ゴースト令嬢 〜魔力を奪われた悪役令嬢は、転生ヒロインに救われる〜
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(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
「ローズ・レスケンス、前へ!」
貴族子女の通う学園での卒業パーティーの夜。ホールにこの国の第一王子の声が響く。名を呼ばれたレスケンス公爵家の令嬢、ローズは、軋み痛む身体を無理矢理に動かし、でき得る限り優雅な所作で第一王子の前へと進み出ると、第一王子にカーテシーで敬意を示す。
「ゴースト令嬢……」
「なんて醜い……」
周囲のざわめきがローズの耳に入る。くすんだ灰色の髪、輝きを失った暗い瞳に、しおれたような肌。おまけに枯れ枝に喩えられるほどの痩せぎすの身体に、サイズの大きすぎるドレスを着たその姿はまるで干しぶどうのようだったが、ローズは第一王子と同じ十六歳である。ローズは、その容貌を揶揄されようとも、ベールも着けずにその顔をさらし、凛と胸を張って立っていた。
「貴様との婚約をここに破棄する!」
とうとう、このときがきたのだわ。ローズは激しく脈打つ心臓を落ち着かせるようにゆっくりをまばたきをした。そして、
「承知いたしました。殿下がよろしいのでしたら、わたくしはその婚約破棄をお受けいたします」
ローズは理由を尋ねることもなく、静かに言葉を発すると、その目から一粒の涙を流した。
*
王家の血を引く子は皆、必ず魔力を持って生まれてくる。この国ではそれが当たり前のことだった。王家の赤ん坊は、例外なく、光に包まれてこの世に生まれ落ちるのだ。その光こそが、魔力持ちの証明だった。光はすぐに赤ん坊の身体に馴染み消えるが、赤ん坊の身体には魔力が残る。しかし、王妃が出産した男の子は、全く光を纏っておらず、多くの子どもと同じように生まれてきた。つまり、第一王子は魔力を持たずに生まれてきてしまったのだ。
第一王子誕生の翌年、側妃が第二王子を、続けて別の側妃が第一王女を出産。共に、光に包まれた、魔力を有する子どもたちだった。
王家の血を引く子どものなかで、魔力を持たないのは第一王子だけ。しかし、王妃は焦らなかった。自分が情を交わした男性は国王ただひとり。この子は間違いなく国王の子。それは自分がいちばんよくわかっている。きっと、もう少し成長したら魔力も発現するだろう。たとえ魔力が発現しなくとも、生きる道はいくらでもある。魔力がないことで王に向かないというのならば王にならなくてもいい。幸いにも、魔力を持つ第二王子がいるのだ。この子には、魔力の有無に関わらず、自分の努力で得た力でできることを自分で見つけさせよう。王妃はのんきにそう考え、王子の健康に気を遣い、愛情を込めて王子の成長を見守った。魔力なしで普通に生きてきた王妃は、王家特有の魔力の有無にあまり関心がなかったのだ。
第一王子はすくすくと健康に成長する。しかし、魔力の発現は、何年経っても見られない。
王妃は相変わらずのんきに構えていたが、焦ったのは国王だ。第一王子に魔力がないことで、王城内では王妃の不義が疑われはじめていた。第一王子は王家の血を引いていない。だから、魔力を持たないのだ、と。国王も最初は疑ったものの、王妃のおっとりとのんきな様子や、日に日に自分そっくりに成長していく第一王子の姿から、不義の子ではありえない、と思い直した。では、なぜ王家の血を引く王子が魔力を持たないのか。例外のないことだったが、ここにきて初の例外が発生した、ただそれだけのことなのかもしれない。何にでも初めての事象というものは存在する。今回がそれだったというだけだ。しかし、ただそれだけのことだとしても国民、さらには他国にこのことを知られるわけにはいかない。国力の低下と見られ、侮られるおそれがあるからだ。
国王は、宰相と相談し一計を講じる。第一王子と同じ年頃の娘で、魔力を持つ者をさがすことにしたのだ。その娘を、高位貴族の養女にしてでも王子の婚約者に据えよう。きっと王子の助けになるはずだ。国王と宰相はそう考えた。
王家以外の家にも、魔力を持つ子どもが生まれることがある。さらには、成長途中で魔力の発現が見られたという例もある。どちらも珍しいことではあるが、驚くほど珍しくもない。こちらの事象は、すでに初の例外を乗り越えていた。魔力持ちが誕生するのは、遠い昔に王家と繋がりがあった貴族の家に多かったが、王家とは無関係な家から出たという記録もある。例外が珍しくもなくなっていた。
魔力持ちの娘はすぐに見つかった。大変都合のよいことに、公爵家の娘であった。レスケンス公爵家のローズという娘が、第一王子と同じ日、同じ時間に生まれ、さらには魔力持ちだったという。その偶然を運命のように思い、国王はよろこんだ。この娘の魔力は、第一王子の魔力である。国王はそう判断した。
*
レスケンス公爵家の一人娘、ローズ・レスケンスが初めて第一王子に会ったのは、八歳の誕生日の前日、王城の庭で開かれた、王妃主催のこぢんまりとしたお茶会の席だった。それは、すでに決定した第一王子の婚約者を王子と対面させるための席だった。
第一王子とローズの婚約は、王命という形でレスケンス公爵家に通達された。レスケンス公爵家には、断るという選択肢は与えられなかった。それでも、王子の婚約者となれば、娘はきっと幸せになれるだろう。王家との繋がりを持つことは公爵家にとっても悪い話ではない。そしてなにより、娘の魔力は国のためになるのだ。レスケンス公爵はそう信じ、娘を王家に託すことにしたのだ。
「お初にお目にかかります、第一王子殿下。ローズ・レスケンスと申します」
カーテシーをし、顔を上げたローズは、何度も練習してきた挨拶がちゃんとできたことにほっとして、にこりと微笑んだ。艶やかで真っ直ぐな黒髪に、輝く宝石のような赤い瞳、肌は陶器のように白くなめらかだ。ローズは誰の目から見ても、美しい娘だった。
第一王子はローズを一目で気に入ったようで、お茶会の間、ずっとローズのとなりにくっついてあれこれ世話を焼いていた。ローズに対し親切に接してくれる第一王子に、ローズは恋愛感情こそ抱かなかったものの、悪い感情も抱かなかった。絵本と同じで、王子様ってやさしい方なのだわ、と子どもながらに思っていた。
王妃は複雑な思いでその様子を眺め、昨夜の寝室での国王との会話を思い出していた。
「身の丈に合わない力を得て、あの子が驕るようなことにはなりませんか」
王妃はこのときまで、第一王子の婚約者に魔力持ちのローズが選ばれたことをよろこんでいた。ローズは将来きっと、王子にないものを補って助け合える伴侶となるだろう、と。
しかし、昨夜、国王の口から聞かされた計画は、王妃の考えていたものとは違っていた。王家に古くから伝わる魔道具を使って、ローズの魔力を第一王子の身体に流し込み、まるで王子が魔力を持っているかのように偽装するのだという。
「身の丈に合わないとはなんだ。そもそも最初から持っているはずだった力だ」
「それでも持たずに生まれてきたということは、あの子には必要のないものだったのかもしれません。それを他の子から奪ってまで与えるなんて……」
「奪うなどと、人聞きの悪いことを言うな」
「事実、そうではありませんか。ローズ嬢は、あの子に魔力を奪われて、無事でいられるのでしょうか」
「魔力がなくなるくらい、たいしたことではない。実際、王家以外では魔力を持たない者がほとんどではないか」
「ですが……」
「もう決まったことだ。これは、国のためなのだ」
国王は王妃の言葉を遮ると、寝室を出て行ってしまった。王妃は言い知れぬ不安を抱き、眠れない夜を過ごした。
王妃の不安をよそに、初めて顔を合わせた第一王子とローズは仲良くなれそうな様子だった。
お茶会のあと、王妃は自室に第一王子を呼んで尋ねた。
「ローズ嬢のことを、どう思いましたか」
「美しく、礼儀正しい令嬢だと思いました。私はローズ嬢のことを好ましく思いました」
王子は照れくさそうにそう言った。王妃はうなずき、
「あなた、ローズ嬢のことを大事になさいね」
