ。
10時間かけてシャルはその絵を描き上げた。
その絵を一言で言うのなら'最善'であった。
数百もの色たちが、それぞれ最も良い位置に収まり、これ以上は無いと思える程に最上な一枚の絵だった。
真っ暗な部屋だろうか、薄暗い光が照らしているのは、人間の死体。
その死体にとても美しい模様の蛾が群がっている・・・。
そんな絵だった。
シャルはこの世界から逃げるように眠りについた。