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習作 文芸部 その1 つま先立ちの死体 草稿

作者: はにほ

執筆時間三時間。書き抜けたばかりです。誤字訂正のみ。

 屋上に呼び出された。

 本来ならそれだけで驚くべき事態なのだが、今回のケースの場合はそれだけで驚いていると全く話が進まないだろう。何せ彼がわたしを呼び出したからだ。普段の彼ならば絶対にそんなことはしないし、そもそも呼び出すということは何かわたしと喋りたいことがあるわけで、その前提自体彼の寡黙さを考えれば間違っている。

 だがしかし、彼が寡黙であることだけは間違っていないようだ。わたしが屋上のベンチに腰掛けてもう十五分になるが、相変わらず彼は夕日に向かってだんまりを決め込んでいる。そろそろ指遊びのパターンも尽きて間が持たなくなってきたのだが、一体どうしたものだろうか――。


「ガシャンッ」


 不意に金網が鳴いた。思わず逃げ腰になりながら音のした方を見ると、揃いの格子にひとつだけ白球が挟まっている。ファールの衝撃が残ってまだシャンシャン言っている金網を気にせずにボールに手を伸ばすと、下から声がかかる。

「ありがとう、そのまま落としてくれればいいから」

 球拾いの一年である。なぜ一年であるかわかるのは、そいつが一年の下駄箱を使っているところを見たことがあるからで、いくら目聡さに自信のあるわたしでも名前までは知らない。

 はーい、と言いながらさらに手を伸ばすが、しかし球には届かない。スカートの裾を気にしながら背伸びをしても、やっぱり届かない。球拾いがグラブに顔を埋めているのを確認しつつさらにさらに伸びていると、ついに待ちわびた声がかかった。


「俺がやるよ」


 渋い声だ。実はわたし、この声の隠れファンなのだ。このことを知るのは学校でもわたしだけ。なんという秘密だろうか。

 そして彼は白球の尻を押して球拾いのもとへ返してやると、わたしと一緒に球拾いを無言で見送った。


「それで、話って何? あるんでしょう」


 ここぞとばかりに彼を促す。背の高い彼を横目に見上げると、その目はまだ白いユニフォームの少年を見ていた。まるでこちらを見ないようにしているがごとく、である。目を見て離せない話なのだろうか。しかし、彼がこの場で愛の告白をするほど間抜けではないのはすでに分かっている。そして、そんな可能性も一度考えて否定し直してしまうくらい日和っていたので、いよいよもって話の内容が読めなくなり、堪えられなくなって促したのだから、根競べはわたしの負け、だろうか。

 こんなところでまで勝ち負けを考えているところが、わたしたちらしさと言うか、わたしたちの欠陥と言うか、どちらにせよ特徴なんだろう。


「とある本で読んだんだよ」


 彼は訥々と語る。


『人間の一番美しい姿とは、裸一貫で手を広げ、つま先立ちをして、顔を上げ、上を向き、魂を抜かれ死んでいる死体である』

 この一文について自分は思った。ああ、やはり死んでいる人間というのは美しいのだなあと。

 そしてさらに考えた。この文には機能がある。

 これを読んだ宗教論者は、十字架との関連を示すかもしれない。人間工学者は、つま先立ちの効率性について語り出すかもしれない。

 身長にコンプレックスを持つ者は、つま先立ちが見栄っ張りだと思うかもしれない。

 裸について言及する物もいるだろう。性悪説について思い返す者もいる。上という漢字を辞典で引いたりするかもしれない。

 一つだけ言えるのは、この文を構成する要素の内一つだけが一人の興味を惹き得る、ということである。


 そこで彼は深くため息をついた。

 わたしはまた彼の顔を見上げる。いつも自信ありげに光っている彼の眼は、今は火が消えたように淀んで見えた。俯いた目線の先には沈みかけた夕陽があり、それはだんだんと昼間の灯を落としている最中。


 彼がこっちを向いた。

 わたしは急いで前を向き直す。


「僕の美意識が死に向いているとするなら、僕って人間嫌いなのかな」


 弱々しく彼が言った。声の聞こえ方、一人称からして、きっとまっすぐ前を向いて口を開いたんだろう。空に吐き出された言葉は、わたしの耳に届いてすぐに秋風に乗って消えた。


「違うと思うな」


 だからわたしは、夕日が消えきらないうちに答えを用意する。

 人間嫌いであるかもしれないことが不安だから、こうして今わたしと喋っているんでしょう。人間嫌いじゃないって、否定してほしい、だからわたしにだけ喋ったんでしょう。

 そう、あえて聞く。彼は唸って、腑に落ちないですと言わんばかりの返事しかしなかった。

 だからわたしは、とどめの最終兵器を出すのだ。


「手を出してよ」


 彼は驚いた様だったが、少し迷った後にやはりこっちを見ないでその手を差し出した。指はペンだこだらけだが、手のひらは十二分にぷにぷにで、とても可愛らしい手である。

 わたしはそれを、両の手で包んで揉みほぐす。疲れのツボを重点的に。気持ちいいかと聞くと、ちょっとだけくすぐったさを露見させながら彼は頷いた。楽しくなってきたが、否、作戦はまだ終わりではない。わたしは揉みの手を止め、彼を自由にする。


「自分で同じとこ揉んでごらんよ」


 彼は従順に自分の手を揉んだ。なんというか、自分の手をまじまじと見ながらぐにぐにする大男は逆に絵になって面白く、つい笑いが出てしまった。不覚。


「気持ちいい?」

「そうでもない、かも」


 予想通りに最初と違う答えが返ってきた、わたしは勝利を確信した。


「こういうのって、人にやってもらうから気持ちいいんだよ」


 ネタばらしをしよう。マッサージとは、思ったよりも強めの力で行うものなのだ。

 初めにわたしがぐりぐりと揉むことでコリをある程度ほぐしておく。その後に勝手を知らない彼がやっても、それほど気持ち良くはない、というわけである。


 そしてもう得心の行った顔をしている彼に問う。

「まだ揉んでほしい?」

 答えはもちろんNoだった。


 彼も、そしてわたしも、当分今の関係を壊すことはないだろうと、そう感じた秋の日のことであった。

 これでいいのである。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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