そう言い含める。王子はきょとんとした表情で母を見つめていたが、「はい、母上。私はローズ嬢を大事にします」と、母の言葉を繰り返した。
「あなたはこれから、ローズ嬢の魔力を借りることになります」
王妃は言った。幼い王子に、「魔力を奪う」とは言えず、言葉を選びながら。
「その魔力を、きっと国のために役立てると約束なさい」
「はい、母上。約束します」
王子は無邪気に返事をする。
「人は鏡です。あなたがローズ嬢に対して誠実であれば、ローズ嬢もあなたに対して誠実であろうとしてくれます。きっとあなたと国の助けになってくれるはず」
わかりますか、と問いかければ、
「はい、母上」
王子はうなずいた。
「ローズ嬢の様子をよく見て、気にしてあげるのよ。つらそうにしていたら、労わってあげてね。なにかあったら、あなたがローズ嬢を守るのよ。それが、あなたのせめてもの責任なのだから」
「はい、母上」
返事はいいけれど、本当に大丈夫かしら。王妃の不安は拭えなかったが、それでも王子がそう言うならば、と、信じて見守ることにした。
そして翌日、第一王子の誕生日。ローズの誕生日でもあるその日、婚約式と銘打った式典が開かれた。事情を知る関係者のみが出席する小さな式典だ。第一王子が、ローズの左手の薬指に金色の細い指輪をはめる。そして、ローズが第一王子の指に同じように銀色の指輪をはめる。八歳の子どもの指には大きいだろうと思われた指輪だが、はめた途端、その小さな指にぴったりと納まった。指輪の形をしているが、これは魔道具だ。王家に古くから伝わるもののひとつで、相手の魔力を自分のものにできるという。そういう説明が、国王の口から幼いふたりにもなされ、ふたりは神妙な表情でうなずいていた。
いままで、王家の血を引くものは例外なく魔力持ちだったため、この魔道具は、長らく用途不明だったが、こういう例外が発生したときのためだったのだろう、と国王はふたりに説明しながら、自分も納得していた。
ローズの指輪は第一王子の手でなければ外せず、第一王子の指輪はローズの手でなければ外せない。そういう契約がなされ、ふたりは魔術で縛られた。
ふたりが指輪をはめた途端、第一王子の身体がぼうっと光り、その光はほどなくして消えた。国王、王妃をはじめ、事情を知る関係者たちは、ローズの魔力が第一王子に流れたことを察し、各々安堵や不安を抱いた。
婚約式のあとは、王城の庭園で第一王子の誕生パーティーが盛大に開かれた。そのパーティーの場で、第一王子の魔力が発現する。魔力で風を起こし、水や植物を操る王子に、招待客たちは拍手をおくった。魔力は持たずとも、王家の血が流れている王子は、もともと魔力持ちだったかのように思い通りに魔力を操ることができた。第二王子よりも、第一王女よりも莫大で安定したその魔力は、事情を知らない招待客たちを魅了し、また安心感をも与えた。王子の魔力量は他に類を見ないほどだ。きっとこの国のさらなる発展に繋がるだろう、と。
「ローズを大事にするのだ。そうすれば、その魔力はおまえのものだ」
魔力の発現に無邪気によろこぶ王子に、国王はひっそりと言った。
「無駄使いせず、ここぞというときに大事に使うのだぞ」
「はい、父上」
わかっているのかいないのか、王子はうなずいた。
王子が招待客たちに魔力を披露している影で、ローズはめまいを覚え、その場にゆっくりとしゃがみ込んだ。はしたない、立たなくては。そう思うものの、身体に力が入らない。そのうち、しゃがみ込んでいることすら耐えられなくなり、地面に倒れ込む。目の前が真っ暗になり、ローズは意識を失った。気づいたのは、ローズの両親と王妃だけだった。彼らはひっそりと奥の部屋へとローズを運ばせた。
「あなたには、酷なことを強いてしまいました」
目を覚ましたローズの額に労わるように手を置き、王妃が言った。
「これから、あなたは、あの子が魔力を使うたびにこのように体力を削られるのでしょう」
王妃の悲しそうな表情に、ローズは驚いてまばたきを繰り返す。
「しかし、あの子はあなたを大事にすると、わたくしに約束しました。わたくしはその言葉を信じます。どうか、王子の助けになってやって。あなたの魔力は、きっと国のために役立つでしょう。よろしくお願いします」
王妃にそこまで言われてしまえば、レスケンス公爵も、ローズも何も言えない。
「まさか、こんなことになるとは」
帰りの馬車のなかで、レスケンス公爵が呟いた。ローズは体力が戻らず眠っている。
「この子は、一生こんなふうなのでしょうか」
レスケンス公爵夫人が言う。
「こんなふうとは」
「第一王子殿下が魔力を使うたびに、このように倒れてしまうのでしょうか」
レスケンス公爵は答えに窮した。
「殿下が魔力を使うたびに、この子の命はすり減っていくのですね」
夫人は続ける。
「せっかく健康に生まれたのに、これでは、ローズがあまりに不憫です」
「国のためだ。それに陛下は、わが領地への援助は惜しまないと仰った。殿下との婚約は、わが家にとっても悪いことではない」
「悪いことです。娘の命を犠牲にしているのですから」
夫人の言葉に、レスケンス公爵は黙り込んだ。
*
その日は一旦、公爵家に帰ったものの、ローズと第一王子の物理的な距離が離れれば離れるほど魔道具の効力が発揮されないことが判明し、王家は、ローズをできるだけ第一王子の近く置いておくことにした。ローズは王城に部屋を与えられ、半ば軟禁状態で生活することになる。第一王子の婚約者として付き従い、王子が魔力を使用する際のゴーストとして。
同時に王子妃教育もはじまった。なにもせずとも削られていく体力と、厳しい王子妃教育に、ローズは何度も負けそうになった。それでも、国のためだとがんばっていられたのは、王子が親切にしてくれたからだ。
「ローズ、今日の体調はどう?」
毎日、部屋まで会いにきてくれて、声をかけてくれた。時折、庭園の花を一輪、贈りものとして届けてくれたりもした。ローズは、自ら花を選んで手折ってくれたであろう王子の気持ちをありがたく思っていた。王子が自分を気にかけてくれることが、単純にうれしかったのだ。
それぞれの勉強が終わる夕刻になると、王子はたびたびローズを遊びに誘った。最初のうちは、王城の庭でふたりで遊んだものだった。王子は、ローズに魔力で出した火の鳥を見せ、「すごいだろう」と、誇らしげに言った。
「ええ、すごいですわ」
王子は、ローズの体力が削られることをわかっていて、このように派手に魔力を使うのだろうか。くらくらするローズの頭に、ふと疑問が生じた。
「ですが、わたくし、魔力よりも殿下と夕焼けを眺めていたいです」
ローズは言い、王子がそれ以上魔力を使わないでいてくれることを祈った。
「ローズは変わっているね。弟たちや家臣たちは、私が魔力を使ってみせるとすごくよろこんでくれるんだよ」
「わたくしは、殿下がとなりにいてくださるだけでうれしいですわ」
ローズの言葉に第一王子は照れ笑いをし、「ローズは甘えん坊だね」と、ローズの手の甲を指で愛おしそうにつついたものだ。
だが、そんな蜜月は長くは続かなかった。
弟妹よりも遅れて発現した魔力を使うことが楽しくて仕方がないらしい第一王子は、思うがままに、際限なく魔力を使い続け、そのたびにローズの体力は削られていった。国のために、たとえば、災害の復旧や病気の治癒などのために魔力を使うのならいい。しかし、王子は、まるで大道芸のごとく、周囲の注目を浴びるために魔力を使った。ペンやカップを手を使わずに取るという些細な動作にはじまり、虹を出す、花を咲かせる、水や火で動物をつくるなど、娯楽のために魔力を惜しみなく使った。それが自分自身の魔力であったならば悪いことではないだろう。しかし、王子に流れる魔力はローズの身体を犠牲にしたものだ。もっとローズの様子を気にかけ、体調に気を配り、自制するべきだったはずの王子は、国王や王妃との約束をすっかり忘れてしまっていた。
「ローズ、体調は大丈夫かい? つらかったらすぐに休むんだよ」
「ええ、殿下。ありがとうございます」
