第2章・タクヤ(3)
僕とレアリィ、セロフィアの三人は、雇われの船員たちと共に、レイアレス王国からイネブルを結ぶ航路上を航行していた。
通常であれば十五日かかるところを、無理を言って十日で渡航するよう、僕は船員たちに依頼をしていた。
「ちょいと荒れた場所を通ることになりますが、覚悟してくださいよ!」
船員の言う通り、僕たちはこの数日の間、激しく波打つ海に体を揺らされ続けていた。
最初こそ、まるで遊園地のアトラクションに乗ったときのように、キャーキャー言ってはしゃいでいたレアリィだったが、昼夜を問わず襲い掛かる高波に対して、今はグッタリとした様子を見せていた。
セロフィアはロザリオを片手でぎゅっと握りしめ、もう一方の手で船室の柱をしっかりと掴み、「神よ……!」と言いながら船の揺れを必死にこらえていた。
かく言う僕も、船室の柱を強く握って、船の揺れに耐えるしか術はなかった。
七日目になって、ようやく波が穏やかなものになった頃には、僕たちは身動きできないほど疲弊しきっていた。
「よく耐えなさった! ここからは海も静かなものになるんで!」
船員たちも大きな一仕事終えたといった風に、胸をなでおろした様子を見せていた。
「こ……これでようやく、ぐっすりと眠れるわよね……」
レアリィは船室の壁にもたれかかり、かすれるような声で力なく呟く。
「神よ……。私たちの無事を、感謝いたします……」
セロフィアは両手でロザリオを握り、仰向けになって船室に転がっていた。
「な、なんとか乗り切った……!」
僕は想像以上に大変な目にあったことに若干後悔しながらも、二人と同じように船室で腰を落としうなだれていた。
こうして、僕たちはなんとか航行時間の短縮に成功し、イネブルに着港する頃には少しだけ元気を取り戻していた。
「じゃあ、あっし達はこれで! 旅の無事をお祈りしやす!」
雇われ船員たちとの別れの挨拶を済ませてから、僕たちはイネブルの街の中に足を運んだ。
「さて……。これから、どうしようかな」
辺りはすっかり暗くなっていた。
旅の準備をしようにも、店はもう閉まっているだろう。
「今日はもう宿をとって、船旅で疲れた体を休めることにいたしましょう」
セロフィアの言葉にレアリィも同意する。
「さんせーい! フカフカのベッドでゆっくり寝たーい!」
「じゃあ、そうしようか」
僕たちは宿屋を探して街の中を歩き始めた。
しばらく街の中を歩いたところで、レアリィが鼻をクンクンとさせる。
「ん……? この匂いは……?」
「匂い……?」
僕もあたりの匂いを嗅いでみた。
肉の焼けるような香ばしい匂いが、どこからか漂っていた。
「……間違いない。 これはイネブル名物、豚のハーブ焼き!」
レアリィが僕の方を向く。
その目はキラキラに輝いていた。
「食べたい! 豚のハーブ焼き食べたい! 宿屋を探す前に、腹ごしらえしましょ!」
そう言い終えると、レアリィは匂いの元に向かって走り出した。
「あっ、レアリィ!」
「また、いつもの悪いクセが始まりましたね……」
セロフィアが困った顔を見せる。
僕とセロフィアはレアリィの後を追った。
角を曲がって少し先に進んだところに、酒場の看板を出している店があった。
レアリィは店の前で僕たちを待っていた。
「ここだよ! この酒場の中から、豚のハーブ焼きの匂いがする!」
レアリィが僕たちに手を振ってから、店の中に入っていった。
「ああ、もうレアリィったら。食べ物のことになると、見境がなくなって……!」
セロフィアは酒場に向かって走っていった。
イネブルの酒場、か――。
僕はトルネッタ姫を追いかけることばかり考えていて、本来のシナリオ展開のことが頭から抜けていたことに気付いた。
本来のシナリオ通りであれば、イネブルの酒場の中では、ラベルラという修道女のキャラが飲んだくれているはずだ。
彼女はプレイアブルなキャラであり、イベントを経て僕たち勇者パーティの仲間になる。
彼女は高度な回復スキルを習得する回復役なので、今後に備えて彼女を仲間にしておきたいところだ。
僕が二人の後を追って酒場に入ったときには、二人は既にテーブル席に座っていた。
「すみません、ラオウール様。もう、注文を済ませてしまったようで……」
「豚のハーブ焼き、三人前! しっかりと皆の分、注文しておいたよ!」
なぜか誇らしげに、レアリィが胸を張ってみせる。
「ちゃっかりしてるな、レアリィは」
そう言いながら、僕も二人が座るテーブル席に腰を下した。
それから、店内を広く見回した。
――いない?
