第6夜 深淵の底にて
夜。
柊木の事務所。
堂島はUSBメモリを机に置く。
「警察庁の旧データベースを漁った。……“結城玲司”って名前は、確かに存在してた。でも、2018年を境に痕跡がすべて消えてる。“異動”も“退職”も“死亡”も、記録なし」
柊木は黙って、スクリーンに表示された一行の名前を見つめていた。
結城 玲司(警視庁 情報管理課)
「……消したのは、結さん本人だろうね。“自分という記号”を、国の記録から抹消できる唯一のポジションだった」
「つまり、結城は生きてる」
「たぶんね。そして今も、“観察”してる」
次の日、堂島と柊木は結城の旧居――都内北区のアパートを訪れていた。
表向きには既に他人の名義だが、近隣の住民の証言で「半年ほど前に、深夜だけ誰かが出入りしていた」という情報が得られた。
鍵をこじ開け、ふたりが中に入る。
「……残ってる」
机の引き出しには、古びた封筒と、束ねられた新聞の切り抜きがあった。
いずれも、過去に不起訴となった事件の記事。
その端には、見覚えのある筆跡で走り書きのメモが残されていた。
「被害者は証言を取り下げた。背後に企業の影。警察も黙認」
「次は、自分で裁くべきか?」
堂島が手に取った一枚のメモに、視線が吸い寄せられる。
「……これは、柊木、あんたの書き癖だ」
滲んだインク、独特の“へ”の字の傾き。
それは、確かに柊木自身の文字だった。
「結さん……“僕の文字”を真似て、記録を残してたのか」
柊木の声が、ひどく乾いていた。
「“後を継ぐ者”として、誰かが見るときのために。真相に近づいた人間がこれを手にすれば僕が結さんのスケープゴートになる――あの人、全部計算してたんだ」
堂島は、その言葉に目を細めた。
「つまり……あんたは、“もう一人の結城”にされかけてたってことか」
柊木は答えなかった。
ただ、ふっと息を吐くように、ソファの背にもたれた。
しばらくの沈黙。
柊木が、低く絞るような声で言った。
「僕が信じた“正義”は、最初から……結城玲司が造った“檻”の中にあった」
柊木がゆっくりと立ち上がる。
「堂島くん。僕さ、たぶん――この事件に“本当は最初から関わってた”」
堂島が視線を上げる。
「どういう意味です?」
「昔ね。僕が結さんに教わってた頃、“法で裁けない人間をどうするか”って話になった。結さんは言った。“未来に正義の補完者が必要になる。そのとき、お前が必要になる”って」
堂島は言葉を失いながらも、柊木の横顔を見つめていた。
夜。
帰り道。
ファミレスで向かい合ったふたりは、初めて“段取り”の話をしていた。
「……で、明日以降はあの古い掲示板のバックエンドを探る。君は都内の端末を辿る。僕は郊外の倉庫物件を当たる」
「手分けしますか」
「うん。初の“共同作戦”だね」
「それを“作戦”って言い張る大人、初めて見ましたよ」
「でもさ、ちょっとワクワクしない?」
「……まあ、ちょっとだけ」
「お、素直」
「言わされてる気しかしないんですけど」
会計を済ませて出るとき、堂島がぽつりと呟く。
「結局、あんたは何のために動いてるんですか?」
柊木は自販機で缶コーヒーを買いながら、さらっと答える。
「君が無事でいられるなら、僕はそれでいいよ」
「は?」
「気にしないで。言ってみたかっただけ」
堂島は赤信号を見ながら、小さく鼻で笑った。
「そういうの、ちゃんと照れた顔してから言ってください」