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赤い月の下で、半年間がひとつの世界になった  作者: tommynya


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第5話 ひとつの世界

 10月31日。

 空港は、カボチャの飾りが目立ち、騒がしいハロウィンの喧騒に包まれていた。黒とオレンジの世界。子供たちの楽しげな声や、スーツケースの車輪の音が響いていた。


 しかし、搭乗口前の、俺たち二人の周囲だけは、世界の音が消えたような静寂に包まれていた。


 空港に着く前までは、普段と変わらないくだらない会話をしていたのに……。どんよりとした弓月と俺の存在が、その喧騒の中から切り取られているみたいだ。ここだけが異空間みたいに。


 弓月の横顔を見つめてみる。すると、もう会えないかもしれない――急に哀しみが押し寄せてきた。大きな窓からは滑走路が見えるから二人でぼんやりと眺めてみる。そこに、朝陽が射して、彼の茶色い髪を照らす。デジャヴだ。4月に弓月を教室で見た時みたいに、灼熱の太陽のように、強烈に眩しい。


「もう時間だ」と弓月が動きだしたから、俺も後をついていく。

 ゲートに入る直前、弓月は立ち止まる。別れの時間は、驚くほど早くやってきてしまった。

 数秒の沈黙が流れ、弓月は軽く振り返ると、ぶっきらぼうに言った。


「じゃあな」


「うん、またな」


 俺も弓月に合わせる。湿っぽいのは嫌なんだろう。

 俺たちは、それ以上の言葉を交わせなかった。感情を全て吐き出し尽くした後には、辛い想いだけが残るはずだ。だから、明るいテンションで別れよう。


「月、忘れんなよ」


「……お前こそ」


 意地を張り、俺たちは最後まで抱き締め合うことはなかった。

 男同士の友情という、言葉にできない領域の絆。重い魂の契約みたいな……。


 搭乗ゲートのアナウンスが流れる。弓月は背を向け、ゲートへ一歩踏み出した。


 その瞬間、俺は衝動的に動いた。

 弓月のリュックサックには、あの日と同じカンボジアの赤いお守りが、紐で結ばれている。

 俺は何も言わず、そのお守りの布をギュッと掴んだ。最後の抵抗だった。


 弓月の体が硬直してから、ゆっくりと振り返ると、俺の顔と、俺が掴んだお守りを捉える。


「サク……」


 俺は掴んだ手を離せない。目だけが、別れへの恐怖で叫んでいた。


「……行くな」


 弓月は静かにリュックサックを下ろす。迷う素振りも見せず、お守りを引き抜いて、俺の手に握らせた。


「……これ、やるよ。大事なもんだけど、お前の方が大事だから」


 彼の目には、切ない覚悟が宿っていた。


「3年後の約束、守れよ。アンコールワットで待ってるから」


 これは、ただのお守りではない。二人の未来を繋ぐ、魂の契約の証だった。


「わかった……絶対行く」


「じゃあな」


 弓月は、今度こそ振り返ることなく、搭乗口へと歩を進めていく。

 その背中は、遠ざかるたびに、世界の重力に引きずり込まれていくように見える。


 俺は、その背中が見えなくなるまで、動けなかった。全身が鉛のように重い。

 手には、まだ弓月の温もりが残るお守りが握られている。


 しかし、ゲートの奥へ消える直前、弓月は、意図的に振り返った。

 その一瞬、俺たちの間にあった何メートルかの距離が、地球の裏側ほど遠く感じた。

 弓月の顔が歪み、唇が震えている。


 その瞬間、俺たちの間にあった、意地の張り合いが、音を立てて崩壊した。

 彼の瞳は、すでに涙で濡れていた。

 それを見た瞬間、俺の視界がぼやけて、弓月の顔を目に焼き付けたいのに……無理だった。指で涙を拭う。


 空港の喧騒も、ハロウィンの騒ぎも、全てが遠いノイズになっていく。二人とも、最後まで強がっていたのだ。

 俺は弓月の姿が見えなくなるまで、ただ立ち尽くしていた。


 ◇


 あれから月日は流れ、大学に進学した俺は、久しぶりに、秘密基地、「日本のベンメリア」の屋上に来ていた。

 もう、孤独で瓦礫になりたかったあの頃の俺じゃない。俺を繋ぎ止めるツタは、もう弓月との約束だけだった。


 俺は弓月と交わした「赤い月」の約束を、ただひたすらに守り続けた。


 皆既月食は、弓月が帰国してから、約3年の間に1度あり、その時、俺たちは互いに写真を送り合った。俺は、崩れた校舎の瓦礫と赤い月の写真。弓月は、赤い月とアンコールワットの写真を。池に映る月と、空に浮かぶ月。二つの月の赤い光が水面で繋がっているように見える写真。


