愛する事はないと言ってしまった
「坊ちゃん、貴方はアホですか。アホですよね。そうですよね。そうだと思います。」
かなりの年を重ねて、この頃、ゆっくりとしか話さなくなった爺やが、はぁはぁ言いながら捲し立てるように言葉を放った。
そろそろ執事の仕事も引退させて養生させないとと心配していたのだが、大丈夫そうでなによりだと見当違いの事を考える。
我ながら、現実逃避している自身に呆れてものが言えない。
「貴方を愛する事は決してない」
この言葉を用意して、悪意を持って発した自分を、今、どうしようもないくらいに殴りたい。
事の始まりは、1ヶ月前。
次期侯爵となるべく息子を産んだ妻は、生後1ヶ月となる子供を置いて、離婚し、実家である伯爵家に振り向きもせず戻っていった。
私達の結婚は、祖父同士の業務提携の礎となるべく政略結婚であった。
伯爵令嬢であるターニャ嬢は、出会った頃から大人しく清楚であり、口数も少く控えめな人であった。
それでも、将来仲睦まじく過ごして行こうと話しあえた。
静かな人であったが、婚約中も結婚してからも、舞踏会や夜会ではたくさんの友達に囲まれて、いつも華やかな令嬢達と賑やかな中におり、社交を上手くやっているのだと思ってた。
そう。離婚届を叩きつけられた、あの日までは。
私の父は私が幼少の頃亡くなってしまい、祖父の元で育てられた。
私は次期侯爵という事もあり、幼少の頃から令嬢達に何かと声をかけられ誘われていたが、いとこのマーガレットと幼馴染の令嬢3人が上手く退けていてくれていた。
だからこそ、他の家の令嬢達と二人きりで出かけたり話したり、そのような事は皆無であった。
そこへ、私とターニャ嬢の当事者同士をも騙し討ちのように、突如と顔合わせがあり、その場で婚約が結ばれた。
ターニャ嬢は婚約直後から妬まれていたらしい。
夜会に出ても、令息達に聞こえないところで令嬢達に囲まれ、上位貴族令嬢から執拗にいじめられ、下位令嬢からも策略や妨害、言われない中傷にあっていたと後から知った。
どの令嬢も笑顔だけは絶やさずにいたため、夜会中、周りにも気取られず、証拠もなく、ターニャは辛い日々を何年も過ごすしかなかった。
しばらくすると私の祖父が病気となり、私は侯爵を引き継ぎに忙殺されて、婚約者と話すことも会うことも、ほとんどなくなっていた。
その間もターニャ嬢は、伯爵家当主の祖父に、婚約解消したいと何度も訴えたが一笑され聞き入れてもらえず、ただただ家の発展のため、両親と共に涙を飲み耐えていたそうだ。
結婚してからは更に陰湿な状況となり、妊娠してからは命の危険も感じ、なるべく屋敷に引きこもっていた。
夫である私マクウェルに助けを求められたので、味方をつけようと考えた。
私が信用しているマーガレットと幼馴染達を屋敷に招き、話し相手を頼んだ。
だが、妻は食事もとれなくなり、どんどんと衰弱していった。
後継の正当な血筋を証明するため、婚家で出産するのが常識であった。
ターニャは後継を産んだら迷わず逃げようと、両親と画策していたところ、伯爵であるターニャの祖父の不正が発覚し、急ぎ代替わりした。
代替わりした義父の伯爵に言われるがまま、マクウェルは事業開発資金を投入し続けた。
しかし、その事業は失敗し、侯爵家は知らないうちに多額の借金を抱えて傾いていた。
ターニャは子供をどうにか出産したが、どうやっても貴方の子供を愛す事はできないのだと、マクウェル自身に淡々と告げた。
そして、次の瞬間、今までの恨みを晴らすかのように、夫であるマクウェルに向かって、立板に水の如く澱み無く恐ろしい速さで、無神経さと無頓着さ等々を説き、完膚なきまで内面を批判し、離婚を言い渡した。
出会った頃とは違う、衰弱し危機迫る状態にマクウェルは抗う術はなかった。
離婚して3日後。
はやくもマクウェルの離婚が知れ渡り、侯爵家にアプローチしてくる家が、とんでもなく多く出てきた。
幼少の令嬢の婚約解消させようとしたり、寡婦になれば受け入れてもらえるかの打診がきたりと、なんとも不穏だ。