ローズの体調を心配する素振りは見せるものの、第一王子は魔力の使用を控えるということはしなかった。ローズは耐えるしかなく、時折、王子にかけられるやさしい言葉だけを心の支えに、日々弱っていく自分の心身を奮い立たせた。
第一王子は、その魔力を自分のものだと思い込んでいた。いくら魔力を使っても疲れ知らずなのは、自分が特別に優れているからだと思っていた。実際に、王子の周囲の者たちは、そう言って王子を持ち上げた。
ローズは、日に日に憔悴していく。幼いころから魔力を吸い取られ、奪われ続けてきたため、ローズの身体は、成長と共にいままで以上に悲鳴を上げはじめた。徐々にではあるが、艶やかだった黒髪はくすんで灰色に変色し、宝石のようだった瞳からは輝きが消え、なめらかだった肌はしおれてしまった。十四歳になるころには、ローズはすっかりやせ細り、かつての美しさは見る影もなく、幽霊のように生気を失ってしまっていた。
第一王子が魔力を際限なく使うせいで、命の危機を感じたローズは、魔力の使用を少しでいいから控えてほしい、そう嘆願してみたが、
「私の魔力をどう使おうが、私の勝手だ」
王子は聞く耳を持たず、ローズは、確かに婚約式のあの日から、自分の魔力は王子の魔力になってしまったのだ、と絶望した。そして、日に日に醜く干からびていくローズを気味悪く、疎ましく思い、毎日のように部屋を訪ねてきてくれていた王子は、ローズの顔を見ると不機嫌そうにため息をつくようになり、次第に顔を見せなくなった。花の贈りものも途絶えてしまった。
そして、ふたりは十五歳になった。
*
十五歳で、貴族の子女は王立学園に入学し、一年半の間、貴族としての人脈づくりや社交をはじめ、領地運営の基本など、さまざまなことを学ぶ。
学園へ入学することを、ローズは辞退するつもりだった。こんなわずかな体力で、王子妃教育と並行して学園でも勉強するなんて、とても耐えられそうになかった。しかし、王城と学園は距離があり、ローズが近くにいないと第一王子の魔力が弱くなってしまうため、それは許されなかった。
学園に入学したローズは、その容貌から「ゴースト令嬢」などと陰口をたたかれることになった。
皮肉なことだわ、と、ローズは思う。確かに自分は第一王子の魔力のゴーストだった。自分の容貌を揶揄した陰口が、図らずも真実を言い当てている。
「あのように醜いゴースト令嬢が第一王子の婚約者だなんて」
「優秀な第一王子にふさわしくない」
ローズの耳にも、そんな心無い言葉は聞こえてくる。第一王子は陰口を言われているローズを庇うこともなく、気にかけることもない。
「いくら婚約者でも、四六時中つきまとわれては迷惑だ」
第一王子は、いつもそばに付き従うローズをうんざりしたように一瞥し、そんなことを言った。
「承知いたしました」
ローズは素直にそう返事をすると、学園内では王子から離れてひとりで過ごすことにした。学園の敷地内ほどの距離ならば、ふたりが多少離れていても、王子の魔力に影響は出ないようだった。
そんな環境でも、ローズは胸を張り、背筋を伸ばし、堂々とした姿で学園に通った。歩くだけでもしんどい身体だったが、このどうしようもない容貌以外に、他者につけ入られる隙をつくってはならないと、気を張っていた。だが、第一王子が楽しげに、魔力を他の生徒たちに披露している様子を眺めていると、自分はなんのために王子の婚約者になったのかわからなくなる。
王子に魔力を提供するためだけの便利なゴースト。その王子本人からは醜い姿を厭われる。この婚約は、国のためだと信じていた。しかし、必要とされていたのはローズ自身ではなく、ローズの持つ魔力だけだった。その魔力も、もうなんのために提供しているのかわからない。せめて、孤児院や病院などを視察し、苦しんでいる民を助けるために使ってほしい。そう嘆願してみても、王子は醜いローズの言葉など聞く耳を持たないのだ。最初のころは、魔力の使い方について幾度となく王子をたしなめていた国王や王妃も、最近では王子の様子を静観することにしたらしい。
学舎の裏庭の、そのまた奥の奥で見つけたこの崩れかけのガゼボが、ローズの秘密の場所になった。ひとりきりになりたいとき、ローズはここにきて、椅子に座ってただぼうっと過ごしていた。自分にもっと魔力があれば、と、ローズは思う。王子に奪われてもそれでも余るほどの魔力があれば、こんなふうにはならなかったかもしれない。そもそも、魔力を持たずに生まれてきていれば、もっと違った人生を歩めたかもしれない。ぼうっと考え、少しだけ涙を流す。
そんなふうに、学園にも悪い意味で慣れてきたころ、いつものようにガゼボでぼうっとしていたローズの目の前に、天使が飛び出してきた。
ピンクブロンドの美しい髪を地味にまとめ、青玉のように澄んだ瞳を持つ天使は、走ってきたのか、はあはあと肩で息をしていたが、はっとしたように姿勢を整え、ローズに対し美しい所作でカーテシーをした。
「あの、あなたは……?」
ローズは思わず尋ねていた。天使様なの? そう言おうとしたが、冷静になり途中でやめる。
「アルスト男爵家の娘、エリカと申します」
天使はそう名乗った。
*
エリカ・アルストは、最愛の母を亡くしてからは死んだように生きていた。
アルスト男爵家に引き取られた元平民の娘、エリカは転生者であった。もともと十歳まで平民として暮らしていたエリカは、火災事故をきっかけに魔力が発現、調べによりアルスト男爵家の婚外子と判明するやいなや、男爵家に引き取られた。
エリカは、その火災事故で自分を庇った母を亡くした。と同時に、前世の記憶を思い出したのだ。かつて前世で日本という国に暮らしていた記憶、好んでプレイしていた乙女ゲーム、それとよく似た世界に自分が転生していたことを理解したのだ。
だが、自分に無私の愛を注いでくれた母の死に悲観に暮れていたエリカは、十五歳になるいままで、よく知ったシナリオ通りに進む人生になんとなく流されて生きてきた。このまま順当にいけば本当に王子様と結婚することになるのかなあ、などとのんきな認識でいた。母の死で、なにもかもどうでもよくなっていたのだ。母の死後、自分の人生は、どこか他人事だった。
しかし、学園に入学するにあたり、ひとつだけ楽しみにしていたことがある。ローズ・レスケンスの存在だ。学園に入学したら、ローズ・レスケンスに会える。そのときのために、エリカは必死に礼儀作法など、貴族令嬢に必要なあらゆることを勉強した。
エリカは、ローズのことが好きだった。ゲームでの立ち位置は悪役令嬢となってはいるものの、ヒロインに対し少し厳しく接するというだけで、彼女は愛する王子の幸せを願い、最終的にはそっと身を退くという潔くも不憫な役柄だった。
「殿下をよろしくお願いいたします」
そう言いながら涙をこらえてヒロインに微笑む彼女のスチルは、最高に美しかった。前世のエリカは、ローズのいろんな姿を見たいがためにゲームをやり込み、スチルを収集していたものだ。
しかし、学園に入学してみて驚いた。ローズの容貌だ。
ゲームのなかの彼女は、それはそれは美しく、制作陣は、ヒロインよりも悪役令嬢に力を入れ過ぎなのでは、と突っ込みたくなるような美しさだったにも関わらず、学園で見かけた彼女は、まるで枯れ枝のように痩せ細り、干しぶどうのようにしおれた姿をしていた。
しかし、そんな容貌でも、彼女は凛としていた。周囲に陰口をたたかれても、それでも、堂々と胸を張って優雅な所作を崩さない。エリカは、そんなローズの姿に見惚れた。やはりローズは誰よりも美しいと思った。そして、なにかがおかしい、と胸騒ぎを覚える。ローズに、なにかよくないことが起こっている。
エリカは、ローズとふたりきりで話す機会を窺っていた。まるでストーカーのようにひっそりとローズの動向を調べていたエリカは、ローズが学園の裏庭の奥の奥のガゼボでよく休んでいるらしいことをつきとめる。
ローズを追ってガゼボへ行き着き、幸いなことに、ローズのほうから声をかけてもらえたエリカは、
「アルスト男爵家の娘、エリカと申します」
無事に挨拶をすることができた。
「なにがあったのですか」
どう切り出していいのかわからず、しかしローズのその姿のことに直接触れるわけにもいかず、エリカはそう尋ねた。
