05 理不尽により甦る情緒と本能
ベハッシェア(以下略)国の王都を召喚陣込みで破壊したタマモ達は、そのまま人里離れた山奥へと飛行し、そこで潜伏生活をする事になった。
ダッキによる世界常識のデータベース化を行うのと、付与された生活魔法の訓練、及びダッキが人化した身体に慣れる為だ。
世界常識がデータベース化されたら、それを元にして最低限の常識を身に付けて、現地に合った装備(服飾)も整えてから人里に降りる算段を付けている。
みくりや丸の中には、万能3Dプリンターと言うべき装置があり、故障や破損などが起きた場合に、必要となる高度技術部品の作成にまで対応出来る。もちろんそれら船に必要な全データをダッキが管理しているのだが。
資源・資材さえあれば、みくりや丸は単独でも半永久的に航行が可能なのだ。
装備(服飾)の製作には、データベース化した世界常識から装備(服飾)のデザイン・データを拾い、その万能3Dプリンターを使うつもりである。贅沢極まりない。
さて、現状で彼女たちだが、山奥で野宿生活を送っていた。
「ダッキさん、人化ボディーが気に入ったからってさ、何もサバイバル生活する事もないんじゃないかな。ダッキさんだって、その身体で船内に入れるんだし」
「タマモ、貴女だけでも船内生活しても良いんですよ? 私は新鮮で楽しいんです。そよぐ風、土の匂い、川のせせらぎ、纏わりつく虫までも新しく楽しい刺激なのです」
日が暮れて、渓流にある狭い河原の石の上に座り、ダッキが諸手を上げて振り回し力説するのを、タマモは呆れた顔で見ていた。
「いや、虫なんか鬱陶しいだけじゃん。仕方ないなー。やらかさないか心配だから付き合ってるんだし。それにしても、ダッキさん。その身体で物を食べる事が出来たんだねぇ。どこに入っていくんだろ。それと味とか分かるの?」
彼女達の前には焚き火が焚かれ、その周りでは腸と鰓と鱗が除かれ、木の枝を削った串に刺された魚が焼かれていた。火熾しはブラスターを低出力にセットして、それで着火した。
何となく地球のヤマメを思わせる姿をしたそれは、タマモが渓流に入り手掴みで捕獲し処理した物だ。
魚の処理にはタマモの記憶からデータ化して、例の万能3Dプリンターで製作したナイフのような万能包丁のような、取り敢えず刃物ではある物が使われた。
なお、味付けは、みくりや丸の中で合成した塩のみである。
「それが、どこに行ってるかは不明なんです。スキルについてはあまり深く考えても仕方ないんじゃないですか? 味覚についての情緒的なものはタマモとの思考リンクを通じて学習するしかありませんね。付き合わせてごめんなさいね」
「あー、うん。スキルはね……。考えてもムダだよね。私もこの身体になってから長い間、食事は嗜好品扱い方だったからねー。とんでもない味音痴になってるかも知れないよ」
焚き火を囲んで、そんな益体も無い話をしつつ、焼いた魚にかぶりつく二人。
「この魚、なんか遙か昔に食べたニジマスの塩焼きに似てるようなそうでないような、そんな味なんだよねー」
骨までバリバリ食べながらタマモがそんな事を言う。
「懐かしい、と言う感情ですか」
「うん、家族で山間にあるニジマスの釣り堀に行ってね。そこは自分で釣った魚を塩焼きにして食べられるんだけどね、その時に食べた味は微妙だったはずなんだけど、それでも何故か美味しく感じてた記憶があるんだよねー」
焚き火を、じっと見つめながらタマモが、ぽつり、ぽつりと話して行く。
「はぁ~、とっくの昔にみんな亡くなってるのになぁ。この身体だとさ、思い出も鮮明なままなんだよねぇ」
食べ終わり、ぽきり、と魚を刺していた枝を折り焚き火に焼べるタマモ。黙って耳を傾けるダッキ。
ぱちりと焚き火が小さく爆ぜる。
「でもさ、今の私にはダッキさんが居るからね。みくりや丸の姿でも、人化した姿でも、ダッキさんは私の、今の私のたった一人の家族」
そう言ってタマモはダッキに微笑んだ。少しだけ淋しさが滲んだような、そんな笑みだった。
