負動産と弁護士
地名、店名いろいろフィクションです。あと、制度や知識が間違ってたらすみません。こんなドラマがあったら良いなと妄想です。
人口80万人の桜ノ市は、一級河川に沿った地方都市として栄えていた。
川沿いの堤防には桜が植えられ、河川敷は青い芝生が広がる。
その桜並木の堤防の先は、住宅地と商業施設。
国道の主要道路に沿って年々開発が進んでいる地域だ。
その地域の一部、旧桜ノ市街。
昔あった店は都市計画の道路拡張で立ち退き、駅前には大手チェーンのコンビニと飲食店。
人の往来もあるが、穏やかな時代の流れを感じる駅前。
そこから徒歩三分の大きな交差点の角地。
四階建て、灰褐色の年季の入ったビル。
ビル横についた縦型の看板の文字は白紙。唯一、一階の「喫茶ロンドン」の文字だけがかろうじて読めるが、営業しているか不明。
二階の窓ガラスはひびが入り、内側の障子がビリビリ破れたまま。垂れたカーテンの色は日光ではげて、ずいぶん人の生活の息から遠いように見える。
駅前徒歩3分の、人も車の流れも絶えないのに、その角だけは昔のまま、時代から取り残されている。
——あれは、誰のものなんですか。
そう聞いたのは、再開発会社に入社したばかりの若い社員だった。
上司は少し笑って、こう答える。
「“みんなのもの”で、“誰のものでもない”建物だよ」
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再開発会社。
それは、図面の裏側を企画する会社だ。
会議室のホワイトボードには、建物の絵はなく、あるのは名前だけ。
丸で囲まれた人の名前。
矢印でつながる関係。
小さく書かれた数字と、「同意」「未」「不明」の印。
若い社員は、最初それを見て戸惑った。
再開発の仕事といえば、ガラスのビルや、完成予想図を思い浮かべていたからだ。
上司は言う。
マニュアルを見せながら。
「図面は最後に描く。最初に描くのは、関係図だ」
再開発会社の仕事は、建物を建てることではない。
建てられる状態をつくることだ。
そのためにやることは、驚くほど地味で、そして長い。
最初の仕事は、調べる。
登記簿を取り寄せ、古い地図を重ねる。
誰が土地を持ち、誰が建物を持ち、誰が借りていて、誰が保証しているのか。
時間は、権利を細かく砕いてしまう。
一つの土地に数人の名前は珍しくない。
登記を更新されてないとか、それぞれに事情がある。
相続、離婚、倒産、約束、忘却。
土地は動かないが、事情は動き続けることを、マニュアルを片手に上司は説明する。
若い社員は、これだけでも途方もない気持ちになる。
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次にやるのは、会うこと。
電話では足りない。
手紙でも足りない。
顔を合わせる。
「売ってください」とは言わない。
「一緒に考えませんか」と言う。
相手の生活を聞く。
この場所にどれだけの時間を重ねてきたのかを聞く。
相手に寄り添いながら、どうすれば交渉できるのかを探る。
再開発会社は、不動産を扱うが、
交渉しているのは相手のこれからのこと。
もちろん、正しいことを言っても、動かない人はいる。
正しい数字。
利回り、評価額、将来価値。
歳を重ねた相手ほど、動かない。
重ねた人生も価値観も違う。
「相手が納得できることを言わないと、結局動かない」
もっと寄り添った言葉を。
そして、相手のことを考える。
再開発でここがなくなるのではなく、「これからの暮らしをここで続ける方法」に。
同時並行で、計画は少しずつ形を持ち始める。
建物の高さ。用途。
商業フロアと住宅フロアの配分。
だが、優先順位はひとつだけ。
全員が参加できるかどうか。
それがかなり大変だ。
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もちろん、数字の仕事もある。
事業費。
補助金。
金融機関との交渉。
建物を壊すにも、建てるにも、
すべてに値段がつく。
「夢だけでは建たない。だが、数字だけでも建たない」
そして、交渉にかける時間。
これが一番、重い。
一年では終わらない。
三年でも足りないことがある。
人の考えは、季節のように変わる。
昨日は断った人が、今日は話を聞く。
逆もある。
だから会社は、待つ。
ただ待つのではなく、関係を保ちながら。
そんなに時間がかかるなら、若い社員はあっという間に中堅になるのかもしれない。
説明を聞いて、なおさら途方もない気持ちになる。
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ボードの「未」がひとつ消えた時、誰かが参加を決めたのが分かる。
拍手はなく、だた静かに印が書き換えられる。
それは確かに前進だ。
この淡々とした実務が、
いつかは慣れるのだろうか。
若い社員は毎日マニュアルを頭に叩き込み、軽いため息と共に閉じた。
春に入社して、もう、夏になっていた。
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あの角地の古いビル。
「“みんなのもの”で、“誰のものでもない”建物だよ」と上司。
調べてみると、その言葉の意味はすぐ分かった。
