第3章・ミサキ(1)
「お嬢さんたち、丘の下を見てごらん! 原っぱの奥の方に建物が見えるだろう? あそこがプレナド国だ」
行商人の指さす方向に目を向けるとそこには、レイアレスほどの大きさはないが、栄えた様子を見せる城下町の建物が見えた。
「あそこがプレナド国……! いよいよ、私たちの旅の目的地に着くのですね!」
マイロナ姫がプレナド国のある方を指さしながら、私に顔を向ける。
「懐かしいねえ、何年ぶりになるだろうか。アタイが旅を始めて間もない頃に立ち寄った場所だよ。こうして遠くから見る分には、何も変わっちゃいないね」
ラベルラもどこか感慨深い表情を浮かべている。
『待ちに待ったプレナド国だ! あと少しだ、あと少しだぞ! トルネッタよ!』
そして、誰よりもはしゃいでいるのが、私に取り憑いているべスタロドだ。
無理もない、もう少しで自分の真の姿を取り戻せるものと確信しているのだから。
「あとは、この丘を下って、真っすぐ道を進むだけだよ」
私たちを乗せた荷馬車はゆっくりと丘を下り、プレナド国へと続く平坦な道をポックリポックリと少しづつ進んでいく。
プレナド国に近づくごとに、辺りはだんだんと夕暮れ色に染まっていった。
ここまで人里に近い場所になれば、モンスター共に襲われることもないだろう。
護衛役である私たちの出番もないはずだ。
私もさすがに緊張を隠せなくなり、呼吸も少し荒いものになっていた。
『お前も珍しく、緊張しているようだな、トルネッタよ。仕方があるまい、我らが強大な法力を得る、その瞬間が間近に迫っているのだからな!』
その通りだべスタロド、私は緊張している。
あんたと別れるその瞬間が間近に迫っているのだから。
そして遂に、荷馬車はプレナド国の入口と呼べる場所に辿り着いた。
「止まれ! プレナド国に何用だ!」
二人の衛兵が槍を重ねて、荷馬車の足を止める。
「あたしゃ行商人です。このように、商売の許可も貰っています。ご確認ください」
行商人は首からぶら下げた木札を衛兵に見せつける。
「……よし! 通れ!」
衛兵は槍を下げ、荷馬車を通した。
「随分と物々しい警備じゃないか。いったい、何事だい?」
ラベルラは、以前にここを訪れた時と様子が違っていることを訝しんでいた。
「ガルオン国が周辺国を力づくで侵略しようとしているって噂でねえ。ガルオン国に近い場所はどこも、警戒が厳しくなってるんだよ」
行商人がラベルラの疑問に答える。
先述の通り、ガルオンの国王には上級悪魔バルバレオが取り憑いている。
バルバレオは国王の姿を借りて、侵略戦争を進めるようとしているのだ。
「ふう……やれやれ。これで無事にプレナド国に到着、というわけだよ!」
行商人の声を合図に、私たちは荷台から降りた。
プレナド国はレイアレス王国に比べたら静かな場所である。
既に日も暮れかけていることもあって、人影もまばらになっていた。
「お嬢さんたちのおかげで、こうして荷物を無事に運ぶことができたよ。ありがとうね!」
行商人が手を振って別れの挨拶をする。
「こちらこそ、おかげで早々にプレナド国に辿り着くことができました。感謝します」
私たち三人も、それぞれの形で行商人に別れの挨拶をした。
「さてと。それで、アンタたちのお目当ての凶獣の牙の話になるわけだが……。あれはこの国の国宝として、とても大切にされている。その姿を拝むだけでも、国主の許可がいるって代物だ。それを譲ってもらおうと言うんだ、はっきり言って無茶な話だね」
ラベルラが腰に手を置いて考え込む。
『何も譲ってもらう必要はねえんだよ。触れることさえできればいいんだ、それで俺たちの目的は達成だ! そう難しい話じゃないだろ? ケケケケ!』
べスタロドが耳元で勢いよく喋る。
「トルネッタ姉様には、何かお考えが……?」
マイロナ姫が私の顔を見上げる。
「どのような手段を用いるにしても、まずはプレナドの国主に面会して、わたくし達の話を聞いていただく必要があります。今日はもう遅いですから、城も閉まっているでしょう。明日改めて、国主を訪問することにいたしましょう」
