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負動産と弁護士

作者: 白石
掲載日:2026/04/27

地名、店名いろいろフィクションです。あと、制度や知識が間違ってたらすみません。こんなドラマがあったら良いなと妄想です。


人口80万人の桜ノ市は、一級河川に沿った地方都市として栄えていた。


川沿いの堤防には桜が植えられ、河川敷は青い芝生が広がる。


その桜並木の堤防の先は、住宅地と商業施設。

国道の主要道路に沿って年々開発が進んでいる地域だ。


その地域の一部、旧桜ノ市街。

昔あった店は都市計画の道路拡張で立ち退き、駅前には大手チェーンのコンビニと飲食店。


人の往来もあるが、穏やかな時代の流れを感じる駅前。

そこから徒歩三分の大きな交差点の角地。


四階建て、灰褐色の年季の入ったビル。

ビル横についた縦型の看板の文字は白紙。唯一、一階の「喫茶ロンドン」の文字だけがかろうじて読めるが、営業しているか不明。

二階の窓ガラスはひびが入り、内側の障子がビリビリ破れたまま。垂れたカーテンの色は日光ではげて、ずいぶん人の生活の息から遠いように見える。


駅前徒歩3分の、人も車の流れも絶えないのに、その角だけは昔のまま、時代から取り残されている。






——あれは、誰のものなんですか。


そう聞いたのは、再開発会社に入社したばかりの若い社員だった。


上司は少し笑って、こう答える。


「“みんなのもの”で、“誰のものでもない”建物だよ」



---


再開発会社。

それは、図面の裏側を企画する会社だ。


会議室のホワイトボードには、建物の絵はなく、あるのは名前だけ。


丸で囲まれた人の名前。

矢印でつながる関係。

小さく書かれた数字と、「同意」「未」「不明」の印。


若い社員は、最初それを見て戸惑った。

再開発の仕事といえば、ガラスのビルや、完成予想図を思い浮かべていたからだ。


上司は言う。


マニュアルを見せながら。


「図面は最後に描く。最初に描くのは、関係図だ」



再開発会社の仕事は、建物を建てることではない。

建てられる状態をつくることだ。


そのためにやることは、驚くほど地味で、そして長い。


最初の仕事は、調べる。

登記簿を取り寄せ、古い地図を重ねる。

誰が土地を持ち、誰が建物を持ち、誰が借りていて、誰が保証しているのか。

時間は、権利を細かく砕いてしまう。

一つの土地に数人の名前は珍しくない。

登記を更新されてないとか、それぞれに事情がある。


相続、離婚、倒産、約束、忘却。


土地は動かないが、事情は動き続けることを、マニュアルを片手に上司は説明する。


若い社員は、これだけでも途方もない気持ちになる。


---


次にやるのは、会うこと。


電話では足りない。

手紙でも足りない。

顔を合わせる。


「売ってください」とは言わない。

「一緒に考えませんか」と言う。


相手の生活を聞く。

この場所にどれだけの時間を重ねてきたのかを聞く。


相手に寄り添いながら、どうすれば交渉できるのかを探る。


再開発会社は、不動産を扱うが、

交渉しているのは相手のこれからのこと。


もちろん、正しいことを言っても、動かない人はいる。


正しい数字。

利回り、評価額、将来価値。


歳を重ねた相手ほど、動かない。

重ねた人生も価値観も違う。


「相手が納得できることを言わないと、結局動かない」



もっと寄り添った言葉を。

そして、相手のことを考える。


再開発でここがなくなるのではなく、「これからの暮らしをここで続ける方法」に。


同時並行で、計画は少しずつ形を持ち始める。


建物の高さ。用途。

商業フロアと住宅フロアの配分。


だが、優先順位はひとつだけ。

全員が参加できるかどうか。


それがかなり大変だ。


---


もちろん、数字の仕事もある。


事業費。

補助金。

金融機関との交渉。


建物を壊すにも、建てるにも、

すべてに値段がつく。


「夢だけでは建たない。だが、数字だけでも建たない」


そして、交渉にかける時間。

これが一番、重い。


一年では終わらない。

三年でも足りないことがある。


人の考えは、季節のように変わる。

昨日は断った人が、今日は話を聞く。

逆もある。


だから会社は、待つ。

ただ待つのではなく、関係を保ちながら。


そんなに時間がかかるなら、若い社員はあっという間に中堅になるのかもしれない。


説明を聞いて、なおさら途方もない気持ちになる。


---


ボードの「未」がひとつ消えた時、誰かが参加を決めたのが分かる。


拍手はなく、だた静かに印が書き換えられる。

それは確かに前進だ。


