09 街道を往く、森を往く
宿の騒動の顛末はこうだ。
宿に泊まりに来たダッキを一目見て懸想した宿屋の倅(三十過ぎの独身、彼女いない歴=年齢)が、なんとかダッキと二人きりで話がしたいと自分の父親に泣き付いた。
今まで浮いた話も無く(実態は勘違い男として宿場町では有名で女性から全く相手にされていない)、それを可哀想に思っていた宿屋の主人は自分の哀れな倅の為に一計を案じる。
旅の薬師だと聞いていたので仮病を使えば部屋に呼び込めば良いのではないかと、浅はかにも安直に考えてしまったのを一計を案じると言えるのかどうか。
作戦は途中までは(宿屋の主人から見て)上手くいったかに見えた。実際には明らかにとんでもなく無謀極まる事を作戦と呼んで良いのかは疑問だが。
さて、宿屋の主人に頼まれたタマモとダッキ。カウンターの奥にあるドアの前でタマモがノックして声をかけた。
中から弱々しくも態とらしい声で「開いてますよ。どうぞ」と聞こえた時に、タマモは、これは怪しいなと感じるも、取り敢えずダッキをドアの外で待機させ、ドアを開けると、寝台で頭から毛布を被った仮病の倅に近付いて声をかけた。
途端に、毛布を跳ね除けて飛び出した宿屋の倅はタマモに「一緒になってくれるんだね!」と戯れ言を言いながら抱き付いた。
実はこの倅、ダッキの姿こそ見ていたが声は聞いていなかった。それでタマモの声を聞いても、ダッキだと勘違いしたまま姿も確認せずにいきなり抱き付くなどと言う暴挙に出たのである。勘違い男と言うより頭がおかしいレベルである。
抱き付かれた次の瞬間、タマモは倅の腕を極るとそのまま背中から寝台へと叩き付ける。そして呻きながらもダッキでは無いと気付いて目を丸くした男の顔面目掛けて拳を振り上げ、悲鳴を上げる男に構わず、その頭のすぐ横に振り上げた拳を叩き付け、寝台を粉砕したのだ。
それにより倅は泡を吹いて気絶。そしてタマモは、そんな倅の首根っこを掴んで引き摺りながら裏庭へと戻って来たのだ。
「部屋に行ったら、この人にいきなり抱き付かれましたよ? 元気だったし熱なんか無いし、仮病を使ってまで私達を呼んで一体全体なにをする気だったんですかねー」
怒りの表情から一転して、笑顔のタマモが宿屋の主人に問う。但し目は笑っていない。
「申し訳ありません!」
狼狽える宿屋の主人を後目に女将さんが土下座して謝罪した。
「家の宿六とバカ息子がとんだご迷惑を! こいつらは煮るなり焼くなりお好きにして構いません! ですが、どうかこの宿だけはお見逃しを!」
女将さん、全てを悟って自分の旦那と倅を生贄にして宿の存続を図る事にしたらしい。
「いや、煮ても焼いてもどーもならんでしょ、こんな産廃」
「さんぱい?」
思わず顔を上げる女将さんを無視してタマモは後ろに居るダッキに告げた。
「ダッキお姉ちゃん、この宿、引き払って出よ。もう今日は野宿で良いよね」
「そうね。今からじゃ他の宿に行っても部屋が取れるか分からないものね」
「じゃ、そう言う事で。あ、宿代は返してもらわなくて結構」
そう告げると、呆然と口を開ける女将さんを無視して、タマモとダッキは荷物を纏める為にさっさと部屋へと引き上げる。
「はぁ~、今までこんなトラブル無かったのになー」
向かいながら溜息を吐きながらタマモがボヤく。
「こういうのが、犬も歩けば棒に当たる。でしたよね」
「ダッキさん、それ違う。今回のは、天災は忘れた頃にやってくる、かなー。天災にしてはショボかったけど」
高性能人工知性体はボケも熟せるようになったらしい。
そうこうしている内に彼女たちの部屋へと着き、洗ったばかりの旅装に着替え、荷物を纏める。