私の言葉に、ラベルラが続く。
「それじゃ……。今日はもう、食事をしてから寝てしまうかね?」
私とマイロナ姫が頷くのを見て、べスタロドが声をあげる。
『焦らすねえ、焦らすねえ! あー、明日が楽しみだ! 早く明日にならねえかな!』
私たちは宿屋で一部屋分を確保してから、酒場に向かった。
港町のイネブルや宿場町のクリプトとは異なり、プレナドの酒場は静かな場所だった。
「久しぶりの酒だねえ。マスター、まずは葡萄酒を一杯」
「飲み過ぎは駄目ですよ、ラベルラ……」
マイロナ姫がラベルラを窘める。
クリプトに泊まっている間、マイロナ姫は何度か、ラベルラの絡み酒の被害に遭っていた。
酒に酔ったラベルラはマイロナ姫に対して、「好きな男はいるのか」「男なんてしょうもない生物だ」「男に惚れちゃ駄目だ、男に惚れられるようじゃないと」などと、同じようなことを何度も繰り返し唱えていた。
どうやら男絡みで過去に何かあったようだ。
絡まれても面倒なので、私はあえて深掘りするような真似はしなかったが。
「酒の方が、アタイに飲んでくれって言ってくるんだ。無視したら、可哀想じゃないか」
「また適当な事を言って……! 姉様、私は鶏の丸焼きというものを食べてみたいです!」
「では今宵は、それを三人で囲むことにいたしましょう」
私たちが食べ物と飲み物を堪能している間に、夜も深まっていった。
「トルネッタ……今晩はアンタも飲みなよ……」
ラベルラが私にしなだれ掛かって来る。
「結構です。私には明日、やるべき事があります。祝杯にはまだ、早すぎます」
私はピシャリとラベルラの誘いを断る。
「なんだい、つれないねえ……。マイロナ……アンタは早いとこ、大人になるんだよ。そしたら好きなだけ、酒が飲めるようになるからさ……」
私に冷たい態度をとられたラベルラは、マイロナ姫に絡みだす。
冗談ではない。
マイロナ姫だけはいつまでも、この可憐な姿のままでいるべきなのだ。
この娘は大人になど、永遠にならなくていい……。
「お、重いです、ラベルラ……! トルネッタ姉様、そろそろ宿屋に戻りましょう! このままだと、また面倒なことに……!」
私たちはラベルラを支えながら酒場を後にして、宿屋に戻った。
二人がかりでラベルラをベッドに転がして、寝かしつける。
「こんなに飲んで、明日は大丈夫でしょうか……」
マイロナが心配した表情を浮かべる。
二日酔いに苦しむラベルラの姿をクリプトで見ているためだ。
「ラベルラが駄目な場合は仕方ありません。明日はわたくしと貴方の二人だけで、国主の下を訪れることにしましょう」
ラベルラを見下ろすマイロナは複雑な表情をしていた。
「明日……。明日になれば、私たちの旅の目的が果たされるのですよね……。私たちの旅も、終わりを迎えるのですよね……」
「その通りです」
「トルネッタ姉様、私は……」
そう言ったあと、マイロナ姫は何かを訴えかけるような目で、私を見上げる。
「どうしました? マイロナ」
私はマイロナ姫の瞳を真っすぐ見返す。
「……いえ、なんでもありません」
マイロナ姫は視線を反らしながら、そう口にした。
「明日は大切な一日となるでしょう。今日は早々に眠ることにして、明日に備えましょう」
「……はい」
それから私たち二人はそれぞれのベッドに潜り込んだ。
しばらくしてから、マイロナ姫の寝息が聞こえ始めた。
私はそっとベッドから起き上がって、静かに部屋を後にした。
「お客さん、どうされました?」
宿屋の入口で店主から声を掛けられる。
「胸が脈打って、気が静まらないのです……。少し、外を歩いてきます」
「女性一人での夜歩きは不用心だ、ほどほどにね!」
私は店主の声を背中で聞きながら、宿屋の外に出た。
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