第2章・ミサキ(2)
イネブルの酒場を訪れた時には、店内は既に大きな賑わいを見せていた。
私とマイロナ姫は、空いているテーブルに腰かけた。
「ここが酒場という場所なのですね……! 皆さん、楽しそうにしていますね!」
マイロナ姫は店内をキョロキョロと見回す。
「はいよ! ご注文は!?」
恰幅の良い女性の店員が私たちの座るテーブルに近づいてきた。
「食事を所望します。オススメの肉料理と、酒ではない飲み物を、それぞれ二人分」
「あいよ!」
私は店員に向かって簡潔に注文を済ませた。
「どのような料理が出てくるのでしょうか……!」
マイロナ姫がワクワクとした表情を見せる。
私は店内を見渡して、この場にいるであろう、ある人物の姿を探した。
その人物は、カウンター席の奥に座っていた。
「マスター。葡萄酒をもう一杯」
「……ほどほどにしときなさいって、ラベルラさん。これ以上は体に毒だよ?」
「金は払うんだ。つべこべ言わずに、いいから出しなって」
ラベルラと呼ばれた女はカウンターに銅貨を放り投げる。
彼女は二十代後半と思しき姿で、どこか妖艶な雰囲気を漂わせている。
「代金を受け取った以上、酒は出しますがね……?」
酒場のマスターはジョッキに葡萄酒を注いで、ラベルラの前に置いた。
「……っ……っ……はぁぁっ……!」
ラベルラはジョッキを呷ってから、深く息を吐く。
飲んだくれているラベルラという女……私は彼女に用があるのだ。
「おおーっ! これはまた随分と、綺麗な姉ちゃんじゃねえか!」
私に向かって、いかにも海の男といった風体をした、一人の酔った男が絡んできた。
――始まった!
私は想定通りの展開になったことに内心で歓声を上げる。
男のセリフは、このイネブルの酒場で起こるイベントの開始を示す合図なのだ。
本来であれば、修道女セロフィアに向かって放たれたセリフであった。
「な、何用ですか?」
マイロナ姫が怪訝そうな表情を浮かべて男に顔を向ける。
「ああん? 俺はお前みたいなお子様に用があるんじゃねえっての。そっちのアンタ、そうアンタだよ……! どうだい、俺の酒の相手をしてくれねえかい!」
男は私たちのテーブル席に勝手に腰かけた。
「身の程をわきまえなさい」
「あ……ああん?」
私がピシャリと言い放つと、男は驚いたような顔を見せた。
「身の程をわきまえよと言ったのです。貴方のような粗野な者の相手を、何故わたくしたちがせねばならないのですか」
「ああ? なんだって!? ちょっと綺麗だからって調子に乗りやがっブゥッ!」
まだ喋っている途中の男の顔を、私は思い切り引っ叩いた。
「てめえ、何しやがる!」
男が私に掴みかかろうとするところに、マイロナ姫が割って入る。
「姉様に何をしようというのです!」
「お子様が邪魔してんじゃねえ!」
男はマイロナ姫に殴りかかった。
マイロナ姫は男の拳をひょいと避けると、「せいっ!」の掛け声と共に、男の腹に強烈な正拳突きの一撃を叩き込んだ。
「ぶおっ!?」
男は盛大に吹き飛んで、他の客のテーブルの上に転がった。
「おいコラ! 俺たちの飯をどうしてくれる!」
テーブルを囲んでいた男たちが立ち上がる。
「これは……!」
正拳突きの型のままで固まったマイロナ姫は、恍惚とした表情を浮かべている。
「これはなんと、心が晴れるもの……!」
彼女は初めて人の体を自分の拳で殴ったのであろう。
そして、その感触は彼女にとって、とても心地良いものであったようだ。
「俺たちの飯をどうしてくれるかって、聞いてんだろ!」
数人の男が私たちに詰め寄ってくる。
「マイロナや、構いません。あの者たちを黙らせて来るのです」
「はい、トルネッタ姉様!」
そういうとマイロナ姫は、向かってくる男の一人に飛び膝蹴りを浴びせる。
その一撃によって、男はまた別のテーブルの上に吹き飛ばされる。
「おい! なんてことしやがる!」
「てめえ、やりやがったな!」
港町の酒場である。
酒に酔った荒くれ者たちの集まる中で騒ぎを起こせば、たちまち大乱闘の場となった。
男たちが次から次へとマイロナ姫に殴りかかるが、彼女はそれらを全て捌き切って、殴り蹴り倒していった。
――やはりマイロナ姫は、素敵だ。
彼女のしなやかな動きの数々を目の当たりにして、私は悦に浸るのだった。
「やあっ! とうっ! てえぇぇいっ!」
遂には彼女は、自分たちに襲い掛かるものだけでなく、殴り合う男の間に割って入って、自分の拳を叩き込み始めた。
今の彼女は、誰かを殴ることが目的となった狂戦士と化していた。
やり過ぎである。
しかし私は、彼女の動きに見惚れてしまい、止めることを忘れていた。
「これ以上、狼藉を働こうという者はいますか!?」
気が付けば、酒場の中で立ち上がっている者は、私とマイロナ姫の二人だけになっていた。
酒場のマスターと店員たちはカウンターの向こう側に頭を抱えて座り込んでおり、ラベルラが虚ろな目でカウンター席からコチラの様子を伺っている。
『これはなんとも愉快だねえ! ケケケケ!』
悪魔は人間同士が争う姿が好きなのだろう。
べスタロドが腹を抱えて笑っている。
「なんてこった……、こりゃ酷い」
男たちの体があちこちに転がっている様を見て、酒場のマスターが呆然とする。
「とりあえず、この場をなんとかしないと……。ラベルラさん、ちょいと頼めるかい?」
「葡萄酒、二杯だ」
「仕方ないねえ」
マスターが頷くのを見てから、ラベルラは席を立ち上がる。
「広範回復!」
広範回復――範囲内にいる複数の者の体力を一度に回復する、高度な回復スキルだ。
彼女がスキルを発動させると、倒れ込んだ幾人もの男たちの体が次々に癒されていった。
「今日はもう店じまいだよ! さあさあ、出て行け!」
起き上がった男達にマスターが声をかける。
すっかり酔いの冷めてしまった男たちは、しょぼくれた様子で店から出て行った。
「お嬢さん方もだよ! あんた達も出て行ってくれ!」
マスターは私とマイロナ姫に向かっても怒鳴り声をあげた。
「強いねえ、お嬢ちゃん。大したもんだ」
席に戻ったラベルラはジョッキを片手にして、マイロナ姫のことを褒めた。
その言葉に、マイロナ姫は恥ずかしそうに顔を赤くして俯く。
「貴方こそ、大層な回復スキルをお持ちのようで」
私はラベルラに向かって言った。
「昔取った杵柄ってヤツさね。ま、今はご覧の有様だけどね」
ラベルラは自分の腕を横に広げてみせる。
「そのスキル、わたくしたちのために役立てて頂けないでしょうか」
「あん? なんだって?」
私の言葉が以外だったようで、ラベルラは目を丸くした顔をコチラに向けるのだった。
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