既婚者であるマーガレットと幼馴染も、心配して何度も訪れてくれている。
面白いよと、巷で流行っている小説の手土産も持ってきてくれた。
アンダーラインも引いてある。どれだけ読み込んでいるのだか。
パラパラめくってみると、主人公マイケルの境遇があまりにも似通っていた。
顔には出さないが心で泣いた。
心の友マイケルと叫んでいた。
家の事もあるだろうに、長い時間慰めるようにか、いろいろな令嬢の噂話を明るくしてくれていた。
名のわかる令嬢達が、実はけっこう醜悪で、私は放心してしまい、その場で聞いているだけだった。
今日は遅くまで語らうために昔のように泊まらせてもらおうかしらと、マーガレット達からの発言が出たところへ、王太子が何の先触れもなくやってきた。
王太子は、マーガレット達に迫力あるいい笑顔を振り撒き、何かを囁いていた。
マーガレット達が突如急用で帰ったのち、王太子から結婚相手を探したよと告げられた。
政治的混乱を避ける為、侯爵家を立て直すため。
有り難く受けさせていただこう。
後日、国王に呼ばれ、レーベル子爵家当主に会う事になった。
レーベル子爵は最初から尊大な態度だった。
早急な豊富な資金援助と条件に合う令嬢がレーベル子爵家しかいない事を偉そうに語っていた。
また、高位貴族達との顔つなぎのため、夜会や紳士クラブの同行を条件にいれてきた。
ターニャの事もあり、当事者である令嬢に挨拶したいと何度も伝え、夜会に連れてくるとの言質を取ったが、当日になると体調不良で参加できないと伝えられる。
断り続けられると以前ターニャに放たれた、私と共に歩みたくないとの言葉が、頭にこだまする。
夜会中もレーベル子爵の指示で、貴族達へ紹介しながら周っていた。
ある貴族に、子爵家に実権を握られないようにと囁かれる。
一瞬のタイミングでマーガレット達に囲まれ、レーベル家や事業や商会、そしてレーベル子爵令嬢の情報を囁かれた。
レーベル子爵令嬢の、あんな話やこんな話も、見てきたかの如く詳細に教えてくれる。
父親に似て、あさましく下の者に厳しく、浪費家でわがまま。挙げ句の果てに、高飛車だそうだ。
ひどいものだな。
マーガレットや幼馴染の令嬢達は、なんとか私を励まそうと、自分達が後妻を努めようかなんて冗談を言って、気を紛らわそうとしてくれた。
こんなに親身になってくれている友を、そんな目で見たら人として終わりだ。
今も昔も、1ミクロンも想像もした事がないから安心してと告げる。
問題は、狡猾なレーベル子爵令嬢か。
王命なので断る事はできない。
対策を取らないと、侯爵家が乗っ取られてしまう。
心の友マイケルに伝授してもらおう。
そして、今。
「貴方を愛する事は決してない」
舐められてはいけない。
アンダーラインと花丸がついていた言葉を吟味し選んだ。
ギュッと手に力が入る。慣れない強い言葉に汗が一雫。
顔も見ず、冷たい態度で、一発ガツンとかました。
言い放った後、顔を上げ、我が家を乗っ取る悪女を睨むつもりだったのだが。
…とりあえず、必死で無表情を貫いた。
ドアの前で佇んでいる、可愛らしい可憐な少女。
マーガレット達から聞いていたのと全く違う。
私の発言に、驚きのあまりか大きな目を見開き、少し潤んでいるようにも見える。
ごめんなさい。
華美ではない、センスの良い小物を身につけ、見るからに利発そうである。
8歳離れているのだった。
急な王命で不安だったろうに、全て捨て、この侯爵家に来てくれたのだった。
情報が先行し、妄想が爆発してしまい、想像が現実と交差してしまった。
ぐるぐると、失敗した失敗したとの文字が頭に溢れ、もう、取り繕う言葉さえでてこない。
今話すべきではない、業務事項みたいな言葉だけが、淡々と考えもせずにつむぎだされる。
目眩がして立つ事もできず、執務机を離れられない。
執事の爺やも何か言っているが、全く耳に入ってこない。
夜会のほんの一瞬だとしても、会いたくなかったのではなかったのか?