「タマモ、町を出たらこのまま一気に領境まで行くのはどうです?」
「そうしようか。あたし達、夜道とか関係ないもんね。ん、旅装ヨシ、荷造りヨシ」
「私も終わりました。出発しましょう」
支度はすぐに終わり、日が暮れつつある中をタマモ達は宿場町を後にした。
タマモ達が去った翌日、早速その宿場町では宿屋の倅が、金狐族と銀狐族の娘に無体を働こうとして、やらかした事が噂になった。町の人々は「あいつならやりかねない」と納得していた。
同族意識の強い金狐族・銀狐族からの報復が心配された宿屋は、その後も存続はしたものの、いつの間にか跡取りであった件の倅の姿を町で見掛ける事が無くなり、そして宿を継ぐ者も現れずに、いつしか廃業となったのである。
将来そんな事になるとは知らないタマモ達は星明かりの中、夜の街道を歩いていた。街道の両脇は森になっていて、時々、夜行性の鳥や獣の鳴き声が聞こえる。
荷物は町を出て早々に人目が無い場所でエアロックに放り込んだので身軽だ。
「タマモ、夜で人に見られる事も無いでしょうし、飛びましょうか?」
「プラントの完成、まだまだ先じゃん。燃料の無駄使いはダメですー。節約節約」
「そこは相変わらずの貧乏性ですね」
クスクスとダッキが笑う。誰が見ても違和感がない程に自然に。
「だってさ、プラント出来ました。でも燃料が無くて行けませんとかシャレにならないじゃん」
「まだ全力ジャンプを二十回以上は出来る残量があるんですよ。それにこの身体で飛行するならサブ・リアクターの出力だけで第三惑星まで行けるんですけど」
時々、獣が通るのか藪がガサガサと音を発てるが、二人は気にした様子もなく、お喋りをしながら夜道を早足で進んで行く。
「このペースだと、次の宿場町は真夜中に通過かな?」
「そうですね。明け方には領境の町に着いてしまいますね」
「途中で時間調整必要かなぁ。早朝に着くとか怪しいにも程があるし」
タマモ達は過去にそれで失敗している。とある町で門番に「年頃の娘二人が夜通し無理して歩いて来るとは何事か。無茶をするにも程がある」と懇々と説教をされたのである。
怪しいと思われたのではなく、純粋に心配されただけなのだが、説教されている間は道行く人の目に晒され、タマモは恥ずかしくて居たたまれなかったのだ。ただ、心配されている事がタマモは純粋に嬉しかった事も確かだった。
「それじゃタマモがお説教で恥ずかしい思いをしないように、途中、船内で時間を潰しましょう」
それを知っているダッキがタマモを揶揄うと、タマモは頬を膨らませて拗ねた。
こんな表情も、以前はどこか斜に構えた風で陰があったが、今では自然と出来るようになっている。
「それじゃさ、足りなくなりそうな本草でも探しとかない? 売れ筋の痛み止めとか熱冷まし、それに胃腸薬が少なくなって来てるんだよね」
タマモ達は他の薬師に倣い、薬草ではなく『本草』という言い方をする。
「落ち着いたら生薬や婦人薬なんかも作りたいですね」
身分を作る為に薬師という職業を選んだ二人だが、いつしか薬師の仕事に、やりがいを感じるようになっていた。
タマモは純粋に人から喜ばれる事に、ダッキは今まで出来なかった事を自らの手で行える経験に、それぞれ理由は違うが、この仕事を選んで良かったと考えるようになっていた。
人との関わりの中で徐々に、タマモは癒されてきていた。
そしてダッキもまた、タマモの変化に呼応するように、その存在を人工知性体から逸脱させて行くのだった。
夜通し歩き続けた二人は、次の宿場町を迂回して素通りし、夜明け前には領境の町の手前で街道脇の森へと入った。
ここで本草を採取し、足りなくなくなりそうな薬を製薬・調薬して補充する。
