前日譚 その2
地面から立ち上がろうとして、体の重さがのしかかった。
膝がカタカタと笑ってしまう。
ピッポー、ピッポー
横断歩道のメロディが鳴り、青信号が先を急かしてくる。
いずれにしても、魔法を覚えることにした。今後必要になる。
――今後。
口元まで酸っぱさが上がってきたので、これ以上は考えない。
魔法を覚えられそうな場所を知りたくて、ひとまず警察へと向かった。
――警察署内。
署内に看板があった。
――
昨日の交通事故
死亡 1
負傷 56
――
――
第A種・第B種4大元素魔導免許更新のお知らせ
更新はお早めに!
――
――
人権標語ポスター
「わがままでまほうはみっともない!」
――
すべての掲示が、常識を押し付けてきた。
そうしていると、警察官の姿が見えた。
どこかぶすくれた顔をしていた。
「魔法を覚えられる施設って、このあたりにありますか?」
警察官は眉をひそめ、こちらを睨む。
「……魔導免許はお持ちですか?」
俺は首を横に振った。
警察官の眼光が更に鋭くなった。
「では、小児期の診断記録などは。当時かかられた病院名でも」
「お、覚えてないですね」
「住民票、戸籍番号など教えていただいても?」
喉がきゅっと締まり、背中が冷えた。
――今の俺はそれを知らない。
警察官は無線に手を伸ばした。
「ええ、はい。保護という形で一度……」
次の瞬間、捕まりかねない。
思考より先に体が動き、俺は出口へと走った。
背後から椅子のなる音と叫び声が聞こえた。
その瞬間――
俺の体が宙に浮いた。足で地面を捉えようと空を掻く。
出口には女性が立っていた。
栗色の髪に、白スカートのガーリーファッション。甘い香りが鼻を突いた。
花や香水とは違う、わざとらしい甘さ。
女性は少し縮こまりながら、財布を差し出した。
「落とし物のお届けに来ました…… それと、あと……この人も?」
体がふっと降ろされた。柔らかな風が頬をなぜた。
ややあって、警察官は書類を差し出してきた。
「記憶喪失なら、最初から言っていただければよかったのですが」
「身元不明の日本人として扱うこともできますので」
うつむきながら警察官は言った。
記載を終え、警察を後にした。
彼女は目をパチクリとさせながら聞いてきた。
「な、なぜあんなことに?」
「魔法を覚えたかっただけ、なんです……」
「ふむ」と、彼女は唇をモゴモゴさせた。
「なら、いい方法がありますよ?」
胸を張って、彼女は言った。
――ある施設の前に連れて来られた。
彼女は、魔導書がいっぱい置いてある、と豪語していた。
『稲穂町立図書館』
俺は頭を抱えた。
「そ、そりゃそうじゃん!」
最初から図書館の場所を聞けばよかった。
辺りを見渡すと、彼女がまだそこにいた。
「何されてるんですか?」
「へ? いや、案内しようかと」
俺の眉間にシワが寄った。
一人のほうが楽なんだがな。
「迷惑……でしたか?」
濡れた子犬のような顔で覗き込まれる。
俺はわざとらしい笑みを浮かべた。
「いえ、全くそんなことは」
「ただ、あなたの時間を取らせるのが申し訳なくて」
「優しい、方ですね」
そう言って、彼女は笑った。
――図書館内。
少し古びた公民館のようなとこだ。
室内は紙の匂いで満たされている。それを肺の奥まで吸い込んだ。
――いい気分だ。
彼女は棚を撫でながら言った。
「火、水、風、地。これが魔法の種類です」
彼女の指先に合わせて、髪がたなびいた。
俺はこめかみを押さえて言った。
「魔法、4種類しかないんですか?」
「そう。ちなみに、私は風」
「風魔法って何ができるんですか?」
「風を送ること」
俺は大きく息を吹いた。
胃の底が重くなる。
「魔法って、便利ですか?」
「あんまり」
俺は顎に手を当てた。
――じゃあ、魔導免許はどうなる?
使わない力に、更新制度だけが残るはずがない。
残る理由があるなら、『使わせるため』ではなく、『縛るため』だろう。
だからこの街は、科学を捨てずに、俺にとって当たり前の顔をしていたんだ。
俺は彼女の方を見た。
「でも、あなた魔法で俺のこと浮かせてましたよね?」
「まあ、私は――」
「あ! あったよ。これ!」
彼女は弾かれたみたいに、本棚から一冊引っ張り出した。
――
絵本
「こどもでもわかるまほう」
――
魔導書って、これ?
奥歯で怒りを噛み潰す。声が漏れそうになる。
「あ、あの。他の本ってあります?」
「あ、あれ? これじゃだめ?」
彼女ははにかんだ。
そんな時――
ガタガタ、と一つの本が震えてだした。
スポン、と本棚から抜け出す。
床に落ちるやいなや、不規則に跳ね回る。背表紙で本棚を叩くと、紙片で吹雪が巻き起こる。
彼女は淡々と言った。
「ありゃ、付喪化しちゃってますね。たいていはすぐ収まるので……」
ガタン! ガシャン!
「……あ、この子は違うかもですね」
彼女は指を立てる。彼女の体が白く輝き出した。
風が巻き、暴れる本だけが宙に巻き上げられる。
ページが風でめくれて、パラパラと音を立てる。
物音を聞きつけ、司書が駆けてきた。
事情を話した。
その本は司書の腕の中でも跳ねようとした。
「こちらは、蔵書本ですね」
司書は、にこやかに言った。
「ご安心ください。こちらで処分しておきますので」
その本は、ほんの少しだけ震えた気がした。
――礼を背に、俺たちは図書館を後にした。
彼女は声を一段落とす。
「付喪神って長いこと大切にされた物がなるんですよ」
「思いのエネルギーが蓄積するんですって」
「普通はそのエネルギーだって、すぐ消費しちゃうもの、なんですけど……」
あれだけ動けたということは、それだけ大切にされてた裏付けだ。
それでも、人は邪魔なら――処分するんだ。
何かを思うだけ無駄なんだろう。
世の中こんなもんだ、と割り切るしかないんだ。
この空気が嫌で口を開いた。
「それにしても、あなたの魔法はすごいですね」
彼女の眉はわずかに動いた。
「ええっと…… 俺、名前って聞きましたっけ?」
彼女は肩を落として答えた。
「卯月 桃です。桃でいいですよ」
「卯月さん、普段は何を?」
「ペットショップの店員をやってます」
「よければ、職場を見学させてもらえませんか?」
俺たちはペットショップへと向かった。