お誘いして二人で会うなんて、ハードル高すぎる。
いや、嫌がっているというのもレーベル子爵が言っていただけだ。
子爵家に強引だとしても挨拶へ行き、誠意をみせたらばよかった。
上位貴族である自分が願えば、家へ訪問できたはずだった。
マーガレット達からの言葉で尻込みし、言い訳をつけていたのは、自分に他ならない。
とは言え、ガツンと言った後、物語ではしっかりお互いに話し合い、この言葉もスパイスとなり、家族を構築できるのではなかったのか。
そんなに上手くできるのか?なぁ、マイケルよ。
現実は、この上ないくらいに、冷ややか空気が漂っている。
マクウェルは顔には出さないが、体中は冷や汗がとまらず、ビショビショになりながら、打開できるよう頭はフル回転していた。
とにかく、名を名乗らないとと息を吸ったとたん、涼やかで軽やかな。
だが芯のある美しい声がした。
「お初にお目にかかります。ソフィア・レーベルでございます。」
おぉう。
もう一度、息を吸い、体中気合いを入れる。
「ああ。挨拶がまだだったな。マクウェル・プリズナーだ。
こちらに迷惑かけないならば、何をやってくれてもいい。夫人の交際費もつけている。」
また、やってしまった。
何度も読んだ、色男主人公のマイケルのセリフがそのまま出てしまった。
ソフィア嬢と目が合った。
だが、出てしまった言葉の反省からか、ツイっと目を逸らしてしまった。
「諸々承知いたしました。ありがとうございます。
お願いがございますが宜しいでしょうか。」
お礼を言われた。
マイケルの教えの通り、上手くいったのか。
「なんだ」
「この条件等を、口約束ではなく、書面上にお願いしたく。」
マクウェルはしばらく考えたが、生活を共にするとは言え、個々の自由を束縛するつもりはなかった。
家門に迷惑かけなければ、自由に楽しく過ごしてもらって構わない。
執務は前妻も体調が悪くできなかった。だから、やれる気持ちがあれば手伝ってもらえたら有り難いなくらいで思っている。
書面に書いたところで、大した問題はないだろう。
それと、不自由なく暮らせるにはなんだろうと、少し追加して、侯爵は条項をさらさらと箇条書きにし、ソフィアに両手で差し出した。
「侯爵様。私を決して愛さないと言う条項も抜けております。」
ん?雲行きが怪しい。
ソフィアが続ける。
「でも、それだと後継者の事ははいかがお考えでしょうか。」
後継者は、いる。
我が子がいると、王家にも、子爵家にも報告し、後継者として共にしっかり育ててもらいたいと願いを伝えていた。
ソフィアにも話していると聞いている。
「…前妻の子がいる。」
「わぁ。よかったぁ。
わたくし、聞いておりませんでしたので驚愕しましたが、安心いたしました。」
え〜!
「では、白い結婚で!」
えぇ〜!!
「早く、こちらも条項に加えてくださいませ。
もちろん、そちらのお子さんを次期領主だとの条項も。
さぁさぁさぁ。」
えぇぇぇ…
爺や。
目を手で覆っていないでフォローしてくれ。
一人では立ち向かえないくらいに、ボロボロの満身創痍や。
肘を机につき、顔を覆った。
酸欠でクラクラし、大きく息をしないと卒倒しそうだ。
マイケル、打開できるセリフをプリーズ。
「ついでに、部屋も侯爵様と離してくださいませ。」
おぅ。マイケル敗北だ。
私と爺やは思わず直立し、同時に短く息を吸った。
「本当の夫でもない、知らないおじさんが隣だと気持ち悪いです。」
キュルキュルした目で、下から覗かれゴクリと唾を飲む。
言われたセリフの意味は、考えたくもない。
手のひらを上に向け、さぁさぁと条項の追加を急かす。
どこから間違えたのだ。
なぁ、答えてくれマイケル。
「…他にはないか。」
いい感じの条項を捻り出したくとも、あまりの展開に思い浮かばない。
「ございません。
では、お互いのサインいたしましょう。」
なんだか知らないうちに、主導権を取られている。
そうだ。結婚式で挽回させてくれ。
「資金に余裕もない事だし、愛もないし、呼びたい人もいませんし。
結婚式もやめておきましょう。
どなたかに気づかれたら、身内で終わらせたと、しれっと答えましょう」
一歩遅かった。
「いや、それは」
「いりませんよね。」
頑張ってみたが、無理だった。
「巷で流行っている小説の使い古されたような陳腐な台詞を、私が聞くとは思っていませんでした。
幻滅です。がっかりです。
ニコニコ花嫁衣装着て、仮初の愛を叫ぶような鋼の心臓はございません。」
マイケル先生。惨敗だよ。
「そうだ。婚姻の制約書にもついでにサインいたしましょう。」
傀儡のような状態でペンを握らせられ、サインを求められる。
少し、少しだけ話をさせてくれ。
サインを終えた後、顔をバッとあげる。
間髪入れずに、弱々しい声が降りてきた。
「では、本日は、もう、そっとしておいてください。
長旅で身体も限界なので。」
先程までの勢いはなんだったのか。
しかしながら、長旅の後のこの展開。
自分だって、神経ゴリゴリにすり減っているのだから、ソフィアもさぞかし疲れているだろう。
今日は希望通りに、夫人の部屋ではなく客間に案内するように伝える。
どんな理由があろうとも、私の元へやって来てくれたソフィアに投げかける言葉ではなかった。
かなりの援助金も我が家にもたらせてくれたのに恥ずかしい。
それに、たとえ聞いた通りの令嬢だったとしても間違った言うべき言葉ではなかった。
明日から、できる限り大切にしよう。
謝ってすむわけではないが、誠意をつくそう。
そう決意をしたのに、なんでだ。
この屋敷にいるはずなのに、全く会えない。
挽回できるチャンスがない。
爺やや他の者達からは、奥様話を聞くのに。
朽ちるまで、延々とあの言葉を悔やむことになるのだろうか。




