その1 癇癪
次の瞬間、子供が炎に包まれた。
ひさしに掛かりそうな火柱に、母親が凍りつく。
俺は言った。
「魔法で止められないんですか?」
卯月さんは慌てふためいていた。
「む、むりかも。あんな火力なら、風は逆効果で」
「魔導隊に通報! 111!」奥で誰かが叫んだ。
母親は立ち尽くしながら、喉が潰れそうな声で何かを叫んでいた。
視界の端でポスターが見えた。
「保険適用外 魔導隊到着まで平均五分 *混雑時、到着に時間がかかる場合がございます」
俺は深いため息をつき、自分の胸を強く叩いた。
「卯月さん。川に落ちるんで、後で引き上げてください。」
――どうせみんな、見てるだけだ。
寝覚めが悪いのはゴメンだ。
俺は炎に包まれた子供を抱える。
肉が焼けるような油の香りがする。
子供を持ち、足を引きずるように水辺を目指す。
呼吸を整えようと息を吸うと、肺が熱で焼け焦げた。
痛みに喘ぎながら、店の前の川までたどり着き、背中から飛び込んだ。
――どうして、こんなことになったんだ。
そもそもペットショップに来なければ。
話は、二十分ほど前にさかのぼる。
俺たちは公園で小休止していた。
「卯月さん、動物だと何が」
「猫が好きですかねぇ。佐藤さんは?」
「うーん、と」
「猫でしょ?」
表情はおだやかなのに、目だけが刺さってくる。
「まあ、動物全般ならウサギが……、はい」
彼女の瞳孔がカッと開いた。
「なるほど、ウサギ派ですか! 裏切り者だ!!」
何やら地雷を踏んだらしい。素直に猫って言えばよかった。
卯月さんは声のボルテージを上げて言った。
「あんなに愛嬌があって感情豊かで! ベタベタしないあの距離感! あの可愛さがわからないと?!」
「ウサギだって感情豊かでしょ。指を預けたら寄って来るんですよ? 『なでてー』って」
――しばらく俺たちは、くだらない議論を交わした。
息が整わないまま、俺は言った。
「さて、そろそろ行きますか」
「はっ! 逃げるんですか?」
「いや、ペットショップで決着をつけようと」
「いいアイデアです。生で見たら、きっと猫派になるでしょう!」
――ペットショップ内。
動物たちが和気あいあいとしている。
おとなしめな子、元気な子、よく寝てる子にものぐさそうな子。
ケージ越しでも性格が透けて見える。
彼女は少し横に揺れながら言った。
「こちらは、可愛い可愛い猫コーナー」
「アメショちゃん。銀色の毛並みに、目の色が映えてキュート♡」
――アメリカン・ショートヘア。
「ロシアンちゃん。うちの子はクシャミで火を吹きます」
――ロシアンブルー。は?! 火を吹く?
「メインクーン。きれいな毛並みなのに、水魔法使うから拭くの大変」
――なるほど、ケージが耐火仕様…… 今、水魔法って言ったな。
「はい次、裏切り者が好みのウサギ」
「ネザーランドは水、ホーランドロップはなし、ミニレキッスは風」
クシュン、ブォー!!
後ろの猫ケージから火炎放射器みたいな音がした。
「ま、待って! お願い待って!」
彼女は口を尖らせて言った。
「え? まだウサギ見たいの?」
「ち、違う! もう何派とかどうでもいい!」
俺は彼女の肩を持って聞いた。
「ど、動物って魔法使うの?」
「そりゃあ」
彼女はきょとんとしていた。
後ろの店員は、慣れた手つきでケージに水を足した。
「じゃあ虫は?」
「使ってるやつ見たことないですね」
彼女は、子供に諭すような優しい目をしている。
「犬<猫<ウサギの順に魔法を使える子が多い気はします」
俺は首をかしげていると、外から泣き声が聞こえた。
出口付近で子供が泣いているようだ。言葉だけがぶつ切れて聞こえてきた。
「やーだーー!! ワンちゃん飼うの!!」
母親はため息を吐いた。
「もう、見るだけって言ったでしょ?!」
「いーやぁーだ! 飼いたい!!」
――炎を追うように、母親の悲鳴が突き刺さった。
――現在。
「ば、バカじゃないのかなぁ、あなた!」
卯月さんは右手を振り回しながら怒っていた。
例の子供はふれあいコーナーではしゃいでいた。
「すみません…… 今日薬を飲み忘れてたみたいで」
「い、いえ、お母さんに言ったわけでは……」
俺はタオルで髪を拭いた。照明に照らされ、動物の毛がふわりと浮いている。
「良かったじゃないですか。お互い軽症で済んだわけですし」
「あ、呆れた。全然反省してないし」
壁の消火器が目につくが、そんな余裕もなかった。
遠くから店員と警察官の会話が聞こえた。
「だ、だから私たちの指示ではなく」
「彼の独断でやったことで」
そうして、警察官がこちらに近づいてきた。
善意の行動で、責任を負わされる。これが常識だ。
優しさなんてタバコみたいなものでしかない。子供を助けたのだって、ただのカッコつけだ。
クシュン。
「大丈夫ですか?」
「何がです?」
「いや、クシャミ。やっぱ風邪引いたんじゃ」
鼻の奥がさっきから変だ。
奥が膨らみ、掻きでもしないと収まらない。
「ちょっと!」
呼吸ができない。吸っているのに息苦しさが増していく。
「佐藤さん! 大丈夫ですか?!」
音がうまく入ってこない。声が遠い。
「も、もしか……、動物……?!」
視界が白む。眼の前に地面が来た。
動物が動くのが、一瞬見えた。
「…………?!」
なんで、自分が『動物アレルギー』なことを忘れてたんだ?
頭の奥で、『彼』に巻かれた記憶がほどけた。
――
目を開けると、白い天井が見えた。
ふわりとした甘い匂いのするベッド。喉の乾きが、やけに気持ち悪い。
ひとまず、死んではいないようだ。