最初は、みくりや丸の空いた貨物デッキに、本草や薬の在庫を抱える事も考えたのだが、それは止めた。
そんな事をしたら、ついつい船内にある大量の在庫に頼り、荷物に見合わない量の薬をホイホイと提供して不思議がられてしまう。
それを危惧したタマモは、出来るだけ普通の薬師として振る舞えれば、人々の中に溶け込めるだろうと、在庫推進派だったダッキを説得し納得させて今がある。
ちなみに二人には、薬師の多くが持つ『調薬』スキルと、一部しか持ち得ない『製薬』スキルと『創薬』スキルを早々に取得してしまっている。ダッキのチートが炸裂した結果である。
「胃薬に使うクレスコとアナッレゲジオが少ないからなー。この辺りにあると助かるんだけど」
「湿布に使うレフレシィガもですね」
彼女達の作る薬は基本的に植物しか使わない。
異世界版本草綱目に掲載されている動物由来の物はどうにも効果が怪しいし、鉱物に関してはどう処方しても毒にしかならない物が多数含まれているからだ。
植物物由来の物でも、量を間違うと害を成す物もあるのだが、そこは調薬スキルや製薬スキルにより間違いを犯す心配は無い。
夜明け前から二人は黙々と本草(薬草)を探しては採取し、適切に処理しては薬箱の中の本草入れへと詰めて行く。
「んー、レフレシィガがちょっと足りないけど仕方ないか」
「足りない分は薬種問屋で購入ですね。そろそろ行きましょうか」
日も高くなり、森の中を木漏れ日を浴びながら二人は獣身を通って時に藪こぎをしながら街道へと戻って行く。
「結構、深いとこまで来てたねー」
「なかなか生えてませんでしたから」
「時間潰しも出来たし、取り敢えずはヨシとしようか」
「飛んで行きます?」
「日も高くなったから不許可」
そんな雑談を交わしながら進んで行くと、突然近くの藪が音を発てて揺れて、そこからコロコロしたフワフワした白銀の毛並みを持つ子犬が現れた。
但し大きさがおかしい。ラブラドール・レトリーバーの成犬程もある。見た目が子犬なのに。
「えっ? なに、魔獣!?」
驚いたタマモは後ろに飛び退いた。
しかしダッキはそのままの位置に立ち尽くしていた。
目をキラキラさせて、両手をワキワキとさせながら。
そんなダッキの様子を推定魔獣の子犬は、お座りの姿勢で不思議そうに首を傾げて円らな瞳で見つめている。
「か、可愛い……」
その姿と仕草を目にしたダッキは蕩ける様な笑顔になる。
「(ああ、そう言えばダッキさんて人化出来るようになる前からモフモフした生き物が大好きだったわ……)」
遠い目をするタマモ。今にも推定魔獣の子犬に飛びかからんとするダッキ。
『これ、坊よ。先に行くでない』
そんな優しげな女性の声が聞こえた後に、今度は馬程の大きさもある白銀の毛並みのオオカミが藪を割って現れる。
藪から出たオオカミは、タマモ達に向き直り、高い位置から彼女達を上から下へ、下から上へとまじまじと見つめた。
その視線にタマモは嫌なものを感じなかった。
見終わるとオオカミは愛想良くするかのように目を細めた。なんとなく微笑んでいるようにも見える。
『驚かせて済まんの。妾はフェンリル。お主達、異界から参った者で間違いないか? ああ、心配せんでも良い。イスカリア様より伺ってな、ちと顔を見に参っただけじゃ。ほれ、坊も挨拶せんか』
フェンリルを名乗ったオオカミはそう言うと、元・推定魔獣、現・子フェンリルを鼻先で押して促す。
『おねえちゃん、こんにちはー!』
ちょこんとお座りして幼く可愛らしい声で元気に挨拶する子フェンリルに、ダッキは我慢出来なくなった。
電光石火の勢いで子フェンリルに抱き付くと、モフりだした。
