40 彼女の生き様(アルベール視点)
結局、大司教は司教としての権利を剥奪。調べ上げると様々な余罪が出てきた為、これからきっちりと法律に則って、罰を受けることになるらしい。
市民達は、有名だった大司教が罪を犯していたことを知り、教会の人気は大暴落をしている。
一方のルーウェン王子は、王位継承権はもちろん剥奪。その上で子爵家の養子に入れられて、将来はその領地を経営することになるそうだ。当該子爵家は、伝統を重んじる大変厳しい方が当主をなさっているそうで、ルーウェンはスパルタ教育を受けることになるそうだ。
(個人的には、貴族の身分を持っているだけでも腹立たしい)
しかし、そうはいかないのが王族というものだ。これでも充分、譲歩した方らしい。
とはいえ、子爵家は伯爵家より身分が低いので、これからルーウェンがセシルに手出し出来る状況ではなくなった。
これで万事解決。大司教がエレンに指示して操っていた魔物もいなくなり、以前よりも魔物の頻出が少なくなった。
セシルを苦しめていたものは、全て取り除かれたと言っていいだろう。
しかし、アルベールには目下、解決しなければならない課題があった。
アルベールが歩いていると、すぐ前でセシルが部屋を出たところが見えた。
「セシル」
「‥‥‥‥‥‥」
アルベールは彼女の名前を呼ぶが、セシルは目も合わせようとしない。
そう、アルベールにとって目下の課題は、セシルが口を利いてくれないことにあった。アルベールが調子に乗ってキスマークをつけたことにセシルは怒っているのだった。
現在、セシルはアイリスの国で保護されており、王宮で暮らしている。彼女が新しい生活に慣れるまで、と頼み込んでアルベールも一緒に王宮で過ごしていた。
なんとしても、アルベールは領地に戻るまでに、彼女の機嫌を直さなければならないのだった。
「セシル‥‥‥」
随分と情けない声が出た。名前を呼ぶが、セシルはしらっとした視線を送るだけで、返事をしようとしない。
これが、結構、堪えた。
セシルと喧嘩のようなものをしたことはあったが、無視されるのは初めてだったので、想像以上に精神にくるものがあった。
考えているうちに、セシルはどこかへ行ってしまう。
「自業自得、因果応報」
「‥‥‥レインか」
後ろから声がしたかと思うと、そこにはジト目のレインがいた。人でも刺しそうな目をしていらっしゃる。
「それは、大司教や元王子に向ける言葉ではないのか?」
「アルベール様にもですよ」
「‥‥‥‥‥‥‥」
レインが辛辣すぎて、言葉も出ない。しかし、仕方がない。何せ、レインはセシルが大好きで崇拝すらしているのだ。
それに、こういった時に団結する女性は強いということを、アルベールは知っていた。
「‥‥‥調子に乗ったことは悪かったが、反省もしているし、今後このようなことがないように善処する。そろそろ許して欲しいと思っている」
「本人に言ってください」
「言ったが、聞き入れてもらえなかった」
「‥‥‥‥‥」
沈黙が流れる。そもそも好いている女性と一つ屋根の下に暮らしていて、何も起こさなかったのだ。それだけで精神は磨耗していたのに、この程度で済んで‥‥とアルベールはここで思考を止めた。こんなことを考えても仕方がない、と。
「まあ、それとなくは伝えておきますが」
レインは咳払いをして、哀れむようにアルベールを見た。
「それでは、私はこれからセシル様と一緒に街へ行ってきますので。デートです」
レインはわざわざ最後の言葉を強調して、セシルが去っていった方向へ歩いて行く。そういえば、今日のセシルは他所行きの格好をしていたと気付いたアルベールは、ただ一人取り残されてしまった。
アルベールはため息をついて、与えられた部屋へ戻ろうとクルリと反対方向を向いた。
「きゃっ」
「!」
振り向いた拍子に誰かとぶつかってしまった。そこには、ドレスを見に纏った銀髪の女性がいた。
「すまない。大丈夫か?」
「はい。私の方こそ失礼しました」
ゆったりと頭を下げる仕草には気品がある。アルベールは記憶を辿り、彼女が王弟の娘、つまりアイリスの従姉妹であることを思い出した。
彼女はふわりと、控えめで可憐な笑みを見せる。
「ここでの生活には慣れましたか?」
「ああ。とは言っても、セシルが慣れなければならないのだかな」
二言目にはセシルの話題が出てくる。彼女の話をする時、彼はどこか楽しげな表情になるのだった。
「そうですか。それはよかったです。けれど‥‥‥」
彼女はそっとアルベールに近づき、シャツを引っ張った。彼女の瞳は僅かに濡れ、アルベールを見上げている。
「アルベールは誠実な方なのに。先程も勘違いされていて、胸が痛くなってしまいました」
「‥‥‥‥」
彼女は”愛らしいと感じさせるような”仕草をしているが、アルベールは色々なものが冷めていくのを感じた。
(そういうことか)
立場上、色々な女性に言い寄られることが多々あった。セシルと結婚してからも、だ。そういった時は毎回、「妻がいる」の一点張りで断ってきたのだが。
「これは俺と妻の問題ですので、ご心配は不要です」
