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第2夜 歪んだ光

 翌朝。


 警視庁庁舎内、捜査一課第七係のミーティングルーム。


 堂島は会議室のモニター前で資料をめくりながら、他の刑事たちの視線を受けていた。


 上層部からの“圧”は、明言されずともはっきりとそこにあった。


「――堂島、勝手な動きは控えろ。お前の報告書、公安経由で上にも回ったらしいぞ」


 上司の言葉に、堂島は短く頷いた。


「……了解です」


 だが、その視線はどこか据わっていた。


 彼の中で、既にギアは切り替わっていた。




 風俗街の一角、昨日と同じ雑居ビルの最上階。


 堂島は躊躇なくドアノブに手をかけた。


「……」


 鍵は、かかっていなかった。


「……ん?」


 少し訝しみながらも扉を開けると、室内からすぐに声が飛んできた。


「勝手に開けていいって言った覚えはないんだけど?」


 柊木蒼真(ひいらぎそうま)


 ソファに座ったまま、新聞を片手にこちらを見もせずそう言った。


 堂島は少しだけ眉をひそめる。


「……鍵、開いてましたけど」


 柊木は新聞をたたみ、悪びれもせず堂島に目を向ける。


「……そろそろ来るかなーと思って開けておいた」


「素直ですね」


 柊木はふふ、と笑って立ち上がる。


「……あれ、今日ネクタイちゃんと締まってる。珍しいね」


 堂島が無表情で答える。


「昨日あんたに指摘されて、腹立ったんで直しました」


「素直だね。かわいい」


「やめてください。ぞわっとします」


「照れてるのもいいねぇ」


 堂島が睨みつけるがそれを気にも留めず、柊木は鼻歌交じりでポットでコーヒーを淹れ始める。


 堂島はため息を吐きながら勝手に椅子を引いて腰を下ろす。


「――掲示板について、調べ直した。全件に共通してるのは、“不起訴案件”であること。しかも、現行データと照らす限り、情報が“リアルタイム”で更新されてるように見える」


 柊木が眉をひそめる。


「リアルタイムって、つまり……?」


「起訴/不起訴の処分が下った数日後には、その名前が掲示板に載ってる。あり得ない速さです。これ、検察の内部情報が漏れてるとしか考えられない」


「……へぇ。やるじゃん、堂島くん。ちゃんと刑事してるね」


 堂島がじろりと睨む。


「褒められてる気がしません」


「うん、たぶんそれ、君の被害妄想」


 コーヒーをカップに注ぎながら、柊木が口調を落とす。


「ねえ、堂島くん。掲示板のこと、本気で追うつもり?」


「何度聞くんですか、それ」


「それくらい覚悟が必要ってこと。……あれ、“見てるだけの人”には害がないけど、“追い始めた人”には牙を剥くタイプだから」


「構いません」


 柊木は一瞬だけ口を閉ざした。


 だがその次の瞬間、にやりと笑う。


「そう。やっぱり、面白いね、君」


 堂島が出されたコーヒーを口に運ぶ。


「……これ、苦すぎません?」


「昨日の豆の残りに、ちょっとだけ今日の混ぜたやつ。うちの“ブレンド”って呼んでる」


「普通に不味いだけです」


「うん、僕もそう思う」


「何で出したんですか……」


 柊木は悪びれもせず、堂島の隣に腰を下ろす。


「さて、“甘味”でも買ってこようか。堂島くん、甘いの好きでしょ?」


「……何で知ってるんですか」


「見ればわかるよ。君、眉間にシワ寄せる癖あるけど、和菓子屋の前でだけちょっと緩むから」


「……いつ見てたんだ……気持ち悪いなあんた」


「誉め言葉として受け取っておくよ」




「ま、冗談はこれくらいにして……君、これ見た?」


 柊木がノートPCの画面をくるりと回す。


 掲示板のコピーキャッシュ――


 すでに削除されているが、ネットアーカイブにわずかに痕跡が残っていた。


「昨日消えたページですね」


「そう。消されたってことは“都合が悪い”ってこと。でもほら、この下。掲載されてる“未公開処分案件”――処分日が昨日の正午」


 堂島が一瞬、目を細める。


「……昨日の正午って、検察の内報が警視庁に回ってくる前ですよ。つまり“正式発表の前に”、掲示板には情報が流れていた」


「うん。これって、中に誰かいるってことだよね。検察、あるいはその周辺に」


 柊木は静かに言い切った。


 堂島がメモ帳にそのログの時刻と処分番号を書き留める。


 手の動きに、柊木が目を細める。


「……左利きなんだ。意外」


「そうですか?」


「もっと“右”寄りな性格かと思ってた」


「……どういう意味ですか」


「いやいや、深く考えなくていいよ。こっちの話」


 静まり返った空気の中、柊木がふと視線を逸らし、手元の書類の束から一枚のコピーを引き抜く。


「この事件――平成28年、富士見里町」


 堂島がコピーに目を落とす。


「……高名な慈善家が不起訴になった事件。殺人疑惑があったのに、立件まで至らなかった。あなたが主任捜査官だった」


「そう。それ、僕が『最後に』捜査した案件だった」


 堂島が一瞬だけ柊木を見る。


 その横顔は、冗談のときとは違っていた。


 目の奥に沈殿した、何か濁った光。


「そのとき、僕の上司だった人がいる。――結城玲司って名前、聞いたことある?」


 堂島は首を振る。


「ありません。データベースにもいませんでした」


「そうだろうね。今は“死んだことになってる”から」


 堂島が驚きの表情を見せるより早く、柊木は立ち上がって窓を開けた。


 冷たい風が部屋の空気を一気にかき乱す。


「警察ってね、“消したい名前”を消すのが上手いんだよ。表には出さず、ただ静かに“なかったこと”にする。――結城さんは、その典型」


 堂島が、コーヒーのカップをそっと置く。


「その結城という人が、今の事件に関係してると?」


 柊木は答えず、外を見たまま静かに言った。


「さあね。でも、僕の直感は告げてる。“この連続不審死の裏には、彼の息がかかってる”って」


 沈黙のまま、しばらく風の音だけが部屋を流れていた。


 やがて、柊木が小さく笑った。


「……ねえ、堂島くん。君、変わってるね」


「何がですか」


「普通なら、“関わらない方がいい”って感じた瞬間、逃げ出す人が多いのに。君は、僕の話を“ちゃんと聞こうとしてる”」


 堂島は少しだけ、口元を緩めた。


「……たぶん、あんたより変人じゃないと思います」


「僕、変人に見える?」


「見えます」


 柊木は苦笑しながら、テーブルの端に腰を乗せた。


「……なら仕方ない。その変人――僕が知ってる限りの“死んだはずの男”の話、してあげる」


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