想定と異なり、ラベルラと思わしき女性の姿は、店内にはなかった。
サンサリア国を経由せずにここまで来てしまったことで、何らかのタイミングがずれてしまったのだろうか?
「おおーっ! これはまた随分と、綺麗な姉ちゃんじゃねえか!」
僕たちのテーブル席に向かって、いかにも海の男といった風体をした、一人の酔った男が近づいてきた。
「何よ、アンタ! アタシたちになんの用!?」
「ああん? 俺はお前みたいなチンチクリンに用があるんじゃねえっての。そっちのアンタ、そうアンタだよ……! どうだい、俺の酒の相手をしてくれねえかい!」
レアリイを無視して、男は僕たちのテーブル席に勝手に腰かけた。
「やめてください、迷惑です……!」
セロフィアは男に顔を向けて、強い口調で言った。
「うっ!? アンタ、その顔はどうしたっていうんだい、酷い有様じゃねえか……!」
エンシェント・ウルフによって刻まれた深い傷痕がセロフィアの顔に残っていることに気付いて、男が声をあげる。
「……っ!」
セロフィアは慌てて両手で傷痕を隠した。
「折角の美人が台無しだなあ、こりゃ」
「おい、失礼だろ!」
僕が男に向かって立ち上がろうとしたとき、酒場のカウンターの奥から、マスターの大きな声が飛んできた。
「喧嘩はやめてくださいよ! サンドロさん! アンタ、次に面倒事を起こしたら、出禁にすると言ってあるだろう!」
「へーへ。……興が醒めちまった。じゃあな、姉ちゃん。強く生きろよ」
そう言うと、男は元の席へと戻っていった。
「何よアイツ、許せない……! ちょっと一発、ぶん殴ってくる!」
席を立ち上がろうとしたレアリィを、セロフィアが止める。
「良いのです、レアリィ。騒ぎを起こさないでください……!」
セロフィアは余り目立ちたくないのだろう。
レアリィは憤然とした表情で、席に腰を下した。
――あれ?
僕は想定していた展開と異なることに、頭の中で疑問符を浮かべていた。
ここで乱闘騒ぎが起こるものだと、僕は覚悟していたのだが……。
僕はカウンターに近づいて、マスターに声をかけた。
「すみません。ここに、ラベルラという名前の女性が通ってませんでしたか?」
「ラベルラさんは確かに、ウチの常連だったよ。でも少し前に、二人組のお嬢さん方に連れていかれたよ。なんでも、プレナド国に向かって一緒に旅をするんだってさ」
二人組のお嬢さん方……だって?
僕はトルネッタ姫とマイロナ姫の顔が描かれた人相書を取り出す。
「その二人組の女性って、もしかしてこの二人ですか?」
「おーっ、そうそう! 間違いない、この二人だ。とくにこっちの小さい嬢ちゃんが、嵐のように暴れまわってねえ。もう散々だったよ」
トルネッタ姫たちはラベルラを仲間にして、プレナド国に向けて旅を続けているようだ。
「兄さん、ラベルラさんとはどういった関係で?」
「えっ? む、昔に、一緒に旅をしたことがあって。彼女がここにいるって、風の便りで聞いたものだから。ありがとう」
僕は適当にその場を誤魔化してから、自分のテーブル席に戻った。
「どうしたの? 防御くん」
「怪訝そうな顔をして……何かあったのですか?」
レアリィとセロフィアの二人が、僕の様子を伺う。
「いや、大したことじゃないんだ。僕が――」
言葉を続けようとしたところに、恰幅の良い女性店員が料理を運んで来た。
「はいよ! 豚のハーブ焼き、お待ちどおさま!」
目の前に置かれた料理に、レアリィは目を丸くする。
「これがイネブル名物の……! 熱い内に食べなきゃ! いただきまーす!」
レアリィが料理を食べ始める。
僕とセロフィアも、レアリィに続いて食事を始めるのであった。
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