 チャットのやりとりは、決して多くなかった。弓月はめちゃくちゃ忙しかったし。父親の看病を手伝い、弟妹の世話、インターの勉強と、大学受験の準備をしているようだった。


 しかし、月が満ちる夜には、必ずメッセージが来た。


『今日、満月だな』

『見てる。お前も見てる?』

『当たり前だろ』


 それだけの会話。でも、それだけで十分だった。

 高校2年の夏、弓月から嬉しい知らせが届いた。


『親父、復職した。また大使館で働けるようになった』


 俺は、心の底から安堵した。


『良かったな』

『ああ。お前のおかげだ』

『俺、何もしてないだろ』

『バカ。お前がいたから、俺、あの時踏ん張れたんだ』


 その言葉が、胸を熱くした。

 高校3年の春、弓月の誕生日に初めて自分から写真を送った。

「日本のベンメリア」で撮った満月と瓦礫の写真を。画面越しに見える朽ちた校舎は、あの日と変わらない。


『誕生日おめでとう。また一緒に月見ような』


 弓月からの返信は、シンプルだった。


『ありがとう。絶対な』


 たったそれだけ。でも、その「絶対な」という言葉が背中を押してくれた。

 それから数か月後。弓月から、夏の夜にボイスメッセージが届く。俺はイヤホンをつけて、それを何度もリピートした。


『サク、今日さ、アンコールワット行ってきたんだ。あの池、覚えてる? お前に見せた写真の。そこで月見てたら、お前のこと思い出して……月が綺麗なんだ……すごく。なんか、泣きそうになった。バカみたいだよな、俺』


 弓月の声は、少しだけ震えていた。


『でも、国は違っても、同じ月を見てるって思ったら、なんか大丈夫な気がしたんだ。お前も……月見てる?』


 俺は、その夜、部屋の窓から満月を見上げながら、久しぶりに涙を流した。理由は分からないけど……いや、それはない。弓月と面と向かって話したくなっただけ。ずっと弓月の声が耳の奥で響いていたのだから。



 それから、俺は変わったと思う。家では相変わらず透明人間扱いだったが、その薄い反応にも、以前のような絶望感はない。生きる理由がちゃんとあったからだ。


 弓月に会いに行く。その目標が、俺を前に進ませた。


 適当に毎日をやり過ごしていた頃の俺には、目標なんてものがなかったけど、今は違う。向かう場所があり、それだけで、朝が来るのが待ち遠しくなった。こんな性格じゃなかったし、人間らしくもなかったのかも。でも今は、朝が来るのが怖くない。


 その頃、近所にコンビニ風の店がオープンした。6時から22時まで営業の。さすがに、こんなド田舎にコンビニは簡単には出店しないだろう。俺はこの店でバイトを始めた。週に4日。最初は雑用ばっかりで、品出しや在庫管理が主な仕事だった。しばらくすると、レジに入ったりと出来ることが増えていった。


 閉店後に床を掃いていると、手が震えることがあった。嬉しいのか怖いのか、どっちかわからない。このままここで働いていたら、本当に行けるんだ、弓月に会いに――。貯金通帳に少しずつ数字が増えていくのを眺めると笑顔になれる。もうすぐだと思うと頑張れるし、それが俺の希望だった。


 大学に合格した時、親は「よくやった」と言ったが、それだけだった。だが、もう気にならなかった。俺には、行くべき場所がある。会うべき人がいるから。


 そして今、19歳になった俺は、アンコールワット行きの航空券を、自分のバイト代で買う準備を始めた。今度は俺が、自力であいつを追いかける番だ。


 空には、雲一つない満月が輝いている。俺は自室のベッドで寝そべり、スマホで「シェムリアップ行き」のチケットを検索していた。日付、金額、ルート。真剣に画面を見つめる。


「これで、本当に、次の赤い月は、あいつと一緒に見れるんだ」


 そう決意した瞬間、スマホの画面に通知が表示された。弓月からのメッセージ。


『誕生日おめでとう!今、月見てる。サクも月見てる?』


 俺は急いで返信を打ち込む。


『ありがと! 俺も、同じ月見てるぞ。待ってろ、次の赤い月の日には、そっち行くから』


 既読。「入力中……」という表示が点滅する。


 俺はチケットの購入ボタンに指をかけたまま、気持ち悪いくらいニヤニヤしていた。

 だって、弓月が俺の誕生日を、まだ覚えてるなんて思わなくて。普通に嬉しい!


 すると、弓月からのメッセージが届く。


『来月、日本行く。待ってろ』


 画面に表示されたその一行が、俺の世界に、夜明けみたいな一筋の眩い光を差し込んだ。

 俺はベッドから立ち上がり、窓を開けて外気を吸い込む。満月を見上げると、ひんやりとした夜風が気持ちいい。嬉しくて叫びそうなのを堪えて、落ち着いて返信する。


『待ってるよ、バカ』


 空の満月は、あの夜の赤い月とは違う、静かな白さで輝いている。

 でも、同じ月だ。弓月が見ている月と、同じなんだ。


 ポケットの中で、あの日弓月がくれたお守りが、温かかった。


 あの半年間だけが、俺たちのひとつの世界だった。

 でも、その世界は終わりではなく、続いていく。

 同じ月を見ている限り、俺たちは繋がっている。





              ―Fin.―





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