第2章・タクヤ(7)
「ふーっ。いい湯だな……」
僕は一人でクリプトの露天風呂を堪能していた。
色々な物事が前世とはまるで違うこの世界でも、温泉の良さというものは変わらない。
湯に浸かるという行為は、前世も含めてかなり久方ぶりのものであった。
前世では、湯を張るのが面倒だからと、シャワーで済ませる毎日を送っていた。
「そらっ……」
僕は手を重ね合わせて、水鉄砲遊びを始めていた。
「あっ! ラオウールさんも来ていたんですね!」
鼻歌交じりに空を見上げていた僕に声をかけたのは、フェルノールトだ。
彼も一仕事を終えて、休憩に入ったのだろう。
フェルノールトの体つきは、男としては華奢な僕の体よりも、さらに線が細い。
まだまだ成長の途中なのだろう。
「やあ、フェルノールト。商売の方はうまくいったかい?」
「ええ! つい先日まで長期の宿泊者が多かったせいか、全体的に食料が不足していたみたいで……。多くの食材や香辛料を高値で買い取ってもらえました!」
彼は掛湯をしながら、笑顔をこちらに向ける。
「そりゃ、何よりだ」
「ここの名産品である、温泉水から作られた特別な体力回復薬や魔力回復薬なんかも十分な量を買い揃えることができましたし、結果は上々と言ったところですね」
フェルノールトも湯に浸かって、俺の横に座る。
「それじゃあ、ここでのフェルノールトの目的は、十分に果たせたってわけだ」
「そうですね。ラオウールさんの方は、どうでした?」
「僕の方は、聞き込みを始めた最初の一件目で必要な情報が得られてしまったよ。おかげで、暇を持て余してしまったぐらいだ」
「凄い! 一発でビンゴだったんですね!」
「そういうこと」
僕はフェルノールトに向かって親指を立てて見せる。
「でも、いいんですか? 今のラオウールさんには勇者として、魔王を討伐するという大きな使命があるんですよね? そんな人が、いくら対象が王女様とはいえ、家出娘を探すために奔走しているだなんて……」
フェルノールトの言う通りである。
本来であれば、そんな任務は国の兵士たちに任せておけばいい。
だが今のトルネッタ姫は、悪質なシナリオブレイカーなのだ。
このまま彼女を放っておいたら、この世界にどんな悪影響を及ぼすか計り知れない。
もしかしたら、魔王を倒すために必要な要素までブチ壊すかもしれない。
そもそも、僕が勇者を名乗っている時点で、世界は既に盛大に壊れているのだ。
「この世界を、あるべき姿に戻すため……かな」
あ、しまった……。
温泉でいい気持ちになっていたせいだろう。
僕はつい、本音で答えてしまっていた。
「世界のあるべき姿、ですか……」
フェルノールトが僕の言葉を繰り返す。
「……どうであれば、世界はあるべき姿だと言えるんですか?」
予想外のフェルノールトの反応に、僕は面食らってしまう。
「えっと、なんだ、その。……本来であれば、僕はただの魔法剣士でしかなかったんだ」
僕は気が付けば、自分の胸の内を話し始めていた。
「元々は、グレリオという男が勇者だったんだ。だけど、あるモンスターを討伐する際に、トルネッタ姫からの横槍が入って、僕は一度パーティを追放されてしまった。その結果、グレリオは再起不能な深手を追ってしまい……勇者の役割は、僕に引き継がれたんだ」
僕は空を見上げる。
「トルネッタ姫の横槍さえなければ、今頃はグレリオが勇者のまま、僕はただの魔法剣士のままで、旅を続けていたはずなんだ」
「トルネッタ姫が、この世界のシナリオを書き換えてしまった……。トルネッタ姫がこの世界の特異点となっている。ラオウールさんは、そう考えているんですね」
「……その通りさ。だから僕は、トルネッタ姫がこれ以上に世界のシナリオを書き換えて、あるべき形をさらに壊さないよう、一刻も早く彼女を止めたいんだ」
フェルノールト、不思議な男だ……。
この男とは、世界を俯瞰的に見た上で、話をすることができる。
「この世界のあるべき形。ボクは、それは『想い』の強さによって決まると思っています」
「……『想い』の強さ?」
「はい。トルネッタ姫が何を考えているか、ボクには分かりません。分かりませんが、彼女が心に秘めた『想い』が他の誰かの『想い』より強いものであるなら、この世界は彼女の意思に沿う形に進んでいくのだと思うんです」
「じゃあ、世界が僕の意思に沿わない形に変わっていくように見えているのは、僕の中の『想い』が、トルネッタ姫の中にある『想い』よりも弱いものであるから……?」
「……そうなのかもしれません」
確かに僕は、たまたまラオウールに転生してしまったから、仕方なしにラオウールの役割を再現しようとしているだけのところがある。
魔王を倒すことについても、実際のところ、それほど責任感や執着といった『想い』があるわけでもない。
かといって、他に何かやりたいことがあるわけでもない。
では、トルネッタ姫の中にある強い『想い』とは、なんだ?
何が、彼女にそこまでの強い『想い』を抱かせるのだ?
「すみません、変な事を言って。久々の温泉で、少し浮かれてしまったみたいです」
フェルノールトが僕に頭を下げる。
「いやいや。先に変なことを言い始めたのは、僕の方だから」
俺はフェルノールトに向かって手を横に振った。
「さてと……僕は先に上がらせて貰おうかな」
このままだとのぼせてしまいそうだった。
僕は立ち上がって脱衣所に向かって歩いて行った。
「あ、そうそう。フェルノールトは、もう食事は済ませてしまったかい?」
僕はまだ湯に浸かったままのフェルノールトに向かって声をかける。
「いえ、まだです!」
「じゃあ、食事は皆と一緒にしようよ。待ってるからさ」
「分かりました!」
フェルノールトが頭を下げるのを見てから、僕は「ごゆっくり」と一言声をかけて、その場を後にした。
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