第2章・ミサキ(1)
「トルネッタ姉様! イネブルの街が見えてきました!」
マイロナ姫が声を弾ませて俺に言った。
「ようやく、長い船旅も終わりですね」
船旅自体は退屈なものであったが、私はマイロナ姫と語らいながら過ごすことで、彼女との距離を少しづつ縮めていった。
彼女は私に多くのことを語ってくれた。
法力が低いせいで王家の中で立場がなくて、辛く寂しかったこと。
トルネッタ姫に嫌われているのだと感じて、悲しかったこと。
本に描かれていた王家の外の世界が、とても眩しいものに見えていたこと。
格闘技という、法力に依存しない身一つでの戦い方があると知って、憧れたこと。
格闘技の世界の中でなら、自分でも活躍できると、信じていたこと。
今まで誰に言うでもなく、自分の心に押しとどめていた数々の思いが言葉になって、彼女の口からとめどなく溢れ出ていた。
ときには涙を流しながら、切実に訴えかける場面もあった。
「わたくしも同じです、マイロナ」
この船旅の中で、この言葉を何度口にしただろうか。
この言葉を使うたびに、彼女は私に心を開いていった。
実際のところ、べスタロドと契約を結ぶ以前のトルネッタ姫は、マイロナ姫と同様に王家の中で身の置き所を失っていた存在だった。
むしろ、マイロナ姫よりもトルネッタ姫の方が、より辛い思いを抱えていたかもしれない。
誰からも期待されず、後から生まれた者たちに次々に追い抜かれる人生。
トルネッタ姫は心を歪ませる形でしか、自分を支えられなかったのだろう。
そのような背景を想像しながら、私はマイロナ姫からの言葉に応えていった。
合間合間に余計な一言を挟み込んでくるべスタロドへの殺意を、必死に抑えながら――。
「イネブルの街についたら、私は酒場という場所に行ってみたいです!」
私に向けるマイロナ姫の表情からは、完全に私のことを信じ切っている様子が伺えた。
「では、その通りにしましょうか」
イネブルの酒場には私も用がある。
私はマイロナ姫の希望を受け入れることにした。
「楽しみです、トルネッタ姉様!」
マイロナ姫は私に満面の笑みを浮かべてみせた。
ああ、愛おしい――!
私は彼女を抱きしめたいという気持ちを必死に抑え込んだ。
彼女はこのような表情を王宮の中で見せたことは一度もなかったのだ。
それから数時間後、そろそろ日も暮れようという頃に、船はイネブルの港に着いた。
これで私は、無事にカバルダスタ大陸に上陸することに成功したワケだ。
「では我々は、これからレイアレスに戻りますが……。トルネッタ姫たちはどうやって帰られるおつもりで?」
船長が俺に問う。
「わたくしたちの旅の目的が果たされる頃には丁度、ランドル号がイネブルに着港していることでしょう。ランドル号に乗船し、サンサリア国を経由してレイアレスに戻ります」
ランドル号とは、この世界の三大陸であるフルネラット大陸、カバルダスタ大陸、ヨルトザート大陸に囲まれた内海を、反時計回りに周回する巡航船である。
無論、ただの出まかせである。
私はもうレイアレスに戻るつもりは毛頭ない。
そのまま、愛するマイロナ姫との旅を続けるのだから。
「承知しました! お二方の旅の無事をお祈りします!」
船長は敬礼してから、私たちが下船するのを見送った。
『……他のヤツの領分ってのは、なんだか肩身の狭い思いがするもんだ。早々にプレナド国を目指そうぜ、なあトルネッタよ』
べスタロドにとっては、カバルダスタ大陸への上陸は、他人の家に上がり込んだような気分になるものらしい。
マイロナ姫がすぐ横にいる都合もあって、私はべスタロドの言葉を無視する。
「これから私たちは、街を自由に歩き回って良いのですよね? トルネッタ姉様!」
「ええ。今のわたくしたちは、誰にも、何にも、縛られていないのですから」
私たちは酒場に向かって街の中を歩き始めた。
マイロナ姫は街のあちこちに目を奪われていた。
「あそこは何の店でしょうか……」
「あれは薬屋です。体力回復薬や魔力回復薬などを取り扱う店です」
「何故、わかるのですか?」
「店先に看板が出ているでしょう。薬屋はあのように、瓶の絵が描かれた看板を出すものと決まっているのです」
「なるほど、そうなのですね……!」
「店に入ってみますか?」
「よろしいのですか!?」
「ええ、勿論」
私たちは薬屋の中に入った。
「うわあ、綺麗……!」
各種の回復薬が詰められた瓶の色を見て、マイロナ姫は黄色い声を上げる。
王宮の中では、これらのような一般に流通している回復薬を直接見かけることはない。
王家の者が傷ついた場合には、お付きの者が回復スキルによって治療するからだ。
『こういう店は居心地が悪いんだよな……早く出ようぜ』
べスタロドが肩を震わせる。
店内には悪魔除けのアイテムも並んでいるので、それらが影響しているのだろう。
「何か買っていくかい? お嬢さんたち」
買い物は明日にする予定だったが、回復薬のひとつやふたつであれば、この場で買っても構わないだろう。
「何か欲しいものはありますか?」
「姉様、私はこの青い色のものが欲しいです……!」
それは、なんの変哲もないただの体力回復薬だった。
空を思わせるような、淡く青い色の液体が、瓶に詰められている。
「では、これで買いなさい」
私は鞄から数ローナに相当する銅貨を取り出して、マイロナ姫に渡す。
「えっと……。この薬をひとつ、下さい!」
私から銅貨を受け取ったマイロナ姫は、店主に向かって体力回復薬を指さしてみせた。
「あいよ! 体力回復薬ひとつね、毎度あり!」
マイロナ姫は銅貨を店主に渡してから、体力回復薬を受け取った。
「姉様、みてください。ほら、こんなに綺麗……!」
まるで、縁日の屋台でりんご飴や綿あめを買ったときの子供のように、マイロナ姫ははしゃいだ姿を見せるのだ。
『王家の者ともあろうものが、こんな安っぽいものでこんなにも喜ぶだなんて、随分と滑稽な姿じゃねえか』
べスタロドの言葉は、客観的に見れば正しいと言えるだろう。
だが今の私は、マイロナ姫を笑顔にできた事で、満ち足りた気分になっていた。
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