29 王宮のパーティ②
「元気だったかしら?アルベール」
「ああ。君も元気だったか?」
アルベールとその女性は、親しげに話している。美男美女である二人が並ぶ姿は、誰もが息を呑むほど絵になっていた。
セシルはこれまで体験したことのない感情に、胸がジクジクと痛んだ。
セシルが二人の間に割って話すことも出来ずにいると、その黒髪の女性ー‥アイリスはセシルの方を向いた。
「アルベール。彼女が、例の?」
その話し方はレインほどクールではなく、リリエットほど気さくでもない。しかし、惹きつけられるような不思議な魅力の雰囲気を持っていた。
「そうだ。彼女が妻のセシルだ。‥‥‥セシル、彼女はアイリス」
アルベールが振り返ってセシルに話しかける。ぼやっとしていたセシルは慌てて頭を下げた。
「はじめまして。セシルです」
「はじめまして」
彼女は大きな瞳でセシルをジッと見つめる。瞬きするたびに、彼女の長い睫毛がパサパサと音を立てるようだった。
彼女はそのままセシルの元まで歩み寄り、そして至近距離で淡々と告げた。
「単刀直入に言うわね。あなた、アルベールから手を引きなさい」
「え?」
あまりに直接的な言葉にセシルはしばらく声を出せなかった。これまで、「相応しくない」「迷惑をかけている」等の言葉をかけられたことはある。もちろん、その言葉の裏には結婚をやめて欲しいという欲があるのだろう。
しかし、今まで、それを直接言った人はいなかった。皆、本当の欲望は隠すものだ。
「やめろ、アイリス。セシルが困惑しているだろう」
「前から言っていることでしょう?私の方があなたに提示できるメリットは多いって」
「それは‥‥」
「何より、私は誰よりも美しいし」
「自分で言うな」
自賛の言葉に、セシルは少し驚いた。しかし、その言葉さえも様になるほど、彼女は美しかった。実際、その仕草や表情に、チラチラとこちらの様子を窺っていた者達は「ほお‥‥」とため息をついた。
アルベールは片手で頭を抱え、苦言を呈する。しかし、その表情は柔らかく、気を許しているからこその言葉だと分かる。
「まあ、それはいいとして。とりあえず、あなたと二人で話したいのだけれどいいかしら?」
「この流れで”いい”と言う訳がないだろう」
アルベールはため息をつく。が、彼女は自信ありげに口角を上げた。断られると思っていないようだった。
「この私の命令が聞けないってこと?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥五分だけだ」
その言葉に、セシルはガツンと頭が殴られたような感覚を覚えた。
アルベールは自分の元にいてくれると、そう過信していた。
「セシル。すまないが、少しここで待っていてもらってもいいか?すぐに戻るから」
「はい。じゃあ、ここで待ってますね」
セシルは無理やり笑顔を見せると、二人は奥のバルコニーへと去って行った。
⭐︎⭐︎⭐︎
セシルがそっとバルコニーを振り返ると、そこにはアイリスとアルベールが並んで話していた。
空には満点の星空が広がっていて、二人がそこに並ぶと、ロマンチックな小説のワンシーンのようだった。
アイリスが何かを言うと、アルベールは眉根を寄せてその三倍は言葉を放つ。しかし、時節、気を許したような笑みを浮かべるのだ。セシルには、向けられたことのない顔だった。
(私、勘違いしてたのかな‥‥)
アルベールは、絶対に自分を優先してくれる、と。意識の奥底で、勝手にそう思っていた。だから、彼がセシルを置いて彼女と話に行った時にショックを覚えたのだ。
(所詮、契約結婚の相手なだけなのに。恥ずかしい‥‥‥)
アイリスがアルベールの肩に触れる。それを見た瞬間、ジクジクとした痛みが胸の中に広がる。
こんな感情を抱いていい立ち位置にいる訳ではないのに。
焦がれるほどの嫉妬心を覚えている自分がいるー‥‥
その痛みに気を取られて、セシルは後ろから迫る影に気付かなかった。セシルが二人の後ろ姿を眺めていると、無造作に肩を掴まれた。
「おい」
「?!」
セシルは思わず、その手を振り払った。すると、その手の主は、ハッと笑った。
「相変わらず、無礼な女だな」
「‥‥‥‥ルーウェン王子殿下」
