第2章・ミサキ(7)
「ん……。んんーっ」
クリプトの宿で目を覚ました私は、声を出しながら体を伸ばした。
この宿のベッドで目を覚ますのも、もう何日目になるだろうか。
私は隣のベッドに目を向ける。
そこにマイロナ姫の姿はなかった。
『嬢ちゃんなら朝風呂を浴びに行ってるぜ、トルネッタよ。ケケケケ』
今日もべスタロドの不愉快な笑い声で一日が始まった。
『最初はあんなに恥ずかしがってたのに、今じゃすっかり温泉にハマっちまって』
「健康的で良いではありませんか」
『悪魔である我輩としては、不健康な姿を見せてくれる方が、心地良いんだがねえ』
「不健康な姿とは、どのようなものを言うのです?」
私は珍しく、べスタロドの言葉に返事をしてやる。
『不健康と一口に言っても色々あるが。そうだな、我輩としては、お前と嬢ちゃんとの禁断の愛……ってヤツを見てみたいかねえ? そうすれば嬢ちゃんだけじゃなく、お前も一緒に不健康になるってもんだ』
そんなもの、私の頭の中を覗けばいくらでも見られるというのに。
「愚にも付かぬことを……」
私は立ち上がって、部屋を出ようとした。
『どこへ行こうというのだ、トルネッタよ』
「わたくしも湯浴みをしようというのです」
『お前まで健康になろうとするのかよ、勘弁してくれ……!』
顔を手で覆うべスタロドを無視して、私は湯場へ向かった。
「あっ、トルネッタ姉様!」
先に来ていたマイロナ姫が湯の中から立ち上がって手を振る。
「すっかり、温泉というものにも慣れたようですね、マイロナ」
掛け湯を終えた私は浴槽に入り、マイロナ姫の真横に座る。
「はい! 朝の鍛錬を終えた後の温泉は、とても心地良いものです!」
マイロナ姫は上気立った顔をこちらに向ける。
「わたくしも、温泉の虜となってしまったようです」
嘘だ。
虜になったのは、温泉にではなく、マイロナ姫の裸体にである。
この場所であれば、誰にも何にも疑われることなく、彼女の美しい裸体を鑑賞できる。
私はそっと手を伸ばしてマイロナ姫の上腕を掴み、何度か揉みほぐす。
「この弾力……よく鍛えられていると分かります」
ただ鑑賞するだけではない、こうして触れることも許される。
「姉様……」
「腹に力を入れなさい」
そういってから私は、彼女の腹部に手を伸ばす。
「なんと硬いこと……。これも日々の鍛錬の賜物なのですね」
私は割れた筋肉が作る凹凸の形を確かめるように、手を上下に滑らせる。
「姉様、くすぐったいです……!」
あとほんの少し上に、あるいは下に手をずらせば、もっと敏感な部位を刺激できるだろう。
だが、それはしてはならないことだ。
今以上の行為は、『スキンシップ』と呼べる行為を超えてしまう。
姉妹である私とマイロナ姫には決して許されない。
『嬢ちゃんはホント、健康の塊みたいな存在だな。あー眩しい、溶けちまいそうだ!』
――違う。
私はただ、この目障りで鬱陶しいべスタロドという悪魔の視線を気にしているだけだ。
マイロナ姫のあられもない姿を、コイツの前に晒したくない、それだけだ。
コイツさえ私の体から離れてしまえば、私は――!
「姉様……私、このままだとのぼせてしまいそうです……。そろそろ、上がりますね」
そういうとマイロナ姫は立ち上がって、脱衣所に向かって歩いて行った。
私はその小さな背中と臀部を見送った。
私はそのまま目をつぶり、しばらくの間、湯に浸かっていた。
「トルネッタも来てたのかい?」
私を呼ぶラベルラの声に、私は目を開けた。
彼女の豊かな全身が目に飛び込んでくる。
「ラベルラも朝湯ですか?」
「ああ。旅立ちの前に、ひとっ風呂、浴びておきたくなってね」
「旅立ちの前に……?」
「おや、まだ話を聞いてなかったのかい? がけ崩れで通行止めが続いていたプレナド国への街道が、ようやく復旧したってさ。これで、アタイたちの旅も再開だね」
私はその話を聞いて立ち上がった。
『散々待たせやがって! 聞いたか、トルネッタよ。これで凶獣の牙は目の前だ! お前が強大な法力を得るのも、あと少しだぞ!』
言われるまでもない、べスタロドよ。
これで、あんたとの付き合いも終わる。
私は全てから解き放たれて、真の自由を得る!
「手短に済ませるのですよ、ラベルラ」
ラベルラに向かってそう言うと、私は脱衣所に向かって歩いて行った。
「おいおい……アタイにもゆっくり風呂に浸からせておくれよ!」
私は急いで自分の部屋に戻った。
部屋ではマイロナ姫が髪をとかしていた。
「どうしたのです、トルネッタ姉様? そのように急がれて……」
「プレナド国へ向かう街道が復旧したとのことです」
「えっ? それじゃあ……!」
マイロナ姫が胸の前で手を合わせる。
「ええ。わたくしたちの旅も再開ということです」
「ようやくですね! トルネッタ姉様!」
「早速、旅立ちの準備をなさい」
「はい! 分かりました!」
私たち二人は旅の準備を済ませてから、宿屋の外でラベルラが来るのを待った。
宿屋の前は、私たちと同じように足止めを食らっていた旅の者や行商人の荷馬車が集まって、大きな賑わいを見せていた。
「まったく、忙しないったらありゃしない……。そんなに急がなくても、プレナド国は逃げやしないって……」
私の圧に押されてか、ラベルラも急いで準備をしてきたようだ。
「来ましたね、ラベルラ。それでは早速、旅に出ましょう」
私はマイロナ姫とラベルラに向かって言うと、旅の一歩を踏み出そうとした。
「ちょいと待ちなって。旅ってのは、何も自分の足だけでするもんじゃないんだ……」
そう言うと、ラベルラは荷馬車の横に立つ行商人の一人に近寄って話し始めた。
「何をしようと言うのでしょう?」
マイロナ姫は首をかしげる。
私は黙って、ラベルラがすることを眺めていた。
しばらくして、ラベルラは私たちのところに戻ってきた。
「交渉成立だ。あの行商人をプレナド国まで護衛する。その代わりに、荷台にアタイ達を乗せて貰うことになった」
なるほど、そのような移動方法があるとは。
本来のシナリオ展開ではそのような場面がなかったので、私にはなかった発想だ。
私は世界を知り尽くしたつもりでいたが、まだまだ知らないことがあるらしい。
私はラベルラに連れられて、行商人に軽く挨拶を済ませてから、荷馬車の荷台に乗った。
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