「ご病気なのでしょうか」
エリカは、無礼なことだと知りながらもローズに近づき、その前に跪くと、そのやせ細った手を無理矢理取って、自分の魔力を流し込んだ。しかし、手ごたえがない。まるで、からっぽの空間に魔力を無駄に注ぎ込んでいるように錯覚する。魔力が足りないのかと思い、さらに精一杯魔力を流し込む。病気なら治って、どうか元気を出して、エリカのその想いが、魔力を通して、同じ魔力持ちのローズには伝わった。ローズは、久しぶりに他人の優しさに触れたような気がして、涙を流す。その一瞬、ローズはかつての輝きを取り戻した。しかし、ほんの一瞬だ。
「もう、おやめください。あなたの魔力を無駄に消費してしまいます」
ローズは言った。
「ですが……」
エリカは反射的にローズの手を強く握り直す。
「無駄なのです」
ローズはなおも言った。強く握っていたローズの手をそっと離すと、エリカはひっそりと自分の魔力を発動させる。
「この空間、ガゼボの屋根の下のみに防音の膜を張りました。お声が外に漏れることはありません」
ローズには王家より監視がつけられていた。学園に通うにあたり、王城の外に出たローズが逃げ出さないためだ。ローズの指にはめられている魔道具は、第一王子とある程度の距離さえとってしまえば意味をなさなくなる。しかし、幼いころより王城に囲われていたローズは、逃げ出そうという発想を持っていなかった。そのため、自分に監視がつけられているということに想像すら及ばず、その存在には気づいていなかった。エリカも知っていたわけではないが、第一王子の婚約者なのだから王家の監視や護衛くらいついているかもしれない、という前世の知識からのなんとなくの直感で、とっさに自分たちの周囲だけに魔力で防音を施したのだ。
「どうか理由をお聞かせ願えませんか」
エリカの言葉に、ローズは躊躇いながらもぽつりぽつりと話しはじめた。
自分が魔力を持って生まれてしまったこと。魔力持ちのはずの第一王子が魔力を持たずに生まれたこと。王命により、第一王子の子婚約者となり、自分の魔力を第一王子の魔力として提供しなければならなくなったこと。そのことによって、体力が日に日に削られていること。
「エリカ様がこのことを他に話せば、王家の重要機密を暴露したとして、わたくしは死罪になるかもしれません。しかし、あなたはそんなふうに言いふらすような方には思えませんでしたし、仮にそうなったとしても……死罪になったとしても、わたくしはいいと思っています。死んだほうがましな気がするのです。魔力を常に吸い取られているため、身体は干からびたようにボロボロで、体力は日に日になくなり、少し歩くだけのことが苦痛。それなのに、厳しい王子妃教育を日々こなさなくてはなりません。普通の身体であれば、王子妃教育もがんばることができたでしょう。しかし、こんな身体では……わたくしはもう、なんのために生きているのか……」
ローズは泣きながら、先程出会ったばかりのエリカに胸の内を吐き出した。
「ひどいことを。なんて、ひどいことを」
エリカはローズとなりに座り、思わず膝の上で両手を拳に握って、唖然とする思いで言った。
「レスケンス公爵様は……ローズ様のお父様やお母様はなにもおっしゃらないのですか。このようなひどいことを、なぜお許しになっているのですか」
「仕方がないのです。王命ですので」
「王命がなによ!」
エリカは思わず叫んでいた。膝の上で握った拳が、震えている。
「娘の命よりも、王命が大事だっていうの!?」
そんなエリカをたしなめることも忘れ、ローズは驚いたように目を見開いた。
「親なら、自分の命よりも子どもの命が大事なんじゃないの。自分の全てをかけて、子どもを守るのが親ってものじゃないの」
エリカの目から、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「お母さんが教えてくれたの」
涙を拭いながらエリカは言う。
「あたしのお母さんは、あたしを庇って火事で死んだわ」
興奮しているため、エリカの言葉遣いは崩れてしまって、平民のそれに戻ってしまっている。しかし、ローズは気にならなかった。先程までの貴族然とした様子を思うと、平民だったエリカが、男爵家に引き取られたのちに必死に礼儀作法を勉強したことが窺える。ローズはそのことを好ましく思った。
「べつに、子どもを守って死ねって言ってるわけじゃないわ。ただ、子どもを……幼い子どもだったローズ様を、大事にしてほしかった……」
エリカが語るのは、平民としての、もしくは前世での価値観だった。子どもすら政略の駒でしかない貴族の価値観とは相容れない。しかし、ローズはエリカの言葉に救われたような気がした。
すべて、自分が至らないせいだと思っていた。自分がもっと魔力を持っていれば、こんなことにはならなかった。魔力を吸い取られても、普通に生活できるくらいの、もっと莫大な魔力を持ってさえいれば。しかし、エリカの言葉で気づいたのだ。自分は子どもだった。王命により、魔力の提供を通達されたとき、確かに、自分は庇護されるべき幼い子どもだったのだ。
だが、両親を責める気はない。貴族の常識では、王命に逆らうことなどできはしないのだ。
ローズが倒れてしまったあの誕生日の夜、ぐったりしたローズの身体を抱きしめて泣いていた母の顔を、ローズは覚えている。翌朝、王城に連れ戻されることになったローズを、苦渋に満ちた表情で見送った父の顔を覚えている。自分が愛されていると、ローズは知っている。
「ごめんなさい。ローズ様のご両親にも事情があるはずなのに、つい責めるようなことを言ってしまって……」
「いいのです」
それでも、エリカがローズのために憤ってくれた、その気持ちが、ローズはうれしかった。
「あたしがっ……わたくしが、ローズ様をその呪いから解放いたします」
エリカは崩れていた言葉遣いに気づき、それを直して言った。エリカの発した、呪いという言葉を、ローズは言い得て妙だと思う。この婚約は、確かに呪いのようなものだった。
「わたくしが、第一王子の気を引きます。第一王子を誘惑し、あなたに婚約解消を申し出るように、誘導します」
「そんなことができるのですか」
「……できます」
だって、ヒロインだから。エリカは言う。
「そういうの、わたくし、おそらく得意です」
自分は、選択肢を知っている。王子のよろこぶ言葉を知っている。
「しかし、わたくしは、殿下の魔力のゴーストです。婚約解消など国王陛下がお許しにならないでしょう」
なにより、ローズは王家の重要機密を知ってしまっている。そう簡単に手放すようなことはしないだろう。
「そうですね」
ローズの言葉にうなずき、エリカは少し考えて、
「でしたら、婚約解消ではなく、破棄ということでよろしければ、殿下がご自分の判断でご勝手に、ローズ様との婚約破棄を企てるようにそそのかします」
「そのようなことが、うまくいくでしょうか」
エリカの言葉に、ローズの胸に希望と期待が宿った。破棄でもいい、とローズはうなずいた上で、不安を口にする。
「わたくし、殿下のような殿方がよろこびそうな言葉を知っております。甘言で殿下を籠絡してみせます」
自信満々でローズに天使の笑みを向けるエリカに、ローズは不安を口にする。
「それでは、エリカ様が殿下に求婚されて、わたくしの代わりにゴーストにされるようなことになりはしませんか」
「えっ、あっ、そうか」
うっかり、という感じで、エリカの言葉遣いが崩れる。
「考えが及びませんでした。よくよく考えたら、そうですね。それは嫌ですね」
きっぱりと言い、
「……嫌ですか」
「ええ」
躊躇うことなくうなずいたエリカの様子に、ローズはおかしくなり、思わず笑みをこぼす。自分も、あのとき、こんなふうに嫌だと訴えることができていれば。そもそも、嫌かどうかもよくわからないうちに決まってしまった婚約だったのだが、ローズはエリカのことを眩しく思う。
「その件は、そうなったとき考えます。きっと、なんとかなるでしょう」
エリカの楽天的な言葉に、