焚き火の炎が揺らめき、二人の顔を照らしながら、山奥の渓谷の夜は静かに更けて行った。
・・・・・・・・
暫くの山籠もりで、ダッキがバックグラウンドで行っていた世界常識のデータベース化が終わった。
タマモも思考リンクを使って閲覧が出来るのだが、どうやっても思考リンク酔いから逃れられず、また、いちいち船内に入ってモニターとにらめっこするのも面倒だった。
それでダッキに頼んで、掌に収まる大きさ(サイズとしては画面サイズが三から四インチ程度)のスマートフォン型の端末を例の万能3Dプリンターを使って製作して貰った。
「これならポケットに入れても邪魔にならいし、なんと言っても酔わないのがヨシ!」
タップしたりスワイプしたり、ピンチイン/アウトを繰り返しては、はしゃいでいるタマモ。
「それ、一応は思考リンクで操作も出来るんですよ」
「この『触って操作してる』ってのが良いのよ。あ、でも検索指示は思考リンク使った方が便利かも。やっとこれで生活魔法の練習が出来るよー」
そう、生活魔法である。スキルは与えられたらが、そもそも女神イスカリアが用意した物はマニュアル(スキルに付帯される知識)が不親切過ぎるのだ。
現地の人々は、その不足している知識を長年の経験によるノウハウで補っている。それは民間に広まっていて、親から子へと伝えられたり、寺子屋の様な私塾で手習いのついでに教えたりなどされている。
それらノウハウは確かに世界常識に入ってはいた。しかし、ぶちまけられた言語がバラバラのメモみたい状態である。情報を探すのも嫌になるくらいの煩雑さなのだ。
「んー、やっぱり最初は水かな? 私にとって主食みたいなもんだし。主食で思い出した。ダッキさん、サブは良いとして、メイン・リアクターの燃料は大丈夫なの?」
そう、この惑星、いや宇宙では、現状みくりや丸のメイン・リアクターの燃料である反物質の補給が出来ないのだ。
「ジャンプもしませんし、補機は停止、星間航行に使う機器も停止若しくは最低レベルの稼働状態です。この状態が続くのならサブ・リアクターの核融合炉のみで十分ですから、メイン・リアクターの燃料切れの心配は無いですね。残量は全力ジャンプ二十六回分ですが」
「そっか。それなら暫くは大丈夫そうだねー。あっ……」
「どうしました?」
「積み荷のあれ、使えるんじゃないかな。結局納品出来なかった小惑星開発キット。落ち着いたら、星系内のどっかの岩石系惑星か準惑星にでも設置して来ようよ」
「なるほど、あれならプラントも船渠も作れますね」
「だねぇ。ま、今は最低限の常識の勉強と魔法の練習。それとダッキさんの身体慣らしかな。のんびりやってこ」
「そうですね。時間は有り余ってますから」
「(クライアントの皆様、申し訳ありません。納品が不可能になったので私達で有効活用させて頂きます)」
タマモは、自分達に仕事を依頼してくれた元請けさんと配送先の現場の人達に心の中で詫びて手を合わせたのだった。
ここで話に出た通称『小惑星開発キット』とは、宇宙開発の初期に、割と使われている自己増殖型の資源開発プラントである。
データさえ与えておけば、勝手に自己増殖して目的のプラントは疎か、補給基地まで作り上げる事が出来る自由度の高い代物である。
これを使えば、みくりや丸の燃料補給の問題どころか、各種補給物質に整備や修理の問題が一気に片付くのだ。
小惑星開発キットの件を一旦保留してタマモ達は生活魔法の訓練というか練習を始めたのだが。
「魔力って何よ。なにこの『考えるな感じろ』な力って」
初手から躓いていた。
「魔法を使う前提条件が、魔力操作と言うスキルで、それを取得してから生活魔法のスキルの取得を目指すのが、一般的な流れですね」
「イスカリア様って……。言葉悪いけどポンコツ?」
「尚且つ天然さんかも知れないですよね」
言語理解力然り、世界時間然り。タマモ達達の中で女神イスカリア、ポンコツ説ができた瞬間であった。