勝手に人の家庭に首を突っ込むなと言外に伝える。が、彼女はめげなかった。
「けれど、大変でしょう?セシル様とアルベール様は歳が離れておられますし、価値観も違うでしょうから」
「‥‥‥‥‥‥」
「そもそも、王宮と揉め事を起こされたというのも、一つの不安要素ですし‥‥」
エトセトラエトセトラ。よくも、妻の悪口を旦那の前で言えるなと、アルベールは目を細めた。彼女はその表情に気づかず、ペラペラと必死な表情で話し続ける。
「それから、セシル様は‥‥」
「悪いが、俺は彼女を愛しているので、これ以上、聞きたくないな」
アルベールは彼女の前に手を出して、拒否の意思を示した。もう既に、敬語を使う気など失せていた。もとより、彼女は外交上、全く重要な位置にはいないのだ。
アルベールの言葉に彼女はカァッと顔を赤くして、それでも尚口を開いた。
「で、でも!あんな白い髪の女より、私の方が綺麗ですよ!身分だって、王族ですし、教養もありますし‥‥」
確かに、彼女の言う通りかもしれない。客観的に見れば、セシルはどこにでもいる普通の女の子。特別美しい訳でも、身分がある訳でもない。
それに、彼女の人生は生半可なものではない。教会でも、王宮でも、彼女は虐げられてきたし、理不尽な目に遭ってきた。言葉にすると簡単だが、彼女の過去は想像を絶する。
けれど‥‥‥
けれど、彼女は諦めなかった。自分の人生を、幸せを。
それは、誰にでも出来ることではない。
彼女のこれまでの人生があるから、彼女はより一層、輝いて見えるのだ。
(ああ、そうか‥‥‥‥)
アルベールは、今、再確認をした。
「俺は、彼女の生き様に惚れたのだ」
失礼する、と一言だけ残して、アルベールは彼女の元を去って行く。
「そんなの!絶対に後悔しますよ!!」
後悔なんてするわけがない。後悔することと言えば、自分の過去の行動なわけだが。
(彼女が帰ってきたら、また謝りに行こう)
彼女の好きな食べ物でも持っていって、一緒に食べようと提案しようなど。こういうのも悪くない、と思っている辺り、惚れた弱みなのだろう。
角を曲がると、そこには人影があった。それも、よく知っている人の姿が。
「セ、セシル‥‥‥?」
「はい」
頷くのは、他でもないセシルだった。少しむくれた顔をしている。
「聞いていたのか?」
「ええ。美しい女の人に私の悪口を散々吹き込まれて、言い寄られていた所しか見ていませんが」
ほとんど見られていた。やましいことは一つもないが、アルベールは妙に焦った気持ちになる。
しかし、なによりも。
「‥‥‥‥あの返答は気に入らなかったか?」
生き様に惚れた、という言葉は良くなかったのではないかとアルベールは考えた。女性ならば、「綺麗」や「優しい」などと言われた方が嬉しかったのではないか、と。
しかし、セシルは少し笑って、答えた。
「そうですね‥‥‥‥今までのこと、辛かった日々のこと。全部、無駄ではなかったんだなって思えました」
「そうか」
アルベールは顔を綻ばせて、セシルの手を取った。久しぶりの接触だ。彼女の小さな手が愛おしい。
「セシル。あの時は、君の気持ちを考えず、申し訳なかった。‥‥許してくれるか?」
「‥‥‥‥そもそも、もう、あのことに怒ってませんよ?」
「そうなのか?」
じゃあなんで口を聞いてくれないのか、と。アルベールは問うた。すると、セシルは口を尖らせる。
「だって、”両思い”だって分かったら、嬉しくなって。アルベール様ともっと一緒にいたい、もっと触れたいと思ってしまうんです」
「だから、最近、避けていたのか?」
「少しムキになっていたところもあって‥‥‥‥ごめんなさい」
セシルはペコリと頭を下げる。アルベールとしては、「一緒にいること」も「触れ合うこと」も構わないのだが、セシル曰く「他所の国でイチャつくのは良くない」とのことだ。真面目な彼女らしい。
ほっとすると同時に、アルベールには、少し意地悪な心が浮かんできた。
アルベールはセシルの顔を覗き込んだ。
「なら、本当は俺と触れ合いたくて堪らなかったんだな?我慢できないほどに」
「‥‥‥‥‥‥い、言い方がいやらしい」
「触れたくて我慢できそうにないから、仕方なく距離を取っていたと」
「ちょっと、やめて下さいよ!」
セシルはアルベールの口を塞ごうと手を伸ばす。が、アルベールはその手を掴み、自分の方へ引き寄せた。
「嬉しいよ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
セシルは途端に黙って、目を逸らした。怒るに怒らなくなった彼女の耳は真っ赤になっている。どうやら、惚れた弱みはセシルも同じだったらしい。
「ところで、何故、戻ってきたんだ?レインと買い物に行ったんじゃなかったか?」
「レインと話して、アルベール様を誘おうってことになったんです。今日も無視してしまって、申し訳なかったので‥‥‥」
「それは、嬉しいな」
「この三人でお出かけは初めてですよね?楽しみです」
「ああ。俺もだ」
次話で最後です。