「そんな、無鉄砲な。あなたの身をもっと大事になさいませ。それに、冷静に考えたら、アルスト男爵家にもご迷惑がかかることになりましょう。やはり、わたくしがこのままでいることが、いちばん平和なのかもしれません」
ローズは焦ってそう言った。自分のわがままで、エリカやエリカの家を危険な目に遭わせるかもしれないと思い直したのだ。
ローズに言われ、エリカは思う。男爵家に迷惑がかかったって、知ったことではない。それにエリカはもともと平民だ。自分の身だって、殺されたり投獄されたりしない限りはどうにかできるだろう。
男爵家で働いていた母が、アルスト男爵に手籠めにされた際にできた子どもがエリカだった。母は、自分が妊娠していることに気づき、生まれてくる子どもが余計なしがらみに苦しむことのないよう、妊娠を隠し、ひっそりと男爵家の職を辞したらしい。そんな境遇にも関わらず、母はエリカを愛してくれた。自分を手籠めにした憎い男の子どもであるエリカを、無私の愛で包んでくれた。
「いいのです。わたくしはもともと平民の身、どうとでもなります。それに、大切な母に生かされた命です。だから、この命は大切な人のために使います。ローズ様が幸せでないなんて、わたくしは嫌なのです」
なので、エリカはそう言った。
「どうして、いまのいま出会ったばかりのわたくしなんかのためにそこまで……」
ローズは言葉を詰まらせながらエリカに問う。
「ローズ様は、『なんか』ではありませんわ。魔力を奪われても、凛と背筋を伸ばしていたローズ様に、わたくしは一目で心を奪われたのです。わたくしの命は、ローズ様のためのもの。いま、そう決めました。ローズ様のお役に立てるなら、それがわたくしの幸せです。ローズ様の犠牲のうえで成り立つ平和なんて、わたくしがぶち壊してみせますわ」
お待ちなさい。そう声をかける前に、エリカは走って行ってしまった。貴族令嬢が走るなんて、はしたないですわ。そう注意するべき場面だ。しかし、ローズはエリカの走り去る後ろ姿に尊いものを感じ、両手を組み合わせ、思わず祈っていた。
*
程なくして、第一王子が平民上がりの男爵令嬢にご執心だとの噂が、学園内を駆け巡った。
早いわね。すごいわ、エリカ様。ローズは心臓をどきどきさせながら、思う。
「これで、ゴースト令嬢はとうとう婚約者から外されるのでは」
「そもそも、公爵家の令嬢とはいえ、なぜあのような醜い娘が婚約者に選ばれたのか」
相変わらず陰口が聞こえてくるが、その陰口にすら気持ちが高揚していくのがわかる。
昼休み、ローズは食堂で、第一王子といっしょにいるエリカを遠目に確認する。地味にまとめていた髪を下ろし、少し華やかな印象になったエリカに、第一王子は笑顔を向けていた。その様子にローズの胸は少しだけ痛んだが、ローズに気づいたエリカが、ローズにだけわかるようにハンドサインを送ってきたのを見て、すぐに痛みはかき消えた。エリカは右手の人差し指と中指の二本だけを立てて、悪そうな表情でローズに微笑んで見せたのだ。思わず笑いそうになったローズは、慌てて表情を消し、そのハンドサインの意味すらわからないままに、こっそりと同じサインをエリカに送った。ローズは久しぶりに、楽しいと感じた。
学園で第一王子といっしょに過ごすうちに、エリカは、優秀だと言われていた王子が、実はそんなに優秀ではないことに気がついた。王城で教育を受けてきただけあって、座学の成績は確かにいい。しかし、王子は世間知らずであった。平民の生活などに対する知識は皆無に等しかった。エリカが、平民だったころの話をしようとしても、さほど興味を示さない。民に寄り添おうという意識を感じられない。王子の興味は、自分がいかに優秀か、ということにのみ注がれている。つまり、ナルシストなのだ。このままではよい国王にはなれないだろう。
しかし、周囲は第一王子を優秀だと持ち上げる。第一王子が優秀だと謳われる所以は、その魔力量だ。王子の魔力は、その弟妹よりも莫大で安定しているらしい。それゆえに、王子は剣術が苦手だった。莫大な魔力を手にしてしまったがゆえに、その上に胡坐をかいて真面目に学んでこなかったようだ。
なんて愚かな人。エリカは、第一王子憎さに、その悪いところばかりをさがしながら思う。あなたが上に胡坐をかいているそれは、ローズ様の魔力だ。エリカは悔しい気持ちを押し殺し、第一王子を籠絡すべく、ますます必死になった。
王子は、隙あらばエリカに魔力を自慢しようとする。学舎の中庭にエリカを誘い出しては、光を使って虹を出し、にょきにょきと薔薇を生やしドヤ顔をして見せる王子を羨望の眼差しに見えるように見つめながら、エリカはそのたびにはらわたが煮えくり返る思いだった。なんなん、こいつっ! ローズ様の魔力をそんなふうに無駄に使いおって!
「魔力をお使いになりすぎると、お疲れになります。殿下のお身体が心配ですわ。いざというときのために魔力は温存されたほうがよろしいのでは……」
魔力を無駄に使うな、と、遠回しに諌めてみても、
「心配はいらん。私は、いくら魔力を使っても疲れぬ」
第一王子は自信満々にそう言ってみせるのだ。
「さすが第一王子殿下ですわ。優秀でいらっしゃるのですね」
口ではそう言いつつ、エリカは心のなかでギリギリと歯噛みする。いくら魔力を使っても疲れないだと? あたりまえだ、このくそくそくそくそ、くそったれ。それはローズ様の魔力なのだから。
*
「イライラいたします」
ローズの前で疲れを隠そうともせず、第一王子への不満を口にするエリカの様子に、申し訳ないと思いつつもローズは笑ってしまう。ふたりはたびたび、人目を忍んで、裏庭の奥の奥のガゼボで落ち合い、エリカの魔力で防音を施したうえで情報の交換をしていた。
「ですが、ローズ様。もう少しの辛抱ですわ。第一王子殿下は、甘言を吐き、甘やかしてばかりのわたくしに、メロメロになりつつあります」
メロメロとは、と不思議に思ったものの、エリカはときどき不思議な言い回しをするので、ローズは気にせず、
「王城内では、エリカ様を正妃にという声もちらほら聞こえます」
王城内で耳にした声をエリカに伝える。
「え、嫌です。婚約者のいる殿方に無作法に声をかける下位貴族の娘なんて、嫌われこそすれ正妃になんてなれるはずないではありませんか」
エリカは心底嫌そうな表情で言った。
「エリカ様、お顔」
「はい、ローズ様」
ローズにたしなめられてエリカは表情を消す。
「まず、エリカ様が魔力持ちだということが大きいのでしょう。魔力持ちの人間は単純に国の利益になります」
エリカの様子に微笑み、ローズは話を続けた。
「それに、エリカ様の場合、礼儀作法もしっかりとしていらっしゃるため、どこかの高位貴族家の養女に据えれば、正妃としても問題はないと思われたのでしょう」
「なんてこと……」
ローズに会ったときに好感を持ってもらおうと努力したことが徒になるなんて。
「わたくしのこの姿では外交もままなりませんから。わたくしを第一王子の魔力のゴーストのままに側妃に、エリカ様を正妃に、というのが最も可能性が高い気がします。エリカ様から魔力を奪って、わたくしのようになってしまっては意味がありませんから」
「ひどい! 女を、ローズ様をなんだと思っているの! 恥を知れ!」
エリカは吠えた。
「エリカ様、お言葉が崩れていらっしゃるわ」
「はい。申し訳ありません、ローズ様」
そんなやりとりをし、ふたりは顔を見合わせてくすくすと笑う。
「ところで、エリカ様のなさる、このハンドサイン、どういう意味がございますの?」
ローズは、自分の人差し指と中指だけを立てて見せる。
「いえーいとか、わーいとか、楽しい気持ちを表すサインです。勝利のよろこびを表す場合もあります」
エリカは、両手でハンドサインをして見せ、「ダブルピース」と言いながら微笑んだ。
「まあ、それはわたくしたちにぴったりのサインですわね」
ローズも同じように、両手の人差し指と中指を立てて、「だぶるぴーす」と言ってみる。
「ローズ様がかわいい」
エリカが呟き、ローズは少し恥ずかしくなった。