それから、結局タマモ達の山籠もり生活は一年近くにも及び、漸く魔力操作スキルの取得に漕ぎ着けた。
なにせ手本となる指導者が居ない為に、魔力を感じる所から、試行錯誤しなければならなかったからだ。
魔力操作の取得は意外にもタマモの方が早かった。元々は普通の地球人で、気配とか気とか、何となく理解していた為かも知れない。
タマモが魔力操作を取得すると、ダッキも即座に取得が出来た。思考リンクでの読み取りの許可をタマモから得て、所謂コツのようなものを学習したのだ。
そして魔法の取得なのだが……。
「ふんぬぐぅ~!」
片手を手刀の形にして前に突き出し、半身になりながらガニ股でいきむタマモの姿があった。
「タマモ、女の子がしちゃいけない顔になってますよ!」
「おっかしいなー。ちゃんと魔力操作は出来てるんだけど水が出て来ない……」
やはりタマモは初手で躓いていた。
生活魔法の取得はダッキの方が早かった。自身の意識領域にあるスキルと言う不明データを解析し、そのプロトコルを理解・実行する事が出来る。その強みが現れた形だ。
現に今も手先から生み出した水を、その場で水玉にして、ふよふよと空中に浮かべている。
「タマモ、思考リンクで世界常識から得た生活魔法の情報データを書き込みますか?」
「ダッキさん、あれは酔うから余りやりたくないんだ。出来れば自助努力で覚えたいのよねー」
「難儀な体質ですよね……」
「免疫みたいなものだから仕方ないよ。んー、魔法、魔法スキルかぁ。同じスキルなのに言語理解と世界常識は使えるのにねー、なんでだろ。あ、魔力操作なんか自力で生やせたし」
「タマモ、生活魔法スキルと言語理解や世界常識はプロトコルが違いますよ。それと魔力操作も別ですね。そして、生活魔法のプロトコルは人化スキルのものと共通部が多いです」
「なんですと? あー、ダッキさんは解析して、そこから自分に適合するように改変してから使ってるんだっけ」
「そうですね。ただ私はそれらのプロトコルを受け取れるレセプターが在りませんでしたので、人化スキルを頂いた時、解析ついでに意識領域内に実行モジュールと共に自分で創りました」
「ついでで作れるダッキさん凄過ぎ。あれ? となると私には最初からそのレセプターが在ったて事? もし私にそれが無かったらスキル付与なんて無意味だったんじゃね?」
「ポンコツですね」
「うん、確かに天然ポンコツだわ」
女神イスカリア、ポンコツ確定である。
ただ擁護するなら、彼女にとってタマモ達の召喚は突発的な事故であり、また召喚に関与した経験も無かった為に色々と抜けてしまったのも事実である。
もしタマモがあの女神と邂逅した空間で異空間収納を取得し、試していたら状況は変わったかも知れない。
この世界は神々も経験から学習するのだ。
「タマモが生活魔法を使えないのは、そもそも外部に働きかける為のプロトコルを処理する実行モジュールに相当する部分が無いからかも知れませんね」
「あ、そうか。今のとこ使えるのって、内部処理だけのヤツっぽいよね。うーん、となると私には魔法関係は無理?」
「思考リンクのアクセス制限を解除して貰えるなら、該当部分をスキャンして実行モジュールを構築しますよ?」
「なんか酔うなんて生易しい事で済みそうもないんで、少し考えさせて……」
その後、どうしても生活魔法を発動させる事が出来なかったタマモは、覚悟を決めてダッキにお願いして、件の実行モジュールを構築して貰う。
結果、星間国家に保護されて以来、初めて意識不明となり三日三晩、目を覚まさなかった。
ダッキはタマモとの思考リンクが切れてしまった為にどうしたら良いか分からず、タマモが目を覚ますまでオロオロしながら抱きかかえ続けたのであった。
そして、タマモは目覚める。
「なんか凄い久し振りに夢を見ていた気がする。あ、ダッキさん、おはよー」
「タマモーっ!」