この淡々とした実務が、

いつかは慣れるのだろうか。


若い社員は毎日マニュアルを頭に叩き込み、軽いため息と共に閉じた。


春に入社して、もう、夏になっていた。


---


あの角地の古いビル。


「“みんなのもの”で、“誰のものでもない”建物だよ」と上司。


調べてみると、その言葉の意味はすぐ分かった。


土地の名義は、戦後にこの一帯をまとめて買った大地主。

もう亡くなって久しい。

相続人は七人。うち三人は連絡がつかない。


建物は別の会社名義。

その会社は二十年前に解散していた。

清算人の所在は不明。


一階のテナントには、まだ権利が残っている。

昔の契約書に、更新条項がついているからだ。


銀行の抵当権もついたまま。

借金は返済されているはずなのに、登記が消えていない。



---


どこまで調べて、どこまで理解したかを上司に報告する。



「うん。だから壊せないんだよ」


上司はコーヒーをすすりながら言う。


「法律はちゃんとある。壊す方法もある。でもな——」


少し間を置いて、


「全員が納得する方法は、ない」


コーヒー特有の苦くて深い香り。


飲み終えたら休憩は終わりとばかりに、上司は立ち上がる。



デスクについても、先ほどの会話が頭から抜けない。


眺めていた再開発の資料は、めくる音は軽いが、内容は重かった。


何年かかるだろうか。


---


記録は残っていた。


建物の状況確認に行政も来ていたのだ。


危険だから、という理由で

空家等対策の推進に関する特別措置法

に基づく調査が入る。


写真が撮られ、書類が積まれ、

「特定空家に該当する可能性」と記録される。


だが、それだけだ。


命令を出すには、所有者に通知しなければならない。

その所有者が、もう“どこにもいない”。


こんなの、どうすりゃいい。

と、自分の知識が足りないから思うのだろうか。


「…じゃあ強制的に壊せばいいじゃないですか?」


若い社員は、上司に質問した。


上司は首を振る。


「できる。でもな、壊したあと誰に請求する?」


沈黙。


「税金だよ。結局は」


税金を使って建物を壊す。


危険だから、最終的には必要な経費だけれど。


簡単に使っていいお金でもない。


いろいろ理由はあるが、そりゃあ行政も消極的だよなと納得した。




---


別の日、別の話。


あのビル、解体すると固定資産税が跳ね上がるらしい。

建物があるから安くなっているだけで、更地にしたら、数字は何倍にもなる。


「だから壊さないんですか?」


「正確には、“壊せない理由の一つ”だな」


今回は、固定資産税のことはそれほど重要ではないらしい。


企画されている再開発は、近くの地権者をまとめて、新しいビルに建て替える計画だ。


都市再開発法

に基づけば、多数決で進めることもできる。


でも、最後の一人が首を縦に振らない。


八十を過ぎた女性。

この場所で生まれ、この場所で暮らしてきた。


「ここがなくなったら、私はどこに行けばいいの」


その言葉は、書類のどこにも書けない。


駅前は、人々は足早に通り過ぎる。

誰も立ち止まらないその角に、そのビルは今日も立っている。


壊れそうで、壊れない。

邪魔で、でも消えない。



---


若い社員は、ふと思う。


これは廃墟じゃない。

未解決のまま積み重なった、誰かの人生だ。


法律は少しずつ変わっている。

所有者不明土地の利用の円滑化等に関する特別措置法

のように、「動かすための仕組み」も増えている。


それでも。


最後に決めるのは、人間だ。


外の空気が乾燥してきて、季節は秋になっていた。


---


朝が来る。


会議室。


その弁護士は、名刺より先に“沈黙”を差し出すタイプだった。


席についても、すぐには話さない。

テーブルの上の資料を一枚ずつめくり、

最後に顔を上げて、ようやく言う。


「争う必要はありません。順番に“ほどく”だけです」


再開発に関わる関係者は顔を見合わせた。

ここは、ほどけるような案件ではない。


若い社員も同席していた。


弁護士の涼しく整った横顔に、なんだかワクワクした。


仕事できる雰囲気、そんな感じ。


---


最初に彼がやったのは、交渉ではなかった。

“所在”を確定すること。


登記簿、戸籍、除籍、改製原戸籍。

消えた会社の清算人の痕跡。

古い金融機関の合併の履歴。


点だった情報が、線になる。


「いないのではなく、見つけていないだけです」


後学のために、彼に話しかけていた。


隣で上司は笑ってた。


---


数週間後、彼からリストを提出され、皆で確認する。


会議室は広かったが、なんだか異様に熱い。