エリカと過ごす時間は、ローズにとって心が休まる唯一の時間だった。ずっとこの時間が続けばいいのに、とローズは思った。しかし、そういうわけにはいかない。エリカは自分の身を犠牲にして、ローズの呪いを解くためにがんばってくれている。
学園を卒業する日が近づいてきていた。ずっとこのままというわけにはいかないのだ。
*
いつもの崩れかけのガゼボで、エリカはローズに切り出した。
「殿下は、卒業パーティーの夜に実行なさるおつもりのようです。ローズ様、大丈夫ですか?」
卒業式が終わったその夜には、学園のホールで卒業を祝うパーティーが開かれる。第一王子は、そのパーティーの場でローズとの婚約破棄を発表するらしい。
「ええ。もうとっくに覚悟はできております」
ローズは言い、それにしても、と思う。婚約を破棄するにしても、互いの今後を考慮して、普通はそのような公の場は避けるものだ。しかし第一王子は、故意にそうしたいのだろう。ローズを傷物令嬢だと公に知らしめることで、長年、婚約者として自分を縛ってきた醜いローズへの復讐をしたいのかもしれない。
「公の場での婚約破棄だなんて、殿下は本当にテンプレなお方です」
ぷりぷりと怒って言うエリカの不思議な言葉は気にせず、
「それより、エリカ様は、どうなさるのです」
ローズはそう尋ねる。
「秘密です。きっとびっくりなさると思います」
エリカは悪そうな表情で微笑んだ。ローズは、エリカの、いたずらを考えついた子どものようなこの表情が好きだった。
「なにかお考えがあるの?」
「ええ。わたくし、やりたいことがあるのです。まだ申せませんが、ローズ様がご心配なさるようなことには、きっとなりませんわ」
「本当に?」
「ええ。ご安心なさってください」
エリカはそう言うが、ローズの不安はどうしても拭えない。
「卒業しても、またお会いできますか?」
「ええ、絶対に。なにがあっても会いに行きますわ」
エリカが力強くそう言うので、ローズはエリカを信じることにした。
「ありがとうございます。わたくしのためにいろいろと尽力してくださったこと、なにより、こんなわたくしと仲良くしてくださったこと、感謝してもしきれません。あなたと過ごす時間は、とても楽しかった。エリカ様、あなたは、わたくしの天使です」
ローズの言葉に、エリカの頬は薔薇色に染まる。
「うれしい! でしたら、ローズ様はわたくしの女神ですわ!」
エリカが勢いよく言い、ふたりは、あのハンドサインをして笑顔で別れた。
*
そして、卒業パーティーの夜。
「貴様との婚約をここに破棄する!」
パーティーの開会宣言前。ざわめきのなか、ホールの前方に立つ第一王子が、ローズに向かってそう言い放った。
婚約破棄、しかも、卒業パーティーという公の場でのことに、周囲はやはりざわめく。しかし、ローズは気にしなかった。自分が婚約破棄された傷物令嬢だと知れ渡ってしまうこと以前に、自分は周囲に忌み嫌われる醜いゴースト令嬢なのだ。そもそもの評判がよろしくないのだから、このくらい、たいした傷ではない。ローズは胸を張り。顔を上げる。そして、理由も尋ねることなく、静かに言った。
「承知いたしました。殿下がよろしいのでしたら、わたくしはその婚約破棄をお受けいたします」
気持ちが昂ったローズの声は震え、目からは涙が一粒こぼれた。周囲からは、ショックを受けているように見えただろう。
国王がこの婚約破棄を許したのかどうかローズは知らない。きっと、王子の独断だろう。しかし、ローズは自分にかけられた呪いのような魔道具を、王子が外してさえくれれば、あとはどうでもよかった。なにか沙汰があるかもしれなかったが、そのときのことはそのとき考えよう。ローズは、エリカに倣ってそう思った。気がかりがあるとすれば、エリカのことだけだ。だが、いまは自分のことに集中しなければ。
「さあ、殿下。どうか、どうかその手で、わたくしにはめられた魔道具をお外しください」
王子にだけ聞こえる声でローズは言う。
「魔道具だと? 単なる婚約指輪ではないか。しかし、我らを契約で縛るもの。確かに魔道具のようなものかもしれん。忌々しい……」
ローズがせっかく気を遣って小声で言ったものを王子は大声でそう言い直し、差し出されたローズの手から魔道具を外す。ローズは王子の言葉を不思議に思う。忌々しいことには賛同するが、王子は、まさかこの指輪が魔道具だということを忘れてしまったのだろうか。
王子が無言で差し出した左手、その薬指からローズは魔道具を引き抜き、王子に手渡す。
「これで、貴様と私の婚約は破棄された」
ふたつの魔道具を握りしめ、王子が満足そうにそう言い放った瞬間、ローズの周りに眩い光の帯がくるくると絡まり、そしてやがてローズの全身を包んだ。ローズに本来の魔力が戻ったのだ。
くすんだ灰色の髪は艶やかな漆黒に、光を失っていた赤い瞳は輝きを取り戻し、肌は白く陶器のように滑らかに、頬はふっくらと薔薇色に。王家に魔力を奪われ、婚約という呪いで縛られていたゴースト令嬢は、元の美しい姿に戻った。
素敵。まるで魔法少女の変身を見ているようだわ。ひっそりと影から見ていたエリカは思う。
「……貴様、ローズなのか?」
信じられないという様子で、第一王子が言う。
「ええ。ローズ・レスケンスでございます。ですが、第一王子殿下、わたくしたちはもう婚約者同士ではありませんのよ。ただの娘を、そのように気安くお呼びにならないほうがよろしいですわ」
そう言って晴れ晴れと微笑むローズはたいそう美しい。その美しさに、王子だけでなく周囲の者たちも息をのんだ。
「婚約破棄の件、ありがとうございました」
ローズは思わず礼の言葉を口にしてしまい、あわてて、
「それでは第一王子殿下、ごきげんよう」
ごまかすようにそう言うと、美しいカーテシーをした。そんなローズを、王子は惚けたように口を開けて見つめている。ローズは優雅な所作で身をひるがえし、ホールを出て行こうと歩き出す。
我に返った第一王子が、
「待て、まだ話は終わっていない」
魔力でホールの扉を封じようとするが、魔力は発動しない。
「どういうことだ!?」
愕然とする第一王子を残し、自分の身体が軽いことに感動しながら、ローズは堂々とホールをあとにする。王子の様子を見てローズは確信した。まさかとは思っていたが、王子は忘れてしまっているのだ。自分が際限なく吸い取り、湯水のように使っていた魔力がローズのものだと忘れしまったのだ。
なんて愚かなお方。そんな大事なことを忘れてしまうなんて。こんな方のために、わたくしは自分の人生を無駄にしてしまったのかしら。エリカがこっそりと手配してくれていた帰りの馬車のなかでそう思ったローズだが、いいえ、と思い直す。おかげで、エリカと親しくなれた。ローズのこの境遇でなければ、エリカは自分に興味を持ってくれなかったかもしれない。
「エリカ様……」
エリカの名前を呟いたローズは、彼女の無事を祈った。
「さて、皆によろこばしい知らせがある」
ローズが去ったホールで、第一王子は形勢を立て直そうと宣言し、きょろきょろと誰かをさがしている様子だ。
あ、やばい。急がなきゃ。エリカは、第一王子が「新たな婚約者を紹介しよう」などと言い出さないうちに、
「おそれながら、発言をお許しいただけますか」
王子の前に進み出て、カーテシーをする。
「ああ、エリカ。そこにいたのか」
第一王子は、さがしていたエリカの姿を確認し、ほっとしたように言う。
「なんだ。発言を許そう」
王子の許しを得ると、
「殿下のお気持ちはわかりました」
エリカは、悲哀たっぷりに芝居がかった口調で言った。
「すべて、ローズ様にかかった呪いを解くためだったのですね!」
ここは大事なところなので、腹の底から声を出し、ホール中に声を響かせる。
「な、なんのことだ、エリカ」
わけがわからない、という様子の第一王子に対し、
「おとぼけにならずとも結構ですわ。わたくし、わかってしまったのです」
エリカは続ける。
「あのような呪いがなんなのか、どうしてローズ様に呪いがかけられたのか、それは、わたくしにはわかりません。しかし、先ほどの殿下の行動で、あの指輪が呪いに関係していることはわかりました。殿下はっ……殿下はローズ様の呪いを解くために、ローズ様にわざと冷たくあたり、ローズ様のお気持ちを殿下から遠ざけ、わざとわたくしと親密になったふりをなさっていたのですね……」