言うや否や瞳を潤ませながら、がっしりと抱えていたタマモを強く抱き締めるダッキ。情緒面でまた成長か変化があったようだ。
「心配かけちゃったみたいだねー。大丈夫だよ、ダッキさん」
「違和感や何かおかしいと感じる事はありませんか? タマモが気を失うなんて初めてで……」
「うんうん。ダッキと出会ってから気を失うとか眠るとか無かったらからねー。心配させちゃったね。あー、なんか頭がすっきりした感じだわ」
ダッキと目を合わせて、安心させるようにタマモは話す。そのタマモの目を、正確には瞳を見たダッキがおどろいたような表情でタマモに指摘した。
「タマモ、貴女、左目だけ瞳の色が変わってます。薄い紅色に」
「え? まじ? オッドアイとかなにその中二病」
「本当に大丈夫なんでしょうか。診断装置、使いますか?」
「うん、念の為に入っとく方が良さそうだよね」
生物から逸脱し、今まで何の問題も無く過ごして来たタマモだが、特殊な出自と使われている人工細胞に不可解な点(構成するナノマシンが再プログラム不可にプロテクトされている等)が見られた為に、定期的に診断を行い、そのデータを星間国家の研究機関に提出する事になっていた。
本来は研究機関に赴いて診断・検査を受けるのだが、仕事を請けての航宙中でも診断が出来るように専用の装置が、みくりや丸には設置されている。なんだかんだでタマモは星間国家により手厚く保護されているのだ。
診断の結果、タマモの人工細胞内と、それにより置き換えられていた脳と神経系で変化が起きていた。
一つ目は神経伝達系の高速化とそれにより脳での処理も高速化される。これがタマモの意思一つで切り替わるのだ。
二つ目は五感全ての感度上昇。これもタマモの意思で個別に感度調整が出来るようだ。
三つ目は今まで抑え気味になっていた大脳辺縁系が完全に地球人類としての機能を取り戻した事。今回のタマモの昏睡はこれが原因かと思われる。
左目の色が変化した原因は不明。神経系の変化で、そうなるようにプログラムされていたとしか言えない。
大脳辺縁系の機能が完全復活したのは、どうやらダッキによって書き込まれた実行モジュールが原因と思われた。
思考リンクを通じての脳に対する書き込みは、脳を構成する人工細胞にとって、外部からの攻撃と見做されて、それに抵抗する事からタマモには『酔い』と言う症状が現れる。
しかし、書き込まれて定着してしまうと、逆にそれをより効率的に運用出来るように疑似ニューロン・ネットワークが組み替えられる。
今回書き込まれた実行モジュール、これは魔力操作と紐付けされるようになっている。
そして、実はこの魔力操作、タマモが自力で取得に至ったのは大脳辺縁系にある神秘的感覚を司る部分、以降、神秘野と呼称するが、そこが密接に関係してくる。
そう、魔力を感知出来なければそれを操作など出来る訳が無い。魔力操作は、その神秘野と連携するスキルなのだ。
そして、魔法に関する実行モジュールが書き込まれた結果、脳を構成する人工細胞群は、実行モジュールの運用を、より効率的にする為に疑似ニューロン・ネットワークだけでなく、大脳辺縁系を活性化させようとした。
しかし、大脳辺縁系には機能を低下させるようプロテクトが為されており、ここで処理の衝突が起こった。
処理のせめぎ合いは三日三晩続き、その間は意識を司る部分までが機能停止に陥り、タマモが昏睡するに至ったのである。
「夢を見た気がしたのは、大脳辺縁系が復活したのが原因かぁ。て事は、今まで地球で暮らしてた頃とメンタル変わっていないと思ってたけど、それは普通じゃなかったのか……」
途端に怖れを感じてタマモは身震いする。確かに今まではこんな怖れなど、感じる事が無かったと彼女は自覚した。
「本能的な恐怖を感じたみたいですね。情緒や情動、感情が本来のタマモのものに戻ったのではないでしょうか」
「そうかもしれないね……」
この世界によって齎された今の理不尽な状況に、今更ながらタマモは言い知れない不安を感じ始めていた。