空調は効いてる。


相続人、九名。

所在不明、二名。

意思能力に疑い、ひとり。

そして、例の女性。


若い社員は、リストを目で追い、その重みを実感する。

これは“建物”の話ではない。


自分も同じように調べたのに、資料は見やすく、理路整然としていた。


---


弁護士の彼は言う。


「この案件のボトルネックは三つ。

 ①所在不明者

 ②意思能力の問題

 ③最後の一人の心理」


指先で順に叩く。


「法律で動かすのは①と②。

 ③は、法律で動かさない」



---


① 所在不明者。


彼は申立ての書式を淡々と整える。

不在者財産管理人の選任。

場合によっては失踪宣告。


「ここは制度で“席”を作る」


——席。


人がいないなら、法的な代理人という席を用意する。

それで会議は始められる。



---


② 意思能力。


医師の意見書、家庭裁判所への申立て。

成年後見人の選任。


「この方の“将来の安全”を守るのが目的です。

 結果として、手続きが進む」


誰かを押しのけるのではなく、

守る手続きが前に進む力になる。



---


そして③。


例の女性の番が、最後に回る。


若い社員は身構えた。


ここが一番、難しいはずだ。


だが弁護士は、資料を閉じた。


「ここは、あなたが行きます」


あなた…? って、上司か?


上司を見ると、上司と目が合う。


ん?と思って弁護士を見ると、手がこちらを指している。


理解したけど、思わずギョッと仰け反る。


え?…どういうこと?


一人、驚いてぽかーんとした俺に、弁護士は口元に笑みを浮かべる。


---


この街の、古い喫茶店。


件のロンドンではなく、まだ営業している数少ない店のひとつ。


女性は窓際に座っていた。

駅前の流れを、長い時間見てきた目だ。


「壊すんでしょう」


先に言われる。


俺は、一度だけうなずいた。


「はい。ただ——」


緊張で胃がキリキリする。


でも、ちゃんと言葉を選ぶ。

弁護士に言われた通りに。


「ここでの暮らしが続く形で、です」



---


説明は分かりやすく、短かく。


建て替え後のビル。

同じ場所に戻れる権利。

家賃ではなく、“床”としての持分。


都市再開発法

の仕組みを、数字ではなく生活の言葉で話す。


「朝、同じ方向から光が入ります。

 窓の位置は、ここに近い場所にできます」


物理的には壊す、けれど、設計で再現はできる。

女性は黙って聞いていた。



---


「私の店は、どうなるの」


店。


彼女は、喫茶ロンドンの経営者でもあった。


ただ、本人は高齢のため、不定期休業になっている。



「ご希望なら、名前も、内装も、できるだけ引き継ぎます。

 ——ただ、柱の位置だけは少し変わります」


少しの沈黙。


「……店は、動かさないのね。」


「はい。…動かさないものは残せます」


店の雰囲気、名前、看板、カウンター。

何を残したいかを選ぶのが、再開発。


女性は、窓の外を見る。


人の流れは変わらない。

変わるのは、器だけだ。



---


後日、合意書に印が押される。


最後の一人。


一つの区切り。


そこからは速かった。


不在者の“席”は既にある。

後見人も就いている。

多数の同意は確保されている。


事業は認可へ進む。


「全員一致ではないが、全員が参加できる形になっている」


弁護士はそう言った。


外の雪がちらつく。


---


解体の日。


看板の「ロンドン」が外される。


防塵の囲いで見えないけれど、

壁が崩れて、削り取られる音が続いた。



これは、誰かの思い出が壊れる音ではなく、次に繋ぐための音。


息が白い。


現場の近くで、女性が佇んでいた。


表情は見えなかった。


どうか新しい芽吹きを待っていてほしい。


もうすぐ桜の季節だ。



---


外では、駅前の流れが続いている。


あの“空白”は、もうない。

ただし、完全に消えたわけでもない。


形を変えて、

合意の上に立つ場所として、そこにある。


建設工事は年単位なので、あのロンドンの看板を掲げるのは数年先。



---


会議室で、弁護士は最後に言った。


「再開発は、建物を作る仕事じゃない。

 合意を設計する仕事です」


そしていつものように、

少しだけ間を置いて付け加えた。


「建物は、その結果にすぎません」



ホント、最後までカッコいい人だなと思った。


週末に美味しい焼肉食べに行きません?って、約束取り付けた俺は悪くない。





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