セシルは這うような低い声で、その者の名前を呼んだ。この国の第一王子である、ルーウェン。彼は、セシルを教会から保護した人物でありながら、過重労働に加えて法外な研究に加担させようとしてきた張本人。そして、最後は「エレンのため」という大義名分の元に、追放を言い渡し、セシルをバルコニーから突き落とした。
ここで話しても、ろくなことにならないだろう。セシルは彼と話すことはないと、アルベールの元へ足を進めようとする。がー‥‥
「おい、待て。貴様、恩人を無視するのか?」
「‥‥‥‥‥」
ルーウェンは、セシルの腕を再び強く掴んだ。今度は振り払えないほどの力だった。
(恩人なんて、よく言う。散々なことをしておいて‥‥)
「手を離してください」
「お前、王宮に戻って来い」
唐突すぎる言葉に、セシルは口を閉ざす。それに気分を良くしたルーウェンは、ペラペラと話し始めた。
「今、王宮は聖女不足で困っている。追放は無かったことにしてやるから、戻って来い」
「‥‥‥‥エレンは」
「エレンは現在も捜索している。かわいそうに。お前が抜けた穴を埋めようと必死に働いた結果がこれだ。見つけたら、聖女の仕事など二度とやらさずに、彼女を正妃として迎え入れようと思っている」
「‥‥‥‥‥‥」
あまりのことに、セシルは呆れてものも言えない。その様子に何を勘違いしたのか、彼は「ああ」と頷いた。
「どうしてもと言うなら、側妃としてなら娶ってやってもいいんだぞ」
「は?」
「君は、ここ数ヶ月で美しくなったな。そこらで噂してる奴がいるぞ」
その言葉に、セシルは寒気を覚えた。
セシルは、彼の手を跳ね除ける。そして、邪心がある者がセシルの体を触らないように聖魔法をかけた。
「私は、アルベール様の妻です。あなたの仰ることは受け入れられません」
セシルの抵抗に、しばらく呆然としていたルーウェンだったが、すぐに口元を歪めて笑った。
「はは。お前、あの男に恋情でも抱いているのか?阿呆だな。お前なんか、聖魔法が出来て便利だから娶られたんだろう?」
「‥‥‥‥」
「その証拠に、あいつは他の女と仲良さげに話していただろう。その様子を物欲しげに眺めていたよな、お前は」
セシルは言葉に詰まる。図星を突かれて、頭が真っ白になった。
「お前には、聖魔法以外、価値がないんだ。なのに、愛されたいと思うなんて、阿呆以外の何物でもないな」
「‥‥‥‥」
「だから、意固地にならずに、戻って来い。今なら待遇をよくするぞ」
それでも口を開かないセシルを、ルーウェンは鼻で笑った。
「そもそも、全部お前のせいなのに。ここまで譲歩してるんだぞ」
侮蔑と、甘言。教会でよく使われていた手だ。だから、惑わされない。惑わされるわけがない、のに‥‥‥
「セシル!!」
アルベールの声がしたかと思うと、直後には彼はセシルの肩を引いていた。そして、ルーウェンとの距離を取らせる。
「ウィンスレット家の伯爵か。俺と彼女が話しているんだ。邪魔をしないでくれ」
「お言葉ですが。彼女は、私の妻ですので」
「先ほどまで他の女と楽しそうに話していたのにか?よく言う」
アルベールは口端を上げて、ルーウェンを見下ろした。
「よく言う?それはこっちのセリフでしょう」
アルベールの勢いに、ルーウェンはわずかに後ろに下がった。
「彼女を散々扱き下ろして、今更戻って来いなどと虫のいい話があるはずがない」
「貴様‥‥‥王族を敵に回すつもりか?」
「それを言うなら、ウィンスレット家を敵に回すつもりでしょうか?殿下。我が家は、隣国との仲を取り持ち、国境を守っているのですよ」
その言葉は、「いつ隣国が攻め入っても知りませんよ」という、ギリギリの宣戦布告だ。大国で軍事力のある隣国は、この国にとって最重要な外交的な存在だった。
しばらく二人は睨み合っていたが、ルーウェンは静かに舌打ちをして目を逸らした。
「その言葉、後悔するなよ」
「後悔などしません。我が妻を守れるなら」
今度こそ、ルーウェンは聞こえるように舌打ちをした。
アルベールは便宜上、別れの挨拶を言い残して、セシルの手を引いて会場外へと向かった。
「あの‥‥旦那様」
セシルが名前を呼ぶが、彼はこちらを見ようともしない。セシルは少し泣きそうになりながら、彼の背中を追っていた。