周囲がざわめき、第一王子を讃えるような視線が送られる。
「い、いや、なにを」
第一王子が否定の言葉を口にしようとするのを遮り、エリカの芝居は佳境に入る。
「おかしいと思っていたのです。殿下は平民出のわたくしを気遣ってくださっていただけなのに、どこからかあのような噂が立ってしまい心苦しく思っておりましたが、納得いたしました。殿下がご自分で噂を流されたのでしょう。そのうえ、ローズ様の心残りをなくすため、徹底的に嫌われようと、このような公の場で婚約破棄を!」
「なんと……」
「知らなかったわ。おふたりにそのようなご事情がおありだったとは……」
「すばらしい。第一王子殿下は、王族でありながら自己犠牲の精神をお持ちなのだ」
エリカの言葉に、周囲はますます第一王子を讃えはじめる。
「殿下の献身的なお心、深いお考え、感動いたしました」
エリカは涙声で言い、
「殿下、いままで親切にしてくださりありがとうございました。どうか、お幸せに」
そう言って、カーテシーをしてその場を去った。
国王がホールに姿を見せたときには、すでに遅かった。第一王子の献身的な姿勢に感動する周囲と裏腹に、王子だけがわけがわからずぽかんとしていた。第一王子の手のなかにある金と銀の魔道具を見て、国王は、
「ローズは、元気そうだったか」
壇上にひとり立つ王子に、それだけ尋ねた。
「はい、婚約指輪を外した途端、その……とても美しい姿に……」
「そうだろうな」
国王はぽつりとそう言い、
「騒がせてすまなかった。諸君、卒業おめでとう。長い前置きはなしにしよう。さあ、パーティーを楽しんでくれ」
卒業生たちに宣言し、何事もなかったかのように振る舞った。
その日を境に、貴族の間でこんな噂が流れ始めた。
「レスケンス公爵家のローズ嬢は、第一王子の婚約者になったがために、嫉妬に狂った何者かに醜くなる呪いをかけられていたらしい」
「第一王子は、日に日に弱っていくローズ嬢の様子を不憫に思い、自ら婚約を破棄し呪いを解いて差し上げたのだ」
王家は、その噂を否定も肯定もしなかった。
*
久しぶりに帰った実家で、よろこんでもいいのか戸惑っている様子の両親に迎えられたローズは、
「第一王子殿下に婚約を破棄されました」
そうぽつりと言った。
「お父様やお母様にご迷惑をおかけすることになるかもしれません」
ローズは続ける。
「ですが、それはご自分たちでなんとかなさってください! わたくしはもう、あのようなつらい日々には戻りたくありません!」
「ああ、それでいい」
レスケンス公爵は、ローズの生まれて初めてのわがままに、ただうなずいた。
「いままで、すまなかった」
そして、強くローズを抱きしめたのだ。
ゴースト令嬢と呼ばれ、周囲から気味悪がられていたローズだったが、第一王子との婚約を破棄し元の美しさを取り戻した途端、てのひらを返したように結婚の申し込みが続々と届いている。しかし、ローズはそのすべてを断っていた。
「ローズ、あなた一体、どんな男性ならいいの?」
母であるレスケンス公爵夫人に問われ、
「わたくしが、ゴースト令嬢と呼ばれていたころから親切にしてくださった方と添い遂げますわ」
ローズはそう答えた。ローズの言葉に、両親は絶句する。そんな男はいないのだ。つまりローズは暗に、結婚はしない、と宣言したようなものだった。
「おまえは、それでいいのか」
レスケンス公爵の問いに、
「ええ、そうしたいのです」
ローズは微笑んでうなずいた。そして、
「お父様、わたくし、公爵家の仕事を学びたいです。どうかご教授いただけますでしょうか」
そう請うローズに、
「ああ」
レスケンス公爵はうなずいた。
それからローズは、レスケンス公爵に付き従い、領地運営など、将来、レスケンス公爵家を継ぐために必要なことを学びはじめた。すべての書類に目を通し、必要とあらば実地に赴くローズの働きは、レスケンス公爵が思わず心配になるほどだった。
「ローズ、ここのところ働き詰めではないか。疲れてはいないか」
「ええ、全然。我が世の春よ。だって、身体が軽いわ。どこも痛くも苦しくもないんですもの」
ローズのその言葉に、両親は泣いた。この子は、いつもどこかが痛く、苦しかったのだ。
「わたくし、きっとこれからなんだってできますわ」
そう言って、微笑むローズを、両親は信じて見守ることにした。
王家からレスケンス公爵家に対して、ローズが心配していたような沙汰はなく、それどころか、レスケンス公爵家は、第一王子の独断による婚約破棄の慰謝料として王家から決して少なくはない金品を受け取った。慰謝料という建前だったが、要は口止め料だ。王家がローズの魔力を奪い、好き勝手使っていたということを黙っていろということだ。
「異論はありません。この魔力も、要請があれば国のために惜しみなく使うことをお約束します。そのかわり、わたくしのことはもう放っておいていただきたいわ」
ローズの言葉は、レスケンス公爵によって丁寧な言葉に直されて国王に伝えられた。国王はそれを了承したという。
エリカはというと、レスケンス公爵家の侍女服を着て、ローズの後ろに控えている。
「わたくし、平民に戻りましたの」
ローズが公爵家の仕事を学びはじめたそのころ、新しい侍女見習いとして紹介されたのがエリカだった。
「いえーい、ドッキリ大成功です。きっとびっくりなさると思っておりました」
驚くローズに、人差し指と中指を立てるあのハンドサインをして微笑んだエリカは、不思議な言葉を遣いそう言った。エリカは、レスケンス公爵家侍女の雇入れの面接を受け、合格したとのこと。
「心配していたの。あれから、あなたはどうしていたの?」
ローズが尋ねると、
「王家からアルスト男爵家に、一応、という感じで婚約の打診がありました」
エリカはこれまでの自分の近況を説明する。
「やはり……」
「王命とはちがい、わたくしの意向を確かめるためのもので、婚約の意思がなければ断ってもよいという軽いものでしたが、よろこんだのはアルスト男爵です。わたくしが第一王子殿下と婚約すれば王家と繋がりができるわけですから、欲に目が眩んで情けないあり様でした」
エリカは淡々と続けた。
「もちろん、アルスト男爵にはお断りしたい旨を伝えました。思慮深い第一王子殿下に、わたくしのような平民上がりの者は相応しくありませんと嘯き、さめざめと泣きました。嘘泣きですが」
「まあ」
エリカらしい、と思い笑いそうになるのをローズはなんとかこらえる。
「それでも許してもらえなかったので、殿下はローズ様を愛しておいでです、自分のことを愛していないとわかっている男性と結婚なんて惨めだ、ありえない。わたくしだけを愛してくれる人でなくては嫌だ嫌だ嫌だ、と駄々をこねて暴れました」
「あ、暴れましたの?」
「ええ。でも、平民なら愛だなんだとそれも許されるが、貴族の結婚はそうはいかないと、どうしても許してもらえませんでした」
「それで、どうされましたの?」
ローズは、だんだんわくわくした気持ちになり、エリカに話の続きをせがむ。
「殿下と婚約するくらいなら、死んでやる! と、男爵家でいちばん高い壺を選んで蹴り倒し、割れた壺の欠片で自分ののどを突くふりをしましたら」
「しましたら……?」
「めでたく勘当されました」
「まあ」
「なので、こちらで雇っていただけて助かりました。まあ、最初からなにがなんでも雇っていただくつもりではあったのですが」
エリカは軽い口調で不穏なことを言う。
「エリカ様、わたくしはあなたに並々ならない御恩がございます。あなたのためなら、わたくしなんでもいたします。貴族に戻りたいならば、養女として受け入れ先を調えることもできます。もっとわがままをおっしゃってくださいな」
ローズの申し出に、
「どうかわたくしのことはエリカとお呼びください。わたくし、身分などはどうでもいいのです。ローズ様付きの侍女になりたいのです。そうすれば、ローズ様といつもいっしょにいられます」
そう言ったあと、エリカははっとしたように、