土地の名義は、戦後にこの一帯をまとめて買った大地主。
もう亡くなって久しい。
相続人は七人。うち三人は連絡がつかない。
建物は別の会社名義。
その会社は二十年前に解散していた。
清算人の所在は不明。
一階のテナントには、まだ権利が残っている。
昔の契約書に、更新条項がついているからだ。
銀行の抵当権もついたまま。
借金は返済されているはずなのに、登記が消えていない。
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どこまで調べて、どこまで理解したかを上司に報告する。
「うん。だから壊せないんだよ」
上司はコーヒーをすすりながら言う。
「法律はちゃんとある。壊す方法もある。でもな——」
少し間を置いて、
「全員が納得する方法は、ない」
コーヒー特有の苦くて深い香り。
飲み終えたら休憩は終わりとばかりに、上司は立ち上がる。
デスクについても、先ほどの会話が頭から抜けない。
眺めていた再開発の資料は、めくる音は軽いが、内容は重かった。
何年かかるだろうか。
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記録は残っていた。
建物の状況確認に行政も来ていたのだ。
危険だから、という理由で
空家等対策の推進に関する特別措置法
に基づく調査が入る。
写真が撮られ、書類が積まれ、
「特定空家に該当する可能性」と記録される。
だが、それだけだ。
命令を出すには、所有者に通知しなければならない。
その所有者が、もう“どこにもいない”。
こんなの、どうすりゃいい。
と、自分の知識が足りないから思うのだろうか。
「…じゃあ強制的に壊せばいいじゃないですか?」
若い社員は、上司に質問した。
上司は首を振る。
「できる。でもな、壊したあと誰に請求する?」
沈黙。
「税金だよ。結局は」
税金を使って建物を壊す。
危険だから、最終的には必要な経費だけれど。
簡単に使っていいお金でもない。
いろいろ理由はあるが、そりゃあ行政も消極的だよなと納得した。
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別の日、別の話。
あのビル、解体すると固定資産税が跳ね上がるらしい。
建物があるから安くなっているだけで、更地にしたら、数字は何倍にもなる。
「だから壊さないんですか?」
「正確には、“壊せない理由の一つ”だな」
今回は、固定資産税のことはそれほど重要ではないらしい。
企画されている再開発は、近くの地権者をまとめて、新しいビルに建て替える計画だ。
都市再開発法
に基づけば、多数決で進めることもできる。
でも、最後の一人が首を縦に振らない。
八十を過ぎた女性。
この場所で生まれ、この場所で暮らしてきた。
「ここがなくなったら、私はどこに行けばいいの」
その言葉は、書類のどこにも書けない。
駅前は、人々は足早に通り過ぎる。
誰も立ち止まらないその角に、そのビルは今日も立っている。
壊れそうで、壊れない。
邪魔で、でも消えない。
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若い社員は、ふと思う。
これは廃墟じゃない。
未解決のまま積み重なった、誰かの人生だ。
法律は少しずつ変わっている。
所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法
のように、「動かすための仕組み」も増えている。
それでも。
最後に決めるのは、人間だ。
外の空気が乾燥してきて、季節は秋になっていた。
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朝が来る。
会議室。
その弁護士は、名刺より先に“沈黙”を差し出すタイプだった。
席についても、すぐには話さない。
テーブルの上の資料を一枚ずつめくり、
最後に顔を上げて、ようやく言う。
「争う必要はありません。順番に“ほどく”だけです」
再開発に関わる関係者は顔を見合わせた。
ここは、ほどけるような案件ではない。
若い社員も同席していた。
弁護士の涼しく整った横顔に、なんだかワクワクした。
仕事できる雰囲気、そんな感じ。
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最初に彼がやったのは、交渉ではなかった。
“所在”を確定すること。
登記簿、戸籍、除籍、改製原戸籍。
消えた会社の清算人の痕跡。
古い金融機関の合併の履歴。
点だった情報が、線になる。
「いないのではなく、見つけていないだけです」
後学のために、彼に話しかけていた。
隣で上司は笑ってた。
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数週間後、彼からリストを提出され、皆で確認する。
会議室は広かったが、なんだか異様に熱い。
空調は効いてる。
相続人、九名。
所在不明、二名。
意思能力に疑い、ひとり。
そして、例の女性。
若い社員は、リストを目で追い、その重みを実感する。
これは“建物”の話ではない。
自分も同じように調べたのに、資料は見やすく、理路整然としていた。
