第4夜 見えない執行者
堂島は、署の仮眠室にこもっていた。
ノートPCのモニターが放つ青白い光だけが、眠らぬ彼の顔を照らしている。
目を細めながら、再び例の掲示板を開いた。
《正義の名のもとに、今日も誰かが裁かれる》
《No.13 高城悠――実行に移すべきか? YES:58% NO:42%》
《意見がある者は、下記プロトコルからMASK管理窓口へ》
“MASK管理窓口”。
普通のブラウザでは開けない深層リンク。
堂島は違法性の境界ギリギリに足を踏み入れながら、そこにメッセージを送った。
【件名】「あなた方の“正義”について」
【本文】「高城の件で話がしたい。あなた方の判断基準に、直接触れてみたい。
私は警察の人間だ。だが、敵意があってのことではない。
正義を語るなら、その責任も共に語ってもらいたい」
― D.K.
送信後、数分の沈黙。
そして――返信があった。
【MASK-03】「その勇気は、正義の覚悟か、ただの愚直さか。
いずれにしても、話す価値はありそうです。
明日、17時。新宿三丁目、“マジェスティック”という喫茶店でお会いしましょう」
堂島は、メール画面を閉じると、深く息を吐いた。
背後から、同僚の声がかかる。
「おい、またあの掲示板覗いてるのか。……それ、正式な手続きじゃ通らないぞ」
「わかってる。だから一人でやる」
「堂島、お前……」
「大丈夫だ。俺が相手にしたいのは、“正義を履き違えた人間”だ。――その輪郭が、今やっと見え始めてる」
夕方。新宿、路地裏の古びた喫茶店。
昭和レトロな内装にジャズが流れる。
堂島は一人、窓際の席に座っていた。
向かいの椅子に、男が腰を下ろす。
黒縁眼鏡にノータイのスーツ。
警察官にも見えなくはないが、所作が妙に洗練されていた。
「……堂島健斗さん、ですね。初めまして」
「お前が、“MASK”の人間か」
「はい。MASK-03と呼ばれています。本名や所属は不要でしょう?――我々の“行動理念”に、興味を持っていただけたと聞きました」
堂島は言葉を選ぶように、ゆっくりと答えた。
「……興味なんかない。ただ、“命が消されてる”理由が知りたいだけだ」
男は穏やかに笑った。
「我々がやっているのは、あくまで社会の歪みの是正です。法で裁けない者がいる。それを“仕方ない”で済ませるのか、という問題提起でもある」
「裁く権限も資格もない人間が、勝手に線引きして命を奪う。……それが“正義”だって、本気で思ってるのか?」
「思っている、とは違います。ただ、“黙っているには限界がある”だけですよ。あなたも、そう感じたことがあるでしょう?」
堂島の表情が、わずかに揺れた。
同じ頃、数十メートル離れたビルの屋上。
柊木蒼真は双眼鏡を片手に、店の中を見下ろしていた。
「……案の定、単独で動いたね、君」
彼は小さく呟くと、背後に立つ影に気配を向ける。
「君が来るとは思わなかったけど。……MASK-02?」
MASK-02と呼ばれた黒のフードにキャップをかぶった細身の男が、無言で柊木を睨んでいた。
「ここに来たってことは、君たちも“03のやり方”には不満があるってことか。あるいは、監視か。――それとも、僕の始末?」
男は無言のまま歩み寄ると、名刺サイズのメモを差し出してきた。
そこには、たった一言。
“MASKは思想、個人ではない”
「……おおこわ」
柊木は笑ってそれを受け取り、ポケットにしまう。
再び喫茶店。
堂島が目を伏せ、コーヒーのカップを回す。
「俺の知ってる正義は、人を殺さない。法律の外で人を裁くことを、“正義”とは呼ばない」
MASK-03が、淡々と返す。
「それは、正論です。あなたのような人間がまだ現場にいるとわかって、少しだけ安心しました」
「何が言いたい」
「あなたが、こっち側に来ないことを、我々は歓迎します。……あなたが死ぬのは惜しい」
堂島の目が鋭くなる。
「脅しか?」
「警告です。あなたは“触れてはいけない領域”に手をかけている。その先に何があるかを、知る覚悟があるのなら――好きに動けばいい」
ビルの前。
堂島が出てくると、壁にもたれかかっていた柊木が手を振った。
「はい、お疲れさま。コーヒーは奢ってもらった?」
「……あんた、見てたな」
「もちろん。部下が危ない取材に行くの、上司はちゃんと見てなきゃ」
「誰が部下ですか」
「え、違った? 僕のなかでは君、“探偵助手”枠だけど」
「……ほんとにもう……」
堂島がため息をついたその隣で、柊木がぽつりと漏らした。
「彼らの思想って、ねじれてるけど、一本筋が通ってる。でもね――通ってる筋が、最初から“正義”じゃなくて“復讐”なんだよ」
「……じゃあ、あんたは、今でも正義を信じてるのか」
柊木は堂島を見ず、空を仰いだ。
「信じることに、意味があると思ってた。でも今は――信じてる誰かが隣にいてくれたら、それでいいかなって」
堂島が、その言葉に反応しかけたが、何も言わずに歩き出す。
柊木はその背を追いながら、小さく呟いた。
「……ちょっとキュンときた?」
「聞こえてんだよ」