「ええと、そうです。お言葉に甘えて、わがままを申します。つまり、わたくしのわがままは、ローズ様のおそばにいさせてください……です」
こう言い直した。
「ローズ様、わたくしのわがままを叶えてくださいますか」
「もちろん。ええ、もちろんよ、エリカ」
ふたりは手を握り合い、改めて再会をよろこんだのだ。
*
卒業パーティーが終わった翌日、第一王子は国王の執務室に呼ばれた。
自分の魔力が消えてしまったことにいら立ちながら、王子は一晩中、このまま魔力が戻らなかったら、という不安に苛まれていた。
魔力の発現が遅れていた第一王子は、魔力を持って生まれた弟妹に対し、ずっと劣等感を抱いていた。弟妹は第一王子を兄と慕ってくれたが、惨めな思いは消えなかった。しかし、遅れて発現した魔力は、弟妹よりも莫大で安定しており、第一王子は自らの誇りを取り戻したように感じたのだ。しかし、ローズとの婚約を破棄した途端、魔力は消えてしまった。あのころの、惨めな自分に戻ってしまった。
それに加え、わけのわからないことを言って去ってしまったエリカのことも気になる。第一王子は、ローズとの婚約を破棄し、エリカと新たに婚約を結び直すつもりだった。その件も、国王に話しておかなくては。
執務室に通されると、
「魔力を失ったな」
静かな口調で国王が言った。
「きっと、いままでの疲れが出たのです。少し休めば、魔力も戻るでしょう」
第一王子は、希望もまじえ言い訳のようにそう言った。
「戻ることはあるまいよ」
国王はため息まじりに淡々と言う。
「なぜわかるのです!」
「おまえがローズとの婚約を破棄したからだ」
国王の言葉が理解できず、王子はぽかんと父を見返した。
「婚約破棄までならまだよかった。あの魔道具さえ外さなければ」
「魔道具……そういえば、ローズもそのようなことを申しておりました。ただの婚約指輪ではないのですか」
第一王子は、婚約指輪のことを魔道具と称したローズに違和感を覚えていた。しかし、国王である父まで同じことを言う。
「まさか、忘れてしまったのか」
あきれたように国王が言った。
「ローズがなんのためにおまえの婚約者になったのか、忘れてしまったのか」
王子は黙っている。ローズが自分の婚約者になった理由など、考えたことがなかったのだ。確かに、幼かったころのローズは美しかったので、自分は初めて会ったローズを気に入った。第一王子である自分が気に入ったから、それが理由だと、なんとなく思っていた。
「ここまで驕りたかぶった愚か者になるとは予想できなかった。あのとき、あれの忠告をちゃんと聞いていればよかったな」
最後はひとり言のように発せられた国王の言葉に、
「どういうことです」
王子は説明を求める。
「おまえがいままで際限なく使っていた魔力は、ローズのものだ」
「なにを仰って……」
「あの魔道具で、ローズの魔力をおまえに与えた。おまえ自身は魔力など持っていやしない。おまえとローズ、ふたりに説明はしたはずだ。ローズは、ちゃんと理解していたぞ」
信じられない思いで、第一王子は国王の言葉を聞いた。
「ローズは、おまえの魔力そのものだったのだ」
第一王子は、全身から血の気が引いていくのを感じていた。国王の言葉が本当ならば、もう自分に魔力は戻ってこない。
「言っただろう。ローズを大事にしろ、と」
第一王子は、絶望のなかで国王の言葉を聞く。
王妃である母にも言われていた。
「あなた、ローズ嬢のことを大事になさいね」
他にもいろいろと言われたような気がするが、幼かった自分は難しく感じ、よく理解していなかった。しかし、いちばん簡単な約束、「ローズを大事にする」、それだけは覚えていたはずなのだ。だが、愚かな第一王子は、時が経つにつれその約束すらも忘れてしまい、ローズを邪険に扱った。
「その魔力はおまえのものだ」
王子の記憶に残る、父のこの言葉。ローズの名前は都合よく薄れて消えてしまい、魔力が自分のものであるという認識だけが頭に残ったのだ。
「そんな……」
第一王子は力なく呟く。
「ところで、おまえは愚かにもローズとの婚約を独断で破棄したわけだが」
国王が話を続ける。
「それで、どうするつもりだったのだ」
「そうだ、私はエリカと婚約を結び直そうと……」
国王の問いに、第一王子は言う。
「アルスト男爵家の娘か」
「はい」
国王がエリカを知っていることを不思議に思いながら、
「私は、エリカと婚約したいと思っております」
国王は渋い顔をし、
「……その娘も魔力持ちであったな。一応、アルスト男爵家に打診はしてみるが、無駄だと思うぞ」
そう言った。
国王には無駄だと言われたが、第一王子は、エリカが自分と婚約をしてくれると信じて疑わなかった。自分をうっとりと見つめるエリカの目。エリカが、自分からの求婚を断るわけがない。そうなったら、今度はエリカに魔道具をはめればいい。そうすれば、エリカの魔力を自分のものにできる。第一王子は、新たに生まれた希望の光に愚かにもすがった。
しかし後日、男爵家からは断りの返事があった。しかも、エリカを勘当したという。
第一王子は再び絶望の淵に立たされた。
国王は知っていた。エリカとローズが、親密な仲だということを。ローズに付けていた監視から報告が上がっていたのだ。ローズとエリカはたびたびふたりで会っていた。その会話の内容までは聞こえなかったが、泣いているローズをエリカが慰めたり、おしゃべりして笑い合ったり、親しげな様子だったという。国王は、その報告を聞いて、すべてを察した。この婚約破棄は、計画されたものだったのだと。そして、第一王子は、愚かにも嵌められたのだと。しかし、小娘ふたりに王族がころりと騙されたなどと、世間に公表できるわけがない。
国王は、現在貴族間に流れている、都合のよい噂を利用することにした。
貴族間で流れている噂、
「レスケンス公爵家のローズ嬢は、第一王子の婚約者になったがために、嫉妬に狂った何者かに醜くなる呪いをかけられていたらしい」
「第一王子は、日に日に弱っていくローズ嬢の様子を不憫に思い、自ら婚約を破棄し呪いを解いて差し上げたのだ」
その噂に、もうひとつ付け加えられたものがある。
「第一王子はその際に、ご自分の魔力を犠牲にされたらしい。殿下の魔力は枯渇してしまわれた」
貴族たちは、第一王子の魔力が消えてしまったことを、この噂をもって納得したのだ。
しばらくして、第一王子が魔力を失ったことを理由に王位継承権を自ら返上したとの発表がされた。実際には、本人の意識改善が見られず、王位継承権を剥奪されたのだが、表向きは返上ということになった。そのほうが国民の覚えがいいからだ。魔力の有無は関係なく、本人の驕りが招いた結果だった。
現在は騎士団に見習いの雑用要員として入団し、いままで魔力に頼りきりで、真面目に学んでこなかった剣術を厳しく教え込まれているという。
*
ローズは、父であるレスケンス公爵の引退後、自らがレスケンス公爵家を引き継いだ。
莫大で安定した魔力を持つローズと、やはり魔力持ちであるローズ付きの侍女、エリカのふたりは、病気やけがの治癒、衛生管理や災害の復旧などにその魔力を役立てた。要請があれば、その魔力を惜しみなく国のために使った。そんなふたりは領民から慕われ、他の領地からレスケンス公爵家の領地へ移住してくる人々も少なくなかったという。
そして、遠縁の子どもを養子にし、後継ぎに育て上げたあとは、レスケンス公爵家をその子に任せ、領地の端の小さな屋敷に隠居した。
ローズとエリカのふたりは、共に独身を貫き、生涯、仲睦まじく過ごしたという。
「あの魔道具ですが、相手の魔力を自分のものにするための道具ではなく、自分の魔力を相手に与えるものだったのではないでしょうか。王家が、魔力を持たない民を助けるための道具だったのです、きっと」
ある日の晩、白いものがまじりはじめたローズの髪を丁寧に梳かしながら、エリカがふと思い出したように言った。
「まあ、あなたの考えはとても素敵ね。でも、そうね。本当にそうだったのかもしれないわね」
ローズはあたたかく、穏やかな気持ちで微笑んだ。
了
ありがとうございました。