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弁護士の彼は言う。
「この案件のボトルネックは三つ。
①所在不明者
②意思能力の問題
③最後の一人の心理」
指先で順に叩く。
「法律で動かすのは①と②。
③は、法律で動かさない」
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① 所在不明者。
彼は申立ての書式を淡々と整える。
不在者財産管理人の選任。
場合によっては失踪宣告。
「ここは制度で“席”を作る」
——席。
人がいないなら、法的な代理人という席を用意する。
それで会議は始められる。
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② 意思能力。
医師の意見書、家庭裁判所への申立て。
成年後見人の選任。
「この方の“将来の安全”を守るのが目的です。
結果として、手続きが進む」
誰かを押しのけるのではなく、
守る手続きが前に進む力になる。
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そして③。
例の女性の番が、最後に回る。
若い社員は身構えた。
ここが一番、難しいはずだ。
だが弁護士は、資料を閉じた。
「ここは、あなたが行きます」
あなた…? って、上司か?
上司を見ると、上司と目が合う。
ん?と思って弁護士を見ると、手がこちらを指している。
理解したけど、思わずギョッと仰け反る。
え?…どういうこと?
一人、驚いてぽかーんとした俺に、弁護士は口元に笑みを浮かべる。
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この街の、古い喫茶店。
件のロンドンではなく、まだ営業している数少ない店のひとつ。
女性は窓際に座っていた。
駅前の流れを、長い時間見てきた目だ。
「壊すんでしょう」
先に言われる。
俺は、一度だけうなずいた。
「はい。ただ——」
緊張で胃がキリキリする。
でも、ちゃんと言葉を選ぶ。
弁護士に言われた通りに。
「ここでの暮らしが続く形で、です」
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説明は分かりやすく、短かく。
建て替え後のビル。
同じ場所に戻れる権利。
家賃ではなく、“床”としての持分。
都市再開発法
の仕組みを、数字ではなく生活の言葉で話す。
「朝、同じ方向から光が入ります。
窓の位置は、ここに近い場所にできます」
物理的には壊す、けれど、設計で再現はできる。
女性は黙って聞いていた。
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「私の店は、どうなるの」
店。
彼女は、喫茶ロンドンの経営者でもあった。
ただ、本人は高齢のため、不定期休業になっている。
「ご希望なら、名前も、内装も、できるだけ引き継ぎます。
——ただ、柱の位置だけは少し変わります」
少しの沈黙。
「……店は、動かさないのね。」
「はい。…動かさないものは残せます」
店の雰囲気、名前、看板、カウンター。
何を残したいかを選ぶのが、再開発。
女性は、窓の外を見る。
人の流れは変わらない。
変わるのは、器だけだ。
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後日、合意書に印が押される。
最後の一人。
一つの区切り。
そこからは速かった。
不在者の“席”は既にある。
後見人も就いている。
多数の同意は確保されている。
事業は認可へ進む。
「全員一致ではないが、全員が参加できる形になっている」
弁護士はそう言った。
外の雪がちらつく。
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解体の日。
看板の「ロンドン」が外される。
防塵の囲いで見えないけれど、
壁が崩れて、削り取られる音が続いた。
これは、誰かの思い出が壊れる音ではなく、次に繋ぐための音。
息が白い。
現場の近くで、女性が佇んでいた。
表情は見えなかった。
どうか新しい芽吹きを待っていてほしい。
もうすぐ桜の季節だ。
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外では、駅前の流れが続いている。
あの“空白”は、もうない。
ただし、完全に消えたわけでもない。
形を変えて、
合意の上に立つ場所として、そこにある。
建設工事は年単位なので、あのロンドンの看板を掲げるのは数年先。
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会議室で、弁護士は最後に言った。
「再開発は、建物を作る仕事じゃない。
合意を設計する仕事です」
そしていつものように、
少しだけ間を置いて付け加えた。
「建物は、その結果にすぎません」
ホント、最後までカッコいい人だなと思った。
週末に美味しい焼肉食べに行きません?って、約束取り付けた俺は悪くない。
ありがとうございました!




