32 だから「君を愛することはない」と言った(アルベール視点)
セシルとの本当の出会いは、およそ二年前のことだった。
その日、アルベールは苛々と王宮へと足を進めていた。家督相続についての説明を王家に求められたからである。
アルベールは妾の子供であったが、血で血を洗うような相続問題を勝ち抜き、伯爵家の家督を継いでいた。
しかし、家督を継いだからと言って、それで終わりではない。前当主が残した、金銭トラブルや一部商会への癒着の対処、隣接する国との関係修復、領民の不満解消など、やらなければならないことは沢山あった。
更に、今日は長男でも正妻の子でもないアルベールが家督を継いだことを異例だとして、王家に呼びされてしまったのだ。
『お前が死ねば、全て解決するのに』
『俺から地位を奪って、楽しいか?』
狂ってしまった義母や、自嘲気味に笑う兄の声が蘇る。アルベールが屋敷に来た頃は優しかった彼らも、アルベールが優秀だと分かると、段々と態度を変化させていった。今では、領地とは離れた場所にいるが、それでも時々彼らの言葉を思い出してしまう。
周りから祭り上げられ、滅茶苦茶な領地経営を見てられなくて、家督を継ぐことにしたが、こんなことやるものじゃないと思った。
(家督は‥‥‥いずれエリック辺りに養子に入ってもらって譲ろう)
そうしよう、と。言い寄ってくる女は沢山いるが、家庭を持つなんてあり得ない。家督問題を起こすくらいなら、その方がいいとアルベールは考えていた。
「あなた、最近調子に乗っているのではなくて?」
アルベールの耳に一つの声が飛び込んできた。思わぬ不穏な言葉に、アルベールはキョロキョロと辺りを見回す。
しかし、周りには人はおらず、気のせいかと思っていた時。
「その白い髪、自分で恥ずかしくないのかしら?汚らわしくて目障りだわ」
「それになんです?その格好は。みすぼらしい。ボロ雑巾でも纏っているのかと思いましたわ」
「教会から追い出された負け犬のくせに、王宮で大きい顔しないで欲しいわ」
その声は建物の影から聞こえてきていた。顔を上げると複数人の女性が一人の女性を囲っているのが見えた。
(ああいうことがあるから、女は恐ろしい‥‥‥)
囲まれている方は、まだ少女と言えるほど若く、はかない雰囲気を纏っていた。白い髪と紫の瞳が印象的で、今にも消えてしまいそうだと、アルベールは思った。
「なんとか言いなさいよ!!」
パシンと音がし、白い髪の少女は頬を抑えていた。ハラリと白い髪が彼女の肩から落ちる。その隙間から頬が赤くなっているのが見えた。
「おいー‥‥‥」
流石にこれは止めるため、アルベールは声をかけようとしたのだが。
再び、パシンという音が5回連続で聞こえてきた。また殴られたのかと思ったのだが。
頬を押さえて固まっていたのは、白い髪の少女を囲んでいる女達の方だった。
(え、は? 5回連続で叩き返した??)
「何するのよ!!」
「何するはこっちのセリフですよ。五人で寄ってたかって。恥ずかしくないんですか?」
白い髪の少女はか細い雰囲気とは裏腹に意思の強い目をしていた。
「こいつ‥‥‥!」
そのまま五人の女性は少女に掴みかかっていく。が、少女はそれに臆せずに立ち向かっていった。取っ組み合いの喧嘩に、アルベールが止める隙もない。
少女は一対五ながら、互角の闘いを見せていた。
儚い印象と、その強い瞳がアンバランスで‥‥‥
(なんか‥‥かっこいいな)
アルベールは、そんなことを思うくらいには非常に疲れていた。
「二度とくだらないことをしないで下さいね」
最終的に彼女は囲っていた女性を追い払っている。王宮にいるのは深層の娘ばかりとはいえ、五人を一気に一人で追い払うとは‥‥‥
そのまま、彼女はその場から去って行った。一瞬でさえ、アルベールとは目が合わなかった。
彼女のことが気になったアルベールは、帰り際、王宮の知り合いに「白い髪の少女」について尋ねた。
「ああ、彼女は城に保護されている聖女のセシル様だよ」
「聖女‥‥セシル‥‥‥」
それから、彼は王宮を訪れるたびに、白い髪の彼女を目で探すようになっていた。
花に水遣りをする際、顔を綻ばせているとか。
怪我している人を見つけて、心配そうにしているとか。
心ない言葉を浴びせられて、悔しそうに唇を噛んでいるとか。
そういう姿を、時々見つけた。
最初は、興味。そして、不遇な状況にいる彼女への庇護欲。めげない姿から、尊敬。それらがない混ぜになって、アルベールの心をかき乱す。
それなりに女性との交際は経てきたが、こんな感情は初めてだった。
それでも、彼女は聖女だ。国に尽くす存在。自分には到底手も届かないような、高嶺の花。だから、彼女のことは諦めていた。
‥‥‥‥‥‥なのに。彼女が追放される瞬間に居合わせた時。バルコニーから落ちてきた彼女を、この手で受け止めた時。彼女のことを守りたいと、どうしようもなく思ってしまったのだ。
だから、彼女を妻にするという選択肢を取った。
しかし、彼女はアルベールを見て、怯えた。初めて合わせた、その瞳の中にしっかりと恐怖を写し込んだのが見えた。
当たり前だろう。彼女はアルベールのことなんて何も知らない。つまり、セシルにとってアルベールは初対面の男だった。
それに、セシルは最初は歓迎していたはずの王宮から、手酷い扱いも受けていた。アルベール自身、醜い後継者争いの中で、信じていた人に裏切られた経験があるからこそ分かる。
きっと、どんなに言葉を重ねても、彼女は自分たちを信じてはくれない。期待して裏切られるくらいなら、最初から信じないだろう。
だから、言ったのだ。
「君を愛することはない」とー‥‥‥
一定以上の働きを求めないという意思表明として、この言葉を言うことによって、彼女の不信感や恐怖心を取り除きたかった。
本当は愛おしくて愛おしくて、仕方がないのに。その本心を隠して、彼女に接し続けた。
だから、その知らせを聞いた時、本心を隠し続けた罰が当たったのだと思った。
アルベールは、連れられた王宮の個室で苛々と歩き回っていた。理由は、セシルが第一王子のルーウェンに連れて行かれたためだ。本当は、セシルの手を引いて逃げられればよかった。
だけど、相手は王族だ。逃げて解決するわけではない。
セシルが機転をきかせて、「話が終わったら、戻る」という条件をつけて、了承を得られたから大丈夫なはずだ。そう言い聞かせるが、どうしても落ち着かない。
一旦、この部屋の外に出ようと、扉のノブに手をかける。が、扉が開くことはない。鍵をかけられていたのだ。
「クソ‥‥‥」
ダン、と扉を拳で叩く。びくともしない扉に、無力な自分に苛立ちを隠せない。
(もし、彼女に何かあったら?)
そう考えただけで、恐ろしい。気が触れそうになるのを抑えながら、アルベールが扉に体当たりをしようとすると‥‥‥
次の瞬間、パァンッという音を立てながら、扉が弾けたんだ。扉の向こうには足を振り上げたデニスの姿があった。
「アルベール様!セシル様が誘拐されました」
彼にいつもの余裕綽々とした表情はなく、その頬には一筋の汗を垂らしていた。
「何があった?」
「‥‥‥‥アイツらに、嵌められました」
絞り出すように伝えられた言葉に、アルベールは眉を顰めた。