「ああん! なんて可愛らしくてモフモフでモフモフで可愛らしくてモフモフなのかしら! 私はね、ダッキって言う名前なの。あなたのお名前は? お姉ちゃんに教えくれるかな? きっと可愛らしいお名前なんでしょうね」
ダッキさんが壊れた。タマモは本気でそう思った。
親フェンリルも驚いて固まっている。いや、ドン引きしている。
『えっとね、ダッキおねえちゃん。ボクたちには名前がないんだよ?』
子フェンリルは物怖じしない性格らしい。ダッキにモフモフられながらも返事を返す。良い子である。
「あら、そうなのですか。不便ではありません?」
そう言いながらもダッキはモフるのを止めない。剰えスーハーと吸い始める始末。モフ吸いである。
『妾達はの、見えないが色を持っておるのよ。それも有って普段は念で通じあっておるから人の様な名前が無くとも不便は感じておらん。妾が人語を使うのも久し振りじゃぞ?』
親フェンリルが代わりに答えてくれた。
「名付けに意味とかは無いんですねー。あ、申し遅れました。あたしはタマモって言います。あっちで暴走してるのがダッキさんです」
『タマモにダッキか。うむ、よしなにの。名付けについては、お主の言う通りじゃ』
それを聞いたダッキが、ガバッと顔を上げる。
「それじゃ! それじゃ私がこの子に名前を付けても問題無いんですか!? 問題無いんですね!?」
もの凄い食い付き様である。これには親フェンリルばかりでなく、タマモもドン引きだ。
『ダッキおねえちゃん、ボクに名前つけたいの?』
「だって、私はあなたの色も見えないし、念で通じるなんて出来ないから。あなたを何て呼んで良いか、お姉ちゃん困っちゃうの」
子フェンリルは全く動じない。将来、大物に成る事は間違い無しだ。物理的にも大きくなるだろうが。
そしてモフられながら、親フェンリルの方を見た。
『ふむ、坊よ。このダッキが気に入ったのかえ?』
『うん、ボク、ダッキおねえちゃん好き! なんかね、近くにいると気持ちいいんだぁ』
『ほう? これタマモとやら、近う寄れ』
「食べませんよね?」
『誰が食うか。妾達はマナを糧としておるからな、飲食不要じゃ。良いから此方へ寄れ』
「マナって? まぁ後で調べてみます。これで良いですか?」
タマモが親フェンリルへと近付き正面に立つと、親フェンリルは鼻をふんふん鳴らしながら遠慮なしにタマモの全身を嗅ぎまくる。
そして最後にタマモの首筋を一嗅ぎすると、タマモから離れた。
『なる程のう……。これは好きマナが漏れ出ておる。坊が気に入るのも仕方ないわ。流石は異界の者と言う事かの』
それを聞き、タマモは自分の腕の匂いを嗅いでみたが、特に何も感じる事はなかった。
「なんの匂いもしないんでしけど」
『妾達、神獣くらいしか感じる事は出来んからの。こうして分かってみると、ダッキからも漏れ出ておるのが分かる』
それを聞いていたダッキは、モフる事を止めて、暫し考える。
「フェンリル様、この近くに広めの開けた場所とかありますか?」
「どうしたの、ダッキさん。なんか思い付いたみたいだけど」
『それなら妾達が来た方に屋敷が建てられる程の広さの草場があったわ。案内するか?』
「お願いします。タマモ、少し試したい事があるんです。付き合って下さいね」
「強制参加なのねー。ダッキさんのお願いなら仕方ないかぁ」
やれやれと肩を竦めてタマモは同意を示す。
『ふむ、妾もその試しとやらに興味がある。では行くぞ』
何やら楽しげな様子で尻尾を揺らしながら、親フェンリルが先導して一行は森の奥へと進んで行く。
なおダッキは子フェンリルを抱っこしてタマモ達に着いて行くのだった。