第1章・ミサキ(2)
私は再び、今後の計画について思案する日々を送ることになった。
『これ以上、何を考え込むことがあるのだ? トルネッタよ』
「レナウド達が無事に戻ってきた暁には、どのような祝賀会を催したものかと。そのことばかり、考えているのです」
べスタロドにはそのように言って誤魔化していた。
とはいえ、自室に籠ってばかりいては考えが煮詰まる。
私は何の気なしに、城の裏庭を訪れる事にした。
当然のように、べスタロドも私の後に付いてくる。
「せいっ! やあーっ!」
木々に囲まれて薄暗い裏庭からは、少女のものと思わしき叫び声が聞こえる。
私が裏庭を覗き込むとそこには、ピンク色の長い髪を二つ結びにした少女が、何度も何度も正拳突きを繰り出す姿があった。
動きやすい薄手の服装から伸びる四肢は、弾けるように健やかに鍛えられている。
声の主はレイアレスの第三王女であるマイロナ姫だ。
設定年齢は十三歳。
本来であればシナリオ第三章の開始時にパーティに加わる、プレイアブルなキャラだ。
「随分と精が出ること、マイロナ……」
私がマイロナ姫に声をかけると、彼女はビクッと背を震わせてから、こちらを向いた。
「ト、トルネッタ姉様! こ、こんなはしたない姿をお見せしてしまって……!」
マイロナ姫は酷く狼狽えた様子をみせる。
それというのも、「自分よりも法力が低い唯一の兄弟姉妹」という理由で、私が転生する以前のトルネッタ姫からは執拗な嫌がらせを受けていたからだ。
「構いません、お続けなさい」
「は……はい……」
そう言うとマイロナ姫は、気まずそうな表情をしながらも、再び正拳突きをし始めた。
マイロナ姫は兄弟姉妹たちの中では最も法力が低く、王位の継承は絶望的であった。
王家の者として惨めな思いをさせられる機会も多かった。
そんな彼女の心は劣等感と閉塞感でいっぱいになっており、いつからか、独学での格闘術の習得に没頭するようになっていた。
シナリオの第二章の終盤、べスタロドを討伐する勇者パーティの活躍ぶりを目の当たりにした彼女は、冒険の旅に憧れるようになる。
その結果、勇者パーティに与えられた船に隠れて乗り込み、どさくさに紛れてそのまま仲間に加わる……というのが、本来の役どころだ。
『私にもできることがあるって、私でも輝けるんだって……私は証明してみせたい!』
これは、マイロナ姫がパーティに加わる場面で吐露したセリフだ。
マイロナ姫は法力こそ低いものの、生まれ持った超一流の格闘センスによって、優秀な物理攻撃役へと成長する。
可憐なビジュアルも相まって、高い人気があるキャラだった。
私にとってもマイロナ姫は特別な存在だ。
窒息しそうな息苦しい世界を飛び出して、真っすぐに自分の生きる道を確立させていく彼女の眩しい姿に、私の心は強く打たれた。
シナリオの中で彼女が活躍する度に、私は心を奪われていった。
正直に言う、笑われても良い。
私は前世の頃から今までずっと、マイロナ姫のことを心から愛し続けている。
ふわっと風が吹いた。
マイロナ姫から発せられた甘酸っぱい体の匂いが、私の鼻孔をくすぐる。
「良い型の突きですね、マイロナ」
「あ……ありがとうございます、トルネッタ姉様」
マイロナ姫が緊張した態度を崩さずに言葉を返す。
私はマイロナ姫との間にある埋め難い心の溝を感じて、切ない気持ちに襲われた。
なぜ、この世界での転生先がよりにもよってトルネッタ姫であったのか。
私は改めて残念に思う。
『仮にも王女だというのに、こんな場所で一人で格闘ゴッコかい。寂しいねえ』
私の横でべスタロドが呟く。
私はふと考えた。
勇者パーティがエンシェント・ウルフの討伐に失敗するであろうこの世界で、マイロナ姫は今後どういう人生を送るのか、ということを。
勇者パーティが壊滅することで、マイロナ姫は王国の外へ飛び出す機会を失う。
その場合、彼女はいつまで、こうして裏庭で一人で格闘ゴッコを続けるのだろうか。
いつになったら、王族としての窮屈な生活を抜け出して、生まれ持った才能をこの世界で輝かせることができるようになるのだろうか。
私は自分が生き残るための最良の手段として、勇者パーティを妨害する計画を企てた。
だがその結果、私は自分が愛する者から、大切な何かを奪ってしまうのではないか?
「マイロナ……。貴方は何のために、そうやって拳を突き出すのです?」
私はマイロナ姫に問う。
「はい……。このようにしていると、全身が程よく温まり、心が満たされるのです」
トルネッタ姫への返事は、実に当たり障りのないものであった。
「本当は、自分を縛り付ける形の見えない鎖を、その拳で打ち砕きたい……そう願い続けているのではなくて?」
私はあえて、核心をつく内容を口にしてみた。
「そ……そのような事は決してありません! 私はレイアレスの第三王女マイロナです! 王家の者として、民衆の前に立つものとして、せめて心身だけは常に健やかでありたいと、そう願っているだけです!」
それでもマイロナ姫は、自分の内心を押し殺す態度を崩さなかった。
『マイロナをいじめるのも程々にしておけよ、トルネッタ。品がないぞ。ケケケケ』
べスタロドには、私がマイロナ姫をただ困らせているだけのように見えているようだ。
「マイロナ、これだけは覚えておくのです。貴方の拳には、形の見えない鎖を打ち砕くだけの力があります……。良いですね?」
「は……はい? 分かりました、トルネッタ姉様……」
キョトンとした表情のマイロナ姫を置いて、私は中庭を後にした。
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